プロローグ また会う日の約束
ストログ王城の謁見の間には、朝の光がまっすぐに差し込んでいた。
磨き上げられた床に細長く伸びる光を踏み、レインは玉座の前で静かに頭を下げた。その隣にはユキネが立ち、少し後ろにはシャルンが控えている。
長く滞在した異国の王城も、今日で見納めだった。
「これまで本当にありがとうございました、ナーカマ陛下」
レインの言葉を受け、玉座に座っていたナーカマは困ったように眉を下げた。
「そんなに改まられると、かえって寂しくなります。こちらこそ、お二人には多くのことを学ばせていただきました。シャルン殿にも、ずいぶん助けてもらいましたね」
「私は務めを果たしただけです」
シャルンが一礼すると、ナーカマは小さく笑った。
「そう言って片づけられる量ではなかったと思います。私のところへ届く書類まで、いつの間にか読みやすくなっていましたから」
「改善すべき点が目につきましたので、担当の方へお伝えしただけです」
助けたかどうかではなく、何がどう改善されたかを答えるところが、いかにもシャルンらしかった。ユキネが小さく息を漏らす。
「それを世間では、助けたと言うのではありませんか?」
「結果としては、そうなるかもしれません」
「シャルンにとっての当然が、他の者にも同じとは限りません。帰国してからも、私たちが学ぶことは多そうですね」
レインが穏やかに言うと、ナーカマの笑みが深くなった。
形式だけの謁見ではなかった。3人がストログで過ごしてきた時間は、互いを遠い国の王族や臣下として扱うには長すぎた。
それでも、別れの時は来る。
レインは改めてナーカマを見上げた。名残惜しさは胸に残っている。それを理由に、王女として果たすべき帰国の務めを遅らせることはできなかった。
「私たちは本日、クラストへ帰国します。ここで学ばせていただいたことを、両国のために生かしてまいります。交代で参りますウェルのことも、どうかよろしくお願いいたします」
「もちろんです。ウェル殿を客人としてお迎えできることを楽しみにしています。マウク殿も同行されるのでしたね」
「はい。その予定です」
弟の名を口にしたレインの表情が、王女のものから姉のものへわずかに和らいだ。
ウェルは素直で、人を疑うことを知らない。だからこそ、慣れない土地で不自由をしないかという心配はあった。しかし、目の前の若い王が誠実に迎えると約束してくれるなら、姉としても安心できる。
ユキネは一歩進み、ナーカマへ頭を下げた。
「弟は少々、人を信じすぎるところがあります。困ったことがあれば、遠慮なく叱ってください」
「叱るようなことがあるでしょうか」
「なければ、それでよいのです。ただ、本人が大丈夫だと言っても、それだけで判断なさらないでください。無理をしていないか、姉上に代わって私からもお願いいたします」
言葉は丁寧でも、ユキネの目は真剣だった。身内だからと庇うのではなく、守るためにこそ甘く見ない。その意志を、ナーカマは正面から受け止めた。
「お預かりするのではなく、クラストから来た大切な友人として迎えます。お二人も、どうか無事にお帰りください」
「ありがとうございます」
レインが答え、3人はそろって最後の礼をした。
王城を出ると、帰国に同行するクラストの護衛兵50人がすでに隊列を整えていた。荷を積んだ馬車の点検も終わり、あとは出発を待つばかりとなっている。
ユキネは馬車へ向かう前に足を止め、隊列の前後と荷台の周囲へ素早く目を走らせた。護衛の配置に乱れがないことを確かめてから、ようやく歩みを進める。
城門を抜けた先では、イケメーンとルーカが待っていた。
獅子騎士団長であるイケメーンは、見送りの場でも普段と変わらず堂々としている。その隣に立つルーカは、ユキネより先に隊列の間隔と馬車の足回りまで見ていたらしい。最後の馬車から視線を戻し、レインたちの姿を認めて表情を和らげた。
「ここまで来てくださったのですか」
レインが声をかけると、イケメーンは当然のように答えた。
「城の中で別れを済ませるのは、どうにも性に合いませんので。せめて城外まではお見送りしようと思いまして」
「団長は、ウェル殿とマウク殿を迎える話ばかりしていたのですけれどね」
ルーカの指摘に、イケメーンはわざとらしく咳払いをした。
「それとこれとは別の話だ。見送るべき方々を、きちんと見送るのも私の役目だろう」
「今、役目ということにしましたね」
「ルーカ。私は君の、細かなことによく気づくところを高く評価している。しかし、何も今それを発揮しなくてもいい」
「必要な時に申し上げるのも、私の役目です」
即座に返され、イケメーンが言葉に詰まる。レインは口元を押さえ、ユキネも張り詰めていた表情をわずかに緩めた。
シャルンは笑いに加わらず、イケメーンを見た。
「ウェル様を迎える準備は、もう整えているのですか?」
「もちろんです。酒も用意しました。マウクが来れば、戦術論を肴に夜通し飲めますからな。ウェル殿には無理に付き合わせませんので、ご安心を」
「到着当日の予定に、その酒席は含まれているのですか?」
「いや、そこまでは」
「では、マウク様の了承を得てからにしてください。長旅の直後です。迎える側の都合だけで予定を増やすべきではありません」
反論する余地を順に塞がれ、イケメーンはルーカへ助けを求めるような目を向けた。
「私もシャルン殿に賛成です」
「君まで即答するのか」
「団長が無理をなさる時も、だいたい同じ顔をしますので」
ルーカは澄ましたまま言い切った。ユキネが耐えきれずに笑い、レインもそれに続く。出発前の名残惜しさが、少しだけ薄らいだ。
やがてイケメーンは肩をすくめた。
「チョーカも呼べれば、久しぶりに3人で飲めるのですが。さすがに他国の騎士団長を、酒の席のためだけに招くわけにはいきませんな」
「それはおやめください」
今度はシャルンとルーカの声が重なった。
2人は一瞬だけ顔を見合わせる。先に視線を戻したシャルンが、淡々と続けた。
「チョーカ様の任務、移動に必要な日数、国境を越える理由。そのどれも確認せず、私的な酒席だけを先に決めることはできません」
「私的な招待でも難しいか」
「難しいから申し上げています」
「残念だな。マウクも同じことを言いそうだ」
イケメーンの声には、古い友人との再会を待ちわびる素直な喜びがにじんでいた。
シャルンはその名を聞くと、ほんのわずかに表情を和らげる。だが、言葉は変わらず冷静だった。
「マウク様なら、チョーカ様のご都合も考えずに話を進めた点から順に指摘なさると思います」
「なるほど。では、叱られる前に酒を勧めることにしよう」
「何も解決していません」
再び笑いが起きた。
その声が収まるのを待ってから、ルーカはレインとユキネへ向き直った。
「道中、どうかお気をつけください。お二人がいなくなると、王城も静かになります」
「ルーカも元気で。また会いましょう」
レインが差し出した手を、ルーカは両手で包んだ。
「はい。次にお会いできる日を楽しみにしています」
ユキネは別れの言葉を交わすと、ルーカの肩越しにもう一度、帰路へ続く街道を見た。
「帰国するまで気は抜きません。ルーカも、こちらのことを頼みます」
「承知しました。ウェル殿が到着されたら、団長だけでなく私も様子を見ます」
それなら任せられると、ユキネは短くうなずいた。
ルーカは最後にシャルンへ視線を移す。
「シャルン殿も、お身体にはお気をつけて」
「ありがとうございます。ルーカ殿も、イケメーン殿が無理をなさらないよう見ていてください」
「それが一番難しい役目かもしれません」
「本人の前で話をまとめないでもらいたいのだが」
抗議するイケメーンに、ルーカは答えず、出発の支度を終えた隊列へ目を向けた。
ほどなく、出発を告げる声が上がった。
レインたちは馬車へ乗り込み、護衛兵が周囲を固める。車輪がゆっくりと動き始めると、城門の前に立つ2人の姿が少しずつ遠ざかっていった。
窓から身を乗り出さないよう気をつけながら、レインは手を振った。ルーカも手を振り返し、その隣でイケメーンは腕を高く掲げている。
「ウェル殿とマウクには、こちらで会えるのを楽しみにしているとお伝えください!」
遠ざかる声に、レインは大きくうなずいた。
ストログで過ごした日々が終わり、故郷へ帰る道が始まる。
そして入れ替わるように、ウェルとマウクがこの国を訪れる。次に顔を合わせる時には、互いの国で経験したことを語り合えるだろう。
レインはそう信じながら、見えなくなるまで2人へ手を振り続けた。




