二十九話 頭痛
葉月さんとデートをして以来、彼女のことが気になり始めた。
これが恋心なのかどうか、僕には判断できない。
葉月さんは美人でスタイルもいいし、ただの性欲である可能性も高い。
恋愛経験に乏しい僕では、恋心と性欲の線引きもうまくできないし、戸惑うばかりだ。
何よりも、葉月さんのことを考えるたびに、脳内で誰かの声が響く。
『速峰春真はロリコン』
『ふしだらです! はしたないです!』
本当、誰なんだろ? 多分女性だとは思うけど、心当たりがない。
記憶を掘り起こそうとすれば、激しい頭痛に悩まされる。頭が割れそうで気分が悪くなって、それはもう辛くて敵わない。
おかげで、数日が経過しても記憶は曖昧なままだし、変なことばかりだ。
僕の気持ちを知ってか知らずか、学校では葉月さんが親しげに話しかけてくる。
内容は他愛もない雑談だ。学校の勉強のこととか、映画のこととか。
お互いのプライベートも少し話した。
「葉月さんって料理作れるの?」
「全然よ。冷凍食品万歳」
「インスタント食品万歳?」
「そうそう。速峰とは気が合うわね」
つまらない共通点だけど、ちょっと嬉しい。
料理を作れる方がいいのは分かっている。僕だって一日だけチャレンジした。
でもさ、向き不向きがあるんだし、しょうがない。
料理といえば、うまい人がいたような覚えが……気のせい?
「速峰?」
「ご、ごめん。なんでもないよ」
「考え込む時が多いけど、気になることでもある?」
「何か大切なことを忘れているような……」
謎の声の女性もだし、他にもある。
なんだか、僕にはふさわしくない言葉が脳内をよぎるんだ。
力と覚悟とか、前に進むとか。
力。僕には力がない。喧嘩の強さって意味の力もだけど、平凡な高校生だから、権力や財力もない。機転をきかせられる頭脳もない。
覚悟。僕には覚悟がない。力がなくても敵に立ち向かい、戦ったり抗ったりはできない。映画の主人公にはなれず、サブキャラですらない。傍観者だ。
こんなわけの分からない思考が次々と浮かび上がる。
すると、僕は前に進まなきゃいけない、停滞していちゃいけないって、強迫観念にも似た感覚に囚われる。
漠然としているし、具体的にどこへ行けばいいのか、何をすればいいのかは分からない。
誰かを助けたいって気持ちがあるような……うっすらと浮かぶ顔は男性?
この人の正体も不明だ。なのに警鐘が鳴り響く。このままじゃいけないって。
「忘れているなら、思い出す必要はないとも言える。葉月さんとこうして話せるのは楽しいし、勉強はつまらないけど学校自体は嫌いじゃない。今のままでいい。僕は何もしなくてもいい。普通の高校生として日常生活を送ればいいのに」
楽な方を選ぼうとすれば、それはいけないって誰かが叫ぶ。
少しずつでいい。前に進め。
前に進むスピードが遅過ぎて間に合わなかったら、まあしょうがない。
前に進んでいるつもりで、横や後ろに逸れちゃっても、まあしょうがない。
立ち止まっているだけじゃ意味がない。
誰がしゃべっているの? ひょっとして僕自身?
ああ……頭が痛い。苦しい。
助けて……
「これはまずいわね。思い出す前に壊れそうだわ」
酷い頭痛に悩まされているせいで、葉月さんの言葉の意味を考える余裕はない。
病気になったのなら病院へ……
ビョウインって何?
「ぐっ……」
「速峰は早退した方がいいわよ。私が付き添うから」
「う、うん」
調子が悪いし授業どころじゃない。
葉月さんに付き添ってもらい、僕は早退させてもらうことにした。
「大丈夫? お大事にね」
クラスメイトの美央さんが心配して声をかけてくれた。
他のクラスメイトたちも心配してくれる。
優しいみんなに見送られて、葉月さんと一緒に学校を出る。
僕を支えるようにして歩いてくれるけど、なぜか独り言も呟いていた。
「もしもし、師走? 急で悪いけど長月をよこして。そう、速峰の調子が悪いの」
葉月さんの独り言には反応せず、僕は頭痛をこらえていた。
普段歩いている道がやけに遠く感じ、なんとか帰宅すれば、即座にベッドに横たわる。
「辛くても制服は脱いだ方がいいわよ。楽な服装になるといいわ」
「うん。葉月さん、悪いけど僕のシャツを出してもらえる? そこのタンスに入ってるから」
ベッドから起き上がるのも億劫で、葉月さんに頼んだ。
嫌な顔一つせずにシャツを取り出してくれたね。ありがたい。
「一人で着替えられる? 手伝おうか?」
「大丈夫。ちょっと部屋から出てて」
「私を気遣える余裕があるのね。少し安心したわ」
葉月さんが部屋から出て行ったところで、制服を乱暴に脱いでシャツを着る。
シャツとトランクスっていうだらしない格好だ。楽だしこれでいいや。
あとはベッドの中に戻って目を閉じる。
寝ていれば治るかな。
「速峰? 寝てるわね。今のうちよ、長月」
「別に俺の姿を見られても問題ないと思うが? 俺と速峰春真は面識がないぞ」
「あのねえ、自分の格好を冷静に見てみなさいよ。血痕が染みついて取れない白衣を着ているとか、どこからどう見てもマッドサイエンティストでしょうが。恐怖で卒倒するし、余計に調子が悪くなるわよ」
「葉月は随分と肩入れしているな。情が移ったか?」
「まあね。私の胸をチラチラ見るけど、スケベなだけで悪い子じゃないもの」
「それだけでかい塊をぶら下げているからだろうが。見られても仕方ないぞ。言っておくが、俺も巨乳は好きだからな」
「長月に見られるとぶっ飛ばしたくなるわね。って、バカな話はやめましょう」
「どう? 治せそう?」
「難しいな。無理矢理記憶を封じ込めてもいいが、悪化するだけの気もする。今でも記憶の混濁が見られるのだろう?」
「思い出せそうで思い出せないって雰囲気だったわね。というか、多分ほとんど思い出してるのよ。ところが、無理矢理封じているせいで、出口でぎゅうぎゅう詰めになってる」
「で、パンク寸前になっていると。元に戻すのは?」
「睦月の指示がないとできないわ。対症療法でもいいからなんとかして」
「面倒な。体の傷を治す方が万倍楽だ」
「長月、どんな感じ?」
「話しかけないでくれ。集中力が途切れる。ここをこうして……こっちは解き放っておいて……理性とか邪魔だ、邪魔」
「ね、ねえ、なんだか不穏な単語が聞こえるけど?」
「うるさいぞ。集中させてくれ」
「春真さんは寝ているのですか?」
「弥生? あなたは顔を出しちゃまずいでしょ」
「すぐに帰ります。おかゆを作っておきましたので、春真さんが起きれば食べさせてあげてください。本当は、私がつきっきりで看病したいのですけれど、葉月さんに譲るのです。せめて食事は作らせてもらってもいいですよね」
「俺も帰ろう。なんとかなったはずだ」
「二人とも、ありがとう」
「葉月さんのためではなく、春真さんのためです」
ぐっすりと眠ったおかげか、目覚めた時は頭痛が治まっていた。
凄く気分がいい。さっきまでが辛かった分、治った今はめちゃくちゃ元気になっているように感じた。
「起きたのね」
「葉月さん? ずっといてくれたの?」
「付き添うって言ったでしょ。食欲はある?」
「あるよ。むしろお腹ペコペコ」
早退したのは午前中だったから、昼食を食べていない。
今は何時だろ? 外は明るいし、夕方前かな。
「今は昼よ。速峰は丸一日寝てたの」
「嘘!?」
「本当。このまま目覚めないのかと心配したわ」
「丸一日も付き添ってくれたの?」
「さすがにずっとじゃないけどね。私だってお腹は空くし、眠くもなるから。ともかく、速峰が元気になってよかったわ。食事を持ってくるわね」
葉月さんは部屋を出て、すぐに戻ってきた。
茶碗に入っているのはおかゆだ。梅干しが一つ、ちょこんと乗っかっている。
いかにもな病人食だけど、贅沢を言わせてもらうなら物足りない。お腹ペコペコなのにさ。
僕が不満そうな顔をしていると、葉月さんに気付かれる。
「足りないかもしれないけど、一日中寝てて何も食べてないんだし、今はこれで我慢して。あと、水も飲んでね。脱水症状になるとまずいわ」
「ありがたくいただきます」
冷たい水を飲むと、体中に染み込んでいくようだった。
ただの水が凄くおいしい。
続いておかゆも食べるけど、こっちもおいしかった。スプーンを動かす手が止まらずに、一気に平らげる。
「ごちそうさま。これ、葉月さんが作ったの? 料理は作れないって言ってなかったっけ?」
「やば……言い訳を考えてなかったわ」
「言い訳?」
「な、なんでもないわ。えっと、そうね。私が作ったわよ。おかゆなんて料理のうちにも入らないし、私でも作れたの」
「凄くおいしかったよ。葉月さんなら、その気になれば別の料理も作れるんじゃない? いいお嫁さんになるね」
「……ごめん。弥生、ごめんね。手柄の横取りになっちゃったわ」
葉月さんは、なぜか申し訳なさそうな表情になっていた。
照れているのかもしれない。お嫁さんとか言っちゃったし。
改めて考えると大胆な発言だった。僕も恥ずかしくなってくる。
「僕はもう平気だし、葉月さんは帰った方がいいんじゃない? 僕を看病してたせいで、葉月さんまで体調を崩すとまずいよね。帰って休んで」
今日は学校があるけど、今から行く必要もないだろう。
「じゃあ、私は帰るわね。また学校で」
「うん。本当にありがとう」
葉月さんも帰宅したし、僕はお風呂に入る。
病み上がりだけど、熱があったわけじゃないしいいよね。
湯船につかりながら、葉月さんのことを考える。
丸一日も付き添ってくれた。なんていい人なんだ。
でもさ、ただの「いい人」で、ここまで親身になってくれる?
これって、葉月さんは僕が好きなんじゃないの?
てことは……やっちゃってもOK? 強引に押し倒して、あれやこれやをしても拒否しないよね?
うん、大丈夫だ。いける。葉月さんは拒否しない。
明日、お礼をしたいって理由で家に呼ぼうかな。
そこで……うへへへ。
「はあっ!? 速峰の性欲を解き放った!? 何をやらかしてくれるの!」
「抑え込んでいる感情を表に出せるようにしただけだ。あいつも男なら、いい女を見れば性欲を抱く。普通は、相手への配慮や社会常識に縛られて何もしないが、今は手を出すようになっている」
「なんでよ! 私は治療してって言ったの! ケダモノにしてとは頼んでない!」
「これしかなかったんだ。変に記憶をいじると悪化しそうだった。ならば、小難しいことを考えるのではなく、別の内容に意識を向けさせればいい」
「それが性欲?」
「要するに、エロいことばかりを考えさせて、俺たちから意識を逸らそうという目論見だ。我ながら天才的な発想だな」
「アホか!」
「ということは、今の春真さんが葉月さんを見れば……」
「十中八九、襲い掛かる。無論、性的な意味で」
「認められません! 春真さんに襲われるのは私です!」
「んなこと言ってる場合じゃないでしょ。私はどうすればいいのよ?」
「抱かせてやればどうだ? 対症療法でもいいと言ったのは葉月だぞ。暫定的な処置だから、しばらくの辛抱だ。しばらくの間、ヤりまくれ」
「認められません!」
「私だって認めたくないわよ!」
「……春真、頑張れ。生きろ」




