始まりはいつも王道から
空は高く澄み渡り純白の雲がゆっくりと流れていくのが見える。
風は静かに吹き走り草を静かに揺らしその存在を主張する。
何処までも続くかのような広大な土地は決して平坦な道ではなく、ずっと遠くのなだらかな丘が見えた。
あの丘の向こうには何があるんだろう。
この空は何処に続いているのだろう。
「ふぁ~~ぁ…平和だなぁ………」
独り言。
そうだ、誰かに聞かせる目的なんてないポツリと呟いただけの言葉でさえ、風が運ぶ木々と鳥の囀りに消えていった。
もう一度だけ空を見上げると、綺麗な編隊をした数羽の鳥が雲の流れる方へと去っていく。
渡り鳥だろうかと考えて、それを判断する為の知識がないことを思い出してしまうと思わず口元が緩んでしまう。
いつか落ち着いたら、あの鳥が向かう先を見に行くのもいいかもしれないな。
でもいまは…………
「ここはどこよ?」
「お戻りになられましたか、コウタ様」
杉原浩太22歳。
隣に褐色肌の灰髪美人をお供に、少し長めの現実逃避から帰還いたしました。
事の始まり、というより正常に残っている記憶の幕開けは確かあれだ。
休日の嗜みとして独り暮らしの男部屋で買い込んだ缶ビールを開けた所から始まっている。
購入から3年経つお尻の辺りがぺったんこになった椅子に座り、パソコンのモニターをぼんやりと眺める。
インターネットのネタや面白ニュースを集めたサイトを周ったり
友人とチャットでくだらない話をしたりしてアニメの時間まで暇を潰す。
確か今日はあれだった
腕や鼻や脛は大事な所を守るから毛が生えるのはわかる。
けど胸とか胸についてる二つの頭に毛が生えるのはなんでだよ、守る必要あんのか?
だったな…我ながらアホらしい話をしていたという自覚があるが…酒が入ったときなんてこんなもんだろう。
それから普段の日課で友人と一緒に作っている、いつか黒歴史になるであろうアレの製作を進めて。
時間が来たから二人でパソコンのチャットで意見を言い合いながらアニメを見る。
……うん、何一つとして変わらない普段どおりの休みの日の俺の姿だ。
浮いた話とかそういうのが殆どない…いや、あるにはあるのだが少々、特殊例が過ぎるのでコレは今はおいておこう。
とにかく普段どおりの生活をしていて、普段どおりにベッドにもぐりこんだはず。
「……あれ?そう言えば」
「はい、何かなさいましたかコウタ様」
俺のすぐ隣でニコニコと微笑を振りまく褐色美人を見る。ガン見する。
先ほどちらりと、黒歴史になるであろうアレ、の事を思い出したからか…その姿には妙に覚えがあった。
砂漠の民のような褐色の肌、背中の辺りまで伸ばした灰色の髪。
灰と言えば暗く汚れたイメージを連想するが、彼女のそれは別だ。
光を受けて輝き、風を纏ってなびくそれはどこまでも美しい。
そして髪の色と比べて少しばかし明度の低い、ファーがついた暗い灰色のロングコートを羽織れば、それだけで何処かの物語に出てくる女主人公のようだ。
大きく開かれた胸元から覗くグンバツの我侭ダイナマイトボディも色んな意味で完璧すぎる。
「………………………………………………アイリ?」
「えぇ、コウタ様のアイリです」
しかし、俺は彼女の姿に見覚えがあった。
だって当然だ…何故なら目の前にいる彼女、アイリという名前に応えて見せた美人は俺たちが作ったのだから。
俺を見つめる薄蒼の瞳が静かに細められる。
そして、聞くもの全てを魅了させる声で喜びを隠し切れずに言うのだ。
「ようやく、お会いできましたねコウタ様」
端的に言おう。
アイリは俺と友人が一緒になって考え練り上げた
俺たちの間だけで通じるオリジナルの設定を持つ女性だ。
世間一般的に通じる単語を持ち出せば、黒歴史ノートの中の存在。
しかし、そう呼ぶには些か現在進行形で形成されている。
この場所で意識を取り戻す前の最後の記憶、友人とチャットでわいわいと騒ぎながら作っていたのも、それだ。
「いや、いやいやいやいや待とうぜ、それは絶対おかしいって」
「私がどうして存在しているのか…ですか?」
「わかってるならよし!だってアイリは……」
「そうなんですよねぇ…ふふっ!コウタ様と私の始原が一緒に生み出した存在なのに、こうして存在していられるなんて夢みたいだと思いませんか?」
もしかしたら目の前のアイリは、そのノート…というより設定か
そのことを知らないと思って言葉を濁した俺の後を継ぐように、生み出した、と言われて焦る。
つまり彼女は俺とアイツが…とか設定、の事を理解しているという事で…
「始原? ……確かに俺も夢でも見てるんじゃないかと思ってはいるが…」
「頬でも抓りましょうか?」
「よしてくれ!お前…自分がどれだけ強いかわかってるだろ?」
魔力こそ微弱なものの、身体能力は正面から伝説クラスのドラゴンと渡り合っても勝利する事が可能
街のど真ん中で人を刺し殺しても決して人にはバレない、という隠密性と相まって最強最悪の暗殺者。
勢いに任せて一番最初にアイリを作り出したとき、確かそんな「設定」を組み込んだ気がする
というか、組み込んだ。それはもう自重せずにやっちまった。
頬を抓られたりしたら一体どうなってしまうか想像もつかずに思わずブルッと来てしまう
「大丈夫ですよ。コウタ様は傷つけません…そんな事をするくらいなら死にますから」
傷つけないのに抓るとは、これまた矛盾していると思うことなかれ。
屈託なく笑顔でそう言いきる姿は狂信者のように恍惚を持って俺を見ていた。
ちょっとだけ確かめたくなってしまったので、あることを口にして見ることにした。
「………………俺が死ね、と言えば?」
それは平時ならばおぞましいとさえいえる質問だと俺は思う。
メディアの中では、こんな事を言う悪役や命令に忠実な軍人なんかがこの言葉を投げかけられることがあったりする。
それをこうして問いかけているのだから、やはり狂気の沙汰に等しい質問なんだろうなー
なんて俺の頭の混乱する思考の中でも冷静な部分が
「考えうる最高に惨めたらしい方法で自害してみせますわ!」
「…あぁうん、お前アイリだわ間違いねーよ」
躊躇いなく、むしろ命令してくれと言わんばかりに顔を輝かせるアイリを見てため息をつく。
確かにこういう性格で設定を練りこんだけど、実際に言われると…うん、ちょっと嬉しかったりドン引きだったりしたのは秘密。
アイリやそれ以外に設定を作ったキャラ達の妄信っぷりは既に宗教の域に達している事を思い出しながら、頭を振る。
言われて嬉しかったりはしたが、今ここでアイリに自害させるわけにはいかない。
とりあえず目の前にいる彼女に意識が釘付けになっていたが、ここは草原だ、見たこともない場所だ。
彼女に死なれたら、何もわからず着の身着のまま放り出された事になってしまう。
ちなみに余談だが俺の格好は普段このまま外に出かけていけるような、無地の紺色シャツの上にジャケットを羽織ったジーンズ姿だった。
おまけに財布にスマホに定期入れがポケットの中に入っている。
…そういった要因のお陰で、通勤電車でなんとか座れた俺がうつらうつらと眠りこけてしまった結果みてしまった夢なのかなと一瞬考える。
「これは俺が見てる夢という可能性がある、…何せ最後の記憶が結構呑んだことだからな
俺が知らない間に起き上がって出かける準備をして電車の中で一眠り……その結果が生み出したのがこれだ」
「明晰夢ですね、もしこれが夢だとしたらコウタ様…この瞬間から世界はアナタのモノですよ…さぁ、思うがままに想像し創造なさってみてください」
アイリから熱っぽい狂信的な視線と共に無茶難題が飛んでくる。
それをみて確信する、彼女は…俺が夢かと疑問を抱いた世界を変革させる事に何一つ疑問を抱いていない。
…物凄く居心地悪いな、これ…………。
あいつと色んな設定なんかを考えてる時には、そんな事は感じなかったんだけどなぁ…と思いながら頭の中で想う。
「今おれがいる場所は何もない草原だ、遠くには森や丘が見えたりする
……花が良い、丘の向こう側や森の中見える場所一面、色とりどりの花が見たいな、うん」
視界に広がる光景を目に焼き付けて瞼を閉じる。
そして現実の世界で俺が知っている、見聞きしていた花を思い浮かべたり、時には想像の中にしか存在しない、ゲームや漫画の中にだけあるそれを思い浮かべる。
そうだ、蒼い薔薇を生み出すなんてどうだろう…昔読んだライトノベルの世界では人の心を生み出すといわれていた、きっと綺麗だぞ。
「むむむむむ!むむむぅぅぅ!!」
「あぁっ…コウタ様素敵です……その姿だけで私は…あぁ…っ」
未だ瞼を降ろしたまま気合をこめる意味を兼ねてうなり声をあげる俺の耳にアイリの声。
ちょっと黙ってて!気が散る!と言いたいところだが、それを口にするわけにもいかず。
世界よ変われ、変われー!と頭の中に浮かべてた草原が花畑になるイメージを完成させた所で目を開く。
「どうだー!!」
結果、俺の眸に飛び込んできたのは緑!緑!緑!
今までと代わりない草原でした、残念!!
「駄目じゃねーか!」
「いいえ駄目じゃありませんでした、全然ダメじゃありませんでした…最高でしたよ?」
やけにスッキリとして満足顔のアイリがおれに向かって話しかけてくるが、そんなのは気休めだ。
というかなんだ、賢者みたいな顔をするんじゃない。
「アホタレ、世界は変わってない…明晰夢って世界を自由に変えられたりするんじゃないのか…?」
「そのように聞きますが……では、これは現実なのではありませんか?」
「んなあほな!」
それこそ馬鹿馬鹿しい。
もし仮にこれが現実なのだとしたら俺が行ったのはそう、異世界トリップという事になってしまう。
ある日突然主人公がトラックに轢かれたり、知らない場所に迷い込んだり、さもなくば神様と対面して異世界に行ってくれと頼まれる。
物語の中でしか存在しない話に巻き込まれた訳だが……いや、知らない場所に迷いこむ、ってのが俺に当てはまる?
いやまさか…なぁ?
「アイリ」
「はっ、此方に」
物は試し、男は度胸という事で少しばかり真面目な声で傍に控える褐色美女の名を呼ぶ。
彼女はすぐにその場に膝をついて、熱っぽい視線で俺を見てくる。
アイツと一緒に考えた設定なんかが正しければ、俺から命令を受けるかもしれないことが嬉しくてしょうがない…という事になる。
「とりあえず何か食べるモノを獲ってきてくれないか…まだ頭が混乱してるんだ、今晩はここで一晩明かそうと思う」
「かしこまりました、この命に代えても…では行ってまいります、何かありましたら大声を」
やっぱりなれないなぁ…妄想の中だと俺はもっと、アイリにかっこよく命令を下すシーンを考えたりできたのに。
「あぁ、頼む…でも命には代えないでくれ、アイリがいなくなったら……生きていけない」
「!!……ぁ、っ、ぁ…ぅぁぁぁ……コウタ様ぁ…ぁぁ…!」
アイリの奴、突然自分の身体を抱きしめてびくびくと小刻みに痙攣を始めてしまった。
うん…何をしているのかは聞かないほうが良いだろうな、と想いました