ウェディングドレス姿の女性を、普段着、私服より「良い」と思ったことがない
普段着、私服姿の方が、圧倒的に可愛い──個人の魅力が出てる──からである。
おそらく、多くの人が勘違いしているのだが(なぜ自分は間違っていないと言い切れるのか、その自信の根拠が分からないw)、ウェディングドレスというものは、「それ自体」を美しく作り上げすぎていて、そこに本来おさまる女性をさほど気にしていないように思われる。気にしてはいても、あくまで“場”を盛り上げるためのバイアスの方が強い。
…まあ結婚式において、当人たち(2人)よりも、血縁として関係してくる人間の方が数が多いから、「みんなのためのもの」という力の方が未だ強いのかもしれないけど。
将来の幸福への憧れ、想像によって結婚式、ドレス姿の晴れ舞台というものを、幾重ものフィルター、様々な人の価値観を通して眺めてしまうから、美しく「見なければいけない」幻想も生まれている気がする。
普段着、私服姿の女の子の方が素朴で(時に華やかで)圧倒的に可愛いのは、そこに「その女性本来の魅力」が現れているからで、Wドレス(何この略?)はほとんどの場合が、水仙やかすみ草に使うような可憐さのラッピングを、野菊やバラに施しているというような、たびたび無理のあるコラージュが生まれているように思う。
そこまでいかなくても、「確かに綺麗だけど、魅力には全然つながっていない」という、和婚の白無垢にもあるような、本当に形骸的なものである部分が大きいように感じる。
何かの宗教と同じレベルでの「真ににただの儀式的見栄えである、ウム」である。
稀に、大谷翔平選手や藤井聡太棋士のような輪廻の到達点(勝手に生まれ変わりの果てにするな)で、「ウエディングドレスを着るために生まれてきたような(ビジュアルの)娘」という人もいるかもしれないけど、当たり前だがそのような人はとてつもないバランス感覚の上に成り立っている人物であり、ほんの少しの人生のミスで大恥をかくような、憧れを集めつつも極めて難度の高い人生を生きている。
感情にまかせて会話を止められないような人間では、とてもではないが大失態に終わる一生である。
何事にも、「段階」「積み上げ」「自分の番」というものがあって、“待てない人”には幸福は遠いものになる傾向があるのだ。
特に日本人は、何かにつけ横一線の豊かさを求めがちで、生活を破綻させている人が少なくない。
これほど豊かになって幸せになれなかった国は珍しい、という賢人の言葉も、むろん「よそ様はこうだから」を自分に求めすぎている故の(心身の)貧しさである。
話をウェディングドレスに戻すが、無条件に褒めそやすほどのもの(まとった人の美しさ)ではない、ドレスそのものは確かに綺麗だが、というのが個人的見解であり、それより生き方、人生における態度によって人は骨格さえ変わってくる、30(歳)以降はほんとに容姿が行動の積み重ねで変わってくるので、人格的成長、品性を身につける方がよほど美しさにつながる気がする。
人を雇う側、雇用側の立場でありながら、「仕事は60点で充分」と寛大で真実をたびたび見抜かれる斎藤一人さんでさえ、「人を傷つける性格、クセ、死ぬ気で治した方がいいよ」と言われている。
歳をとると、行動の積み重ねはモロに顔に出てくる。
「性悪い顔」「キツそうな顔」というのは、良いものではなく、「人を責めながら生きる生き方を、鬼と言う」と、近所のお寺の門前句で読んだのだが、まさに性格の良くなさ(他者への攻撃性)は、容貌と人生を悪くすると感じる。
僕は法華経を読んでいるのでどちらかというと仏教者だと思うのだが、「神(現時点で最も正しい呼び名はエホバ(ヤハウェ)?)」は言われる。「人は人(世界、神)によって生かされている。だから人に優しくあるのが幸福に近づくのですよ」という感じの教えは間違っていないと思える。
いつものごとく、「本当の優しさ」が何なのかは、常に考え続けねばならないけど。
とりあえず、またドラマやらCMやらで「(ウェディング)ドレスきれ〜い」というような言葉を聞くたびに、天邪鬼的に「そうか?俺はこの人がダボダボのパーカーやらトレーナー着て、コタツに入って「寒いね〜」って言ってる方がよっぽど可愛いと思うぞ」というようなことをいつも思ってしまう久賀でありました…
いや、女性方ほんとそうよ!!(決めつけてるけどw)
無理せず、でも「ある程度気にはしてる普段着くらい」で、ウェディングドレスなんかより、よっぽど魅力出てる。
みんな、ほんとに社会に憧れすぎよw
自分の幸せに気づいてない。




