85.ガイド東照宮 豪華絢爛、権威の頂点
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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高速は街の北で左右に分岐、西側の日光道へ曲がる。
山間の道でまたまたカラオケ大会、そしてバスコンは日光の町へ。
洋館の国鉄日光駅、そしてスイスの山小屋みたいな巨大な三角屋根の東武日光駅を横目に見て、路面電車と仲良く並んで日光山へ。
川には車道の橋と並んで赤い橋が。
「左手をご覧くださーい!あれが世界遺産、日光東照宮の入口、神事でのみ通行できる神橋でーす」
神橋を眺めつつ橋を渡る。そして、東照宮のある山をぐるっと回って、山というか森の中へ。
輪王寺の駐車場で下車。
「東照宮は、徳川幕府の開祖、徳川家康を東照大権現という神として祀る神社、仏閣の総称です。
全国にある東照宮の総本社です。
この地には8世紀から日光男体山、女体山を神と祀る二荒山神社、そして同じく二荒山を祀る満願寺がありました。
そこに徳川家康の遺言に従い、二代秀忠の手で久能山東照宮に続き一周忌の時に東照宮が建設され、更に三代家光が豪壮な今の姿に全面改修し、朝廷から満願寺は輪王寺の寺号を賜りました。
更に家光自身も遺言で輪王寺の奥に大猷院を建て、これら社寺の総合体として、日光山と称し東照宮を中心に関東の信仰を集めています」
「城だけじゃないんだなあ!大したもんだよ!」
スーが褒める。
「いや、これ思いっきり戦国とか城とか密着しまくってるじゃないですか。
それに上野寛永寺や芝増上寺が江戸城の出城の機能を持っていたのと同様、この東照宮も北関東の詰めの城としての機能を持ってたしね。
城の延長線上みたいなもんだよ」
「いやいや司ン、中々流暢だしプロみたいだぞ?」「「カコイー!!」」「流石ですわ」
「えへへ、照れるな~」
と見ると、ランが複雑そうな顔してる。
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中央の広い参道へ。
巨大な石鳥居、その左手に赤い柱、赤い壁、軒裏の組物は極彩色、更に軒は金瓦という豪華な五重塔が建つ。
その先の石段の上に左右を仁王が守る表門に入る。
参道はクランク状に曲がる。
「参道右手の上中下の三つの神庫の軒下には、像や麒麟といった空想の動物、そして左手の神事に用いる馬を治めた神厩舎には人の人生を寓話にした猿が彫刻され彩色されています」
この辺は修学旅行なんかのバスガイドさんと言う事があんま変わんないなー。
そして見上げる石段上の、白と金と彩色の、陽明門。
「「「ホワ~!!!」」」只々茫然とする飴ズ。
「やっぱすごいな徳川は」「太閤様も御隠居様も凄かったですよ?」「ちょっと凄さの違いがあるねー」「イスパーニャには無いスゴサ!」勝手知ったる4姉妹。
対照的だなあ。
「当初家康一周忌に秀忠が建てた東照宮を、三代家光が全て建て直した、所謂寛永の大造替によってこの豪華な建築群は誕生しました。
これは徳川の威光を世間に示し、自らを天皇家に替わって神格化させようとした家康の遺志に、極めて適切な対応を取った物でした」
「ねえ司ン」ランが聞いて来た。
「ここは寺なの?ジンジャなの?」
仏教の国から来たランにとって大事な事なんだろうな。
「ここ、東照宮は神社です」
「じゃあ、徳川家康は神様?人間じゃないの?」
「日本では、人は死んだら神様です。
特に偉業を成した人は天皇家から位を授かり、中には神相応の位を授かる人もいます。
徳川家康は、『正一位東照大権現』と神様の名を授かっています」
「天皇は神を決められるの?王様とは違うの?」
「天皇は国際的には皇帝、諸国を統治する者と区分されます。
同時に日本の神社、神道を統べる最高位の神主です。
実際の政治に対する発言力は無いけど、権威だけはあるのよ」
「死んだら神様カー。なんか神と人が近いネ日本ハ」
「それが日本だよ」
とか話しながら、陽明門を潜ると、周囲の彫刻が凄い凄い。
み~んな口をポカ~ンと開けて上を見るしかない。
「砂糖のお菓子みたいでおいしそー」
食欲魔神お玉ちゃん、そのままでいてくれ。
更に陽明門の先はこれも白をベースに金細工の唐門、その左右に続く黒漆と極彩色の彫刻に彩られた透塀。
その奥にあるのは、棟の熨斗(棟の上、屋根の斜面の合わせ目の上を覆う横長の部分)を金色に包み、銅瓦を漆で黒く塗った拝殿。
勿論軒瓦は金箔張りで、瓦建築では最高の格式だ。
「ほわー」
「ここは物凄いトコロだヨ」
「京大仏の大きさや大坂城の千畳敷の豪華さにも目が回りそうですが、この東照宮も素晴らしいですわ」
「御隠居様や鼠も凄かったけど、江戸城吹上の御三家御殿といい、徳川の生産能力バグってないか?」
4姉妹も驚く。
「そうだよお次さん。戦国末期から17世紀前半の日本、金銀輸出量とか兵器生産量、その上城や巨大な寺にこんな装飾御殿。
フォロ・ロマーノとかサンピエトロ寺院とかベルサイユ宮殿とかと並ぶアタオカパワーじゃね?」
スーが食いつく。
「それを言ったら中国歴代帝王の宮殿とか地方の城市とかも大概なんだけど」
「そりゃ中国は人口とか生産量の桁が違うからだよ。日本は独特じゃね?」
「そーダヨ!カンボジアのアンコール遺跡とかも長続きしなかったヨ!
雨と貯水池の問題だけど、日本だったらどーしたか」ランも食いつく。
「それこそ歴史のifって奴だよ」
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透壁をグルっと回って、拝殿へ参拝。
そこは光の洪水。
「「「ほわー」」」
再び口をあけるしかなくなった一同。
今まで見たどの城の御殿よりも豪華な、黄金の装飾、龍や麒麟等の壁画、金の柱。
徳川幕府の権威がこれでもかと固められた上に更に飾られたかの様な手芸、工芸の連続。
「言葉を無くす、ってのはこの事だな…」
「これが幕府の本気か…」
「東照宮の中心は、今私達がいる一番手前の拝殿、あの黄金の扉の向こうにある本殿、両者をつなぐ扉手前の石の間の三棟から構成されます。
東照宮のこの様式は権現造りと呼ばれます。
江戸時代、諸大名ですら参拝できるのはここ拝殿まででした」
「アユタヤのワット・プラシーサンペットが破壊されていなければッ…」
「タイにはワット・アルンとか凄いと寺が沢山あるじゃないよ」
「フィリピンには自分達で築いた遺産なんて無いネ」
「これから造るんだよ」
ランとミキを何故か励ましているスー。立派だ。
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「あ!猫だー」「カワイー」
唐門脇、眠り猫で有名な坂下門を通って、樹々の生い茂る坂道を登っていく。
「この上に、徳川家康がいるのかー」
「じゃああの豪華なハイデンは何だったの?」
「あそこで全国の諸大名が家康に祈るんだよ。そして将軍だけが入れるのが、この奥社」
「ショーグン、分身の術!デゴザル!」
「ちょっと違うかな?」
「イスパーニャなら、おっきなカテドラル建てるネ。
ハポンは、建物を分ける、プレゴンタールセ(不思議)、ヒィ~」
段々皆息が上がって来る。
「徳川家は、江戸にも、大きな寺、二つ、建ててる、からね。はぁ~」
やっと上ったそこにあるのは、奥社拝殿、その裏に青銅の宝塔。
静かな樹々の中、空気が凍った様な厳粛さがある。
「ここが、家康公の遺骨が納められていると言われる、青銅製の奥社宝塔です。
歴代将軍のみが参拝を許される、聖地です」
「誰でも普通に入れる今っていうのが、特別なんだろうね」
「ノブナガやヒデヨシの墓って、どんなだろうね」
スーが尋ねた。
「織田信長は安土城に連なって建つ摠見寺に豪華な霊廟が建ってるよ。
今でも織田家の一族が参拝してる。
豊臣秀吉は、家康同様死後神様として朝廷から正一位を賜って、京に豊国神社を築いたよ。
大坂の乱で一族が京を去って、移封された九州の日出城の隣に移築された。
そこも、豪華だったし大きかった。建物の大きさならさっきの本殿、拝殿以上かも」
前の旅行で訪れた安土城や日出城を思い出しつつ説明した。
「ほおー」
「鼠は派手好みだからね」久々のお次毒舌だな。
「そういや最初の東照宮を今のに建て替えて、前の建物どうしたのかな?」
「捨てちゃったら勿体ないネ」
「え~…それはだね」
「今回は通過しちゃったけど、高速近くの太田市に世良田東照宮というのがあって、そこに移築されているよ」
「オー、リサイクル!」
「そこまで調べてなかったよ…」
やっぱこの歴史を歩いて来たスーパーオヤジには勝てないなあ。
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※現実世界ではユネスコによる「日光の社寺」の記載は1999年、ギリギリ20世紀ですが、この世界では第二次大戦に日本が参戦せず日本文化の国際的評価も高かったためもっと早く記載されています。
※本来なら東照宮見物の際、日光二社一寺として東照宮、二荒山神社、大猷院を含む輪王寺の区分を説明すべきですが、これは明治の廃仏毀釈の結果です。
史実より緩やかに明治を迎えたこの世界では後で登場する四本龍寺を含め混然一体の「日光山」として認識されています。
※通常、久能山等他の東照宮と区別するため日光東照宮と呼ばれますが、正しくは「日光」を付けず「東照宮」と呼んでいました。
※ランが悔しがってたアユタヤ王朝の信仰の中心、ワット・プラシーサンペットは18世紀中盤の泰緬戦争(対ビルマ戦戦争)で破壊されたので、日本とは事情が異なります。
パゴダ(仏塔)は荒れ果てながらも残っていますが、堂は柱を残すのみです。
またフィリピンの文化財はスペインによって建てられた教会や城塞跡なので、ミキが諦めの境地でああいうのも解る気がします。第二次大戦まで独立国でなかったので無理もないけど。
とは言えスペインが残したバロック様式の大聖堂群、一度行ってみたいものです。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




