六話 異形の怪物
僕の部屋では剣呑な空気が漂っていた。
下着姿だった四季だけど、もう服は着ている。紺屋さんが半ば無理矢理着せた。
昨日買ったばかりのラフな部屋着だ。
ただし、エッチな格好で登場した事実は忘れていない。紺屋さんは大層ご立腹であられた。
「春真さんが女体に興味を持つのは分かります。春真さんがふしだらな格好を強要したのではなく、四季さんが勝手にやったことだとも理解しています。私は春真さんを信じています。ですけれど、私は文句があるのです。身勝手な怒りだとしてもです」
「すみません」
「おっしゃっていただければ、私がやりましたのに」
「やらなくていいかな」
「私ではご不満ですか?」
「ある意味では、不満とも言えるね。だって、紺屋さんは僕が好きなわけじゃないでしょ。友達としては好きでも、男としてはさほど好きじゃない」
「それは、確かに……」
弁当を作ると言い出したり、四季の際どい格好に激怒して嫉妬したりと、まるで僕に気があるようなそぶりを見せている。
でも、紺屋さんは僕を好きじゃない。
好きじゃないって言い方は語弊があるかな。好きでいてくれているだろうけど、恋人になりたいとかその先まで進みたいとかじゃない。
僕も同じだ。紺屋さんはあくまでも友人だ。
もしかしたら、将来的には交際するかもしれないけど、少なくとも今じゃない。
「如月に聞きたいけど、四季の下着を見て興奮した? あるいは、紺屋さんが下着姿になれば興奮する?」
「何が楽しいのか分からん」
如月はこの調子だ。異性に関心がないせいで、紺屋さんとは仲が良くても恋愛対象にはなり得ない。どこまでいってもただの友人だ。
紺屋さんの周囲にいて、性欲があり女性に興味を持つ男は多くない。
その中でも、僕はスケベな方だと思う。
大きな声じゃ言えないけど、紺屋さんも結構スケベだ。僕の下着を脱がせる場面を妄想するとか言っていたしね。
仲良しの友人で、お互いに性欲を持つ者同士でもある。
釣り合っていると言えば釣り合っている。
選択肢が少ないから、紺屋さんは僕を選ぶしかない。つまり、消去法だ。
これで恋人同士になったりエッチな行為をしたりするのは、ちょっと嫌だ。
「好きじゃないけど、興味本位であれこれする? 僕は嫌だよ」
「では、四季さんがよいと?」
「それも違うんだよね。もちろん興味はあるけど、恋愛感情じゃない」
「春真さんはロリコンですか?」
「ロリコンではないと思う。僕は四季にも紺屋さんにも欲情するし、魅力的なスタイルって点だと紺屋さんが上になる。子供体型にしか反応しないわけじゃない」
変な話、四季と紺屋さんが全裸になるとしよう。
片方を好きにしていいなら、僕は紺屋さんを選ぶ。スタイルいいし、特に胸が大きいしね。興味はあるよ。
ロリコンなら四季を選ぶはずだ。
よって、僕はロリコンではない。証明完了。
「複雑な気持ちです。泥棒猫に春真さんを奪われたくはありませんけれど、私が積極的になるほど強い感情は持っていませんし……」
「悪魔……もとい、紺屋宵」
紺屋さんが悩んでいたら、四季が声をかけた。
悪魔っていうのは、胸が大きいからかな。一応言い直していたけど。
呼び方はさておき、四季の質問は。
「性欲ある?」
僕に対するものと同じ、下世話な内容だった。酷い。
「はしたないですけれど、あります」
紺屋さんも紺屋さんで、正直に答えるんだもんなあ。
これまでの会話から、誤魔化すのは無理だと思ったのかもしれないけど。
「如月は?」
「ないな。つうか、性欲? そんなもんがあるせいで、面倒臭い事態になるんじゃねえの? 俺は春真も紺屋も友達だと思ってるし、それでいいじゃんって」
「紺屋宵は軽症、如月は重症」
四季は一人で納得していたけど、一番の重症者は彼女だと思う。意味不明な言動ばかりだ。
「予想外の展開で疲れました。春真さん、お台所をお借りしますね」
「あー、そうだっけ。食事を作ってくれるって話が頭から抜けてた」
「忘れないでください。腕によりをかけて作ります」
「食事!?」
四季が大げさに反応した。期待のこもった眼差しを紺屋さんに向ける。
「お口に合うかどうかは分かりませんけれど、頑張って作りますね」
「紺屋宵は神。崇め奉る」
現金だな。紺屋さんが食事を作ってくれるって知った途端、態度を急変させた。
「紺屋さん、四季は僕の倍は食べるから、多めに作ってもらえる?」
「いいですよ」
「紺屋宵に抱かれてもいい」
「抱きません」
四季の妄言を流して、紺屋さんは台所で食事の準備を始めた。
残りの三人は僕の部屋で待つ。
四季は、僕や如月に色々と質問した。おかしな質問を。
「学校で英語は習ってる?」
「習ってるに決まってるでしょ。僕が一番苦手な科目だよ。四季だって生徒だし、知ってるよね?」
「英語はどこの言葉?」
「どこって……どこ?」
「さあ?」
僕は答えられず、如月に問いかけても首を傾げた。
言われてみれば変だ。英語を習わなくたって会話には困らないのに、なぜか習っている。毎日一生懸命に勉強している。
なんのために?
「学校で教わるんだし、勉強しときゃいいんじゃねえの?」
「深く考える必要はないよね。いつかどこかで役に立つかもしれない。役に立たなかったら立たなかったでいい」
僕たちはそういう結論に達した。
四季は次の質問を飛ばす。
「昨日、私と速峰春真は、中華料理を食べた」
「おいしかったよね」
「おいしかった。それで、中華料理はどこの料理?」
「……この町?」
中華料理は中華料理だ。そういう名前ってだけだ。
四季が何を聞きたいのか、何を知りたいのか、僕には理解できない。
「この町、時忘れ町。町の外に出たことはある?」
次の質問があった。これには、僕と如月から同様の答えが返る。「ない」と。
そもそも、町の外に出られたっけ? 外には世界があったっけ?
四季は、ケイサツとかキュウキュウシャとかの単語も出したけど、如月は知らなかった。
知らないのは僕だけじゃなかったね。やっぱり四季が変なんだ。
四季の意味不明な会話に付き合っていると、紺屋さんに呼ばれた。
夕飯ができたって。
メニューはハンバーグだ。チーズと目玉焼きが乗っていて、ケチャップをベースにしたソースがかかっている。子供が喜びそうだ。
四季は感動で瞳を潤ませていた。
「神」
「大げさですね。召し上がってください」
四季はハンバーグを一口食べ、大きく目を見開いた。
そのまま、無言で食べ進める。会話をする時間すらもどかしいといった感じだ。
僕も食べてみるけど、とてもおいしい。四季が喜ぶわけだよ。
「おかわり」
早々にハンバーグを食べ終えた四季は、おかわりを要求した。
紺屋さんは多めに作ってくれていて、おかわり分もある。
四季は二つ目のハンバーグをもらい、ご満悦だ。
「紺屋四季になる。速峰四季? 何それ? おいしいの?」
「本当に現金だね」
紺屋さんに胃袋をつかまれ、陥落していた。ちょろいにもほどがある。
結局、四季はハンバーグを三つも平らげ、最後はげーっとゲップをした。女の子にあるまじき汚さだ。
僕や如月もおいしくいただき、四人での夕食が終わる。
後片付けは僕がやって、今日はお別れだ。如月と紺屋さんは帰宅する。
「紺屋さんを送って行くよ。変死事件もあって物騒だしね」
「ありがとうございます。お願いします」
男性の如月は一人でも大丈夫だろうから、僕は紺屋さんを家まで送って行くことにした。
僕がいても力になれないけど、気分的な問題だ。一人よりも二人の方が心強い。
静かな住宅街を紺屋さんと歩く。
会話は特にない。二人とも饒舌なタイプじゃないし、会話はなくても気まずくはならずに済む。
紺屋さんの家までは比較的近く、ゆっくり歩いても十五分で着いた。
「送っていただき、ありがとうございました」
「こっちこそ、おいしいご飯をありがとう。じゃあね」
「あら? 送り狼にならないのですか? ご存知でしょうけれど、私も一人暮らしですよ。誰にも気兼ねせず、春真さんをお迎えできます。朝帰りとかどうです?」
「送り狼にはならないし、朝帰りもしないよ」
「残念です」
僕の返答に、紺屋さんは小さく笑って家の中に入った。
僕も帰ろう。今歩いてきたばかりの道を引き返し、自宅に向かう。
静かだ。紺屋さんと歩いていた時も静かだったけど、少し違う静けさに感じる。
四季を拾った夜のようだ。不思議なほど、不気味なほどに静まり返っている。
一人で不安だからだろう。僕の錯覚だ。気のせいだ。
自分に言い聞かせるようにして歩いていると、それを見つけてしまった。
最初は岩か何かかと思った。僕の身長ほどもある巨大な岩だ。
道のど真ん中にあって邪魔だなって。
でも、よくよく考えると変だ。
この道は紺屋さんを送る時に通ったばかりなのに、さっきはこんな物はなかったはずだ。見落とすサイズじゃないし、短時間で急に現れるとも思えない。
僕は、近付いて観察しようとして。
「ひっ」
短い悲鳴を漏らした。
岩だと思っていたのは、人らしき物だったんだ。
人だって言い切れないのは、人と呼ぶには異形だからだ。
顔がやけに大きい。顔の大きな人間もいるけど、そんなのは比じゃなくて、顔だけで優に一メートル以上ある。
代わりに、胴体や手足は非常に小さい。産まれたての赤ん坊サイズだ。
バカでかい顔に、申し訳程度に胴体をくっつけた異形の怪物。
美形でも不細工でもない、普通の男性の顔だけど、これだけ大きいと美形とかどうとかは関係ない。ただただ恐ろしい。
常識ではあり得ないモノが、僕の目の前にいた。
でかい顔にふさわしいでかい目がぎょろりと動き、僕を捉える。
「あ……」
僕の口から、声にならない声が漏れる。
逃げなきゃ。逃げなきゃ。




