何の救いにもならない、かもしれない話をしたい
きょう朝、庭に何本か伸びている野生の花がもうすぐ咲きそうだ、と気づいた。
雑草を処理する際、いちおう「これは花が咲く」と知っているものは残すことにしているが、それに巻きついているツタのような植物が同時に目に入って、気になった。
「こやつらは… 他人(他草?)の茎に巻きついて、あろうことか、その宿主よりも高く伸びようとし、浅ましくもより多くの日光を貪り食うとは、何事ぞ!」
と朝から感じてしまったのだが、ハタ、と思い至った。
「いや、人間が植物に求める、最たるものとは、酸素じゃないか?」と。
それならば、どんなに他草の体に巻きついて、浅ましいまでに伸び盛り、たとえ主人より生い茂ったとしても、光合成によって二酸化炭素を消費し、酸素を生み出すその働きは、人間の大きな助けとなるではないか!
見た目は良くないが。
美しく咲く草花に取り付く、ハイエナのような生き様だが。
しかし、酸素は生み出す。
そしてさらにありがちだが、思ってしまったのだ。
「ひょっとしたら人間も、ただ自分が気持ち良く精一杯生きるだけで、人類の多くが気づいていない、酸素のような恩恵を社会、または星に生むのではないか」と。
まるでドラマに出てくる偽善セリフのような、無意味かもしれない上にスケールが大きめな話である。
そして、その答えは、いま盛んに科学者が研究しているダークマター、ダークエネルギーのように不明で、根拠を証明しづらい。
ほぼ確証に近いものがあり、そこに莫大な真理が存在しようとも。
しかし、どんな人生であろうとも不機嫌そうに生きている人間より、気分良さそうな人の方がはるかに社会にとってありがたいと思えるので、「ただ自分なりに、自然に精一杯生きるだけで、ものすごく地球の役に立っている」と考えて過ごすのは正解ではないだろうか。
ただそれだけである。
イヤ、最近「結婚したいけど、誰かと一緒に住むのはムリだな、たぶん(ストレスで)」とやっと気づきはじめたので、無理して生きるより、いつも機嫌よく暮らせる方を取るのが、生きる正解に思えて仕方なくなってきたのだ。
だって、放っておいても世界は、大谷翔平選手や藤井聡太棋士を生んでくれるのである。
誰かが特に頑張って、結婚して子供を作る必要なんてないのだ。
ショーペンハウアー(哲学者)の言葉にもあるらしい。
『知能が高いほど、社会性に欠ける場合が多く、人間関係に興味を持てず、自分の関心事に没頭する人が多い』と。
いえ!?
僕は知能が高かったんだ、とか思ってませんよ?
でも学力は低くても、現国と直感だけはすごいものがあると自負しているし、まあ確かに人間関係には恩恵より疲れを感じる。
一人でいるのが普通で、淋しくもなく、コリコリと筆を走らせるように、生涯を通してやりたいこともある。
100歳でランニングして、テレビに出るおじいちゃんにもなりたいし、130歳で「何でこんなに元気なの!?その細胞、研究に使わせて!!」とか言われるのが夢である。
存在自体が貴重。
やはり目指すところはそこだろうw
…まあいつものごとく、ともあれ、自然に生きて独身なら、その身軽さを謳歌し、そのフットワークで多くの他人を助ける。本人が充実する範囲で。
自然に結婚できるなら、家庭の幸福、健康を最大の目標とし、これまた無理なく仕事と子育てをすればいい。
みな、他者と競争さえしなければ、今いる場所が楽園になる。
…だからまあ、他の草に巻きついて、「これでもか」と伸び盛るツタのような植物も、それが自然で心地いいのだろう。
そして酸素を放出し、地球の気候変動対策となっている。
その排出量は植物によって違うらしいが、まあ細かいことは気にしない。
「分かる範囲で未来への対策をし、あとは目の前のことを、急がずに一つ一つ片づけていく」
それだけで、やっぱり人生は良いものになっていくと思う。
『幸福とは、問題がない状態を言うのではない。問題を解決する能力のことを言う』
真理の名言もあるし。
だから今日も、無理せずできる範囲で集中して、ゆったり仕事をし、美味しいビールを飲めて、幸せである。
欲しいもの…何かあったっけ?
そのとき気が向いた方へ歩んでいけるのが、最高の人生の一つだろう。
あっ!今期の新アニメ見なきゃ(爆)




