表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕たちは明日に向かう  作者: ともむらゆう
第1章 停滞、前進
7/92

七話 安心感

 バカでかい顔をした異形の怪物。見たことのない化け物。

 そいつを前にして、僕は足がすくんで動けなくなった。

 脳みそは逃げろって指示を出しているのに、体が反応しない。

 大声を出して助けを求めるって手もあるけど、それもできない。


 逃げられないし、助けを求められない。怪物に立ち向かうのは無理だとしても、このくらいならできていいのにできなかった。

 必要なことはできないくせに、体は不要な反応ばかり示す。奥歯をカチカチ噛み鳴らしたり、怖くて涙がにじんだり。


 僕が動かない代わりじゃないけど、怪物が動く。

 でかい顔に不釣り合いな胴体をしているのに、なぜか動いている。

 機敏とは言えないし、僕の足でも走れば逃げ切れそうだけど……

 でも、僕の足はほとんど動いてくれない。

 逃げなきゃ、逃げなきゃって必死で足掻き、わずかに後ずさりするだけだ。


 こいつがなんなのか、僕は知らない。見たことも聞いたこともない。

 僕の頭がおかしくなって、幻を見ているって考える方が筋は通る。

 それほど非現実的な光景だけど、この恐怖感や存在感は幻とは思えない。

 まごうことなき現実だ。


 一体、なんなんだ?

 こんな怪物がいるとか勘弁してよ。僕はいつから映画の世界に紛れ込んだの?

 変死事件の犯人かとも考えたけど、これだけ目立つ怪物なら噂になっていてもいい。というか、なっていなきゃおかしい。

 学校でも町中でも、誰かが噂しているはずだ。


 何も聞かないってことは、変死事件とは無関係なのだろう。

 事件とは関係がなくても、非常に恐ろしい存在であると分かる。見た目も恐ろしいけど、本質が特に恐ろしい。

 僕はここで殺される。真実を知ることなく死んでしまうのだ。

 嫌でも理解してしまう。


 まあ……しょうがないよね。

 しょうがないって言いたくはないけど、しょうがないんだ。

 四季(しき)と殺人犯の話をしていた時も考えたように、死にたいわけじゃない。

 死にたいわけじゃなくても、僕の力が及ばないことはいくらでもあるし、殺されたら殺された時だと思って諦めるしかない。


 自分の身は自分で守らなきゃいけないのに、守れる力がないから悪いんだ。

 僕一人でまだよかったと考えよう。

 さっきこいつに遭遇していたら、紺屋(こうや)さんも殺されていた。

 このタイミングだったのは、不幸中の幸いだ。


 怪物は僕に接近し、大口を開けた。

 大きさ以外は人間の口そのものだ。白い歯が並び、赤い舌も見える。上と下の歯の間には、唾液の線がつーっと伝っている。

 でかい口だから、僕をパクリと食べてしまえそうだ。


 噛まれたら痛そうだなってバカな思考がよぎる。

 でもさ、どうせ死ぬなら楽に死にたいよね。噛み切られたり押し潰されたりしながら、じわじわと死んでいくのは苦しい。

 死ぬのは嫌だ。痛いの怖いのも嫌だ。


 そんな考えばかりが頭に浮かぶ中、不意に四季の顔も浮かんだ。

 失礼だとは思うけど、大口を開ける怪物が四季に重なったんだ。

 中華料理やハンバーグをおいしそうに食べていた四季に。


 死の間際に、親しい友人である如月(きさらぎ)や紺屋さんの顔が浮かぶなら分かる。

 出会ったばかりの四季だったのが意外だ。あの変な女の子のことを、僕は結構気に入っていたらしい。

 僕をからかう言動も、嫌じゃなかったよ。むしろ楽しかったよ。

 死ななかったら、もっと仲良くなれたかな。残念だ。

 怪物の口が僕に迫る。食べられてしまう。


「さよなら、四季」


 助けを求めようとした時は声が出せなかったのに、最期の挨拶だけはできた。

 目をぎゅっと閉じる。怖くて怪物を直視していられなかった。

 心の中で、もう一度さよならを告げて、死を覚悟した。


「さよならは早い」


 僕の耳に、女の子の声が届いた。

 昨日と今日ですっかり聞き慣れた四季の声だ。

 思わず目を開ければ、僕が見たのは怪物が吹っ飛んで行く様子だった。


「四……季……?」

「私は速峰(はやみね)四季。速峰春真(はるま)のお姉ちゃん。お姉ちゃんは、弟を守る」


 ……どうしよう。物凄く嬉しいよ。

 恐怖心からじゃなく、嬉しさから涙が出そうだ。


「紺屋四季になるんじゃなかったの?」


 僕の口から出たのは、そんなセリフだった。

 助けてくれたことへの感謝じゃなく、四季を心配する言葉でもない。家でしているみたいな軽口だ。素直じゃない。

 口では素直になれないけど、酷く安堵していた。


 普通に考えれば、四季の身を案じなきゃいけない場面だ。

 物語の主人公なら、僕はいいから四季は逃げろ、とでも叫ぶのかな。自分が盾になって四季を逃がそうとするかもしれない。

 格好いいよね。勇敢だよね。

 僕は格好よくないし、勇敢でもない。逃げるように言わず、守りもしなかった。


 四季に逃げてもらいたいって気持ちがまるで湧き上がらない。

 薄情ってよりは、四季なら大丈夫だって気持ちがある。理屈じゃなく感覚で。

 僕の期待に応えるように、四季は怪物に向き直る。

 そして、でかい顔を全力でぶん殴った。

 ぶん殴られた怪物は、またしても吹っ飛ぶ。十メートルは吹っ飛んでいるね。


 小柄な少女が、異形の怪物をぶっ飛ばす。非現実的な光景だ。

 武器を使っているなら分かるけど素手だからね。素手でフルボッコにしている。

 怪物はでかいけど、でかいだけだ。動きはとろいし、手足が赤ん坊サイズだから殴る蹴るはできない。大きな口で食べるしかできそうにない。

 僕だって、ほんの少し勇気があり、かつ鉄パイプや金属バットを持っていれば戦えそうだ。素手じゃ無理だけど。


 四季は軽やかに動き回りながら顔面を殴り続ける。相手がでかい分、いい的だ。

 怪物が四季を食べようと口を開けても、簡単に避けている。危ない場面は一切ないし、安心して見ていられる。

 避けて殴って、避けて殴って。

 何十発も殴り続ければ、怪物の顔がパンと弾けた。

 血や肉片は飛び散らない。弾け飛んで消えてしまった。


 夜の静寂が戻る。この場に人がきても、つい今しがたまで怪物がいて、戦闘が繰り広げられていたとは思わないだろう。

 実際に目にした僕ですら、夢だったんじゃないかと感じてしまう。

 ここで目が覚めて、朝になっている。僕は自分のベッドの中にいて、変な夢を見たなあって苦笑するんだ。

 あいにく目覚めることはなかった。現実なんだね。

 怪物を倒した四季は、僕に柔らかく微笑む。


「私、お姉ちゃん。弟を守った」

「そう……だね。四季お姉ちゃんのおかげで助かったよ。ありがとう」


 自分で「お姉ちゃん」の言葉を出せば、頭がズキッと痛んだ。

 お姉ちゃん? 僕には、お姉ちゃんが……


「ロリコン」


 四季がいつものようにロリコン呼ばわりしたせいで、何か浮かびかけていたけど雲散霧消した。


「ロリコンじゃないよ」


 僕もいつものように返事をした。

 四季はそれ以上何も言わずに、僕の手を握る。

 傍からは、妹が兄に甘えているように見えるだろう。

 四季としては、お姉ちゃんが弟を安心させるために手を握ったんだ。


 小さな手だ。怪物を殴り倒したなんて信じられない。

 四季は自分を強いと言っていた。冗談だと思ったけど、本当に強かった。

 やろうと思えば僕を殺せる。それだけの力がある。

 なのに、四季の手を恐ろしいとは感じなかった。いつまでもつないでいたい。


「大丈夫。私、お姉ちゃん」

「うん」

「帰ろう」

「うん」


 気の利いた言葉も出ずに、僕と四季は手をつないだままで歩き出す。

 家に着くまで、いや、家に着いてからも、僕たちの手は離れなかった。

 色々と聞かなきゃいけないことはあるけど、僕はそれもできない。

 お風呂にも入らず、自室のベッドに潜り込んだ。

 四季も僕のベッドに入り込み、一緒に寝てくれる。


 シングルベッドに二人で寝るのは、僕たちが小柄なことを差し引いても窮屈だ。

 今は窮屈な方がありがたい。人肌の温もりが落ち着きを与えてくれる。

 こんな風に誰かと一緒に寝るのは初めてだ。

 四季を拾ってから、僕は初めて経験することばかりだな。


 そもそも女の子を拾うって経験が初めてだし、以降も一緒に朝食を食べたりロリコンだってからかわれたりとか。

 下着姿で出迎えてくれたのも、こうして一緒に寝るのも。

 怖い経験もあった。変死体を見ちゃったし、さっきは怪物に襲われたし。

 いいことも悪いことも含めて初めてだ。

 でもね、四季。


「四季がいてくれてよかったよ。ありがとう」


 まどろみの中で、僕は感謝の言葉を口にした。

 四季がいてくれるおかげで、あんなことがあったばかりなのに熟睡した。

 男なのに恥ずかしいとか情けないとかって気持ちはないし、エッチな気持ちにもならない。

 安心感。それだけがあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ