番外編:久しぶりの再会
待ちに待ったお客様の訪問を知らされて、わたしは勢いよく立ち上がった。
昨日、婚約のお祝いにお邪魔したいと手紙をもらったときは嬉しくてくるくるその場で回ったほどなのよね。
小さい頃から大好きで、でもなかなか会えないお相手。
「オリヴィアお姉様!」
「ごきげんよう、エリカさん。ご婚約、おめでとう」
「あ、はい。ごきげんよう、オリヴィアお姉様。ありがとうございます」
居間に入ってきたオリヴィアお姉様に飛びつかんばかりにわたしは近づいた。
だけど、おっとりと微笑んでくれたお姉様の挨拶に、慌てて淑女らしく挨拶を返す。
そんなわたしを見て、オリヴィアお姉様はまた優しく微笑んでくれた。
オリヴィアお姉様はわたしが物心ついた頃にはすでにデュリオお兄様の婚約者だった女性。
もうずっとお姉様と呼んでいるけれど、実は未だに正式なお姉様ではないのよね。
お姉様が女学院を出て社交界デビューしたその年。
結婚の話になったのだけれど、お姉様には研究したいことがあって、研究科へ進学することをデュリオお兄様が後押ししたとか。
それから今に至るんだから、長い長い婚約期間だわ。
でもそれも半分はわたしのせいだと思う。
「ごめんなさい、お姉様」
「あら、何のことかしら?」
「本当はデュリオお兄様とお姉様はもっと早くに結婚できたのに、わたしが色々とこ迷惑をかけて騒ぎになってしまったから……」
「ちっとも迷惑なんてかけられていないわ。わたしはわたしのやりたいことをしているだけ。デュリオ様やアンドール家の皆様にご迷惑をおかけしているのはわたしのほうよ。それなのにエリカさんたちが大変なときに留守にしていた自分に呆れているの。わたしが力になれることも少しくらいはあったかもしれないのに」
「そんな! お姉様がお気になさることはありません! あれは全部……不可抗力と言うか、何て言うか……」
この一年で本当に色々あったけれど、それはわたしを強くしてくれたから。
それに大切な人たちとの出会いもあったもの。
その中で浮かんできたのは殿下の顔で、わたしは慌てて首を振った。
ここ最近はとても忙しくて殿下に全然会えなくて、思い出すとちょっぴり寂しくなったりするから。
そんなわたしをオリヴィアお姉様は優しく微笑んで見ていた。
何だか見透かされているようで恥ずかしいわ。
でもこの際だもの、ずっと気になっていたことを訊いてみよう。
「お姉様は、その……デュリオお兄様と会えない期間が長かったりしますけど……寂しくはないのですか?」
「そうね……寂しいと言えば寂しいけれど、わたしの我が儘で好きにさせてもらっているのだし、それになにより婚約してからの八年間はデュリオ様のお気持がわからなかったから、あの頃のほうがお傍にいても不安でつらかったの。まあ、それも自分のせいね。デュリオ様を信じることができなかったのだから」
「ということは、今はお兄様を信じていらっしゃるのですね?」
「お互いにね」
そう言って微笑むオリヴィアお姉様の頬はほんのり赤く、恋をしている女性そのもの。
女性初の研究科生で植物の研究では素晴らしい発見をたくさんされているお姉様は、とても自信に満ち溢れていて古臭い因習や世間の評判にも負けない強い人だと思ってた。
デュリオお兄様もいつも誇らしげにお姉様のことをお話しくださるし、幸せいっぱいの理想の二人だって。
だけど、きっとわたしの知らないところでたくさんのご苦労をなされてきたんだわ。
「さて、ではそろそろ出かけましょうか?」
「あ、はい」
お姉様はカップを置くと普段とは違った悪戯っぽい笑みを浮かべた。
昨日いただいたお手紙には、お出かけしましょうとも書いてあったのよね。
だから準備はしていたけれど、行き先はまだ聞いていない。
「お姉様、どちらにいらっしゃるのですか?」
「それは秘密」
いつも微笑みを浮かべていらっしゃるお姉様はわたしの憧れの存在で、お母様と同じくらい大人な女性って印象だったけれど、なんだか今は違って見えるわ。
とても楽しそうで、わたしまでわくわくしてしまう。
「別邸ですか?」
「いいえ、違うわ」
お姉様が今はお住まいになっていらっしゃるアンドール家の別邸でもないみたい。
付き添いもいなくてわたしたち二人だけでお出かけするなんて、てっきり別邸だと思っていたのに。
馬車はお姉様が乗っていらした家紋なしのもの。
「救女院ですか?」
「残念」
アンドール侯爵家が支援している救女院は、農作物などの品種改良が行われていて、お姉様もよく出入りされている場所。
そこでもないなんて、いったいどこかしら?
我慢できなくなってちょっと背伸びをしてカーテンを少し開けて車窓から外を覗く。
そこでどこに向かっているかがわかった。
「学院ですか?」
「正解」
予想外の場所に驚くわたしを見て、お姉様は悪戯が成功したように声を出して笑った。
どちらかというとおとなしい印象でもあるオリヴィアお姉様の笑い声は珍しくて、わたしまで嬉しくなってしまう。
「お姉様の笑い声はとっても素敵ですね。もっと笑ってほしくなってしまいます」
「ありがとう、エリカさん。デュリオ様も同じことをおっしゃってくださって、わたしを笑わせようとばかりなさるのよ」
「デュリオお兄様が?」
「ええ」
わたしの中でデュリオお兄様はいつも冷静沈着な印象なのに、オリヴィアお姉様の前では違うのかしら。
それってすごく素敵よね。
殿下もみんなの前ではとっても穏やかで優しいのに、わたしには意地悪で……って、それは素敵なことじゃないわ。
あの意地悪な笑顔を思い出したら何だか腹が立ってきて……会いたくなってしまった。
きっとわたしはあの意地悪に毒されてしまったのね。
気がつけば馬車は学院の門を通り抜け、校舎ではなく裏手のほうへと向かっていた。
今日は学院がお休みだから生徒もほとんどいなくて、馬車は問題なく進んでいるみたい。
この先は学院の温室があるのよね。
「温室に行くんですね?」
「ええ、そうよ。今日は秘密のお茶会をしようと思って」
「秘密のお茶会?」
「そう。だから先ほどは一杯だけにしたの。アンドール家のお茶は美味しいからいつもはついつい飲みすぎてしまうんだけどね」
学院に温室は二つあって、一つは生徒にも開放されているのだけれど、もう一方は研究用で関係者以外立ち入り禁止。
秘密ってことは、一度も入ったことのない温室のほうってことかも。
先ほど以上にわくわくするわたしを見て、お姉様は優しく微笑んだ。
「結婚式まであと七日ね?」
「は、はい。でもまだ実感がわかなくて……」
「それはわたしも同じだわ。デュリオ様と婚約してかなり長くなるけれど、未だに結婚となると実感がわかないもの。楽しみなような怖いような不思議な気持ち」
「そのとおりです。楽しみなんですけど、怖くもあって……」
「重圧がすごいのよね」
「そうなんです! わたしに本当に務まるのか不安なんです」
馬車が止まって扉が開かれても、話に夢中になっていたわたしは外から差し出された手を無意識に取って降りようとした。
そこに聞こえてきたのはデュリオお兄様の声。
「それなら、今からでも取りやめていいんだよ」
「お兄様?」
「心配なさらなくても、エリカさんのことは僕が守りますから大丈夫ですよ、お兄様」
「殿下!?」
「お兄様と呼ばれるにはまだ早いですよ、ヴィクトル王太子殿下」
わたしに手を貸してくれたのは殿下で、お兄様はすぐ傍に立っていた。
秘密のお茶会って、まさか四人でするの?
驚くわたしを殿下は温室へと導いてくれて、ちらりと振り返ればお兄様はオリヴィアお姉様の手を取ってそのまま口づけていた。
お姉様は恥ずかしそうに、だけど愛おしそうにお兄様を見上げている。
「久しぶりに会えたのに、エリカは僕を見てくれないんだね」
「え? そ、そんなことはなっ、な……!?」
そんなことはないと否定しかけたわたしの手を持ち上げて、殿下は唇をつけた。
しかも〝ちゅっ〟って音がしたわ!
絶対にわたしの顔は真っ赤になっているわよね。すごく熱いもの。
それなのに、殿下は何事もなかったかのようにそのまま温室の中を進む。
またからかわれたんだわ。
「久しぶりに会えたのに、殿下は意地悪です」
「僕はいつでも本気だよ。さっきの言葉も含めてね」
「さっきの……」
「何があっても僕がエリカを守るよ。だから不安なことがあるなら打ち明けてほしい。これからずっと僕が必ずエリカの一番の味方でいるから」
「殿下……」
「まだ殿下?」
「……ヴィー?」
「うん」
やっぱり殿下は意地悪で、それなのにそんなに優しく微笑むなんてずるいわ。
胸がきゅっと締めつけられて苦しい。
このまま結婚したら、わたしの心臓はもたないかもしれない。
とりあえず殿下から目を逸らして、初めて入った温室内に目を向けても、意識が殿下に向いてしまう。
「エリカ」
「……はい」
「こっちを向いて?」
「嫌です」
殿下を見たらきっとまた意地悪な顔で笑っているのよ。
だから絶対に見ないんだから。
「ほらほら、エリカは嫌がっているじゃないですか。無理強いはやめてください、殿下」
「デュリオ様、お邪魔してはいけませんわ」
「ほらほら、オリヴィアさんが困ってますよ。お兄様」
「何度まだ兄ではないと申せばおわかりいただけるんですか?」
「時間の問題なんですから、今から慣れてください」
お兄様たちがいることをすっかり忘れていたわたしは馬鹿だわ。
それにしてもお兄様もひどい。
先ほどからお兄様は殿下にケンカ腰で、オリヴィアお姉様が困っていらっしゃるじゃない。
「お兄様、わたしのことは大丈夫ですから、オリヴィアお姉様のことを大切になさってください」
「だが、エリカは嫌がっていたじゃないか」
「それは……自分で解決します」
わたしの言葉にお兄様はショックを受けたみたいだけど、そろそろ妹離れをしてくれないと。
オリヴィアお姉様がそんなお兄様を見て笑いを堪えていらっしゃる。
いっそのこと声を出してまた笑ってくださればいいのに。
そう思っていたら、殿下が噴き出した。
すると何だかわたしまでおかしくなって笑ってしまって、オリヴィアお姉様もついに声を出して笑ってくださった。
その笑い声にデュリオお兄様も嬉しそうに笑う。
用意されたお茶は少し冷めてしまっていたけれど、とても美味しく感じた。
それは四人の笑顔があったから。
この先たくさん大変なことはあるでしょうけれど、この時間を思い出せば頑張れる。
わたしにはたくさんの味方がいて、支えてくれる人がいるもの。
だからわたしは幸せになれる。そして殿下を幸せにしてみせるわ。
皆様、いつもありがとうございます。
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詳しくは活動報告にて。
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