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このコーヒーを飲み終えたら  作者: 亨利(ヘンリー)


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2/10

第1章 金曜日の晩

 夜も更けた閑静な住宅街。下村達也は自宅の前に立ち、明かりの灯ったマイホームを見上げた。門を開くと、庭に散った桜の花びらが少し舞った。玄関に歩を進めカギを開け、ドアを半開きにしたところで一息ついてから、喉の奥で声を押さえて言った。


「ただいま・・・」


 ・・・・・・。


 家の主が帰宅したのに、待っているはずの妻・紗英と息子・隆志の返事はない。いつものことである。仕方なく黙って家に入った。

 最近の達也は、帰宅時間がだんだん遅くなってきている。仕事が忙しいわけではなかった。なんだか帰宅するのが怖いのだ。妻と会話を交わすことは、ほとんどなくなってしまった。前回会話したのはいつだったか。三か月ほども前のような気がする。息子に話しかけても、最近の中学生はスマホばかり触っていて、父親の話など気にしているのかどうか。相槌を打っているが、まともに聞こえているのかさえ分からない。

 キッチンに行くと溜息をつく、やっぱり今日も食事の用意はされていなかった。シンクには、洗ってない食器がいくつか浸かっている。達也と紗英との関係は冷え切ってしまったようだ。そんなことは解っているが、達也はそれを認めたくはない。だから文句は言わず、自分で夜食を作って食べるだけだ。もっとも冷凍食品をチンするぐらいしかできないのだが、味気ないメニューにまた溜息をつく。でも食後に淹れるコーヒーは、安らぎのためのルーティーンでもある。

 その後、すべての洗い物をしてから、紗英とは別の寝室に向かうのだった。


 翌朝、達也が仕事に行く前、いつも通り自分でトーストしたパンを立ったまま食べていると、外にトラックが停まる音がした。こんな朝に何だろう。キッチンの窓から、外をのぞくと配達員がポストに何か箱を入れるのが見えた。

 出勤前は忙しいのに、土曜日は紗英と隆志はまだ寝ている。バッグを担いでトーストを口にくわえたまま外に出た。門のポストには“メール便”と書かれた薄い箱が突っ込まれていた。

「こんな朝早く・・・」(誰からだろう) 

 達也は差出人を確認しながら、玄関に戻った。荷物に貼られたその送り状の差出人欄には「本城奈美恵」と書かれている。

(紗英の知り合いだっけ? あれ? 隆志宛か。中身は? ニット帽。プレゼントか何か?)

「ふーん?」

 達也はその包みを、スリッパラックの横に置いて、玄関に散らかった紗英と隆志の靴をそろえてから、急いで家を出た。今朝はコーヒーを飲みそびれてしまった。


 達也は、その日の帰りはいつもより早く、明るい時間帯に最寄りの外町駅の改札を出た。

(こんなに早く帰宅するのは久しぶりだな)

 そう思いながら、週末の夕方、人出でごった返す外町駅前のロータリーに出ると、そこで一人の地味な女性の姿が目に留まった。達也より少し年上くらいの女性だが、着ている作業服も不自然、人ごみの中どこか不安そうな表情で、今にも倒れるんじゃないかと思うくらいに、力なく歩いている。

(大丈夫かな?)と、横断歩道で信号待ちをしながら、その女性から目が離せなかった。

 達也は声をかけるのも変だと思って、その女性をそのまま見送ったが、よく考えると自分も今、周囲からは、あんな表情でいるように見えているのかもしれない。

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