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わたしが力強く宣言すると、殿下たちのはっと息を飲む音が聞こえた。
どうやら今の言葉だけでわたしの考えが伝わったみたい。
室内に落ちた一瞬の沈黙を破ったのは、不機嫌そうなマティアス。
「まさかお前、森の炎魔石を――いや、光魔石を全て消失させるつもりか? 無謀にもほどがあるだろう!」
「全てではありません。炎を取り囲むあたりだけで……もちろん、できるかどうかはわかりませんが、やるだけはやってみます!」
「だから、お前が無茶をするとヴィクトルが――」
「マティアス」
押さえつけるような口調から宥めるような口調に変わったマティアスを遮って、殿下はわたしに向き直った。
その表情はとても厳しい。
「エリカさんは、目に見えない、森の中にある光魔石に力を施すことができるの?」
「それは……わかりません。ですが、以前光魔法の練習で、屋敷中の明かりをクレファンスに代わって点けていたんです。そのとき、一つ一つ点けるのではなく、一度に点けるコツを掴みました。ですから、その要領でやればできると思うんです。力は有り余っていましたから」
練習中に一度失敗して、屋敷にあった全ての光魔石に明かりを点けてしまって、お母様に怒られてしまったことは内緒。
今はちゃんとコントロールできるようになったもの。
屋敷の中のランプをイメージしていたように、森の中にある光魔石をイメージすればきっとできる。
弱気な自分を隠して胸を張って告げると、殿下はゆっくり頷いた。
「わかった。確かに、炎魔石が火の周囲から消失すれば、これ以上の延焼を抑えることが容易になると思う。やれるだけやってみよう」
殿下の同意を得てほっと息を吐く。
すると今まで黙っていたロンが進み出て、耳をぴんと立てた。
『じゃあ、俺が導くよ』
「ロン?」
『俺たちに人間のような魔法は扱えない。だが、力を導くことはできる。炎を取り囲む光魔石にエリカの力をできる限り集中させるよ』
「ありがとう、ロン!」
屈んでロンを抱きしめると、しっぽまでぴんと立った。
だけどすぐに萎れてしまう。
『俺たちに力がもっとあればよかったんだけどな。時を弄れても物理的な時間を元には戻せない。中途半端な力だ。すまない、エリカ。本当はこんなふうにエリカに負担を強いるつもりじゃなかったんだ』
「ロン……わたしは大丈夫よ。それに謝らなければいけないのは、わたしたち人間よ。大切な森を危険にさらしてしまって、ごめんなさい。だから、絶対やってみせるわ」
落ち込むロンをさらに強く抱きしめてから少し離れ、大丈夫だとにっこり笑ってみせる。
そこに近づいてきた殿下がロンを抱き上げた。
『こらっ! 何をする!』
「では、行こうか? 二人とも協力してくれるかな?」
「当たり前だ」
「もちろんです!」
じたばたするロンを脇に抱えた殿下の言葉に、マティアスとコレットさんが力強く頷く。
そのとき、戻ってきたギデオン様やお兄様たちがわたしたちを見て訝しげに眉を寄せた。
「殿下、お体はもうよろしいのですか? いえ、たとえお元気になられたのだとしても、もうしばらくはお休みになってください」
三人の意見を代表したように、レオンスお兄様が殿下に訴える。
でも殿下は軽く手を振るだけで、それには答えない。
「皆の体調はどうだ? 怪我をした者たちの傷は? それにレオンスはどうなんだ?」
「――はい。魔法石のおかげで、皆無事に回復いたしました。わたしもエリカの盗魔石のおかげで力に満ち溢れております。……で、なぜロンがここにいるんだ? しかもマティアスとコレットさんまで。何を考えているんだ、危険だろう?」
殿下の問いに答えたお兄様は、じたばたしているロンを見て、そしてマティアス、コレットさんと順に視線を巡らせ、最後にわたしに視線を据えた。
静かだけれど厳しい口調のレオンスお兄様に、ロンを知っていたのね、なんて呑気なことは言えない。
そこにコレットさんが決意に満ちた様子で一歩前へと進み出た。
「森の一大事にじっとなんてしていられません! わたしは少しでも力になるために来たんです!」
「いや、だが、しかしな……」
いつもおとなしいコレットさんの勢いに押されたのか、レオンスお兄様は言葉を詰まらせた。
マティアスはコレットさんに同意して、声を出さずにぶんぶんと首を縦に振っている。
そこにギデオン様の穏やかな声が割り込んだ。
「レオンス殿の心配もわかりますが、彼らももう子供ではないのですから。自分で考えて行動し、自分で責任の取れる年齢ですよ」
そう後押ししてくれたギデオン様は表情を改めると、殿下に怖いくらい真剣な眼差しを向けた。
そんな場合じゃないのに、ちょっとどきどきしてしまう。
「それで、私たちは何をすればよろしいですか、殿下?」
「――ひとまずエリカさんの力を借りて、炎の周囲にある光魔石をできる限り消失させることになった。もちろん光魔法を扱える者はエリカさんを援護する。それから水魔法と風魔法を駆使して鎮火させるつもりだ。よって、回復した者たちも、それぞれ己の得意分野に回って協力してもらう」
「それではエリカの負担が大きすぎませんか?」
「ジェラールお兄様、わたしは大丈夫です。そもそもわたしから言い出したことですから。できる者ができることをしなければ」
諦めたのか、だらんとしたロンを抱えたままの殿下の説明に、ジェラールお兄様が心配を口にする。
だけどそれこそ今はそんな場合じゃない。それにわたしにはお守りがあるもの。
「ジェラールの心配もわかるけど、エリカちゃん一人に負担させる必要はないよ。新しく発見した増魔石の力を使えば、うまくいくと思う」
「ギデオン、それは――」
「新しい力? ギデオン、それはどんなものだ? 機密に関してはかまわない。教えてくれ」
新しい発見という言葉に誰もが驚いた。
ジェラールお兄様は研究者らしく興奮を抑えた口調で何か言いかけたけれど、殿下が遮って詳細を求める。
ギデオン様は応えて頷くと、革手袋をはめた手で増魔石を一つ取り出した。
「我々はこの石を手に握り、自分自身の魔力を高めることができます。ですがこの石を介せば相手の力を得ることができるのです。もちろん、奪うのではありません。伝達とでも言えばいいでしょうか。例えば、光魔法をまったく扱えない私の侍従のアルドですが、この石を私と一緒に握ると――要するに手を繋ぐと、レンブルで光を灯すことができました。これ以上の詳しい説明はまたいたしますが、増魔石と一緒にエリカちゃんと手を繋げば、エリカちゃんと同等の光魔法を放てます。もちろん石の消費率を考えると力の格差は少ないほうがよいでしょうから、光魔法が得意な者でなければなりませんが」
ギデオン様の簡潔な説明はわたしでも理解できた。
と同時に盗魔石を想起してしまう。以前、ジェラールお兄様の力が込められた盗魔石を握って、一度も成功したことのなかった炎魔法を放てたことを。
「では、私がエリカの手を握ろう」
「レオンスお兄様?」
「私は光魔法が得意とは言えないが、不思議と今なら高度な光魔法も扱える気がする。おそらくエリカの力が込められた盗魔石で回復したからだろう。しかも盗魔石はまだこうして力を宿している。どうやらそれほどにエリカの力は強いのだろうな」
そう言ってレオンスお兄様が見せてくれたのは、わたしがユリウスさんに握らされた盗魔石。
翠色の輝きは少しくすんでいるけれど、まだはっきりそれとわかる。しかもお兄様は素手で持っているのに、特に変化は見られない。
「俺は光魔法はあまり得意とは言えないから、得意の風魔法に徹底するよ」
「では、わたしは水魔法にします」
「僕はレオンス兄さんよりも光魔法は劣るから、水魔法でいくよ」
マティアスやコレットさん、ジェラールお兄様が自分たちの特性から担当する魔法を決めていく中で、殿下はロンと何かを話していた。
未だにロンは脇に抱えられたままだけれど。
「ギデオン、増魔石の新しい力はわかった。それで、その伝達の力に制限はあるのか?」
「まだどこまで伝わるのかは試験段階なのではっきりとは言えませんが、増魔石を一緒に握れる二人までなら間違いありません。ただ両者の力の差が大きいと増魔石はあっという間に力を失いますし、一方への負担が大きくなります」
「わかった。では、ひとまず回復した者たちも含めて皆で森へ急ごう。そしてレオンス、お前は早急に騎士たちの特性を踏まえて水魔法と風魔法に隊を分けてくれ。できれば水魔法を優先して」
「かしこまりました」
「マティアスは残っている増魔石でどれだけ力が伝達できるか考えてくれ。コレットさんとジェラールは隊員たちに詳しい説明を頼む。ギデオンは僕と交代するために待機していてほしい」
「わかりました」
次々と指示を出す殿下の姿は指導者そのもので、とても頼もしく心強い。
みんながそれぞれ応えて動き出すと、殿下は最後にわたしへと向き直った。
その顔にいつもの笑みはない。
「エリカさん、負担をかけることに違いはないけど……僕が――僕たちが助けるから。頑張ってほしい」
「はい、大丈夫です!」
もちろん不安はある。
だけどみんながいるから大丈夫。絶対に火は抑えられるもの。