四十九話 幸せな夢
幸せな夢を見ていた。僕が幼い頃の夢だ。
「おねーちゃん! おねーちゃん!」
子供の僕が姉に甘える夢だ。
僕は、一歳年上の姉が大好きだった。いつもべったりとくっついていた。
「おねーちゃん、だいすき!」
「春ちゃん」
姉も僕の名前を呼んでくれて、二人で手をつないで歩く。
何かをして遊ぶわけじゃない。ただ歩くだけでも、姉と一緒なら嬉しかった。
外でも家でも一緒だ。夜も姉と一緒でなきゃ寂しくて眠れなかった。
とにかく甘えん坊で、お姉ちゃん、お姉ちゃんって。
姉も姉で、僕を可愛がってくれたし面倒を見てくれた。
「春ちゃんは、おねーちゃんがまもってあげる! おねーちゃんだもん!」
姉は快活な性格で、少しませていた。
僕は、引っ込み思案、甘えん坊、怖がり、泣き虫、といった具合で酷いものだ。
姉が甘やかしてくれるものだから、ますます拍車がかかる。冗談抜きで、姉なしでは生きられないレベルだ。
何歳も離れている兄弟なら、兄姉が弟妹の面倒を見るケースはあると思う。
年子の姉弟なのに、両親よりも姉に甘えるものだから、初対面の人は大抵驚いていたね。
両親が説明すると、「え? 年子なの?」みたいに言われたものだ。
僕は年齢よりも甘えん坊で、姉は年齢よりもしっかりしていた。もっと年齢が離れているように見えたんだ。
姉のせいにするつもりは毛頭ないけど、僕の甘ったれた性格はこの時に形成されたんじゃないかって気がする。
夢の中でも思い切り姉に甘えていて、とても幸せで。
でも唐突に変化する。
姉は母親と一緒に、どこかに行ってしまった。
僕は父親と一緒で、大好きな姉と離ればなれになってしまう。
両親が離婚したんだ。姉は母に、僕は父に引き取られた。姉の苗字は、母の旧姓である速峰になった。
子供の僕はわけが分からなくて、大好きな姉がいなくなった事実に泣き叫んでいた。僕も速峰になるってわがままを言って、父を困らせた。
両親にも罪悪感はあったんだろう。
僕が毎日毎日泣き叫ぶせいで、対応に困ったのかもしれない。
昼夜関係なく泣いていたし、まともに食事も取らない状態だった。
まさしく、姉なしでは生きられないレベルだ。姉に依存していた。
子供だったし、しょうがないってことにしたい。成長してから過去を振り返ると恥ずかしいね。
僕がこんな有様だったため、姉には定期的に会わせてもらえるようになった。
最初は毎週末に会っていたね。
それだけ頻繁に会っていても、毎日会えないのが寂しくて仕方なかった。別れる時は、一週間後まで会えなくなるのが嫌で、わんわん泣いていた。
いつまでたってもお姉ちゃんっ子で甘えん坊だ。
そんな僕でも、一応成長する。ある程度分別のつく年齢になれば、姉のいない暮らしにも慣れて、泣かなくなった。
会う頻度も、一ヶ月に一度、半年に一度と低くなった。
夢の中では、姉に会えない時間はさらっと流れて、会っている時間だけを体験できる。素晴らしい夢だ。
「春ちゃん、中学校入学おめでとう」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「大きくなったわよね。春ちゃんに追い抜かれる日も近いかな」
姉は中学二年生、僕は中学一年生だ。
この頃になると、二人の身長差も埋まりつつあった。まだ姉の方が若干高いものの、僕が追い抜く日も近そうだと思える。
僕は、男子の中じゃ決して背が高い方じゃない。成長の早い女子にも余裕で負けていた。
父も母も小柄だから遺伝したのかな。姉も小さくて、百四十センチちょっとだ。
姉はこんなにも小さかったんだって知ったね。
僕の中での姉は、いつも僕の面倒を見てくれる人だ。上下関係って言っちゃうと言葉が悪いけど、とにかく色んな意味で姉が「上」なんだ。
僕が背を追い抜くとかあり得ないと思っていた。
いつまでも子供でいられるわけがない。時間は停滞せずに流れる。
中学生になったし、成長期が訪れる。僕の背も伸びるだろう。今年中には姉を追い抜きそうだ。
たとえ追い抜いたとしても、姉は姉だ。大好きな人だ。
血のつながった姉と弟の、禁断の恋! みたいな展開はないけど、姉を好きでいるのはいいと思うんだ。
大人になっても、姉に彼氏ができて結婚しても、僕は姉が大好き。
一般的に見れば、気持ち悪いシスコン野郎になるのかな。
どう思われてもいいよ。僕は姉が大好きだから。
夢の中の月日は流れて、姉が高校に入学した。
「私ね、高校で仲のいいお友達ができたの。小春ちゃんって名前。小春日和とかの小春。小さな春」
「春?」
「そうなの。春ちゃんと同じ春なんだよ。先輩なのに、私よりも小さくて可愛い子でね。先輩って呼ばなきゃいけないのに、小春ちゃんって呼んでる」
「お姉ちゃんよりも小さいのに先輩? 年齢詐称じゃなくて?」
「私の方が一センチも背が高い」
「誤差じゃん」
「誤差じゃないよ。私たちにとって、一センチ二センチはとっても重要なの。小春ちゃんは、おっぱいも小さくてね」
中学三年生にもなると、女性の胸の話題は照れ臭い。
同級生の女子には胸の大きな人もいる。あれはいいものだ。
姉は……大好きなお姉ちゃんの名誉は守らないといけない。黙っておこう。
「春ちゃんがエッチな顔してる」
「してないよ」
「してた。春ちゃんもお年頃なんだねえ。でも、いい。よぉく覚えておいて。巨乳は悪魔だよ。膨らみかけこそがベストだよ。小春ちゃんに話したら『神』って言ってもらえたよ」
「かっるい神様だね」
「軽くてもいいの。春ちゃんも注意しなさい。巨乳にたぶらかされちゃダメだよ」
高校生になっても子供っぽさが抜けない姉は、巨乳に並々ならぬ敵愾心を抱いていた。
姉は好きでも、こればかりは聞けない。僕は胸の大きな女性の方が好みだ。
口にしたが最後、怒られるに決まっているし言わないけど。
この時から、姉はよく「小春ちゃん」の話をしてくれた。
高校生なら、好きな男子とか彼氏ができたとか、そういった話題になりそうなものだ。
なのに、同性の友達の話ばかりする。よほど仲良しだったんだろう。
「小春ちゃんにも弟さんがいるんだって。妹さんもいて、姉と妹に挟まれてるせいで苦労してるって言ってた」
「想像できるなあ。騒がしい姉妹と、気弱な弟のイメージだ」
「そうそう。春ちゃん、正解」
小春ちゃんよりも、弟さんに親近感を抱いた。
僕と気が合いそうだ。友達になれたらいいな。
姉は姉同士、弟は弟同士で友達に。きっと楽しいと思う。
姉は、嬉しそうに話してくれる時もあれば、怒っている時もあった。
愚痴を聞かせるために僕を呼び出したほどだ。
「小春ちゃんなんか嫌い!」
「喧嘩したの? 原因は?」
「聞いてよ春ちゃん。私と小春ちゃんでね、どっちがより弟を愛しているか勝負になったの」
「ごめん、聞く気なくなった。バカバカしい」
「バカバカしいって何。重要なんだよ。私は春ちゃんが大好きで、小春ちゃんも弟さんが大好きで、どっちも譲らなくてね」
「喧嘩になったと? 呆れた話だね」
「仲裁してくれた友達も呆れてたけど、私は間違ってないもん。あの子は弟がいないから理解できないんだよ」
仲裁した友達に同情した。
弟が大好きなブラコン姉二人に挟まれ、弟への愛を聞かされたんだ。
混乱するだろうね。自分が間違っていて、一般的な姉はこうなのって考えも浮かびそうだ。
あなたは間違っていないので安心してください。
名前も顔も知らない人に、心の中で助言しておく。
姉に好きだって言ってもらえて僕も嬉しいし、言えた義理じゃないかもね。
僕もシスコンだ。この年齢になると恥ずかしくて口に出せないけど、お姉ちゃんが大好き。
「小春ちゃんがいなくなっちゃった」
小春ちゃんの話をしてくれていた姉は、ある日酷く悲しげな表情で告げた。
「小春ちゃんは怪物だったって。弟さんや妹さんも怪物で、人間の住む町にいちゃいけないって」
「ひょっとして、新人類ってやつ? お姉ちゃんは大丈夫だったの? 怪物に酷いことされなかった?」
「私は大丈夫だけど、小春ちゃんが」
新人類の問題は、頻繁にニュースで目にしていた。悪い話ばかりを聞く。
新人類は、人間の分を超えて永遠の命を求めた恐ろしい怪物だ。
自らを新しい人類だと名乗り、人間の分際で神の名を騙る愚か者たちだ。
非人道的な人体実験も行っているし、もはや人間ではない。無論、神でもない。
相容れない怪物だ。新人類の駆逐こそが、本物の人間の使命である。
みたいな感じで、政治家もマスコミも情報を拡散する。
僕のような小市民にとっては他人事だった。
強い力を持つ新人類は、確かに怖い。噂ばかりが独り歩きしているから、どこまで真実か不明だけど、悪い話しか聞かないしね。
仲良くしたいとは思えない相手だ。
とはいえ、自分や親しい人が被害を受けなければ、さほど恨みもしない。
新人類が住む町もあるけど、近寄らなければいいだけだ。新人類が町の外に出ないよう、自衛隊とかが厳しく見張っているとも言われる。
過激な人は、怪物の町が日本の中にあるのを気に食わないと思っている。
なぜ自由にさせておくのだとか、生かしておくのだとか、政治家の対応が甘くて無能だとか。
あれこれ言っている。
僕としては、姉が無事ならそれでいいんだ。
新人類と戦うのは別の人に任せる。
僕は何も気にする必要はないし、これまで通り過ごすだけだ。
「お姉ちゃんも、怪物のことは忘れなよ」
「うん……ねえ、春ちゃん。春ちゃんはいなくならないよね?」
「いなくならないよ。僕が怪物に見える? 中三になってもチビで、下手したら女子にも喧嘩で負けそうなのに?」
自虐的なジョークを口にすれば、姉はぷっと吹き出して笑った。
姉の身長は追い抜いている。こうして向かい合って話していても、姉を軽く見下ろす形になるほどだ。
男子の中じゃチビなんだよね。もっと伸びて欲しいし、格好よくなりたいのに。
「春ちゃんは、優しいのは長所だけど弱っちいよね」
「弱っちいって失礼な」
「なよなよしてる?」
「もっと失礼。僕だって男らしい部分も……きっとあってくれればいいなって」
「何それ? 春ちゃんは今のままでいいんだよ。お姉ちゃんが守ってあげる」
子供の頃、姉が口癖のように言っていたセリフだ。
元気一杯に胸を張り、「おねーちゃんがまもってあげる!」って。
昔ならまだしも、高一と中三の姉弟でこれはどうだろ。
男として、僕が姉を守るべきだ。
「僕だって、お姉ちゃんを守るよ。どこにも行かないから。約束」
「うん、約束」
姉と約束を交わした。
これが最後になるとも知らずに。
どこにも行かないという約束を、僕は守れなかった。
なぜなら、僕は恐ろしい怪物だから。
願ったのは姉の無事だけだ。姉は日本で平和に暮らして欲しいって。
成長してから、恥ずかしくて「大好き」の言葉を言えなかったのも心残りかな。
大好きだって告げたくても叶わない願いだ。
だから無事を願う。僕の大好きな姉の無事を。
どうか元気で。大好きだよ――夏帆お姉ちゃん。
朝になって目が覚める。昨夜はいつの間にか眠っていたみたいだ。
夢を見ていたけど、あれは現実にあったこと?
昨夜、四季をお姉ちゃんみたいだって考えた。そのせいで、見知らぬ女性を姉にする夢を見たとも考えられる。
外にいた頃の僕には姉がいたのかどうか、夢を見た今でも記憶が戻らない。
「お姉ちゃん。カホお姉ちゃん」
自分で口に出してみてもあやふやだ。
お姉ちゃんの言葉に、記憶が揺り動かされている感覚はある。
揺り動かされても戻らない。もうちょっとってレベルでもないし、無理そうだ。
小春って名前も気になる。僕の姉と四季が知り合いだったかもしれない。
四季が帰ってくれば聞いてみよう。
戦いに赴いたみんなはどうなったかな。
まだ戦っているのか、帰ってきているのか。
ベッドから起き上がり、リビングに向かう。
戦いに行ったみんなの姿はなく、長月と水無月、紺屋さんがいた。
紺屋さんは元気だけど、長月と水無月はソファーでぐったりしている。
「おはよう、紺屋さん」
「おはようございます旦那様! もとい、春真さん!」
「長月と水無月がぐったりしてるけど、何か問題でも?」
「問題は起きていませんね。戦いに行ったメンバーも戻ってきておりません」
「も、問題だらけだぞ……」
長月が疲れ果てた声を出したけど、問題があるのかないのかどっち?
「速峰春真。お前は、弥生とキスをしたそうだな」
「したといいますか、されたといいますか。僕も嬉しかったですけど」
「お前が眠ってから、弥生は一晩中ノロケ話だ。『春真さんと接吻してしまいました私はもう死んでも構いませんヒャハハハハハ!』とな」
「失礼ですね。ヒャハハハハハなどと下品な笑い方はしておりません」
「ブホホホホホだったか?」
「春真さんペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ! です」
それは果たして笑い声なのだろうか。
突っ込むと身を滅ぼしそうだしやめておく。
「ボクは疲れた。卯月でも文月でもいいから助けて欲しいと思った。どんな格好でもするから助けてって」
「やめろ。卯月まで『水無月ちゃんペロペロペロペロ』になって収拾がつかん」
緊急事態なのにバカな会話だなあ。
僕も当事者だし、言える資格もないけど。
「みんなはどうなってます?」
「分からんが、無事な可能性が高い。俺たち十二月は仲間の居場所が分かる。冬の支配下に置かれている神無月を除き、如月、卯月、葉月の三人はちゃんと把握できている。生きている証拠だ」
最低でも三人は無事で、だったら冬将たちも無事である可能性が高い。
そう聞いてホッとした。全滅したとか言われたらどうしようかと思った。
「今日は、僕たちは?」
「奴らが戻るまで待機を続ける。外の人間を捕まえるだろうし、装備を奪い閉じ込めることになる。その時には仕事があるので、体力を温存しておけ」
「数百人も閉じ込められます?」
「速峰春真の学校を考えている。教師や生徒には休校だと思わせておけばいい。死んでいる生徒の多くは戦いに動員したし、生きている人数が少ないのでなんとかできるだろう」
学校なら広さは十分にあるね。
外の人間を捕まえても、水や食糧などの問題もあるから、面倒臭そうだ。
水は水道でなんとかなる。食糧は足りそうにない。
ただでさえ供給が断たれているのに。
だからこそ、交渉がやりやすいって話もある。食糧をよこさないと人質も餓死するぞって。
「春真さん、私が朝食を作ります。できるまで顔を洗ってきてください」
「ありがとう」
紺屋さんのお言葉に甘えて、洗面所で洗顔や歯磨きをする。
いつも通りの日常のようで、でもまるで違う一日が始まるんだ。




