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「ええ? もう明日発ってしまわれるのですか?」
「そうなの。だからお別れに伺ったのよ。お二人にはとても美味しいお食事をたくさんご馳走になって、嬉しかったわ。本当にありがとう」
せっかくこの街に訪れたんだからと、目ぼしい所を見て回って、最後にモーリスさんのお店に顔を覗かせた。
すると、テスもモーリスさんもとても残念がってくれた。
ちょっと嬉しくて、すごく寂しい。
でもこれが今生の別れではないもの。また遊びに来るわと約束してお店を出る。
そこにあの警備士達が近づいて来た。
「ウサギのしっぽ亭に宿泊しているアジャーニ兄妹だな?」
「その通りだが、どうかしたのか?」
わかりきったことを今さら訊いてくる隊長の顔は険しい。
道を挟んだ向かいのお店の軒下では、お酒を飲んでいる採掘師達がにやにやしながら見ている。
いったいどうしたのかと不安になったけれど、大丈夫。
今日はアイラインも綺麗に引けてばっちりだし、何も悪いことはしていないもの。
そう思って、堂々と応じたお兄様の隣に並んで立つ。
「貴様らは、さもアジャーニ子爵家の出身であるように振舞っているが、その事実は全くないそうだな。図々しくも高貴な身の上であるかのように騙り、街の者達から金品を巻き上げるなど、そなた達の行いは目に余る。さらに我々を騙し脅したことは許しがたき所業。よって、貴様らを捕縛せよとのベレ様のお達しだ。おとなしく我々に従うのならば縄はかけないでいてやろう。ついて来い」
「嫌です」
「断る」
「何だと!?」
わたしとお兄様が同時に発した拒絶の言葉に隊長はいきり立った。
途端に余裕を見せていた警備士達も顔つきが変わり、護衛騎士達が静かに身構える。
緊迫した状況に怖くなったけれど、引くつもりはないわ。
だって、この人達は正義感からの行動じゃない、弱い者いじめをする気満々だもの。
「別に、身分を騙ってなどいないさ。近衛に問い合わせれば、私の身元は保証してくれると言っているだろう?」
「そんな言葉に惑わされると思うな。王宮に問い合わせてどれだけ時間がかかると思うんだ? その間に逃げるつもりだな?」
「馬鹿なことを言うな。わざわざ王宮に問い合わせなくても、今二番隊はヴィクトル殿下のお供でアーグレイ離宮に滞在している。あそこまでなら早馬を出せば二日で帰って来ることができるだろう。私達を拘束するのはそれからでも遅くないと思うがな」
「そ、そんなことを……」
「怯むことはない。どうせハッタリに決まっとる!」
お兄様の自信に満ちた言葉を聞いてためらいを見せた隊長に、ずいぶん偉そうな声がかかった。
今やモーリスさん達だけでなく、街の人達までもがこのやり取りを不安そうに見ている。
その人垣を押しのけて警備士達が道を作り、小太りの男性が進み出てきた。
「ベレ様!」
男性を見て隊長が驚きの声を上げる。
とすると、この方が行政長官なのね。
口ひげを生やしてふんぞり返る姿が、まるで物語に出てくる悪者そのものだわ。
笑う場面じゃないのに、ちょっとおかしい。
きゅっと唇を引き結んだわたしを、長官が顎でしゃくって示す。
「そこの娘は、厚かましくもこの私を王宮に訴えると申したそうだな。しかも、王立学院の高等科に通っておると?」
「ええ、そうよ」
「ふむ。おかしいのぉ。私の持っているこの最新の貴族名鑑にはそなたの名前は載っておらぬようだが? アジャーニ子爵家で学院の高等科に通われるご年齢のご令嬢はリザベル様お一人だけ。それにご子息にいたっては、エドガー様、ラミール様……騎士どころか訓練所にもお入りになることはできないご年齢だがな」
長官は持っていた分厚い本をぱらぱらとめくりながら、もったいぶって読み上げる。
嫌だわ。最近の名鑑は年齢まで詳しく載っているのね。
帰ったら目を通してみないと。何て書かれているのか気になるわ。
「はて、傍系にもそれらしい名前はないようだが……。お前達はいったい何者だ? 正直に答えたまえ」
「正直にねえ……。エリカ、どうする?」
長官に促され、お兄様が首をひねる。
そうね。こういう場合どうすればいいのかしら。
もう嘘だってばれているのにアジャーニだと言い張るのも無理よね?
周りに目をやれば、今か今かとわたし達の正体が暴かれるのを楽しみにしているような採掘師や警備士達に混じって、心配そうな街の人達の顔が見える。
やっぱりここで誤魔化すのはみんなに失礼だわ。
リザベルの計画通りにはいかなかったけれど、臨機応変にって言っていたもの。
「リザベルはわたしの友人です。それで旅をする間、安全面やその他の面を考慮して、便宜上アジャーニと名乗っておりました。もちろん子爵家の許可は頂いております。ですが、家名について嘘を吐いたことは謝罪します。皆さん、ごめんなさい」
街のみんなに向けて頭を下げると、ざわりとして、耳障りな笑い声が聞こえた。
それに野次も混じっている。
顔を上げると、予想通り嫌な笑みを浮かべた警備士や採掘師達の顔が目に入った。
だけど街の人達に怒った顔はみられない。ただ戸惑っているだけ。
「し、子爵様でも何でも、お嬢様はお嬢様です。わたしがお嬢様に助けて頂いたのは事実で、わたしの感謝の気持ちが消えるわけではありません! それにお嬢様はご自分で家名を名乗られたわけじゃなく、勝手に誤解したのは隊長さんの方じゃないですか!」
「何だと?」
震えながらもテスはわたしを庇ってくれる。
すると街の人達までも「そうだ、そうだ!」と同意の声を上げた。
みんななんて優しいのかしら。
「う、うるさい! 黙れ! お前達は犯罪者を庇うのか!?」
「いいえ! この方は私のような詐欺まがいの商売をしている者にも優しくして下さった立派な方です!」
「そうですよ! 眉唾ものの商品を疑うことも値切ることもなく、たくさん買って下さるなんて、私達が困窮しているのをよくご存知なんだわ!」
んん? どういうこと?
わたしが何をしたの?
「そもそも、こんなに苦しいのは誰のせいですか! 無理に街を大きくして、パルサットの街から旅人や商人が大勢流れて来た時だって、取り立てが厳しくお客さんの財布の紐は堅いだけで、あたしらにはちっとも儲けがなかった!」
「そうだ、そうだ! あんな採掘師とか何とかって乱暴者を引き入れるだけで、うちらには迷惑なだけだ!」
「何だと、この野郎!」
「今のこの閑散とした街を見てみろ! 本来、この街を通るべき商人まで避けて遠回りをしているじゃないか!」
いけない。このままでは暴動になってしまいそう。
それだけ街の人達の不満は溜まっているのでしょうけれど、でも暴力はダメよ。
言い逃れのできない犯罪者になってしまうわ。
「あの! ちょっといいですか!?」
街の人達と警備士と採掘師までもが入り混じって、押し合いへし合い大混乱する中で、頑張って大声を張り上げた。
途端に、みんなが静かになる。
良かった。お芝居の時の発声練習が役に立ったみたい。
みんなの視線を感じながら、すっと息を吸ってから口を開く。
「これだけ街の人が不満に思っていることがあるんですもの。行政官の方達はこの街の在り方を一度考え直すべきだと思います。そうすれば――」
「黙れ、黙れ! 小娘の分際で偉そうに指図するな!」
興奮して真っ赤になった長官はわたしの言葉を怒声で遮り拳を振り上げた。
とっさに目をつぶったわたしを、お兄様が抱き寄せ庇ってくれる。
そんなわたしの耳に聞こえたのは殿下の声。
「彼女は僕の大切な婚約者だ。これ以上の暴挙を許すつもりはない」
おそるおそる目を開けると、殿下が長官の腕を掴んでねじり上げていた。
長官は悲痛な声を上げて呻く。
突然現れた見知らぬ人物に警備士さえも驚いてぽかんとしている。
まさか殿下がここに現れるなんて。
えっと、これからどうすればいいのかしら。




