了
久遠はその日、強大な妖魔を祓って疲弊していた。
艮の金神を身に縛る符を半分以上も敵を封ずるのに使い、漏れ出した金神の力を呪力で押さえつけながらの死闘だった。
そこまでしなければ倒せなかった。生きている事自体が奇跡だ。
だから、迂闊にも、それまで影から守っていた真奈香に見つかってしまったのだ。
冬の前で雨が降り続いていて、その冷たい雨が久遠の残りわずかな体力を奪い去ってしまい、真奈香の家の近くにある電柱にもたれたまま気絶しかけていた。
「……ちょっと、貴方大丈夫!?」
声を掛けられるまで近づいてきていた事にすら気づかなかった。
内心では、舌打ちをしていた。
心配そうに覗き込む気の強そうな整った顔が、目の前にあった。
国野真奈香。
彼女の個人情報は、当然把握していた。
就職したばかりで、タイトスカートのスーツを着ている。
仕事帰りで、久遠のいる場所は彼女の帰宅路でずぶ濡れのコート姿で倒れている久遠を見捨てておけなかったのだろう。
お節介。
彼女を見守る内に、久遠はその性格も把握していた。
倒した強大な妖魔は、彼女を狙っている存在だった。
「俺に構うな……」
久遠は拒絶を口にしたが、声が小さすぎて聞こえなかったらしい。
「何?」
純粋に善意なのだろうとは思う。
だが久遠は、首を傾げて傘を差しかけようとする彼女を制した。
「良い。気にするな……」
少しだけ腹に力を込めて、久遠は再度拒絶する。
もう少し待てば、叶が迎えに来るのだ。
動けなくなる前に連絡だけは入れていた。
しかし久遠は、どうにか体を起こして壁に手をついたものの、立ち上がった足に力が入らずに崩れ落ちる。
「ちょっと!?」
「本当に良いんだ……見ず知らずの男に声を掛けて、襲われたりしたらどうするつもりだ……?」
なるべく皮肉げに見えるように笑みを浮かべようとしたものの、冷えて強張った久遠の口元は思い通りに動いてくれなかった。
軟弱な体めと、自分を呪う。
かつて一度だけ見た、曽祖父の戦い……年経てなお頑健で勇猛だった姿とは、比べるべくもない。
「ーーーふざけてるの!?」
いきなりだった。
物思いに沈みかけていた久遠は、怒鳴り声と共に顔に衝撃を感じた。
頬に平手を打たれたのだと、手を振り抜いた姿勢で怒りの表情を浮かべている真奈香を見て、気付く。
尻餅をついたまま熱を持ち始めた頬に触れて、久遠は呆然としてしまった。
ーーー何故いきなり?
「どう見ても病人のクセに、どうでも良い事心配してんじゃないわよ! いいから来なさい! ほら!」
自分が濡れるのも気にせずに、傘を畳んで久遠の力の入らない腕を持ち上げて、真奈香は、よ、と自分の肩に担いだ。
ようやく我に還った久遠は、狼狽しながら言う。
「いや、本当に大丈夫……」
「なわけないでしょうが!」
「いやあの、ほら……君も濡れ……」
「今更でしょ! ほら歩け!」
ぐいぐいと話を聞く気が全くない真奈香に口を挟めず、最初に『ツレが来る』と言えば良かった事に気付いたのは、近くにあった彼女の自宅である一人暮らしのマンションに引きずり込まれてからだった。
「その背負ったリュックの中に着替えは!?」
「あの、入ってない……」
中に入っているのは、仮面を含む艮の装備だ。
まったく、と言いながら、久遠は強引にずぶ濡れの服をパンツ一枚まで剥がれた。
何でか知らないが、真奈香には逆らえない迫力があった。
「寒い……」
「だから脱がしたんでしょうが! さっさとシャワー浴びてこい!」
成人男性の服を脱がすという重労働に従事した真奈香は、ゼェゼェと肩で息をしながら、久遠の尻を蹴るようにバスルームへたたき込む。
そして自分も中に入って来ると湯沸かしボタンを押してから、シャワーを捻った。
湯が暖かくなった途端に、パンツを履いたままなのに頭から思い切りシャワーをかけられる。
「うわっちぃ!!」
「寒がったり熱がったり忙しい奴ね。いい!? 浴槽にお湯が溜まるまでシャワー浴びとく! 入ったら湯船につかる! 私が帰ってくるまで入ってろ!」
シャワーを手渡され、バン、と風呂のドアを閉められた。
「帰ってくるまで、って……どこに行く気なんだ……?」
結局その後。
真奈香が出て行った後にバスルームを出て携帯だけはこっそり確認したが、水溜りに浸かったせいで電源が入らなかった。
仕方がないので言われるままに少し勢いを緩めたシャワーを浴びて風呂に浸かり、帰ってきた真奈香にタオルで体を拭けと言われて出ると、久遠には少し小さい、彼女の私物と思しきジャージとビニール袋に入ったままのトランクスが用意されていた。
着て出ると、服はマンション備え付けのコインランドリーで回していると言われて、会話もないままホットミルクを飲まされ。
ようやく叶に連絡を入れたのは、電話を掛けさせてもらう事すら言い出せないままに強引に布団の中に放り込まれて眠った後……つまり一夜明けてからだった。
自分はそんなに気の弱い人間だっただろうかと、真奈香のペースに逆らえない事に首を傾げながら。
一晩、雨の中、降魔課総出で久遠を探し回ったらしく、降魔課長と叶に死ぬほど怒られた。
調伏任務の内容を聞いて、強引にその日を有給にされて、しかし久遠はゆっくり休む暇もなかった。
久遠がぐっすり寝たら元気になった代わりに、真奈香が風邪をひいて寝込んだのだ。
なし崩しに買い物を頼まれていた久遠は、買い物を届けてそのまま慣れないおかゆを作ろうとして鍋を焦がし、結局レトルトのおかゆを彼女に与え……。
『ちょうど良いからお前、無職のフリしてそのまま側にいろ』などと意味不明な事を降魔課長に強引に命じられて。
そのまま、居着いた。
思い返すだけでも苦笑ものの、情けない出会い。
にも関わらず、真奈香との生活は心地よく……と。
「く・お・んーーーーーッ!!」
そんな怒鳴り声と共に布団を引き剥がされ、久遠は微睡みから覚めてガバッと起き上がった。
「とーたん! おはよー!」
側にいた美香にしがみつかれ、その体を抱きながら真奈香を見上げると、そこにはいつもの怒り顔。
「休みの日に寝坊なんて良い度胸ね。もう朝ごはんも食べ終わったけど?」
「うん、ゴメン……」
「普段働いている嫁に楽をさせようという気はないの?」
「ゴメン……」
頬を引きつらせながら答える久遠だが、彼女は言葉とは裏腹にこんな時間まで久遠を起こそうとはしなかった。
「久々に一緒に呑んだと思ったら、すぐに酔っ払って。起きれないくらいなら夜更かしするな!」
「はい……」
二日酔いではない。頭痛はしない。
ただ、久し振りの『神降ろし』による調伏で疲れただけだが、そんな事を言える筈もなく。
「さっさとシャワー浴びて、シャキッとして来なさい!」
「わ、分かった……」
久遠は美香を降ろすと、逃げるように寝室を出てバスルームに向かったのだった。
第1話・了。
【後書き】
第2話以降の予定は未定です。公募、なろうコン作品の投稿が落ち着き次第始めます。
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作成日時: 2018-07-10 12:07:48