灰色の部屋からの脱出 ~Where is the key?~
第124回参加作品
お題:密室のこい(自由変換)、ちっぽけなもの、貴方を探して
目が覚めたら知らない部屋に居た。
灰色の天井、灰色の壁、灰色のタイル床。開かれたクローゼットからは衣類やふとん、タオルなんかが雪崩のようにこぼれていて、小学校のロッカーのように真四角にしきられた棚は、空白の部分が一つもない。置いてある物にも脈絡はなさそうだ。針の無い時計、ヘルメット、ひしゃげた革靴、水槽、木彫りの熊など。部屋の真ん中にはこたつが置いてあって、その上には大小無数の箱が散らかっていた。
僕はベッドで横になっていた身体を起こし、ぼーっとする頭で考えた。どうしてこんなところに居るのだろう、ここに来る前、僕は何をしていたのだろう。だが、どうしても思い出せなかった。
ただ一つ、僕は確信していた。この部屋から脱出しなければならないと。
問題は、この部屋にはドアすらないことだろうか。
僕は抜け道を探して回った。クローゼットの奥を覗き、棚をくまなく調べ、こたつ布団の中も覗き、床のタイルも一枚一枚観察し、何も無い壁も叩いたりして。しかし、秘密の抜け道はどこにもなさそうだった。ついでに、隠し扉があらわれるようなカラクリも、何一つなかった。
僕は壁にもたれて途方にくれていた。この部屋から抜け出さなければならない。だが、方法がわからない。
静まり返った部屋に、ばしゃんと水が跳ねる音が響いた。棚の水槽に居る鯉が身動きしたのだ。三十センチほどの水槽に無理矢理詰め込まれたような一匹の鯉、先ほど覗いたときは、窮屈で不満そうな顔に見えた。
「……飼い主が戻って来るはずだよな」
鯉を水槽に詰め込んだ誰かがいる。ということは、僕以外に何らかの方法でこの部屋を出入りする人がいる証だ。その人が来るのを待つしかないだろう。
――どれほど時間がたっただろうか、それすらもあやふやだ。この部屋には誰も来なかった。黙って待ち続けるのに僕は疲れてしまった。
仕方ない、もう一度部屋を調べ直そう。なにか見落としていることがないだろうか、なにか忘れていることはないだろうか、一つ一つ確かめながら、念入りに。
僕は溢れていた衣類をひっくり返した。しかし何も見つからない。
僕は棚の雑貨を隅々まで見て調べた。しかし変わったことは何もない。
僕はこたつの上の箱を全部開けた。特別な細工は無く、すんなりと開いた。
箱の中からは、また色々な物が出てきた。六法全書、女もののペンダント、猫のぬいぐるみ、それと、スマートホンが二台。上にあった黒い方、それを見た瞬間、僕は無意識に口に出していた。
「……僕のだ」
言ってから、えっ、と思った。どうして僕のスマートホンが知らない部屋の箱から出てくるんだ?
しかし、見れば見るほどに、これは僕のだという実感が強くなる。ただ、画面が割れていて、使い物にはなりそうもない。
でももう一台ある。シャンパンゴールドのスマートホン。
「だけど僕のじゃないから。これは……」
言いかけて、僕の口は「あ」の音のまま固まった。これは、その後に続けようとした言葉が思い出せない。ぞっとしたものが背筋に走った。
頭を振って、気を取り直す。こちらのスマートホンは壊れているようには見えない。電源が入れば、外に連絡を取って、この部屋から脱出できる。
僕は祈るようにして電源ボタンを押した。電源は……入った!
画面が真っ白にフラッシュする。それが異常にまぶしくて、僕は目を背けた。光が目に刺さったような寒色、いっそ頭まで痛むようだ。
でも。僕はおそるおそる画面を向いた。なにかが、いや、誰かが画面に映っている。ホーム画面という雰囲気ではない。これは、テレビ電話ではないか?
「助けてくれ!」
僕は叫んだ。
「助けてって……私はどうすればいいの?」
美しい女性の声で相手は答えた。画面の中の人影は、真っ白に発光する背景の中で、真っ黒に浮かんでしまい、顔かたちはわからない。でもきっと、美人に違いない。僕は確信していた。
だけど、画面を見ていると、とても頭が痛くなる。僕は少し視線を外して、彼女からの問いに答えた。
「わからない。でも、助けてくれ」
「あなたはどこに居るの。どこで、何をしているの」
「わからないんだ。ここがどこなのか。灰色の部屋だ。閉じ込められているんだ。密室なんだ。僕以外に誰も……鯉が居るだけだ」
「鯉」
すると、彼女はくすくすと笑った。
「だいじょうぶ。慌てないで、ゆっくりでいいから、鍵を見つけなさい」
「鍵? だめだ、ドアが無いんだ」
「いいえ。絶対にある。こちらに帰って来る道は、絶対にある。あなたはそれを知っている。だから、その道を開く鍵を見つけなさい」
「そんなの……僕にはわからないよ!」
「だいじょうぶだから。いい? それはすごくちっぽけなものかもしれない、すごく見えづらいものかもしれない。わかりにくい形をしているかもしれない。だけど、必ずその部屋にもあるはず。あとはあなたが見つけるだけ。だから、一生懸命探しなさい。あなたの……を……鍵を」
急にノイズがひどくなり、最後の言葉は聞こえなかった。そして画面の中の彼女は、長い髪を揺らして、遠のくように消えてしまった。後には、真っ白の光。
「……鍵? 僕の、鍵」
わけがわからなかった。僕は頭を抱えた。まだずきんずきんと痛んでいる。でも、それしか方法が無いと言うのなら……僕は鍵を探さなければならない。
僕は再び立ち上がった。灰色の部屋を脱出するために。
僕は探した。どんなちっぽけな鍵かもわからないから、棚の隙間に至るまで、細かく、嘗め回すように。しかし、それらしいものはみつからない。時折めまいが襲って来て、僕は倒れそうになった。
僕は探した。それがどんなかたちかわからないから、箱から出てきたものをひとつづつ掴んで、ひねったり、曲げたりして。でも、部屋に変化は起こらない。物を眺めていると、頭痛がひどくなって、僕はうずくまりたくなった。
僕は探した。一体何を探しているのかもわからないけれど、とにかく探した。しかし、どうにもならなかった。第一、僕は一体、何を探しているのだ?
「でも、見つからないと僕は帰れないから……」
ぼーっとする頭をよそに、口が一人で動く。
「僕の大事なもの。探さないと。この部屋から出る前に、見つけ出さないと。それだけは、置いていけないから。あれだけは、忘れたくないから」
――「忘れ」る? その言葉を唱えた瞬間、自分の中に稲妻が走った。脳の中で光の洪水が起こる。吐き気がして、その場に倒れ込んだ。
「僕は、僕は……僕は、ここは? 僕は、僕? 違う、だから、僕は帰らなければ。帰る鍵? 何を探していた? 貴方は何を探してほしかった? 僕が探しているのは……」
頭が重い。一気に、色々なものが詰め込まれた様に。
だけど、もう少しなんだ。もう少しで、なにかがわかる。僕は鍵を見つけられる。僕が忘れていたそれが、探していたそれが、何なのか。
水が激しく跳ねる音が聞こえた。水槽で鯉が暴れている。大きいくせに、ちっぽけな水槽に詰め込まれた、苦しそうなコイ……。
「コイだ! 僕の……僕の『記憶の扉を開く鍵』!」
僕は水槽めがけて突き進んだ。部屋が歪み、崩れていく。
だけどすべてが溶けきる前に、僕はコイを捕まえた。水槽の中に手を突っ込み、狭い場所から解放した。すると途端にコイは熱くなり、僕の心の中に飛び込んできた。違う、戻って来たのだ、あるべき場所へ。
もう十分だ。帰ろう、こんな灰色の部屋じゃなく現実世界へ。そう、僕が必死に探していたのは――
「――さん!」
僕が叫ぶと、彼女は驚いたように目を開いた。寝転がる僕の周りには、他にも人が居るが、僕は彼女しか見えていない。
「僕は貴方を探していた。貴方への恋心を、閉じ込めておくことはできなかったから、忘れたままにして置けなかったから。……だから、僕はあの部屋で」
「ちょっと大丈夫!? だれか、先生呼んで!」
「おまえ記憶が戻ったのか!?」
「起き上がるなよ、寝てろよ、あちこち折れてるんだ」
友人の声で、僕の神経は目覚めた。全身に痛みが走り、冷や汗が吹き出す。
僕はぐったりとして枕に頭を埋めた。
知らない部屋だ、でもだいたいわかる。白い天井、白いベッド……ここは、病院だ。僕はあの密室を無事脱出したのである。
僕は事故に遭ったのだった。頭を打って、記憶を失くしていた。あの灰色の部屋は僕の心象風景、混濁した記憶が創り出した密室、そこから僕は帰れなくなっていた。
脱出の鍵は、コイだった。僕の胸の中にあった想い。僕が想いを寄せていた彼女――あのスマートホンに現れた女性だ――への、恋心。決して忘れられない想いが、僕を現実に引き戻してくれたのだった。




