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「ごめんね、突然」

「いいえ、お気になさらないでください。ですが、殿下がわざわざお越し頂かなくても、わたしから伺いましたのに」


 トムから話を聞いた次の日。

 今から伺うとの殿下からの先触れの知らせに、侍女たちが右往左往してどうにか支度を整えたところで、殿下がやってきた。

 お母様はお留守で、応接間に案内された殿下のお相手をするのはわたし一人。

 正式に婚約しているんだから問題はないけれど、それは別として、両想いだとわかってしまった今は変に意識してしまう。

 どうしよう。緊張してきたわ。


「侯爵やデュリオも忙しくて帰宅できていないようだから、あれからどうなったのか、エリカさんも気になっていると思ってね」

「それは……はい。ありがとうございます、殿下」


 なんだ。そんな場合じゃないのに、どうやらわたしは乙女な期待をしていたみたい。

 この間も勘違いして失敗するところだったのに。

 がっかりしている自分にがっかりだわ。


 殿下にソファを勧めて、わたしも腰を下ろすと、何気ない話をしてお茶を用意してくれたメイドが退室するのを待った。

 だけど執事のクレファンスはドアの内側に立ったまま、出ていく気配はない。


「ねえ、クレファンス。ここはもう大丈夫よ」

「エリカ様、奥様もお留守の今、殿下とお二人になるのは避けられたほうがよろしいかと」

「でも、わたしたちは婚約しているもの。それにここには噂を広める人だっていないんだから」

「ですが……」


 ためらうクレファンスを目にして思い当たる。

 ひょっとして五年前のことがあるから心配してくれているのかも。

 この婚約はわたし自身の希望だって、クレファンスは知らないから。


「クレファンス、本当に大丈夫よ」

「……かしこまりました。では、失礼いたします」


 もう一度大丈夫だと言い聞かせると、渋々ながらクレファンスは頭を下げて出て行った。


「どうやら、僕はクレファンスにあまりいい印象を持たれていないみたいだね」

「い、いいえ! そんなことは……」


 苦笑まじりの殿下の呟きに、焦って否定したけれど、説得力はないわよね。

 クレファンスは出て行くときに冷ややかな視線を殿下に向けていたもの。


「あの、クレファンスは誤解しているんです。でもちゃんと話せばわかってくれます。わたしが……」

「エリカさんが?」

「わたしが……その……ちゃんとです」

「うん、わかった。ちゃんとだね」


 〝ちゃんと〟言葉にできないわたしの説明に、殿下はくすくす笑いながら頷いた。

 だって改めて「好き」って言葉にするのは恥ずかしいんだもの。

 しかも本人を目の前にして。


 やっぱり世間の恋人たちってすごいわ。

 レリアも旦那様に毎日「好き」って言っているらしいし。

 手紙でも書かれていたのは惚気ばかり。愛があれば年の差なんて関係ないのね。

 結局、〝花嫁の義務〟については謎のまま、答えてくれていないんだけれど。

 いったい何なのかしら……。


「――エリカさん?」

「はいっ?」

「ずいぶん難しい顔をしていたけれど、大丈夫?」

「は、はい。もちろんです!」


 考えに没頭するあまり、変な顔をしてしまっていたみたい。

 うう。恥ずかしい。

 殿下には今までにもひどい顔を見られているけれど、それでもできるだけ可愛い自分を見てほしいのが本音。今日はお化粧もばっちりのはずだし、大丈夫なはず。

 自分を慰め叱咤して、姿勢を正す。


「あの、それでユリウスさんはどうなったのでしょうか?」

「ああ、うん。残念ながら、表沙汰にはできないからね、内々に処理することになったよ」

「それは……そうですよね」


 ユリウスさんはバルエイセンの王子様だものね。

 悔しいけれど仕方ないわ。

 その気持ちが顔に出ていたのか、殿下は小さく笑った。


「もちろん、無罪放免にはしないよ。中庭に忍び込んでいた仲間と一緒に、バルエイセンに送還したんだ。バルエイセン国王にその処遇を決めてもらうよう、使者を立ててね」

「では、ユリウスさんは、バルエイセン国王に罰せられるかもしれないんですね?」

「表向きはそうなるだろうね。だが、実際は庇うか切り捨てるか……どうなるかな?」

「切り捨てる?」


 不穏な言葉を耳にして思わず訊き返すと、殿下ははっきり頷いた。


「バルエイセンとは表面上は良好関係にあるんだけどね……。クレウス川の橋、あの地の領主は王太子殿下だが、名代にシビスを推したのは妃殿下派の者だったんだ。そして行方のわからなかった橋の補修のための補助金も、エサルドの街で徴収された賄賂も、調査の結果、バルエイセンに流れていることがわかった。とはいえ、いきなりバルエイセンを糾弾するわけにもいかないからね。ユリウスをどう扱うかで、向こうの心積もりもわかるよ」


 淡々とした殿下の説明は考えていたよりもずっと大きな問題で、じわりと嫌な汗が浮いてくる。

 アーグレイ離宮への旅でわかった官僚たちの不正が、まさか隣国のバルエイセンに繋がるなんて。

 これはただの王宮内での覇権争いなんかじゃない。一つ間違えれば戦争に発展してしまう問題だわ。


「それに、ここ最近頻発している魔法石の盗掘にしても、黒幕はバルエイセンだと言ってもいい。盗掘された魔法石はエサルドへ運び込まれ、そこでベレ長官が証書を発行し、別の品として封をされて正規に国外へ――バルエイセンへと持ち出されていたんだ。逆に国外から秘密裏に持ち込んだ廉価の魔法石を、エサルド産としてバルエイセン国内の一般層に売りさばいてもいる。しかもこれはエサルドだけじゃない。いくつか他の街でも同様の偽装が行われている。そして、その流通に関わっているのがベッソン商会なんだ」

「では、エサルドの街にいた採掘師を騙っていた人たちは……」

「エサルドで採掘作業が行われているよう見せかけるためだね。もちろん、違法な荷物の運搬のための人手でもあるんだろうけど」


 エサルドの街の人たちが無理に街を大きくしたと嘆いていたけれど、その理由がこの不正のため?

 交通の要所で便利だから?

 ここまでのことをこんなに大胆にやってしまえることが逆に怖い。

 最悪なことをつい考えてしまっていると、殿下が再び口を開いた。


「実はね、エリカさん。急なんだけど、僕は明日からしばらく王都を離れることになったんだ」

「殿下が……ですか?」

「うん。先ほども言った通り、エサルドのような街の一つに、プラリスがあるんだけれど、どうやらそこが一番規模が大きいようなんだ。あそこはバルエイセンとの国境近くだし、おそらく不正輸出の拠点になっていると思う」

「ですが……危険ではないのですか? 殿下はこの国にとって大切な方です。それなのに殿下がいらっしゃらないといけないのですか? 確かプラリスは王太子殿下のご領地でしたでしょう? 誰か他の方に――」

「エリカさん」


 不安のあまりみっともなく言い募るわたしを、殿下は静かに遮った。

 誤魔化さず話してくれた殿下を困らせるなんて、やっぱりわたしは子供だわ。

 もっと落ち着いて受け止めるべきなのに。


「……ごめんなさい」

「いや……本当に急だから驚いたよね。心配してくれてありがとう。だけど大丈夫だよ。もうすでに内偵が証拠を掴んでいるし、レオンスたち近衛もいるからね。僕は事を穏便に片づけるために行くんだ」

「穏便に……」


 そう、よね。

 これほど重大なことは慎重に動かなければ、すぐにでも戦争へ発展してしまうかもしれないもの。

 それは今まで被った不利益よりも多大な損害をこの国にもたらすことになるって、わたしでもわかるわ。


 震える体を落ち着かせるために何度か深呼吸を繰り返していると、殿下が立ち上がってわたしの隣に座った。

 そして、膝の上でぎゅっと握りしめていたわたしの手に手を重ねてくれる。

 それだけで心強くて安心してしまったわたしは単純かもしれない。でもいいの。

 ほっと息を吐いて感謝の笑みを向けると、殿下は微笑み返してくれた。

 だけどその笑みはなぜか悲しそうに見える。


「エリカさん……あともう一つ、とても大切な知らせがあるんだ」

「とても大切な……?」

「うん……。近々、王太子殿下が退位なされる。それに伴い、僕が太子の位を賜ることになった」

「え……」


 それはまったく予想もしていなかったことで、言葉もなく殿下を見つめた。

 そんなわたしから殿下は目を逸らし、小さくため息をこぼす。


「僕が学院を卒業するまでは待ってくださるはずだったんだけどね。今回のことで全ての予定が狂ってしまった。だけど僕は……」


 俯いて言い淀む殿下にいつもの余裕はまったく見られない。

 ああ、わたしって本当に馬鹿。

 殿下は恐ろしいほどの重責を担っているのに、平気でいられるはずがないのよ。

 いつか言っていた「自分は王の器じゃない」って、あれは殿下の不安だったのに。


「わたしは……怖いです」

「エリカさん?」

「殿下の妃としてちゃんと責任を果たせるのか、考えると怖くなります。殿下の足を引っ張るんじゃないかって。でも……わたしには支えてくれる人たちが大勢います。お父様もお母様もお兄様も、リザベルだって。そして殿下がいてくれるから、大丈夫だと思えるんです。ですからわたしも、みんなのために頑張りたい。何より殿下の力に少しでもなりたいんです」


 失敗ばかりのわたしをいつも助けてくれる殿下を、今度はわたしが助けたい。

 その気持ちを込めて、重ねられた手を逆に握り返し、微笑みを向けた。――つもりだったけれど、一瞬後には殿下の腕の中にいた。


「僕は、エリカさんが傍にいてくれるだけでいいんだ。それだけで、僕は幸せだよ」

「そ、そんな、それは、――っ」


 あまりに率直な言葉と突然の抱擁とで、もうパニック寸前。

 頭にかあっと血が上って自分が何を言っているのかもよくわからない。

 ただただ恥ずかしくて嬉しくて、殿下の背中に腕を回して肩に顔をうずめたわたしの耳に、さらに優しい声が響く。


「あの日、エリカさんは言ったよね。諦めなければ幸せは手に入れられるって。その通りだって今ならわかる。だから僕はこれからも諦めない。何があってもね」


 あの日……確かに五年前のあの庭で、本で読んだそのままに偉ぶって殿下に――ヴィーにそんなことを告げた気がするわ。

 ヴィーはとても優しかったけれど、どこか冷めていて、それでわたしは我が儘を言ったのよ。〝白いウサギ〟を探そうって。そのときの言葉を殿下が覚えていたなんて。


「殿下は……変わってますね」

「そうかな?」

「そうです。わたしはずっと迷惑ばかりかけているのに、幸せだなんて……」

「迷惑……かな? エリカさんといると退屈しないからね。それに、エリカさんは気にせずに僕に触れてくれる。こうして抱きしめてくれる」

「だっ、抱き――っ!」

「離れないで。今離れると、これ以上のことをしてしまいそうだから」

「これ以上!?」


 って、何!?

 よくわからないけれど、とにかくダメな気がするわ!

 そう思って強く殿下に抱きつくと、くすくす笑いが伝わってきた。

 ひょっとしてまたからかわれた?


「違う、本気だよ。でもこれ以上は……いや、今も十分クレファンスは許してくれないだろうね」


 わたしの考えを読んで答えた殿下は、独り言のように呟いて深く息を吐いた。

 そしてもう一度大きく息を吸うと、わたしの腕を掴んでそっと離れる。


「殿下?」

「もう失礼しないと、やっぱりちょっと……やばい」

「え?」


 最後がうまく聞き取れなくて聞き返したけれど、殿下はもう何も言わずに立ち上がった。

 わたしも立ち上がったものの、恥ずかしくて顔を上げられない。

 ああ、でもどうしよう。

 このまま帰ってしまうと、もうしばらく会えないのに。

 だけどここは笑顔で見送るべき……って、そうだわ!


「少々お待ちください!」

「エリカさん?」


 訝る殿下を置いて急ぎ部屋を出ると、なぜかクレファンスが廊下に控えていた。


「クレファンス、殿下のお帰りの用意をお願い」

「――かしこまりました」


 通りすがりに言い付けて、階段を駆け上がる。

 殿下は出発前で忙しいはずなのに、わざわざ会いに来てくれたんだもの。これ以上は我慢しないと。

 本当はもっと一緒にいたい、引き止めたい。

 それならせめて……。


 自室に入ってチェストの引き出しを開けると、すぐに目的の物は見つかった。

 それを手に取り、階下へと戻る。

 殿下はもう帰り支度をすませて玄関ホールに立っていた。

 クレファンスは玄関ドアを開けて待っているし、ちょっと早すぎない?

 用意をお願いしただけなのに、まるで追い出そうとしているみたいじゃない。

 非難の視線をクレファンスに送り、殿下に向き直る。


「あの、これ……いつもお世話になっている殿下にお礼をと刺繍したのですが、少し華美になってしまって……。それでもよろしければ、お持ちになってくださいませんか?」

「――もちろん、嬉しいよ。ありがとう、エリカさん」


 差し出したハンカチの模様は、一針一針に気持ちを込めたもの。

 立派なものをと力みすぎて、男性が持つには少し派手になってしまってやり直そうかと思っていたけれど、それでも渡せてよかった。

 大切な人が旅立つときに送るハンカチは無事を祈るお守りだから。


「殿下、ご無事でのお戻りをお待ちしております」

「うん、ありがとう。また……僕が帰ったら、約束したカフェに行こう」

「はい! ぜひ!」

「じゃあ……」


 周囲に聞こえないよう小声で見送りの言葉を告げたのに、殿下の嬉しいお誘いについ大声で答えてしまったわ。

 殿下はそんなわたしにとてもとても優しい笑みを返してくれた。

 そして手を振り、馬車へと乗り込む。


 見送ることがこんなに苦しいなんて思いもしなかった。

 走り出した馬車がやがて門を越えて見えなくなっても、わたしはしばらくその場から動くことができなかった。




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