アンコール ” ふるさと ”
アンサンブルは、バイオリン、ビオラ、トロンボーンが一名ずつ。この編成のために書かれた楽譜はおそらく無いだろう。従って、ほぼ即興で慣れ親しんだ曲を演奏していく。三名だけでも和音は構成できるから。
玄関先に立ち、色も形もバラバラのパイプ椅子に腰掛ける人々に音楽を届けていく。
演奏中であっても、作業服姿の男女が慌ただしく行き交っている。時折立ち止まって耳を傾けている人もいるが、またどこかへ向かう。
五〇八人が収容できるホールには、福島県浪江町から避難してきた人たちが毛布を敷いて身体を休めていた。さらに、人々の命をつなぐための物資が集積されているため、アンサンブルは玄関先を借りるしかなかった。
ここは二本松市、東和文化センターである。二本松市には隣接する浪江町からおよそ一五〇〇名が避難してきていた。
二〇一一年四月七日。
例年は、若葉が醸し出す春の香りを胸一杯に吸い込み、春の訪れを堪能できたのだが、いまはそんなことは言っていられない。外出する都度、ベクレルやらマイクロシーベルトといった単位を気にかけなくてはならなくなったから。
アンサンブルは、世界各国の演奏家から寄せられた乾電池を持参してここまできた。他の組もまた東北各県を回っているという。
乾電池は確かに避難生活にとって必需品である。しかし、アンサンブルは音楽を届けることを誓い、ボランティアで避難所を回り続けている。
優先順位は乾電池より低いかもしれない。満足のいく環境など望むべくも無いため、演奏レベルも不十分かもしれない。だが、どの避難所でもアンサンブルは歓迎された。
そしてどの避難所でも、ボランティア演奏のフィナーレは同じだった。
文部省唱歌「故郷」。
マーラーがこの世を去って三年後、一九一四年の歌がいまも広く歌い継がれている。
志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷
アンサンブルの周りには、約五〇名の避難民が集まり合唱をしていた。
楽団のブログが伝えている。
「東和地区は山に囲まれた窪地です。山々が天然の反響版となり、静かな地区全体にまるでホールのように楽器の音が静かに響きました」
(了)
東日本大震災のさなか、職務を果たし続けた全ての方々に敬意と感謝の気持ちを贈ります。
二〇一一年三月一一日、新日本フィルハーモニー交響楽団は、ダニエル・ハーディング指揮のもと、グスタフ・マーラー作曲「交響曲第五番」をトリフォニーホールにて演奏しました。二〇一二年三月一〇日放送のNHKスペシャル「3月11日のマーラー」が詳しく取り上げています。
東京では他に、日本フィルハーモニー交響楽団が、アレクサンドル・ラザレフ指揮のもと、芥川也寸志作曲「交響管絃楽のための音楽」をサントリーホールにて演奏しました。
翌、三月一二日には、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が横浜みなとみらいホールにて、横浜交響楽団が神奈川県立音楽堂にて、それぞれコンサートを行いました。
本文中のブログは、新日本フィルハーモニー交響楽団の記載を引用いたしました。なお現在、リンクは確認できません。
以上、ご紹介いたします。