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五章 冥界の主



 ザバッ……ザバンッ……。

 

「オリオール、大丈夫?」

 血の河に手根関節と飛節(人間では手足首に相当するらしいけど、どちらかと言えば肘や膝の方が分かりやすいかな?)まで浸けながら進む弟は、ちょっと怖いけど頑張るよ、強がって応えた。

「お姉さん達、本当にこっちで合ってるの?引き返すなんて嫌だよ僕」

 唯一の光源、友人達は私の頭上でふわふわ浮いたまま、間違い無いってば、もうオリオール君は疑い深いなあ、ちょっと怒ったような口調で言った。

「だって、歩いても歩いても何の影も形も無いんだもん。この河だって段々深くなってる気がするし、不安にもなるよ」


 ザバザバッ……。


「兄様、濡れてない?」

「うん、まだ平気。オリオール、あんまり気にしなくてもいいと思うよ。ここでずぶ濡れになっても、現実では乾いたままだろうから」

「そんなの分からないよ。もしかしたら掛かったせいで、またおかしくなっちゃうかもしれないじゃん」

「そう、なのかな……ケルフはどう思う?」

「オリオールはともかく、一応誠は避けといた方がいいだろうな。魂への侵食が無いとも限らねえし」

「うん、分かった」

 横乗りしている脚を気持ち高く上げ、辺りを見回した。弟の言う通り、まだ燐さん含め何者の氣も全く感じられない。まだ当分は移動しなければいけないようだ。

 今度は深紅の水面に視線を移す。澱んでいても一応流れがあるみたいだ。一体何処へ向かっているのだろう?


 ボコッ。


 目の前に泡が一個立ち昇り、音も無く弾けた。さっきの不気味な腕?


 ボコボコッ!!


「!?」

 立て続けにさっきの数倍の泡が沸き、水底から巨大な物が浮かび上がってきた。――え、まさかこれって……。

「家……?え?何で河から出てきたの?」

「分からない。けど……」

 どうしてだろう?このこじんまりした二階建ての一軒家、凄く懐かしい……。


 バチャンッ!「兄様!?」


 水流に負けないよう走り、白いドアを開ける。その瞬間、身体を不思議な感覚が包み込んだ。

「ここは……」

 右手はリビング兼ダイニングらしく、木のテーブルと向かい合う二脚の椅子。左の抽斗付きの棚の上には四角い時計。奥にはキッチンが見えた。見覚えがある所じゃない……私、この家を知っている。

「え?」

 やけに家具が大きいなと思っていたら、身体が縮んでいる?でもそうだ……私はこの低い目線でしか建物の中を知らない。


「兄様!?」


 慌てて振り返る。弟は玄関の前で、開け放たれ何も無いはずの空間をバンバン前脚を使って蹴っていた。どうやら入って来れないようだ。

「何で小さくなってるの!?」

「分からない……ちょっと待っててくれる?家の中を調べてみるから」

「えー?早くしてよね。またあの気持ち悪い腕が出てきそうで怖いもん」後ろを振り返りながら怯えて言う。

「なるべく早く戻るよ。二人共、オリオールを頼むね」

「いいよ。誠君も気を付けて」

 改めて薄暗いリビングを見回し、続いてキッチンへ。特徴的な駒型の蛇口を見た瞬間、ビリッ!精神の奥底から風景が浮かび上がってきた。

(そうだ、私はこうして……)

 シンクの抽斗を階段状にずらして開け、足を掛ける。食器入れに立て掛けられた硝子コップを手に取り、腕を一杯まで伸ばして固い蛇口を捻った。水はあっと言う間に一杯まで満ち、小さな指を通って排水溝へ滴り落ちる。

(後は……そう)

 床に下りて抽斗を元に戻し、コップを落とさないように注意しながら二階へ。手前の部屋、開いたドアから中に入る。

 右側には分厚い書物が詰め込まれた本棚と、質素な机。奥にはクローゼット。左は空のベッド。そして、サイドテーブルに求めていた物を見つけた。

「あった」

 白い錠剤が半分入った瓶。カラカラ振って確かめる。


―――何だ、また屋敷を抜け出してきたのか。


 その瞬間、ベッドの上に幻が現れ、差し出したコップと薬瓶を受け取った。少し恥ずかしげな笑顔、私を包む温かい氣―――間違えるはずがない。彼は父で、そしてウィルだった。


―――ありがとよ。メノウにはちゃんと言ってきたのか?――ならいつも通り、迎えに来るまでミルクでも飲むか?――お前は本当に坊やだな。


 私は彼の胸に小さな手を当て、氣を送る。

(思い出した……)

 父、昔のウィルは重病だった。胸がとても真っ黒で、まるで街の外の暗黒みたいな闇が巣食い……だから、少しでも元気になれるように力を使った。何度も続ける内、段々元々の意志の光が強く輝いて……そして、多分治ったのだと思う。


「……とうさま」


 勿論、記憶の影に私の声は届かない。それでも、彼は微笑んで抱き締めてくれた。幼い私には最高のご褒美だ。


―――クスクスクス。


「!?」

 その瞬間、優しい腕は硬く冷たい物に代わった。グイッ!強引に顎を掴まれる。そこにいたのは意地悪気な赤い目をした、子供の私。

「燐さん……?」

「そうだよ」

 彼は左の背中から真っ黒な骨の翼を広げ、私に口付けた。抵抗する間も無く、血の味をした氷のような舌が入ってくる。掻き回されて強く吸われ、苦しくなった。


「止めて!」


 突き飛ばした拍子に唇が離れた。端に伝った唾液を服の裾でゴシゴシ拭う。

「いや?やっぱりとうさまやかあさまがいい?」

 姿に相応しい子供みたいな喋り方で、彼はにやにや嗤う。

「何言ってるんですか燐さん!?無理矢理するなんて……」

「とうさまにもかあさまにもおいていかれた。つめたくてくらいところに、ひとりぼっち……ずっといっしょだったのに、おぼえてない?」

 深紅の瞳に見つめられ、ふっ、と意識が遠のく。

 まず感じたのは真冬より酷い寒さ。身体の芯まで凍りそうな冷気が、永久に続く暗闇の四方八方から押し寄せてくる。


「助けて!」


 急激な『死』の恐怖が、本能的に甲高い悲鳴を上げさせる。


「お願い、誰か!!」

「むだむだ。ここにはだぁれもこないよ」

「そんな訳……オリオール、返事して!!リーズ!ケルフ!!」


 静寂。けたけたと後ろで彼が嗤い、両腕を前に回してくる。


「ねえ誰か応えて!ウィル、メノウさん!!助けて!!!」


「なんでとうさまたちをよぶの?あきらめちゃえばいいのに」

「嫌!!」腕の戒はキツくて、力を思い切り込めても外れない。「やっとウィルが戻って来てくれたのに、私だけこんな所にいられない!」

「あんなのうそにきまってる。そとにいるのだってみんなにせものだ。ほら、こうしてふたりでいよう。もうさみしくもつらくもさせないから」

 首を強制的に捻られ、噛み付くようにキスされる。抵抗する気力まで吸い取られているみたいだ……段々皮膚の寒暖感覚が無くなっていく。


「ねえ、―――しようよ?」

「!!?やだ!嫌、止めて!!」


 唇だけでも耐えられないのに、身体まで穢されたら……。

「きたなくないよ、おんなじじぶんだもん」

「違う!あなたは“黒の燐光”です、私じゃない!!」

「おなじからだにいるのに?」

 少年はぴちゃぴちゃと耳朶を舐め回し、束縛越しに私が震えるのを楽しむ。

「ほうら、きもちいいでしょ?ずうっともっとよくして」


「止めてっ!!!」


 突然背中の右側が熱くなった。悲鳴を上げて彼が飛びずさり、憎しみに満ちた目で私を睨む。

「これは……翼?」

 半透明な片翼は銀色。澄んだ光で闇を照らし出す。何て強く清浄な氣だろう……これが私の本来の姿。恐ろしい虚無さえ祓い消し去る力。

「おどろいた。きゅうにかくせいするなんて。でも……どんなにあがいたってむだ。まっくらなここにでぐちなんてない。はねだっていつまでもはだしておけない」

 ケタケタケタ。

「はやくしまっちゃいなよ。でないと、ひどくするよ?」


「誠君!!」


 声が聞こえた瞬間、私の全身に眩い光が降り注いだ。

「兄様!」

 一角獣の鼻先が私の頬と衝突した。

「え?どうして……とうさまの家は?」きょろきょろするも、血の水面が広がるばかりだ。

「俺達の力で祓ったんだ。危なかったな誠」

 背中の片翼は無く、どうやら無意識に引っ込めてしまったみたい。

「記憶と繋がっていた“黒の絶望”に取り込まれかけてたんだよ。私達が助けるのが、もしもう少し遅かったらどうなっていたか……」

 光の球が頭のすぐ上まで接近し、七色の雫を降り注いだ。

「これで少しの間向こうは近寄れないはず。尤も私達程度の力、向こうが本気になったらすぐに突破出来ちゃうだろうけど、気休めぐらいには」

「ありがとう二人共。ごめんね、死んでからも色々迷惑掛けて」

「別にいいさ。結構退屈なんだぜこっちは。いい暇潰しだよ」

「もう!不謹慎だよお兄ちゃん。誠君は精神的に凄く辛いのに」

「いいよリーズ。そう言ってもらえる方が私も気が楽だから」

 フォローの言葉に、誠君が気にしてないならいいけど、とても生前夢療法のクリニックをやってた人間とは思えない発言よね、呆れたように言った。

 立ち上がって今更小さいままだと気付く。

「縮んだままだね兄様。可愛いけど、何時元に戻るの?」

「分からない」

「ね……何されたの兄様?まだ顔真っ青だよ?進める?」

「大丈夫。また背中に乗せてもらえる?」

「勿論OKだよ。今度は子供だから、よっぽど低くしないと上れないかな」

 弟はお腹が濡れるのも構わず、ぺたん、と四本の脚を折り曲げて座り込んだ。よいしょっと。私は跨って首に手を回そうとするが、腕が短くて後少し足りない。

「無理しなくていいよ兄様。鬣を掴んでて」

 言われた通り、後頭部から首に掛けて伸びた蒼い毛を両手で持つ。うん、多少強く引っ張っても大丈夫そうだ。

「落ちたらいけないから、今度はもっとゆっくり歩くね」脚を伸ばして立ち上がりながら、弟はそう言った。

「うん。ありがとう」

「いいって。さ、行くよ」

 再び血の流れを進みながら、私はさっきの温かな幻影に想いを馳せた。

(早く会いたい……どうか待ってて、とうさま)





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