プランB 06
ガニメデステーションのセンサーが、それまで捉えていた衛星2号機のシグナルをロストした。
シグナル途絶の直前に、衛星2号機は加速度の乱れを送信していた。
「 ガンマ線の放出を確認したわ 」
「 偏向はどのくらい? 」
「 +0.001、測定誤差の範囲内ね 」
「 了解。 観測を継続しよう 」
「 ・・・ 」
ブラックホールからガンマ線が放出された、極わずかな量で偏向は無いと言ってよい値だ。
衛星がブラックホールの引力で崩壊した際に発生したガンマ線と考えられた。
数分後、再びガンマ線が計測されたが結果は1回目とほぼ同じ、途絶えたのは1号機からの信号だ。
1号機は2号機より数分遅れた軌道を飛翔していた。
ブラックホールへの突入は、3号機、2号機、1号機の順で行われている。
「 そろそろ教えてくれてもいいだろ。 一体何をやってるんだ? 」
ブラックホールに衛星を突入させれば壊れる、当たり前の事だ。
それは膨大な費用をかけてまで確認することでは無い、マークはそう考えている。
「 もうすぐ判るよ 」
「 ・・・ 」
ヒロのあいまいな笑顔の意味が判るほど、マークは日本人の事を知っているわけでは無い。
さらに30分が経過する。
「 ガンマ線の放出を確認したわ。 偏向の計測を照合中・・・+1.2。 ヒロ! +1.2の偏向よ! 」
ヒロは大きく長く息を吐いた。
「 了解。 こちらでも確認した、実験は成功だな 」
ヒロに抱き着くジュン、実験は成功したらしいなとマークは考えた。
しかし、何の意味が在ったのかはまだ理解できていない。
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ヒロとジュンがブラックホールに突入させた衛星は合計で3機だ。
1号機は通常の衛星、2号機は可能な限り機械的に強度を上げた衛星、3号機は本命の衛星だった。
突入させたのは3号機、2号機、1号機の順で、数分から数十分の差をつけている。
1号機は当然として、人類が持つ技術を総動員して機械的強度を上げた2号機も、ブラックホールの前では無力だった。
管制室のメインモニターには、試験結果全体を俯瞰したシミュレート図が映し出されている。
ブラックホールには外殻が存在しない、位置や大きさは計測した引力の中心を表示中だ。
「 マーク。 シュタインリッヒ博士の論文は知ってるかい? 」
ヒロに問いかけられたマークは答える。
「 知っているさ。 世紀の大失敗って言われた実験の結果も含めてな 」
シュタインリッヒ博士は、2226年にある論文を発表した。
人類が長年夢見た技術、SFでは遥か昔に実現できていた技術、光速を超える航宙技術であるワープ航法に関する論文だ。
科学者たちは初めから博士の論文に否定的だった、学界でもまともに取り上げられず、騒ぎまくっていたマスコミも数か月もすると博士の名前すら出さなくなった。
その後、シュタインリッヒ博士は姿を消し、行方は判らなくなった。
しかし2227年、博士は月の衛星軌道上で極々秘密裏にある実験を行った。
人類が長年夢見た技術の実験、ワープ航法の試験だった。
十数回にわたって極々秘密裏に実施された試験は、大成功でもあり大失敗でもあった。
当初は計算されていた場所へのワープアウトは出来なかったが、天体の引力の影響を再計算する事で狙い通りの場所にワープアウトする事が出来るようになった。
実際は博士の計算ミスだったのだが、博士の名誉のために伏せられた。
人類はワープ技術を手に入れた、世紀の大成功と言われた。
しかし重大な問題が残された、ワープアウトして来る衛星が粉々になっていたのだ。
実験船をどれだけ強化してもダメだった、サンプルとして船内に積み込んだ様々な素材で作られた球体も粉々になってワープアウトしてきた。
材質が紙、綿、ゴムからタングステン、チタンまでも、全てバラバラになってワープアウトしてきた。
原因は不明だった。
道はあっても誰も何も通れないなら道としての意味は無い、世紀の大失敗と言われた。
「 俺は木星軌道上で、破片の回収を担当した事が在るんだ 」
元衛星だった残骸は、大きさがバラバラで回収が大変だったとマークはボヤいた。
ビス1つでも残せば後の大事故にもつながるし実験の正確な結果が出ない、決して手は抜けなかったと。
ワープ先を火星ではなく木星に変更したのは、近距離過ぎるとダメではないかとの疑問からだそうだ。
極々秘密裏の実験に、残骸の回収とは言え携わっていたマークはそれなりに高いレベルの機密保持レベルにある。
そうでなければ、人類や地球の未来が掛かっているステーションの責任者にはなれない。
「 それで? この実験との関連性は何なんだ? 」
「 シュタインリッヒ博士の論文は正しい。 それは証明されてる 」
博士の論文通り、ほぼ狙った所に時間的に光速を超えて移動できるのだから。
「 だがな、誰も通れないんじゃあ意味は無い 」
「 その通り。 じゃあ、バラバラになる原因は何だと思う? 」
ヒロとジュンが成功を祝して飲んでいるのはコーヒーだ、マイクはビールだ。
どちらも、ヒロとジュンがこの特別な時のために持参した特別なものだ。
どちらも、ステーションの管制室で飲んで良いものではないが、今の責任者はヒロだからどうにでもなる。
「 俺には判らんな。 ワープインの時の急加速か、ワープアウトの時の急減速か。 確か亜空間内での衝突じゃないかって説も在ったな 」
「 そうだね。 他にもあったみたいだけど、少なくとも亜空間説は全て否定されたよ。 破片を繋ぎ合わせたら元通りになったから 」
ワープ中に通る空間は、亜空間 = 空間みたいな空間じゃない空間では無いとされた。
3次元の物体が通れる、(粉々になっても通ってはいる)のだから少なくともそれなりに安定した3次元ではあるはずなのだ。
それに、空間じゃない空間みたいな空間じゃない空間な亜空間は、そもそも何なんだという根本的な疑問は未だに解明されていない。
そもそも、空間じゃない空間って何なんだって話だ。
3次元未満の1次元や2次元ではないとされた。
3次元の物質を無理やり1次元や2次元に通したら、物質は物質の形態を維持できない。
クオークかそれ以下の何か、一番可能性が高いのはエネルギー化してしまう事だ。
3次元の物質を無理やり1次元や2次元に通すことが、可能だと仮定してだが。
「 少なくとも3次元の空間は在るはずなんだ。 もっと高次元の空間を通ることで壊れたなら、一部は非物質化したり歪んだりしても良いはずだからね 」
様々な次元が複雑に乱雑に存在する空間でも無いだろう、全てのパーツが粉々とは言え3次元の形のまま出て来たのだから。
詳細に破片を分析することで、空間内部での衝突説も否定された。
破片に衝突痕が見当たらなかったし、測定機によると全体に同時に衝撃が加わっていたからだ。
それにシュタインリッヒ博士の提唱した説でのワープ航法は、そもそも他の空間を通っているわけでは無い。
「 実験は今も続けられているよ。 成功例は無いけどね 」
「 それは初めて聞いたな 」
「 マーク。 ヒロはね、シュタインリッヒ博士の論文を基にある装置を作ったの。 それで加速度も含めて、全ての衝撃から宇宙船を護る手段を考案した 」
「 そんな方法があるのか? 」
ジュンはヒロの手を取った。
「 今見たでしょ? マイクロブラックホールに突入しても、なかなか壊れなかった3号機。 あれにはヒロの考案した装置が積み込んであったのよ 」
「 空間安定化装置、僕たちはそう呼んでる。 宇宙船全体を包み込んで衝撃から守る装置になる 」
ヒロはそれなりに賢いつもりでいる、だからたまたま偶然に出来上がった装置だ、とは言わない。
「 まて! だとしたらシュタインリッヒ博士の論文は! 人類はワープ航法を手にいれられるのか! 」
ヒロはコーヒーを飲んでからゆっくり回答する。
「 ジュンと僕はそう考えている、シュタインリッヒ博士もね。 3号機には小型の空間安定化装置が積んであったんだ。 ブラックホールの引力圏内に最初に突入して最後まで耐えたんだ、高出力化すれば効果は在ると考えてる 」
なるほどとマークは納得した。
人類がワープ航法を手に入れられる可能性が在るなら、ヒロやジュンへの巨額の投資も納得できる。
同時にマークは同情した。
反乱の罪には問われないが、密造酒を作っている科学者に。
ヒロとジュンの実験は成功した、ブラックホールの引力に数分間ではあるが耐えられた。
シュタインリッヒ博士の実験と、人類は大きく前進するだろう。
シュタインリッヒ博士と、ヒロとジュンが前に進み続ける分、彼と彼の国の立場は悪くなるのは確実だ。
密造酒を作ったせいで。
「 彼には、どのみち未来は無いのか・・・ 」
ヒロはあいまいに微笑んでいるだけだったが、マークにはそれが悪魔の微笑みに見えた。
見えたのだが、ヒロには密造酒に興味がなくどうでも良い事だったので、意見を求められても答えられなかっただけなのだが。