92.ガイド関宿城 利根・江戸川を左右に見て
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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昨夜は何だかニヤニヤされたがあまり突っ込まれなかったのが逆に気持ち悪い。
モヤモヤしたけど色々歩き回った上で飲んで喰っててお蔭ですぐ寝た。
そして朝。
朝日に輝く御三階櫓と、その向こうに輝く白い富士山。
日本だなー!凄く寒いけど。
バスコンの雑魚寝モード、あれ全員起きないと朝食の準備出来ないのが玉に瑕かな?
起きりゃいいだけの話だけど。
でも皆で、飴ズと4姉妹って、国籍も人種も、その上生まれた時代も違う皆でわちゃわちゃ過ごして楽しかった!
でも今日で終わりなんだな。ちょっとしんみりする。
あれ?もう時サン起きて魚焼いてる。風呂テント片づけてあるし。
え?今朝は和食?
最後まですみません。
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三々五々皆起きて、ベッドをガチャゴチョ直して天井しまって朝ごはん。
そして関宿城ツアー。
二之丸の楼門、辰門前。南にお寺みたいな鐘楼が建って、開門の時間をキンコンと知らせている。
門を潜り二之丸へ。
三之丸と二之丸の間には広大な水堀が広がるが…
「これ、一々利根川の水を汲み上げてるって書いてあったよ、水車で。何か無駄じゃない?」
「いやいや、城内の水利は必要だからね。結構家臣屋敷建て込んでるし」
「水車って、洪水になったら流されちゃうんじゃないの?」
「そん時ゃ引き上げる様になってたんだよ」
「それ…どこにも書いてなかったよ」
「藩の秘密だったんじゃないかな?」
スーパー堤防から一段低い内側には、今や空き地となっているがかつては家臣団の邸が並んでいた様だ。
てか大手門の北側、長屋門の向こうなんて、牛がいるよ牛が!牧場になってるしー!
武家屋敷牧場?!
「佐倉県北端、今では利根川と江戸川の分岐点にあたる地に建つ関宿城も」
「モー」
「また北条と上杉の戦場でした。徳川入府により家康の異父弟、松平氏が入封し」
「モオオー」
「親子二代で現在の近世城郭に改築しました」
「「「もお~~」」」
「コラ!グラ玉ミキうるさい!」
「「「あははー!」」」
「モオー」
豚温泉に続いて牛牧場かよ!二之丸まで牛の声が聞こえるよ!かわいいなあ!
後で牛乳買ってアイス食べてやる!
「その際、この地は今に残る『でえだら堤』、つまり町ごと堤防の上に作り決壊し辛いスーパー堤防の上に城を築きました。
この工事には全国の大名も参加し、堤防上には鉄道も敷かれ厖大な土砂が積み上げられて行きました。
同時に江戸に流れ込んでいた利根川の濁流も、佐倉県の北を通って銚子から太平洋に流れ込む様に流れを変えられました。
後に『利根川の東遷』と呼ばれる大事業の舞台にもなったのです。
そして度重なる水害から江戸を、明治以降は東京を守りぬいたのです。
しかしこの重要な役割を他所に、城は御三階櫓と数か所の楼門のみが建つだけ。
櫓は無い質素な物でした。
明治以降ここには市役所・町役場も置かれず、蔵や家臣屋敷等は順次減っていき、いまでは時間がゆっくり流れる場所となっています」
「ねー、でーだらって何?」
いい質問だお玉ちゃん。
「関東に伝わる巨人伝説、『大太郎坊子』の訛ったものから、巨人の堰という意味で『でえだら堤』と名付けられました」
「将軍が神様になったと思えば今度は巨人かー!」ランがまた頭を抱えた。
例によって時サンへひそひそ質問タイム。
「勿論スーパー堤防は20世紀末の産物だ。
明治に廃城、破壊された関宿城はフツーに平地にあったから、二之丸以下はそれ以前に町や田んぼや牧場に、そして残っていた本丸はスーパー堤防の下敷きに埋もれたよ」
「古河城とおんなじじゃん!」
「でもそのスーパー堤防の上に、利根川治水に関する博物館としてこれとは全然違うコンクリ製の天守風建築がドーンと建てられたよ」
「何もなくなっちゃうよりはマシねえ」
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二之丸から内堀を渡る。
北の端にはお稲荷さんの赤い鳥居が幾つか建ってる。
お稲荷さんは丁度本丸の向こうになってて見えない。長く伸びた白壁の向こう側だ。
本丸南に開いた極楽橋門へ、そして本丸御殿へ。
これもどうという事のない、質素な物。一時は利根川工事の監督やらで賑わっただろうに。
更に御三階櫓へ。
「これもまた随分質素だねえ」
「壁が白いけど、柱が出てるネ」
「これは真壁造りと言って、柱を見せる工法なんだよ。殆どの城郭建築は、柱ごと漆喰で塗って防火性を上げる大壁造りっていうそうよ
でも普通城の場合、柱も漆喰で塗るんだけど、素の木を見せる、白木のままにするって…
最上階の望楼だけってケースは多いけどねえ」
「なんてか、寺みたいな…」
「窓枠もその白木だヨー」
「味わい深い」またもスケッチするお次さんとグラシア。
そう。この御三階櫓、果てしなく質素堅実なものだった。
初層の屋根、棟側に軒切妻破風の下に出窓、妻側に千鳥破風。
装飾が無い訳ではないけど白木の真壁が、色々と、地味に見せている。
久々に石垣の上に建ってる御三階櫓を見たのに、やっぱ地味だなあ。
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しかし最上階からの眺めは壮大だった。
「うおー!」
「成程ここは交通の要衝だな」
壮大な川が二股に別れ、南へ行く江戸川には巨大な堰が設けられ、洪水の護りとなっている。
江戸川の対岸には御殿があり、その北側には赤煉瓦のモダン建築と港の様な設備がある。
「関宿城の対岸には『関宿関所』が設けられ、江戸川を往来する船の荷物検査が行われました。
今でも水上警察の施設が置かれており、荷物検査から水難救助へ役目を変えて引き継がれています。
そして江戸川の河口に17世紀に初めて築かれ、18世紀から幾度か再築されたのが、あの関宿大閘門です。利根川上流で増水した場合ここを閉め江戸へ向かう水量を調節したのです」
「これも江戸の護りだったのカー…」
「凄い費用かかっただろうねえ」そこ心配するのがスーだよね。
「因みに『でえだら堤防はでえだら無駄遣い』と批判してその費用を近隣貿易に使おうとした幕臣がいたらしいよ」
時サンがニヤニヤ言う。あ、これホラーだ。
「で、ど、どうなったの?」
「裏で近隣国の通信使が美人局みたいな事を幕臣一派に仕掛けてた事がバレで、武士なのに打ち首獄門。
通信使随行員も美人局も打ち首、使節も拷問の末廃人状態で送還。そこから通信使は廃止されたそうだよ」
「スゲー。相手が普通の国なら戦争だよネー」
「戦争する力も無い国だったんだろうね。貿易がストップして餓死者が増えたみたいだよ。
ま、戦争上等だったみたいだし、それ程水を疎かにする政治家って殺してでも根絶やしにしたかったんだと思うよ」
思うよ、じゃなかったんじゃなかろか?時々怖いな時サン。
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最上層の真ん中には、戦国末から江戸初期まで、小さな川を仕切ったり水路を繋いだりして今の流路になった利根川を示す模型図が置かれている。
段階を追って変化する流路が光で示される仕組みだ。
「凄い工事ネー」
「これを400年前にやっちまうんだからなあ」
御三階櫓の他の階ではスーパー堤防の工法について、また関東圏の水上交通についても展示され、例によってランとスーが喰らい付いていた。いや、ミキも何とか着いて言っているみたいだ。
醤油や酒が北関東から、太平洋岸から流通していた展示品なんかは昔の香りが感じられて楽しい。ヤ○サ醤油とか昔TVでCMやってたなー。
「皆さん、琵琶湖から淀川を廻ったら楽しいでしょうねえ」
「よーし行こうか」「「イコーヨ!!」」
「だから費用が!」「あのバスコンならかからないぞー」
「あー何だか行く未来が見えて来るよー!」
今度は私が頭を抱えた。
あ、飴ズが目を輝かせてこっち見てる!
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※兎に角色々地味な関宿城、復元図も少なく、そういう城であっても余す事無く復元図を描かれている偉大な余湖くん様のページより。
http://yogokun.my.coocan.jp/sekiyado.htm
※御三階櫓は正保城絵図に記載された真壁造りの記述を正としています。
現実では18世紀に火災で焼失し、富士見櫓を模した下見板張りの御三階櫓が再築されていますがこの世界では初代御三階櫓がそのまま残っています。
※利根川の東遷は実際の歴史通り(大閘門は勿論明治の建築です)ですが、スーパー堤防=高規格堤防は昭和末期に利根川はじめ荒川、多摩川等で建築が開始されたものです。
※劇中の汚職事件は架空ですが、今世紀に聞いたような話です。
尤も現実の日本は加害者の人権は無敵で被害者に人権は無いので、加害者は何一つ罰せられていません。
「法が裁かぬ悪は映画で裁く」とは石井輝男御大のお言葉。見習いたいものです。
※尚、関宿関所は実在しましたが、今では痕跡を見るのも難しく、劇中にある様な水難救助施設は完全な架空の産物です。
※現実と色々かなり違いますが、利根川の東遷や治水工事、水害に対する民間防衛等の展示は、関宿城博物館で分かりやすく勉強できます。
ヤ○サ醤油は…関宿城博物館にあったかな?何せ銚子の蔵なので。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




