第46話 動き出す事態
――王城 謁見の間
王城では騎士を含め、あらゆる者がパニックに陥っていた。そんな中、国王はさすがと言うべきか、的確な指示を出していく。
「くっ……皆の者、慌てるでない。症状の軽い者は直ちに救護に回れ!」
「失礼ながら陛下! 救護に回せるほど症状の軽い者はおりませぬ。皆、この場より動くのが厳しいかと……かく言う私も、耐えることが精一杯であります!」
騎士団長が隠すことなく己の状態を明かした事で、国王も事の深刻さに頭を悩ませるのであった。
しかし、深刻な雰囲気を出しているその場に現れたのは、予想だにしない者だった。
「あらあら、あなた? 随分と苦しまれているようですわね」
「「!!」」
国王も騎士団長も驚きを隠せないでいた。自分たちでさえ、耐える事に精一杯であるのに、そこへいつも通り歩いて王妃が現れたのである。驚くなという方が無理である。
「マリアンヌは平気なのか? もしかして、この威圧はマリアンヌが?」
「あなたったら……私が中心だったら、ここにいる人たちは気絶しているわよ? 威圧は中心に行けば行くほど、濃密になるのですから。まぁ、熟練の人はそれに指向性を持たせることも出来ますけど」
「そもそも、何故お主は無事なのじゃ? 魔導具か?」
「そのようなものですわ。と、言いたいところですけど、それを出せと言われたら困りますからね。魔導具は使ってませんわよ。魔法も。」
「それなら何故……?」
国王は、王妃が二つ名持ちの元A級冒険者である事を知らず、不思議に思う一方であった。
「それよりも、大変で重要な事があります。この威圧、恐らくカロトバウン家に名を連ねる者です。」
「「!!」」
国王と騎士団長は再び驚愕する。誰かがカロトバウン家の怒りを買ったのか? 国が滅びる覚悟をしなきゃいけないのか? と、いくら考えても思考がグルグルと答えを見つけ出せずに、回るだけだった。
「もしや、この国は終わるのか? こんな……ところで……」
「それは、この威圧を放っている人次第でしょうね。気休めかも知れませんけど、少なくともサラ夫人のものではないですよ」
「それは、まことか!? サラ夫人じゃないなら、一体誰が……」
国王にとっては、カロトバウン家で最も注意すべき人物は、サラ夫人であって、他の者たちはそこまで注意を要する強さではないと踏んでいた。そんな考えを否定する様な王妃の発言は、看過できるものではなかった。
「私の予想としては、恐らくケビン君でしょうね」
「ケビン君じゃと? あの年端も行かぬ子供が、これを放っているとでも言うのか?」
「消去法です。それで残るのは、ケビン君しかいませんから」
「消去法じゃと?」
「ええ、そうですよ。まず、カロトバウン家当主は省かれます。同じく夫人もです。残るは学院にいる子供たちですわね。アイン君は聡明で理性的なので省かれます。カイン君は武力よりですけど、同じく理性的なので省かれます。残るは、シーラさんとケビン君です。シーラさんは疑わしいのですが、怒る理由はサラ夫人同様、常にケビン君絡みになりがちです。そして、魔術師タイプですので威圧は使えますが、効果範囲はここまで広くありません。となると、残るのはケビン君ですわ」
「そうだとしても、ここまで効果範囲を広げられるものなのか?」
「いえ、ここまでのは初めての体験で異常ですわね。潜在する能力的には、将来サラ夫人を超えると思いますよ。これからが楽しみですわね」
王妃は旧友の子供の成長を楽しんでいるが、国王からしたらたまったものではない。サラ夫人だけでも手に負えないのに、そこにもう1人息子が加わるというのだ。
「はぁ……マリアンヌは気楽で良いな。儂は悩みの種が1つ増えたぞ」
「ふふっ、それが国王たる者の仕事ですよ。疲れた時は私が癒してあげますから、存分に働いてくださいな」
「とりあえずは、嵐が過ぎ去るのを待つとしよう。お主の顔を見たら、ほっとして先程までの辛さもない」
「あなたを癒せたのなら、私もここへ足を運んだ甲斐があったというものですわ」
最初の喧騒が嘘かのように、城内のパニックは終息に向かった。王妃が、何故何ともないのか上手く話を逸らされたために、国王は理由を聞くこと自体忘れてしまった。
そのことに王妃が、話を逸らした甲斐があったと安堵していることは、誰も知る由のないことである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――学院
高等部1年Sクラスでは、初等部ほどではないにしても、少なからず被害を被っていた。
「みんな落ち着いて、気力をしっかり保つんだ」
担任の教師が、まだ意識を保てている生徒たちに、威圧に対する対処法を教えていた。そんな中、1人の生徒が立ち上がる。
「アイン君、席につきたまえ。いくら君が強かろうとこの威圧の中では、何をすることも出来まい」
「すみません。先生の気持ちは有難いのですが、急を要する事なので行かせてもらいます」
そのまま何事もなかったかのように、アインは教室を後にする。
「こんな威圧の中でも動けるとは、《賢帝》の名は伊達ではないということか……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
同時刻、中等部3年Sクラスでは、同じように威圧の対処法を教えこんでいた。
「こんな機会は滅多にないから、威圧に負けない対処法を身につけるように。気力で負ければ、そこら辺の生徒同様に意識を失うぞ。動こうとするよりも、先ずは耐えられる気力を持つことを目指すんだ」
クラスや学年が違えば、教え方もまた違ってくる。個々の教師によりそれは顕著に現れていた。
共通して言えることは、教師自体が動けるほどの、耐えられる威圧ではないというところであった。
ここでもまた、1人の生徒が単独行動に出た。
「先生、用事が出来たので行ってきます」
「お……おい、待て! カイン!!」
カインは、教師が呼び止めるのを振り切って、1人教室を後にするのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ところ変わってEクラスでは、一部を除き全ての生徒は口から泡を噴き倒れ込んでいた。
一部生徒は粗相までしていて、まさに地獄絵図そのものを体現しているようであった。
「くっ……あ……」
担任教師も例外ではなかった。他の生徒同様に等しく威圧を受け、辛うじて意識を保つ事だけで精一杯であった。
中心地にいながらも、意識を保てているのはさすがと言うべきか、それとも責め苦を受け続けて不運と言うべきか。
『マスターっ! マスターっ!』
『……』
『落ち着いて下さいっ! マスタァァァーっ!!』
『……』
サナの必死の呼びかけにも、全くの反応を見せない。頭に直接呼びかけているにも関わらず。
ケビンの周りも酷い有様であった。カトレアはもちろんターニャや姉であるシーラまでもが対象となっている。
「ケ……ケビ……ン……君、お……落ち……着い……て。利用……しよう……とした……ことは……謝……るか……ら……」
その言葉に僅かな反応を見せ、発言した者へ視線を向ける。
「――っ!」
そこには一切の感情が窺えない、とても冷たい眼をしたケビンに、まるでゴミクズを見るかのような視線を浴びせられ、カトレアは言葉に詰まったと同時に意識をなくした。
「ケビン?……怒っている……の?……お姉ちゃんの……せい?」
シーラは立つことは出来ないにしろ、何とか座り込んで耐えていた。会話も片言にしかならず、割かし聞き取りやすい言葉を発していた。
「……グスッ。私が……私のせいで……」
ターニャは、ケビンがおかしくなったのは、自分のせいだと責め続け、混乱から立ち直れておらず、泣いたままであったが、なんとか意識を保っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――屋外
その頃、初等部近くでは、2人の生徒が気力を振り絞り全力で走っていた。いつもなら、生徒の安全性のため、走るなと注意を受けるのだが、今は注意する教師すらいない。
視線を周囲に向けると、あちらこちらで気を失っている生徒に、座り込んで耐えている生徒、何とか動き立ち上がろうとする教師、あまりにも被害が甚大であった。
「アイン兄さん、思ったよりもヤバいんじゃないか?」
「そうだな……外でこれなら中に入ったら酷いことになっているだろうな」
「何でこんなことに……優しい子なのに」
「こればかりは、確かめないとわからないことさ。じゃないと、あの子が無差別に威圧するわけがない」
そんな会話をしつつも、次第に初等部の校舎へと近づいて行った。
「見えてきたな」
「くっ、思った以上にきついぞ……」
「ここからは慎重に進もう。カインも無理はするなよ」
校舎の入口へとたどり着き、中へと歩みを進める。先ずは、1年の教室が見えてくる。当然の結果だが、辺りは静まりかえり人の声すら聞こえない。これだけで、誰も意識を保てていないことがわかる。
「き……きついぞ、これは」
「そうだな……ここまで成長したことを、喜ぶべきか判断に迷うな」
「アイン兄さんは、まだ平気そうだな」
「弟の前で格好悪いところは見せられないだろ? 痩せ我慢さ」
「ハハッ、冗談が言えるなら、大したもんだよ」
それから2人は廊下をどんどん突き進む。2階へ上がる階段を見つけると、そこへ進むのだが、威圧がより強さを増してきた。
「これ、辿り着けるか?」
「何としてでも辿り着かないとな」
2階へ上がると酷い有様であった。廊下から見える教室の中には、意識のあるものはいなかった。皆、泡を噴き出し倒れていた。
「くっ、ちょっとヤバい。これ、気を抜いたら意識を持っていかれそうだ」
「さ、さすがにスタスタ歩いては……行けそうにないな」
一際威圧の強いところまで来ると、ドアに手をかける。
「開けるぞ」
「あぁ……」
(ガラッ)
教室の中へ足を進めると、そこに立っていたのは見る影もない、変わり果てたケビンの姿であった。
「「ケビンっ!」」
2人が駆け寄りケビンに声を掛ける。ジュディはこの事態での来訪者に目を見開いた。普通にここまでやって来れる生徒が、いるとは思わなかったのだ。
「お……お兄様……」
2人が視線を向けると、ケビンの傍らには、シーラが座り込んでいた。
「シーラ、何があった?」
「ケビンが……おかしくなったのは……私の……せいかも……しれない……うぅ……グスッ」
信頼する兄たちが、来たことによる安堵感だろうか? 緊張の糸が切れたシーラは泣き出した。
「……グスッ」
シーラとは別に声のする方へ視線を向けると、別の女の子が泣いていた。
「この子は確か……シーラと一緒にいる子だよな?」
「そうだね。何故、この子まで泣いてるのかはわからないけど。」
「わた、私のせい……」
「この子も、私のせいって言っているみたいだけど」
「流石に《賢帝》と言われた僕でも、状況が掴めない。とりあえずケビンを正気に戻そう」
兄たち2人は、泣いていて話の進まない妹とその友達よりも、現状を打破するために、ケビンを先ずは何とかしようと考えた。
「ケビン、僕が分かるかい? 威圧を解いてもらっていいかな?」
アインはケビンの威圧を間近に受けて、額に汗を滲ませながら説得を試みるが、ケビンの反応は薄く視線を向けられると、そこにはいつもの面影はなかった。
無機質な顔をしており、一切の感情が読み取れなかった。こんなことは1度もなかったので、アインは若干の焦りを感じ始めた。
「不味いな……」
「兄さん、何か良くない事が起こってるのか?」
「何があったかわからないが、強い怒りの感情を抑えきれずに、無差別に威圧を放ったんだろう。その結果、愛想が尽きてケビンの感情が希薄になってる」
「感情が希薄に?」
「早い話が、周りのことなんて、どうでもいいと思っているんだ」
「何でそんなことに……」
「とにかく何とかしないと、ムカつくやつらを手当たり次第に、攻撃しかねない」
「そんなことするわけないだろ! ケビンだぞ!」
「今の状態は、いつものケビンじゃない。どうでもいいと思っている状態だから、普段ならしないようなことでもするかもしれない」
「それなら早く何とかしないと! 兄さんなら何か良い方法思いつくだろ」
「無理だ……」
「何でだよ! 俺たちの可愛い弟だぞ!」
「さっきのケビンの顔を見ただろ? もう俺たちを兄として認識していない可能性がある。路傍の石を見るような目付きだった」
それを言われてカインは思い出す。アインが呼びかけた時に見せた視線を。何とも思っていないような、無機質な視線を……
「ケビン! 俺だよ、カインだよ!」
無駄だとはわかっていても、呼びかけは止められなかった。自分たちの大事な弟がおかしくなっているのだ。何としてでも助けてやりたかった。
「頼むよ、ケビン……昔のように笑ってくれよ……カイン兄さんって呼んでくれよ……」
「……グスッ……ケビン……ごめんなさい……私が……責めたから……」
「“責めた”って……何したんだよっ! シーラっ!」
カインの怒声にシーラはビクッと身体を震わせ、ますます顔を俯かせる。
「落ち着け、カイン。シーラ、何を責めたんだい?」
「……ターニャがケビンのプライベートをバラしてしまって、それに対してケビンがそんな事してたら嫌われるって言って、ターニャが泣き出して……私やここの女子たちがそれを責めだして……そしたら、ケビンが拳を握ってて血が出てたから、いつもと違うと思って、声を掛けようとしたら威圧が放たれて……」
「そういうことか。大体の状況は掴めた。それで、そこの子は『私のせい』と泣いているわけだ」
「ふざけるなよ! ケビンのプライベートをバラしておいて、ケビンを責めるのはお門違いだろうがっ!」
「「ひっ!」」
シーラとターニャは、自分たちのしでかしてしまったことを理解はしているが、カインのあまりの剣幕に悲鳴を上げてしまった。
「カイン、気持ちは分かるが落ち着けよ。僕も腹が立っているが、我慢しているんだ」
「くそっ! それで、原因はわかったけど、兄さんは何か手を思いつかないのか?」
やはり自分よりも兄の方が、考えることに向いていると自覚しているのか、カインは打開策を聞いてみるのだが、返答は芳しくなかった。
「解決策はまだ思いつかない。だが、現状を維持しておかないと、これ以上進行してしまうと後戻り出来ないと思う」
「現状維持って何するんだ?」
「必死に呼びかけるしかない。反応は薄いが、反応しているって事が重要になってくる。まだ、ケビンの中でも葛藤しているってことだろう。反応がなくなったら……」
「なくなったら、何だよ?」
「命懸けでケビンを殺すしかない……」
「殺すって……何で弟を殺さないといけないんだよ!」
「仕方ないだろ! ケビンを大量殺人の犯罪者に仕立てあげたいのか! どうでもいいってことは、下手すれば魔物みたいに、人を何とも思わずに殺すことだってやるかもしれないんだぞ! 俺だって殺したくないよ! 可愛い弟だぞ! 兄として犯罪者になる前に、今まで生きてきたケビンとして、せめて綺麗なままで殺してやるくらいしか、してあげられる事がないんだよ!」
「くっ……ケビン! お前は強い弟だろ! こんなところで簡単に人生投げんなよ! シーラには俺から説教してやるから、元に戻れよ!」
「ケビン、お前は自慢の弟だ。闘技大会でFをEにクラスアップさせたことなんか、自分の事のように嬉しかったんだぞ」
『マスター! お兄さんが呼びかけてますよ! 目を覚まして下さい! マスターの気持ちも考えずに調子に乗ってごめんなさい。いつものマスターに戻ってください!』
みんなの必死の呼びかけも虚しく、とうとうケビンが動き出した。
「……もう、どうでもいい」




