第二章 海街の危難
……竜魂の柱。
「そ、柱」
『竜』としての体と魂を作り出し、『十二竜』にしか扱えない精霊魔術をしかし限定的に行使する『代理人』。それが『竜魂の柱』と呼ばれる存在だ。
我輩もまたその役を受け継ぎ、今に至る者だ。もっともこちらの場合正式な『柱』ではなく、今代の適合者が失われてしまったが故に用意された、言わば『竜の代理の代理』、であるのだが。
……つまり、貴様は……。
「ああ。『竜の血族』として現代に生まれ、師匠によって魂をも『竜』に変えられた正式な『継承者』だ。肉も骨も魂も、すべてが『そう』でねー状態から覚醒に至ったあんたとは何もかもがちげーみてーだが……まあ、今となっては同じこと。仲良くしよーぜ、同族さん」
言って、エルダーは右の手を差し出してきた。
我輩はそれを無言で握り返し、弓を描く彼女の目を見て会釈を送る。
そして思うのは、
……しかし。
我輩が柱として役目を得たのは、言うなれば『必要』だったからだ。竜の力、精霊魔術は、特に求められてもいないのにそうそう気軽に振るわれて良い物ではない。
世界を脅かす程の危機。『竜』の力でなければ対処不能な事態。それに対し、人間と関わりを絶った彼らの変わりに対処を行うのが『竜魂の柱』と呼ばれる存在だ。
我輩の場合、それはレティシアが目論んだ竜脈遺跡への侵略だったわけだ。しかし、だとするならば、
……『柱』として覚醒した、という事は……貴様もまたその必要に迫られた、という事か?
その疑問には、首肯が返ってきた。
「ご推察の通りだよ、ミルネシア。俺もまたあんたと同じく、必要だったからこそ『継承』を許された。そーでなけりゃ、俺は今でも師匠がちょっと有名人なだけの、まっとーな魔術師として普通に暮らしてたはずだ」
と、
「そっから先は、アタシが話す」
ウラヌスが、不意にエルダーの言葉を引き継いだ。
それは、
「アタシ達が今日ここに来た理由、それに直結する事なんでな」
ウラヌスは目を伏せ、思い出すようにしながら話し出す。
「アタシ達の暮らす町……まぁそこも竜脈遺跡を要する竜脈都市なんだが、少しばかり厄介な問題が生じてな」
……問題?
我輩の聞き返しに反応したのは、しかしウラヌスではなくエルダーだった。彼女は、困ったように眉を歪めた笑みを浮かべ、
「ちょっとな。滅び掛けちまった」
……え、っとだな……。
ちょっとと言うテンションで町が滅びかけてたまるか。いやこっちもやらかしたような。ならば良し。
……かけた、と言う事は……それは解決済みである、と言うことか?
言葉にウラヌスは頷きを作り、
「まあな。きっかけはアタシ達にとっても青天の霹靂というか、突然だったんだけどな? 街の沖合いで、海底火山が噴火したんだ。いきなりな」
……海底火山。
と、言うと、あれか。『ごーっ』ってなるヤツ。語彙。島が出来たり出来なかったりするヤツだ。しかし、
……それで街が滅ぶのか?
余程都合の悪い場所に生じれば漁業や生活にも影響が出るだろうが、それが起きたのは『沖合い』だとの事。例え問題が起きるのだとしても、直ちに何がどうなると言うものだとも思えない。
「ま、普通はそうはならないな。それにまぁ、あまり見られない現象ではあるが、珍しいって程の事でもない。海全体、歴史全体で見ればちょっとしたプチイベントだし、億を生きるアタシ達からすればデカいカブトムシくらいのものだ」
妙に解りやすい例えが出てきたが、これ鵜呑みにしていいやつだろうか。判断に迷う。
「いや、俺からすれば結構テンション上がるイベントだったけどなー……海の向こうがな、こー、なんだ。『ごーっ』て。水蒸気が、むわああああ、って感じで。しゅばばばばばばー、みたいな」
エルダーの方はエルダーの方で共感がし辛い。足して二で割れば丁度いいのかも知れんが、それを今言っても話が進まなくなる気がする。
故に、手振り身振りで噴火を再現するエルダーと魔力で水蒸気を再現するローランを無視し、話の先を促す事にする。
……ならば、何が起きたと言うんだ?
「ちょっとな、位置が悪かったんだ、絶望的に。運もな。竜脈、あるだろ? この街にも。その海底火山が出現した位置、ってのが……アタシらの住む街の魔力経路が通る場所ドンピシャだったんだ」
竜脈経路。つまりは国土へと魔力を行き渡らせる、大規模な水道管のようなものだ。
その上に火山が生じた。それはつまり、
……開いたか?
「派手にな」
ラインだ。
形成のプロセスこそ異なるものの、この祭壇とて似たようなものだ。つまり、竜脈本体ではなく、周りへと送られる経路自体に『穴』が開いた。『祭壇』のものは竜脈への操作のため意図的に開けられたものだが、彼女の言う火山は違う。
何の準備もなく、膨大な水が流れる水道管に突如として穴が穿たれたのだ。結果、何がどうなるかなどは、想像に難くない。
「竜脈に蓄えられていた魔力が、膨大量で流出した。この街でもちょっと前似たような事があったらしいが……まあ、規模は似たようなものだろう。周辺地域の『魔界化』の懸念と、魔獣の発生が危険視された」
『魔獣』。『魔界化』。どちらもまた、魔力を原因として発生する災害の名だ。
魔力は、人とその世界に豊穣をもたらした。だが、その本質はどこまで行っても『未知』。扱いを誤れば、国などと言う単位は容易に飲み込む『毒』として我々の生活を脅かす。
即ち、滅びだ。
だが、
……それで? どうなった?
現実としてそのような事は起こっていない。そうでなければ彼女達も無事では済まないだろうし、それなりのニュースにもなっているだろうからだ。『街が滅びた』などという大ニュース、少なくとも我輩は直近では聞き及んでいない。
……。
――否、似たようなニュースを最近見たような気も……。
だが、それを思い出す前にウラヌスが話の先を語り進める。
「無論、術師団が解決に乗り出した」
だが、
「魔力の流出元が海底、ってのが厄介でな。物理的にも魔学的にも、『蓋』をするのに手間が掛かる。幸か不幸か、流出したマナは潮流に乗って広範囲に散ったんで、逆に『魔界化』のリスクは無いものと判断されたんだが……」
……それでは魔獣の発生は抑えられない、な。
水や土壌の『魔界化』は一定以上の魔力濃度が必要になるが、魔獣化に必要な魔力はそれよりも少ない。故に、海を渡り拡散された魔力は、より広い地域の生態に変性を及ぼす。
「ああ。結果として、魔獣の大量発生が起きた」
……この街のようにか。
二週間前、このセントリーエルでも似たような事が起きた。それは人の悪意によるものだった訳だが、
「言っちゃなんだが、そこまで酷いもんじゃあ無かったよ。火山の噴火から魔獣の襲撃までには時間が掛かったからな。それを予測し、騎士団と術師団が備えを行う間は充分にあった」
……しかし。
それで終わり、では、冒頭の話に繋がらない。
街は実際、滅び掛けたのだ。正常に魔獣を撃退出来たのであれば、そこで話は終わってしまう。
現行の魔術師では解決出来ないと、ウラヌスがそう判断するような『何か』が起きた。そうでなければ『竜魂の柱』の役目は生じないからだ。
「そう。事態はそこで終わらなかった」
つまり、
「流出した分、無論、竜脈に蓄えられていた魔力は少なくなる。それも莫大量が一気に、だ。結果として何が起きたか。解るか?」
竜脈都市は、インフラに使うエネルギーを竜脈に頼っている。だとすれば、
……都市全域における魔力不足。
街灯などの各種魔力機関は勿論、各家庭や施設に引かれる水や魔力燃料にも不足が出るかも知れない。魔動馬車に充填する魔力が賄えなければ物流にも影響が出るだろう。
「その通り。だが、それだけじゃあない」
……それだけじゃない?。
となれば、
……まさ、か。
竜脈、と言う施設が無二の古代遺産である所以は、『炉から生み出される魔力』が、『炉を動かすために消費される魔力』よりも多いことにある。即ち、実質的な永久機関として成立している。
そして、生み出されたそれを維持、保管、抑制するのに使われるエネルギー。それもまた、魔力。
それらが、海底からの流出により不足した。つまり、
「……地下にある竜脈、それそのものを維持するシステムにも、致命的な異常が生じたんだ」
……致命的、な。
竜脈が生産する魔力。それを蓄積する装置。内外に魔力による影響をもたらさぬよう抑える機構。
その全てにおいて、常時供給されていたエネルギーが注がれなくなる。
それはつまり、竜脈という存在自体が不安定に陥る、という事だ。
元より、魔力というエネルギーには現実を改変する能がある。それを抑え、維持していたシステムが崩壊すれば、何が起こるかは火を見るより明らかだ。
それは、
「海底火山だけじゃない。竜脈の経路が通る全ての地帯において、地下から現実を改変する『力』そのものが漏れ出し、浸食をかけてくる」
魔力は、太古においては万能の力だった。今の世においては人が扱えるようにデチューンされているが、様々な現象を引き起こす術である事に変わりはない。
ある術は炎を起こす。ある術は生物を再生させる。ある術は重力を操る。
あらゆる術は、その本質において『世界』を変える能を持つ。
それらを引き起こす『基』である力こそが魔力だ。それが抑えようもなく枷を外され暴れまわれば、
……具体的にはどうなる?
「良くて全世界の緩慢な魔界化。悪ければ……吹き飛ぶ。全部な」
つまり、大陸全てに埋められた地雷が一斉に着火されるようなものだ。
それは、どれほどの規模の被害になるのだろう。
想像だに出来ない結論に、我輩の頬を冷たい汗が伝う。
「そして、その『悪い』パターンが、実際に起こりかけた、と言う訳だな。時間はない。解決策もない。もはや滅びを受けいれるしかない、って段階で、アタシがこいつに要請をかけた。即ち――ちょっと行って、世界救って来い、ってな」
……解決出来たのか?
否、そうでなければエルダーはここに居ない。ならば実際として、
……救ったのか。
正しく救世主としての、『柱』としての有り方を全うした。
その言葉に彼女、エルダーは、口端を上げる事で答えとした。だが、
「しかしなー……実は俺としてもかなり不甲斐ねー事だとは思ってるんだが。まだ半分なんだよ、ミルネシア」
そう言って、頭を掻いた。
……半分?
それはどういう事か、と思ったなりだ。
……!
正面、石段の上に立っていた二人が消えた。
即ち、ウラヌスとエルダーが、だ。
我輩の視界には、風に舞う下草とローランだけが残り、
……おい、貴様。ローラン。何故目を合わせない。
「いやぁ……」
そして我輩の肩に手が掛けられた。
右と左、両方からだ。その手の先には無論、先ほど我輩の視界から失した二人の女が薄い笑いを浮かべて立っており、がっちりとこちらの体を固定している。
笑みを深くし、我輩の耳元へ口を寄せ、
「……残り半分だ。ちょっとアタシ達を手伝え」
……つまり、こういう事か。
ウラヌスとエルダーの話を聞き終えた我輩は、話をまとめるため、そう前置いた。
今我輩は、ローランと共に祭壇の石段、その下端付近の段差に腰掛けている。正面、腕を組んで立つ女二人の視線を出迎える形だ。
……竜脈魔力の暴走は抑えたが、未だ海底の『穴』は放置されたまま、と。
「そのとーり」
エルダーが歯を見せる笑いで応じる。
「ま、俺の力でな、先に話した危機に関してはどーにかしたんだ」
だけど、
「それは一時的なものでしかねー。何せ海底の『穴』は開いたまんまだかんな。放っておけばまた魔力が流出し、魔獣被害なり竜脈内部の異常なりが起きる」
……それで我輩が赴き、海底の『穴』を塞げ、と。
何せ遥か海底での出来事だ。火山活動はもはや終息に向かっていると言う話だが、海と言う物理的な障害はいかんともしがたい。
人では無理だろう。『塔』のような『蓋』を構築するにも、まずは『穴』の至近まで近づかなければならないからだ。
あるいは、時間を掛けて術師に潜水師の訓練を課し、綿密な計画のもとで『それ』を行えば話は違うだろうが、今はその時間こそが無いのだ。
そこで我輩が、精霊魔術を用いて遠隔で『蓋』の術式を成立させろ、と、二人はそう言っているのだ。それは、
……。
恐らく、不可能ではない。行使時間が限られる我輩の精霊魔術でも充分にやれるだろう。
それにこれは、きっと必要な事だ。そうでなくては二人が住む街の事だけでなく、竜脈に繋がれた全ての街と土地が危険に陥ることになる。
即ち、全世界が、だ。
故に、二人の言う通り、その手伝いをする事自体はやぶさかではない。
ない、のだが、
……何故我輩がやらねばならん? エルダー、貴様がやればいいだろう。
ウラヌスは『竜』だ。彼女たちが人間の世界への干渉を拒む理由は依然として知れないが、それが故、此度の一件をどうこうすることが出来ない、と言うのは自明の理。
だが、精霊魔術を使えるのはエルダーも同様のはずだ。ならば彼女がどうにかすればいい。元より『竜魂の柱』とはそのために存在するのだし、先の危機においては実際にその役を果たしたもしたのだろうから。
しかしその質問は想定内だったのだろう、エルダーは特に迷うこともなく、ただ我輩にこう言った。
「俺には出来ん」
……は?
何故なら、
「俺は確かに継竜の紋章を受け継いだ。だが、俺には元の適正であった現象魔術以外、使うことが出来ねーんだ」
……何?
それはおかしい、と我輩は思う。
何故ならそもそもの前提として、継竜の紋章、とは、精霊魔術を扱うための刻印だからだ。
古代において竜のみが扱えた、万能魔術。その一端を振るうのが『竜魂の柱』だ。ならばエルダーがそれを使えない、というのはいかにも妙な話だ。
「……君、変わんないね。何億年経っても」
と、訳が解らず沈黙した我輩の代わりに言葉を放ったのは、ローランだった。
彼は頬杖を付いた姿勢の半目を、エルダーではなくウラヌスに向け、
「自分だけならまだしも、弟子にまでそれを強制するのはどうかと思うよ?」
「……強制した訳じゃない。実際に精霊魔術を発現させてみたら『こう』なっていた、と、それだけの話だ。大体お前、人の事言えるのか? 結界魔術、まだ苦手なんだろう?」
「君と違って、僕は全く使えない訳じゃないよ」
……どういう事だ?
ローランとウラヌスの会話の中身が見えず、我輩は問いかける。
「前に言ったろ? 精霊魔術は万能だが、使い方によって得手不得手が出る、って」
確かに言われた覚えがある。あまり偏った使い方をしていると、と、苦言を呈されたのだ。
……それはつまり……。
「……こいつ、ウラヌスは、何というかその究極系でね。昔から現象魔術以外は使えないんだよ。なあ?」
「うるさいな。炎でドカン! だけ出来てれば他は必要ないだろうが。性にあわないんだよ、それ以外」
……呆れた話だ。
「そうだろう? 何言われても聞かないんだよ、こいつ」
「だからお前には言われたくないっての」
そして、
……そのウラヌスに師事をしたエルダーもまた同様、という訳か。
しかし、と思うのは、
……それで件の『危機』とやら、よく解決出来たな?
マナの枯渇による、竜脈の爆発。人の手に余る危難に、よく対処が出来たものだ。
「まー、俺が実際現象以外使えずとも、継竜の紋章によるリミッター全解除状態の『精霊魔術』は、それだけで現行魔術を遥かに凌ぐ。それに」
言って、エルダーは己の左腰に提がったものに左の手を掛けた。
逆手のまま一気に引き抜き、
「――」
空に投じた。
舞う。
十メートルの宙を風切り音が断裂し、やがて落ちてきた回転は、エルダーの右手に順手で収まった。
掲げる。それは、
……刀?
「俺には、コレがあるからな」
「銘は『百華』。魔術師専用の術式武装。現象魔術に特化した、俺専用の武器だ」
術式武装。それは魔力や術式を受けて稼動する魔術師用の装備の総称だ。セントリーエルの騎士団や術師団が使うボウガンもこれに分類されるもので、主に内部燃料式と外部燃料式に分かれる。
そしてこの刀は恐らく外部式。つまり、エルダーの魔力を受けて稼動する術式補助武装なのだろう。
「昔からこいつと戦ってきたからな、今更別の事なんか出来ねーさ」
……成程。
術式武装は、術者の力量や不足を補って強化する。元々『血族』として高い能力を発揮していただろうエルダーが精霊魔術に目覚め、更に『百華』の補助を受けるのならば、大抵の危難は乗り越えられるものなのだろう。
だがそれではどうにも出来ない事があり、我輩を頼ってきた。
それが、今回の彼女らの来訪の理由、と言う訳だ。
「アタシらの街で問題が起きる前、このセントリーエルでも事件があったのは知っていたからな。お前がもし覚醒しているのであれば、まあツンデレかましながらもなんだかんだと助けてくれるだろうと、そう思った」
やかましい。だが、
……それは竜として、いささか過干渉ではないのか?
竜は人に関わらない。ならば彼女が解決のため動き回るのは良いのだろうか。
「堅い事言うもんじゃないぞ?」
本人的に問題は無いらしい。ならば、
……まぁ、事情は解った。
ぶっちゃけ面倒だし、ウラヌスの怠慢が遠因だと思わなくもないが、聞く限り状況に余り猶予はなさそうだ。
「やってくれるか?」
ウラヌスの言葉に、我輩は視線を逸らしながらも頷きを作る。
……そうでなくては、世界が滅ぶのだろう。ならば選択肢は無いではないか。
言うと、二人の女が互いの右掌を合わせ、音を鳴らした。その上でエルダーがこちらを向き、
「サンキューな、恩に着るぜ! 向こうに着いたら俺がメシでも奢ってやっからよ」
……世界を救うにしてはささやかな報酬だな。
かも知んねーな、とエルダーも頷いた。
……ところで。
「ん?」
方針は決まった。我輩が面倒を被ることも確定した。ならば後はいつ、どうやって行くかという事だが、
……要は、竜脈の経路に開いた穴を塞げはいいのだろう? ……それ、『ここ』から行う事は出来ないのか?
「あー……」
何やら考える様子のエルダーに構わず、言う。
……全ての竜脈は、地下を通る魔術的な『経路』で繋がっている。祭壇もそれに穴を穿ち造られたものだし、件の火山に開いた『穴』にしろ、直接繋がっているはずだ。精霊魔術の万能性をもってすれば、この『祭壇』から向こうの竜脈へとアクセスすることも出来るのではないか?
そんな事が可能であれば、わざわざ我輩が出向く必要もない。そう思っての提案だったのだが、
「それは無理だよ。今、竜脈同士は繋がりを断たれた状態にあるからね」
答えを投じたのはローランだった。彼は、何処からか拾ってきた木の枝を左手で弄びながら、
「その状態を作り、維持しているのがこの『祭壇』を始めとする施設群だ。何を隠そうこれらはそのために造られたものだからね。言ってなかったっけ?」
……そういえば、そんな事を聞いたような気も……。
百年前にも一度、竜脈の封を破ろうとした人間が居た、という話がある。それは半ば達成されかけ、結果としてセントリーエルの街は十年に渡り魔力の毒に侵され続けたのだ。
その際、『犯人』の思惑を崩す手段の一つとして造られたのが、『祭壇』を始めとする施設群だ。その仔細はかいつまんでしか記憶に無いが、今のローランの言が真実ならば、『祭壇』とその建造による経路の『断ち切り』が行われたと、そういうことだろう。
ならば、
……やはり赴くしかない、という事か。
横着は出来ないと言う事だ。
「そーゆー事だ。諦めな」
……あまり遠くないと助かるんだがな。日帰りとか。
そんな訳は無いだろう、と、そう思いながら言う。
彼女らが住む街は、まあ当然だが竜脈都市だとの事。セントリーエルもまたそれなので、そう近くである筈はない。
「んー、まあ遠くもねーし近くもねーけど、走って行くにはちょっとしんどい距離だな。日帰りは流石に無理」
先ほどの動きを見るからに、我輩と同じくエルダーもまた『技能』を扱えるはずだ。その彼女をして『しんどい』となれば、
……足が必要か。
日帰り、と言う訳に行かないのなら、どうあれ何かしらの交通手段は必要だ。
と、話題がそこに至った所で、エルダーがバツの悪そうな苦笑に顔を歪めた。
「そーだな。……で、まぁ、ちょっと相談なんだけどさ。足、お前らの方で用意出来たりしねーか?」
……何も用意してないのか?
この一件は、あちらがこちらに助けを求めてきたものであるのだ。礼儀として何かしらの用意があるかも、と期待していたのだが、
「いや、何、ちょっと訳ありでな。俺、本来は街から出る訳にはいかねー身分なんだ」
だから、
「お忍び扱い、とでも思っといてくれ。なんで、あまり路銀が用意出来なくてな。ここへの運賃で使い切っちまった」
……なんとも……。
呆れた話だ、と、そう思った。それは元からタカる気だった、という事ではないか。
「どうだ? 何か当て、無いか?」
……。
――とは言っても……。
ハート家も、色々身分高めな生い立ちだが現状が金持ちと言う訳ではない。サクラから貰っている小遣いもオヤツ代程度のものだし、猫は目の前の煮干を我慢したりしない。
と、ここで気が付いた。
……そういえば、貴様らが住む街、これから行く場所。……なんという街なのか聞いていなかったな。
彼女らはずっと『俺達の街』とかそういう表現をしていた。竜脈魔力の漏出、という事件が起こったならばそれなりのニュースにもなっていよう物だが……。
――ん?
いや、何か。
――最近、そういう話を聞いたような……。
さっきも思い出そうとして、しかし遮られてしまった記憶。
「ああ、そー言えばちゃんと言ってなかったっけか」
彼女らが暮らし、滅びの危機に瀕し、乗り越え、しかし未だ危機去らぬ街。
その名は、
「『グランディランディ』。ここから四百キロ東にある港街だよ」
グランディランディ。
エルダーが言っていた通り、セントリーエルから東へ四百キロ程の位置にある港町だ。
産業は主に漁業。隣の大陸との輸出入と、各種港町を経由しての海路運送も盛んだ。特にこの街から王都であるセントパルセへ向かう場合、セントリーエルを経由する陸路と一度北方の港町を経由する海路とでは、運ぶ物や人に応じて選択式になる。
この街はつい三日前、大規模な魔獣被害に見舞われた。
最も一般的には、『海底火山の噴火によって竜脈魔力が流出。多数の魔獣被害に見舞われはしたが、騎士団と術師団の対応により終息。現在は事後処理に当たっている』というのが知られる所だ。それは大部分において間違いのない事実だが、その裏で主人公的覚醒イベントが起こっていた事を把握している者は、エルダーとウラヌスを含めても数える程しか居ない。
そして、竜脈から引き起こされた危機は未だ去っていなかった。漏出した魔力の大部分はエルダーにより処理が成されたが、穿たれた肝心の『穴』は開けられたままなのだ。
現在をもって、グランディランディは未だ滅びの憂き目に瀕している。
朝もやが這うように舗装路面を周遊し、真横からに等しい角度の日差しがその影を西へと落とす。
城砦の名残としての鉄門が、見た目廃墟のような佇まいでこちらの背後に聳えていた。所々を欠きながらも左右へと伸びていく壁は、街を覆い、しかしその役目を既に終えた、残骸とも言えるものだ。
我輩は今、セントリーエル東城門前に立っていた。服は、黒のレギンスをノースリーブワンピースの裾から覗かせた夏の装い。足元には目を閉じて船を漕ぐ黒猫。そして思う事は、
……眠い。
城門、とは言ってもそれは形だけの物だった。東からの物資や人をスムーズに西へと通すため鉄門は昼夜を問わず開け放たれ、ここ数年、その巨大な閂は己の仕事を忘れたままだ。
正面に目を向ければ、街道は石畳を敷きながら遥か先まで伸びており、その左右に並ぶのは観光客や輸送業者を出迎える出店の群だった。屋台、テント、露天など多種多様な形と業種の店が軒を連ね、一部の軽食屋台は早朝であるにも関わらず既に営業を始めていた。
即ち、海から王都までを繋ぐカルナス街道、その朝の風景だ。
……それなりに人通りはあるんだな、こんな時間でも。
流石に大規模な商隊の類は見えないが、個人や小規模な業者であれば行軍にも無茶が利くということなのだろう。一人乗りや二人乗りの魔動馬車、他、徒歩や馬での移動を選んだ商人や旅人が、急ぎ足で街へ出入りしていく姿が目に付いた。
……グランディランディへは、ここから東へ真っ直ぐ、か。
セントリーエルの東は南北に山や台地を持ちつつも海抜の低い平野であるため、あまり遠くまでを見通す事は出来ない。強いて言うなら、精々が薄い山陰を左右の空に臨めるくらい。
だが、薄暗い中であるにも関わらず引っ切り無しに行き交う人の営みが、今日の我輩の目的地が間違いなくこの先にあるのであろう事を雄弁していた。
と、
「あら、お早いですのね、ミルネシアさん」
言う言葉は、我輩の視線よりもかなり高い位置からのものだった。
我輩に横付けした魔動馬車、その御者台からの声だ。