第18話 うさぎの耳は……
「はぁー」
生徒で賑わう朝の教室。自分の席で俺は頭を抱えていた。
そんな俺を心配したのか、友人の隼人が声をかけてきた。
「溜息なんて吐いてどうしたんだよ。あ、わかった。またスバル氏となにかあったんだろ」
「違う! 実は今日、日直なんだよ」
「日直ぅ? まあたしかに面倒だけど、そんなに暗くなることないだろ」
「別に俺は日直の仕事で悩んでいるんじゃない。俺が悩んでいるのは、一緒に仕事をする相方についてで」
そこまで言うと、流石に隼人も気が付いたようで。
「ああ、宇佐美さんか」
俺たちは教室の、窓際一番後ろの席に視線を向けた。
そこには目も覚めるような美少女が座っていた。白い肌に長い黒髪は頭の高い位置でツインテール。やたら顔立ちは整っているが、石仮面を被っているかのような無表情で、ツインテールの先っぽをいじっている。
彼女の名前は宇佐美美々。
別名、冷血姫。
言い寄ってくる男全員を、歯に絹着せる暴言で手酷く振ったらしいとか。振られたショックで学校を1週間以上休む男子もいたとか。
兎に角悪い噂が絶えない。
綺麗な薔薇には棘があるじゃないけど、可愛らしい容姿に不釣り合いな程性格がキツイのだ。俺も以前声をかけただけで罵られた経験がある。
そんな宇佐美さんと一緒に日直の仕事をするなんてーー考えただけでも頭が痛い。
隼人はポンと俺の肩を叩くと、
「安心しろ、お前の骨は拾ってやる」
「人ごとだと思いやがって!」
「だって人ごとだし」
意地悪そうに笑う隼人。
ムカついて拳を振り上げるが、ちょうどその時、予鈴が鳴り響いた。
「おっ、もう時間だな! まあ頑張れよ」
「薄情者ぉ」
◇
予想に反して、日直の仕事はスムーズに進んだ。
俺が率先して仕事をすることで、宇佐美さんの手を煩わせないようする。この作戦は上手くいき、今のところ宇佐美さんから暴言はゼロだ。
この調子で放課後まで頑張るぞ!
しかし三限目終了後、事件が起こった。
「今日の日直! 地学準備室から世界地図持って来てくれ」
教師からのまさかのお願いである。
一緒に取りに行ったら最後、宇佐美さんと2人きり! 考えただけで地獄!
そこで俺は宇佐美さんにこう提案する。
「俺が1人で取りに行くよ」
しかし宇佐美さんは不機嫌そうに、
「地図は重いから1人じゃ無理よ」
「大丈夫だよ。俺結構力あるし」
「……なに、私と一緒じゃ嫌だっていうの?」
宇佐美さんの蛇睨みに、俺はカエルみたいに縮こまる。
「い、いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃ、問題ないわね。行くわよ」
宇佐美さんは早足で教室を出て行ってしまった。俺は慌てて後を追いかける。
もちろん道中は無言だ。そうじゃなくても長い廊下が、さらに長く感じられて。
先を歩く宇佐美さんの後頭部を見つめながら俺は考える。やっぱり何か話した方がいいかな?
しかし何を話してよいか分からない。だって俺は宇佐美さんのことを何も知らないのだ。当たり障りのない世間話をーーとも思うのだが、緊張のため頭の中が真っ白。こんな時スバルだったら何も考えずにおしゃべりできるのにな。ああ、スバルが恋しいぜ。
「ねえ」
突然、宇佐美さんが振り向いた。
「ひゃい!」
びっくりして声が裏返る俺。
「なにその声、マジ可笑しいんだけど」
宇佐美さんがくすくす笑う。その笑顔があまりにも可愛くてーー俺はどきりとしてしまう。
宇佐美さんは俺の横に並ぶと、
「ねえ、ひとつ質問していい? 実は前から気になっていることがあって」
「あ、ああ。いいよ。なんでも質問してくれ」
「アンタって、亀山スバルさんと付き合ってるの?」
思わず噴き出す俺。
「汚なっ!ツバ飛んできた 」
「ご、ごめん。つい」
「でもその反応、やっぱり噂は本当なのね!」
「ち、違っ。俺とスバルはただの親友でーー」
「親友? 男と女なのに?」
「友情に男とか女とか関係ないだろ」
「関係あるわよ。だって私、男女の友情は成立しないと思うもの」
「それは個人の意見だろ。とにかく俺とスバルはただの親友だから」
「でもこの前の日曜日、2人が腕組んで歩いているところを見たわ」
俺は再び噴き出した。まさか見られていたとは!
「キャッ、もういい加減にしてよ!」
「ご、ごめん。でもそれはスキンシップの延長線というか。俺たち5歳からの付き合いだからさ、そんな深い意味はないというか」
「信じられないわ」
やけに食い下がる宇佐美さん。イライラした俺は、ついこう言ってしまった。
「宇佐美さんには関係ないだろ!」
普通ならこれでこの話は終わりになるはずだった。
しかしーー
「……関係あるわよ」
涙を浮かべながら、まるで絞り出すように宇佐美さんは言った。
なんだ、この反応は?
しかしコミュ力が低く、女子への免疫がない俺がそれ以上何か言えるわけなく。
宇佐美さんは再び俺の先を歩いて行ってしまった。
激しく気まずい。俺何か悪いこと言った?
考えてみるが全く思いつかない。
そうしているうちに、地学準備室に到着した。
地学準備室は埃っぽく、地球儀や石の標本などが所狭しと置かれていた。この中から世界地図を探すのはかなり骨が折れそうだ。
「あれ」
宇佐美さんが棚を指差す。棚の上に長い筒ーー世界地図が置かれている。
しかしあんな高いところに置いてあると、取り辛いなぁ。
すると宇佐美さんは椅子を引っ張りだした。
「まさかそれで取るつもり? 危ないよ。脚立とか使った方がーー」
「そんなことしてたら休み時間が終わっちゃうじゃない」
俺の制止も聞かず、宇佐美さんは椅子に立つ。しかし身長が足らず、地図には届かない。宇佐美さんは椅子の上で背伸びをするがーー。
「きゃあ!」
無理に背伸びしたせいだろう、宇佐美さんはバランスを大きく崩した。そのまま椅子から足を踏み外し、後ろに倒れこむ。
危ない!
俺は咄嗟に彼女を抱きとめた。
「宇佐美さん大丈夫?」
「大丈夫だけど……手」
「手?」
言われて、自分の手を見る。スバルと比べかなり小振りだが、柔らかなその感触。なんと宇佐美さんのお、おっぱいを思いっきり掴んでいるではないかっ!
俺は素早く手を離すと、そのまま床に這い蹲った。
「すいませんでしたっ!」
日本の伝統文化『土下座』である。しかし相手はあの宇佐美さんだ。この程度で許しては貰えるとは思えない。きっとソッチ系の人が聞いたら感涙ものの、罵倒を頂くに違いない。下手したら頭を踏みつけられるかもーー。
「……頭を上げなさいよ」
聞いただけで背筋が凍るような、冷たい声だった。
やはり宇佐美さんは怒っているようだ。
嫌だ! 顔を上げたくない。でも命令を聞かなければもっと酷い目に合うかもしれないし。
恐る恐る顔をあげる。そこにいたのは怒りに顔を真っ赤にした宇佐美さんーーではなく、柔らかな微笑を浮かべる宇佐美さんだった。
「助けてくれたんだから、謝る必要はないわ。むしろこっちがお礼を言うのが筋でしょ。ありがとう」
「でも、その、さ、触っちゃったわけだし。嫌だっただろ?」
「言われてみたらそうね。タダで触らせたなんて、まるで私が安い女みたいね」
宇佐美さんは少し考えると、
「じゃあ交換条件。今からアンタに質問するわ。誤魔化したり嘘を付くのは禁止、わかった?」
「ああ、そんな簡単なことでいいなら」
無理難題を吹っかけられなくてよかった。俺は呑気にそんなことを考えていた。
しかし宇佐美さんの口から飛び出したのはとんでもない爆弾であった。
「あなたは亀山スバルのことを恋愛的な意味で好きですか?」
ーーえ。
比喩じゃない。たしかにその瞬間、俺の時間が止まった。
脳内でスバルの映像がすごい早さで流れていく。
笑顔のスバル。
怒っているスバル。
ーーそして泣いているスバル。
『これからもずっと、ずーっと友達でいたい』
再会した日にスバルが言った台詞。それが何度も反響して聴こえてーー。
「好きじゃない」
気がついたら、俺はそう呟いていた。
宇佐美さんはにっこり笑うと、
「そ、良かった」
そして、大きな地図を抱えて教室から出て行ってしまった。
重いから一人で運ぶのは無理とか言っていたのに全然余裕じゃないか!
いや、そんなことよりーー。
俺は驚いていた。自分の口から出た言葉にショックを受けていることに。
俺は一体どうしてしまったのだろう?




