84.ガイド館林城・宇都宮城 将軍由縁の城二つ
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
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朝。やっぱり温泉効果か、寝覚めスッキリだ。
朝食は広間でバイキングか。
今年温泉何か所入ったか、いやはや凄く贅沢な一年だなー。
これも時サンのお蔭…
「5人目」
やめい、私は普通に結婚して、ってそれすら未だロクに願望が無い。
「おはよう司さん」
「うひゃあ!」イキナリ来るなよ時サン!
だが…よく見てもオッサンはオッサン。惚れる要素ないなあ。
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宿の方々が見送る中、バスは元来た道へ。
そしてチェーンを外して圏央道を東へ、館林へ。
高速から降りて程なくすると、東武線が見える。
駅と反対側に曲がった先には、ビル街を抜けて突然古い町並み。川越っぽいかな?
道を進むとその先に堀、そして大手門。
車道は大手を避ける様に城内へ突っ込み、土塁を切り拓いて城内へ。すると歩行者用以外に信号機が無い交差点に。あれ?
「これラウンドアバウトだよ。丁度大手門を中心にしてグルグル回る道が出来てるね。
で、ここを左折すると江戸時代の大名小路、メインストリートだ。
武家屋敷の壁や長屋門が並ぶ広い道を進むと、右手長屋門脇が広い駐車場。
そこで下車、屋根と壁に囲われた橋、廊下橋に正面を向いて立つ櫓門の千貫門を潜って三之丸。
そこには市民ホールに図書館が建つ。
「上杉、北条が争ったこの地も16世紀末に徳川領となり、徳川四天王の榊原康政が城を築き、17世紀中ごろに4代将軍家綱の弟、『生類憐みの令』で有名な後の5代将軍綱吉が入場し、今の館林城に拡張され、本丸に三重櫓も上げられました」
「ショーグンの城だったのかー」
「ショーグンになる前の、ね。とはいえ徳川綱吉は殆ど江戸にいてこの城には日光参拝の途中5日しか住んだことが無いみたいね」
堀を挟んだ南側には二層櫓、正面の二郭門を通って二之丸へ。ここは市庁舎。
更に廊下橋とその先の瓦門とそれに続く長い多門櫓、北に三重櫓、南に二重櫓。
入った先は本丸の南を守る御厩曲輪、北に水堀を挟んで本丸唯一の門、本城門。
そして御殿。
内部は、将軍家の弟君の城だけあって、中々ゴージャス。
「こういう豪華な御殿も御在所以来だね」
「天下人規格、とでもいうべきかねー」
三重櫓からの眺望、それは忍城を思い出すものだった。いや、あそこよりもっと沼が広いかな?
「これも沼?」
「そう、城沼って言うそうだよ」
見下ろす城内には二重櫓が点々と建っていて、関東の城ながら西国っぽい感じがする。
時サンが来た。
「元はこの北側もこの本丸から三之丸までの倍近い『城内』っていう武家屋敷街があって、駅から大手門までが城下町を堀で包む、巨大な惣構だったんだ。
今では市街地になったけど、それでも主要部分が残ったのは有難い話だ」
「…やっぱ跡形もなく?」
「まあ、三之丸の隣、薬医門の土橋門とその左右の土塁だけは復元された」
「悲しいねえ」
「綱吉の子徳松が夭折して館林藩が廃藩になって城自体が取り壊された。
その後六代将軍…誰だったっけ?の弟、…誰だったっけが再建したけど三重櫓は二重に縮小された。
最後は明治で取り壊し」
「そういう物なんだね、実際の城は」
今、あちこちで城巡りできるなんてのも、この目の前の中年オヤジが織田信長を説得して旧物を保存する様決めさせたからなんだなあ。
そう思うと、日本の文化財の大恩人を目の前にしてるって実感が…湧かないなあ。
「あ!あそこにも堀に下りる門があるヨ!」
「船に乗れるみたいだね」
「「イコーヨ!!」」「いいねえ、湖上から眺める城」グラ玉もお次さんもノリノリだ。
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三重櫓脇の水門から遊覧船が出ている。
「こうして見上げると、中々」
「昨日の沼田城程じゃないけど、イイネ!」
船は東へ進み、城の東端、八幡曲輪を過ぎると南へ。
そして城沼の中ほどで西へゆっくり進む。
沼、というか湖に浮かんだ石垣の城、その上に並ぶ白亜の櫓群は、まるで西の城みたいだ。
「いいネー」「優雅だナー」「忍城にも遊覧船あったかも」飴ズも喜ぶ。
スーだけいつも何て言うか理性的と言うか。
「琵琶湖の船旅を思い出します。楽しかったわ、司さんのお蔭で」
最初、辛そうにしていたお延さん、お次さんの事を思い出す。
今ではすっかりご機嫌なお延さん、グラちゃんと必死にスケッチするお次さん。
吹っ切れたんだろうかな?
「ありがとな、司ン」
光速の腕を止めずにお次さんが言う。
「こんな豪華旅行に連れてきてもらってんだから、お易い御用ですよ…」
何となく恥ずかしく、可笑しくなって、笑って返した。
船はのんびり三之丸を回り、三重櫓へと戻った。
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一行は東北高速で今度は宇都宮へ。
日光参拝最後の泊地、宇都宮城だ。だが。
「丘かナ?」
「丘だネ」
一際高い丘、の様な本丸の塁上に、二層櫓が点々と。
その手前には二之丸の中堀と二重櫓が点々と、そして石垣で固められた櫓門の二之丸門。
かわいいっちゃかわいいけど、迫力は今一つだねえ。
「えー、ここ宇都宮城は中世に500年に亘って宇都宮氏が居を構えていましたが羽柴秀吉によって追放され、17世紀に徳川臣下の奥平氏、そして徳川四天王の本多正純が配され、正純の手でこの宇都宮城が築かれました。
この地は徳川将軍家の墓、日光東照宮の玄関口であり、将軍参拝の宿所となりました。
そのため本丸の土塁は本丸御殿を隠すかの様に高く築かれ、その上に天守代用の二層櫓の清明台と、他に富士見櫓はじめ4基の二層櫓が築かれました」
「えー?!あれ天守の替り?」
「ちっちゃ!ちっちゃ!」
「藩の政治は正面右手にあった二之丸御殿で行われましたが、今では解体され宇都宮県庁、市庁の敷地となっています」
「あのちっちゃい櫓が天守替わりって、なんだかネー」「ネー」
「それよかあのサーカス小屋みたいな八角塔の方がインパクトあるわー」
旧県庁、現市庁の偽洋風八角堂、二階建ての堂の上に小さい3階が乗っているが中は4階建てかな?中央に尖塔状の時計台があり、左右に別の洋館を従えている。
「おめでたい雰囲気だね~」
「すごいな。城なのに明治以降の建物に派手さで負けてるとは…」
旧県庁は明治建築にしてはトンチキなおめでたさがあった。
「ワットみたい!パゴタみたい!」ランの目が輝いた!
そういう見方もあるのか。
なお、本丸の御殿、通称御成御殿は、小田原城や高崎城の本丸御殿と同様、将軍家ご宿泊に相応しい豪華な御殿でした。
「今尚徳川公爵が日光を参拝する際、この御成御殿に宿泊されています」
「流石伝統の国日本!でも警備とか大変だろうねえ」
スーが感心半分、心配半分に言った。
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「ちなみにここも」
「一時完全に地上がから消えた。でも本丸跡に巨大な防災シェルターを作るって名目で清明台と富士見櫓、その下の土塁と内堀は復元されたよ」
「堀や土塁も復元って、なんだか無常だよねえ」
「戊辰戦争で焼けた地でもあるしね。それでも土塁はコンクリ、櫓は木造って変な形でも復活したのはよかったもんだよ」
「街から城が消えるってどんなんだろうね。元々私の町には城なんてなかったから解らないわ」
「私もそうだよ」
「「「うまうま」」」
グラ玉ミキを筆頭に、みんな必死に餃子食べてた。
次々皿が到着する。
宇都宮と言えば餃子だ。う~ん、タマラン!
「ビール、私に気にせずどうぞ」
スマートに時サンが勧める。
「ん~私は言い出しっぺだから時サンに付き合うか…」
「「「じゃカンパーイ!」」」
あっちは乾杯を始めやがった!
ちっくしょ~!ウマそうだー!
「ん~、私も中生一丁!
許して時サン!」
「どぞどぞ」
バスは高速に戻り、北へ向かった。
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※今ではほとんど姿を消した、水辺の巨城館林城。その姿は下記サイトで見られます。
有志で在りし日の館林城を偲び、いつの日か復活を望む、という静かに熱い心を感じるサイトです。
全体図は
http://w-concept.jp/tatebayashijou/about.html
本丸、二之丸等各部分をクローズアップしたものは
http://w-concept.jp/tatebayashijou/gallery/top.html
の左欄から名前をクリックして選択
※宇都宮城本丸・二之丸の復元図は下記の通りです。
https://castlejp.web.fc2.com/02-kantoukoushinetsu/27-utsunomiya/utsunomiya.html
※実際の栃木県庁は大正期のもの(栃木市)と昭和期の4代目(宇都宮市)の中央部分が移築され残っています。
作中では明治のトンチキな2代目県庁、そして4代目の全部分が現存し、前者は市庁舎として機能している設定です。なお、史実での県庁の場所は劇中とは異なります。
下記がその2代目県庁です。カッチョイー!
https://chusapo.chusapo.jp/archives/3668
※宇都宮城と言えば釣り天井ですが、幕府は平和裏に開かれた事等々あって、この世界では本多正純と二代秀忠との対立も無く、そういう陰謀論が生まれる素地もなかったため、この物語には存在しません。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




