第61話 王のいない城
クマークは椅子に座ったまま、机を挟んで立つマウクを見ていた。
「……好きに調べろ」
先ほど同じ言葉を口にした時よりも、声には苛立ちが混じっている。
マウクは机に並んだ書類へ目を落としたが、すぐには手を伸ばさなかった。確かめるべき矛盾は、すでに見えている。
自分は国王命令でウェルへの同行を外された。それなのに裁判では、自分の判断でウェルを単独でストログへ向かわせた者として扱われた。いま知りたいのは、紙の上に残った言葉ではない。
「クマーク様。1つだけ、あなた自身に聞いてもいいですか」
「何だ」
「どうして僕を、あそこまで急いで死刑にする必要があったんです?」
クマークの目が細くなった。
「死刑を決めたのは国の裁きだ。私1人の判断ではない」
「それは分かっています。ボリャーク様もいました。でも、あの場で僕がウェル様を単独で送り出したと言ったのは、あなたです。僕が国王命令で同行を外されたことを知っていたのに」
「当時は王女を名乗る者たちが軍を集め、国内が乱れていた。疑わしい者を放置できる状況ではなかった」
「疑った理由を聞いているのではありません」
シャルンが割って入ると、クマークの視線が動いた。
マウクが感情のまま問いを重ねれば、クマークはそこだけを理由に話を退けるかもしれない。シャルンはマウクの追及を奪うのではなく、クマークが答えずに済ませられない形へ問いを絞った。
「マウク様が自分の意思で同行を取りやめたと判断した根拠は何だったのか。その一点です」
「お前たちは同じことしか言えんのか」
「同じ問いに答えがないからです。ただし、答えられないことをもって、クマーク様が黒幕だと決めるつもりもありません。今はまだ、そこまでの材料はありません」
マウクが横目でシャルンを見る。庇っているわけではない。事実と推測を切り分け、まだ決められないものは決めない。それだけだった。
腕を組んでいたミカが、クマークへ言葉を向けた。
「だったら答えて終わらせればいいでしょう。分からないなら、分からないでもいい。妙に避けるから話が終わらないのよ」
「第三騎士団長が内政官の真似事か」
「興味ないわよ。私は、分からないものを勝手に分かったことにするのが嫌いなだけ」
ミカが肩をすくめても、ルートシンは口を挟まず、クマークの様子を見ていた。王命に従い、レインとユキネを討つところまで進軍した彼には、命令を受ける側が何を強いられるのか分かっている。だからこそ、命令の裏を知らずに済ませるつもりはなかった。
「クマーク丞相。私は陛下の王命を受けてアドラスへ向かいました。命令自体は存在していた。それは否定しません」
「ならば問題はないだろう」
「あります。王命であれば、軍人は従います。だから、その王が何を知らされて決断したのかは重要です。同じことが起これば、またクラスト兵同士が剣を向けます」
クマークの表情から、わずかに余裕が消えた。
「今さら死人の判断を掘り返して、何になる」
「次に生きている者が、同じ間違いをしないためです」
ルートシンの低い声が途切れた時、廊下を走る足音が近づき、扉が強く叩かれた。
「急報です!」
ルートシンが扉を開けさせる。入ってきた近衛兵は室内を見渡した後、クマークへ一礼した。
「ウェル殿下が、レイン殿下とユキネ殿下へ突然襲いかかりました」
マウクが立ち上がり、ミカの表情も一変する。
「両殿下は?」
「御無事です。ライトス団長とトッキー団長にも負傷はありません」
「ウェル様は?」
マウクの問いに、近衛兵が一瞬言葉を詰まらせた。
「お2人に止められた後、ウェル殿下は一度、御本人のように戻られました。レイン殿下、ユキネ殿下と言葉を交わされ……その後、亡くなられました」
部屋から音が消えた。
マウクはすぐに次の言葉を出せなかった。ストログへ向かう朝まで、自分はウェルの教育係だった。本来なら、その旅にも同行するはずだった。帰ってきたウェルから不完全な暗号を受け取った時、何かがおかしいとは思った。それでも、助けを求める言葉のすべてを最後まで拾えなかった。
「……話せたんですね」
「はい。最後は御本人として、両殿下へお話をされていたと」
マウクは目を閉じた。悲しみと、ほんのわずかな安堵が同時に胸へ落ちる。最後まで何も言えないままではなかった。それだけが救いだった。
だが、その救いがウェルを取り戻したことにはならない。帰ってきた時に抱いた喜びも、不完全な暗号へ気づきながら救い切れなかった悔いも、今は同じ重さで胸に残っていた。
シャルンはすぐに慰めの言葉をかけなかった。マウクがウェルをどれほど大切にしていたかは、説明されなくても知っている。数秒待ってから、近衛兵へ向き直る。
「レイン殿下とユキネ殿下は、今もホールに?」
「はい。ライトス団長とトッキー団長がそばにおられます」
「分かりました」
それ以上は聞かなかった。現場を見ていない近衛兵へ詳細を尋ねても、伝聞が増えるだけだった。
ミカもすぐに駆け出そうとはしない。トッキーが何をしたのかは気になるはずだが、今ホールにいるのは弟を失った2人の姉だった。
「ライトスとトッキーがいるなら、今は任せるわ」
ルートシンもうなずき、近衛兵へ指示する。
「周囲を不用意に騒がせないよう伝えてもらえるか。両殿下から指示があるまでは、必要以上に人を集めない方がいい」
「承知しました」
近衛兵が去り、扉が閉じる。最初に動いたのはクマークだった。椅子から立ち上がり、外套を整える。
「陛下が亡くなり、元帥が亡くなり、今度は王子まで死んだ。これ以上、王城を止めておくわけにはいかん」
マウクが顔を上げた。
「レイン殿下が戻っています」
「今は弟を失ったばかりだ」
「だから、代わりに何をするつもりです?」
クマークは答えなかった。シャルンも立ち上がる。
「クマーク様。レイン殿下が判断される前に、新しい命令を出すおつもりですか」
「私は丞相だ。王城を動かす責任がある」
「事務を止めないことと、王に代わって決めることは別です」
王城の機能を保つ必要があることまで、シャルンは否定していなかった。だからこそ、クマークが丞相として続けるべき実務と、王位継承第1位のレインにしか下せない判断を同じものとして扱わせなかった。
クマークの足が止まった。振り返った目には、これまでより露骨な苛立ちがある。
「お前は自分の立場を忘れていないか」
「忘れていません。ですから、私にはあなたへ命令する権限もありません。ただ、レイン殿下が戻られている以上、殿下の判断より先に誰かが王の権限を使う理由もありません」
シャルンは一歩も引かなかった。自分の権限が及ばないことを認めたうえで、クマークにも越えられない線を示している。
しばらく何も言わなかったクマークが、マウクへ視線を移す。
「お前も同じ考えか」
「僕は、ウェル様が最後まで何を伝えようとしていたのか、まだ全部分かっていません。だから、分からないまま誰かに次の王の代わりをさせるつもりもありません」
クマークの口元が歪んだ。
「好きにしろ」
それだけ言い残し、扉へ向かう。ルートシンは道を塞がず、ミカも追わなかった。クマークは1人で部屋を出ていき、足音が遠ざかっても誰もその後を追わなかった。
しばらくして、マウクが椅子へ腰を下ろす。張りつめていたものが切れたように、肩が落ちた。
「……ウェル様、帰ってきたかったんだろうな」
シャルンは隣に立ったまま答えた。
「最後は、戻られたのだと思います。少なくとも、自分の言葉でレイン殿下とユキネ殿下へ話すことはできたのでしょう」
慰めるために事実を変えず、残された事実の中からマウクが受け取れるものを選ぶ。それがシャルンの答えだった。
マウクは小さく息を吐く。
「そうだね」
ミカが扉から離れた。
「少し時間を置きましょう。レイン殿下たちのところへ行くのは、それからでいい」
「王城の警戒は私が見ます。両殿下が動かれるまで、新しい混乱を増やす必要はありません」
ルートシンの言葉に、マウクはうなずいた。
今は誰かを追う時ではない。弟を失った姉たちが、自分たちで立ち上がるまで待つ時間だった。
ただし、王のいない城で誰かが先に権限を握ろうとすれば、混乱は終わらない。ウェルの死を悼む時間と、王城を守るために止めてはならないもの。その両方を見失わないことだけは、4人の間で一致していた。
クマークがどこへ向かったのかを、この時の4人は知らなかった。




