第十二章 有機の王
我輩は、溜池のあった広場から高速で離脱しながら、高く己を上昇させていく黒と赤の姿を見ていた。
先日見た五百メートルの『準竜種級』は、翼や顔などが竜に近しいフォルムをしていた。が、これはもはや間違うことなき竜だ。
下から見上げる姿は、その顔も、胴も翼も、後ろへ長く伸びる尾も、全てが古竜の姿に等しい。ただ一点、六本ある脚だけが、虫としての名残を持つ。
……凄まじいものだな。
やがて、我輩はモルガナと分かれた地点へと戻ってきた。すると、
「みみみみいみみみいいいみみ」
……出来の悪い遠隔通信術式のようだな。
「だだだだだ誰が!」
モルガナが、手近な木の幹にしがみ付いてへたりこんでいた。
……何をしている?
問うと、彼女は目尻に涙を浮かべながら、
「何でそんなに冷静ですの! あれが目に入りませんか!」
と、少女が指し示した空を顧みる。
超竜種級の、千メートルを越す巨体。そしてそれに追随する中型三体と他無数の魔虫たちだ。
言われ、検めても先ほどまでの我輩の認識と相違ない。ちょっと世界の終わりを感じさせる光景ではあるが、
……目には入っているが、取り乱してどうする。合理的に行こう。
「合理的判断と心の機微は別問題ですの!」
そういう物だろうか。ともあれ、
……まぁいい。我輩はもう行くぞ。貴様はここに座っていろ。
「い、行くって……ど、何処へ?」
……無論、アレを追う。
先ほどまでは討伐部隊に合流するつもりだったが、事情が変わった。
レティシアは、あの『超竜種級』に乗っている。今我輩が向かうべきは、アレだ。
だがモルガナは木にしがみついたまま、
「む、無謀! 無謀です! あれはもう、私達市民に……いえ、騎士団でも、魔術師でもどうにかなる領域ではありません! 王宮戦士団の管轄です!」
王宮戦士団。聞きなれない言葉だが、恐らく王都辺りに詰める特殊部隊か何かだろう。
しかし、アレは我輩の因縁だ。
故に言う。超大型の起こした風の残滓にローブの裾を遊ばせ、モルガナから見える横顔に良い感じの陰影が付くよう角度を調整し、
……誰が決めた? そんなもの。
「国・で・す・の!」
……。
「……」
……まぁそれはさておき。
「論破! 完膚なきまでに論破しましたのよ今私!」
落ち着こう。
……その戦士団とやら、到着までどのくらいかかる? 連絡手段は……まぁ学園になら誰かしら金等魔術師が詰めているか。すぐに連絡が行ったとして、真偽の把握、出撃の準備、編成……どれだけ急いでも二日はかかるであろう。
即ち、
……街が無事では済まん。
「な、ならば尚更に私達は避難すべきです! 怖いから言っているんじゃありません! もはや私達に出来ることなど無いと 分不相応だと、そう言ってるんです! もう戦闘などという段階にありません! 騎士団も、術師団も、討伐部隊も常在部隊も、あれを見たなら既に住民の避難誘導に力を尽くす方向へシフトしているはずです! 現状、私達が街へと戻る必要は何も無くなりましたわ!」
モルガナの言うことは、全て正論だ。本気でそう思う。だが、
……街とは、人だ。誰かがそう言っていたな。
「と、突然何を……」
まぁ聞け。
……だが、街が無くなれば、人は住めない。……アレの目的はな、竜脈の魔力ではないんだ。
は? と、モルガナが疑問の音を発声した。
当然だ。魔獣とは、食欲以外の思想と目的を持たないものの総称であり、当然、空を行く巨体もそれに沿う行動原理を持っているはずなのだから。
だが我輩は知っている。アレの目的はそうではない。
……地下に埋葬される遺跡都市そのもの。故に、アレはその『蓋』を躊躇なく開け放つ。……そうなればこの街はどうなる?
魔力とは、万能のエネルギーだ。だが万を超える時を以て蓄えられた未加工のそれらは、時に強い毒性を示す。漏れ出した、という程度の物が、大森林にて魔性植物や魔獣を生み出すように、だ。
『塔』とは、それらを抑える『蓋』だ。そしてそれらを解き放ち、内部へと到達するのがあの超竜種級の――レティシアの目的だ。それが果たされたなら、
……ここは、人の寄り付かぬ魔性に汚染される。……『百年前』とは規模が違うぞ? 一部閉鎖どころの騒ぎではない。この街全てが、向こう千年を国の歴史に刻むのだ。呪われた土地としてな。
「な……何故そんなことが……あの魔虫の目的が、貴女に解るんですの……?」
……女の勘だ。
「信憑性……!」
……それに、だ。
誤魔化しきれただろうか、と思いながら、
……色々言ったが……まぁ、あそこは我輩の暮らす街なのだ。それが理由では足りないか?
建前だが、本心でなくもない。それに個人的にもあの女にはまだ言ってやりたいことがある。
行かない、という選択肢は有り得ない。
「………………感情論で命を捨てに行くなど……ナンセンスですわ」
……捨てに行くのではない。賭けに行くのだ。勝機にな。
「勝、機……?」
……そう、勝機。
というか手段だろうか。
……約束は取り付けたがな、『任せた』などと言って動いてくれるほど、『あの男』の腰は軽くないんだ。『手伝え』と、そう言わねばならん。
その言葉に、モルガナは数瞬を呆然に費やした。仔細を語る訳にも行かんので当然だが。
だがやがて反論を飲み込むようにして、
「……意味は解りませんが……その勝機とやらは、貴女が自ら動かねばやってこない、と、そういうことですのね?」
……相違なく。
「………………………………」
たっぷり十秒、少女は逡巡を巡らせるように何かを口の中で呟くと、
「……な、ならば、仕方ありませんね…………私も、私も行きましょう」
そう言って、モルガナはしがみ付いていた木から離れ、我輩の隣に立った。
……漏らしてはいないだろうな?
「全力の失礼がここに……! あ、当たり前です! 当たり……」
モルガナが、後ろを向いた。
後ろを向いてなにやらごそごそやっている。やがて、
「あっ」
次の瞬間、炎と風の魔力の混成が、強い熱風としてモルガナの周囲に立ち上り、
「……行きましょう。ええ」
……少し離れてくれるか?
「え? 何故ですの? 何もなかったというのに」
押し通す気だ。
しかし、
……着いてくる気か? 貴様。
「本気の疑問顔ですのね……。あ、当たり前です。貴女は私に勝ちましたが、私は貴女より弱いつもりはありません。ならば私が、私より弱い貴女を守るのは当然のこと。それに、命を賭ける、と先ほど申しましたが……」
一息、流し目をこちらを向けて、
「賭けるベットは……多いほうがよろしいですわよね?」
……帰れ。
「あ、あれ? 今私いいこと言ったんですけど!」
ぎゃーぎゃー何かを喚いているが、まぁ邪魔にはなるまい。有り難い馬鹿、というのは得難いものなのだ。
故に、
……ならば、行こうか。
超竜種級。目下の最難関だが、アレはどうにかできる。多分。恐らく
ただ、あの少女の野望は――『生きる』という願望は、そうした所で潰えるものではない。
故に我輩が行く。否、行かねばならない。
あの場所に満ちた怨恨はきっと、我輩の管轄なのだから。
石の広場がある。
朝日を真横から受け、長い影を街中へと差し込むように落としている。それは広場が四階建ての建造上の高い位置にあるいう証明だ。
セントリーエル交易都市の南側。ヴィーオン通りのほぼ終端、学園区に近い位置にある石造りの宿屋、『文化交流』の屋上だ。この店、泊まったカップルが必ず別れるとの噂が流れてから不思議なことに夫婦の利用客が多くなったと言う(客に)曰くつきの宿だが、一階の酒場が質の良い酒を出すことでも有名だった。
「まぁ何というか……世も末だな」
呟くのは、白のタンクトップの上から私物の魔術師コートを羽織り、迷彩柄のカーゴパンツを履いた大柄な男だ。手に提げた片刃の直剣は切っ先が石の床面を削っており、不快な音色を朝もやの立ち込める街中に落とす。
セントリーエル駐屯騎士団副団長、兼同南部外縁守護部隊指揮官、ガレス・エマージだ。
彼が、瞼を焼いてくる朝日に手を翳し見るのは、南の空だ。
まるで霧か、あるいは焚き火の煤のように高空を覆う黒煙の正体は、全て小型の虫型魔獣だ。そしてそれらに守られるようにして天上を席巻するのは、黒と赤の装甲を持つ竜顔の六本足。
超竜種級魔虫。その巨体だ。
「ああ、……でけぇーな、やっぱ」
先日の大型襲来の際、軽率な行動で住民を危険に晒したとして討伐部隊からハブを食らったガレスは、夜通し歓楽街で酒を飲んでいた。謹慎扱いなのだからまずいかとも思ったが、酒は美味かったので特に問題は無かった。
そこでこの騒ぎだ。剣は近場にあった駐屯所のものをかっぱらってきた。持つべきものはルールを臨機応変に解釈してくれる優しい後輩だ。泣いていたが。
「……行けるか?」
どうだろう、とガレスは思う。先日の物より目測で二倍ほどの大きさ。五百メートルの大型ですらも、強化ボウガンで腹をボロボロにした上で全力カマして装甲を抜いたものであるので、ちょっとシラフでは難しいかとも考える。
否、違う。今自分はシラフではない。何せ酒が入っている。昨日の時に入っていたのはジョッキ二杯程度だったが、今は樽で入っている。目測で十倍以上だ。つまり行ける。
「……よし」
「よし、じゃありませんよ、副団長!」
と、ガレスの背後に、何処からか跳んできて着地した姿があった。
足音も埃も立てずにふわりと舞い降りたのは、サンドイエローに染めた支給品の魔術師コートをきっちり第一ボタンまで留めた眼鏡の男だ。
ガレスの補佐役。『技能』の使い手としては、セントリーエル駐屯騎士団でも三番目くらいに入るであろう実力者でもある。
彼は、空を埋める魔獣の群を横目に見ながらガレスへと歩み寄っていく。
「見たでしょう、あれ。無理ですよ。無理無理ですよ。みんな避難誘導に走り回ってるんですから、仕事して下さい」
「俺今謹慎中だから無理」
「だったら剣持って何してるんですか。……え、本当に何してるんですか?」
ガレスは、右手に持っていた剣の切っ先を斬り上げるようにして上へ放り、そのまま峰の部分を肩に落として担ぎ上げた。
その様子に、
「……副団長、あれ、斬る気ですか?」
男が眼鏡の奥の目を驚きに見開き、言った。
「ふざけんな。こんな二メートルぽっちの剣であんなもん斬れるはずないだろう。物を考えて言え馬鹿が」
「いや、昨日のだって五百メートルありましたよ。斬ってましたよ。正確には殴りつけたんですが」
「あれはあれだ」
「ダイナミック理不尽……!」
補佐役の男が戦慄するが、ガレスは気にしない。
「……ま、方法を選ばなけりゃあ、なんとかなるもんさ」
言うと、大男は深呼吸を一つ。己の中の魔力を確かに感じ取り、
「副団長、まさか貴方……」
「パーシヴァル、お前、俺の次くらいに強いよな」
ガレスが、男の方すら見ないで言う。口端を僅かに傾げ、そこに笑顔を刻む。
笑う。
パーシヴァルは応えた。
「……総団長を含めないなら、多分」
不安に駆られ、顎を引いた上で、彼は己の上官に上目を向けた。
「充分だ。お前、明日から副団長やれ。ちょっと引継ぎはしてやれないけどな」
パーシヴァルが、その言葉に息を詰める。いや、という口の動きは、しかし風に呑まれて消え、
「後は頼むぜ。……ガレス・エマージ、最後の大仕事だ」
にやりと笑った。
朝の日差しに沈む路面が、風を受けて砂を散らしていた。空を行く南風は黒の色を持ち、それは『塔』を目指して北上しつつも、時折街中にある『餌』に惹かれて大群規模で降下してくる。
我輩とモルガナは無事に森と丘陵地帯、田畑と居住区を抜け、南門からセントリーエル交易都市に入っていた。
無論、先行して上空を飛ぶ超大型魔虫を追いかけてきての事だ。
今走り抜けるのはヴィーオン通り。平時であれば、地元民と旅人、通りすがりの商人が入り混じりながら通行する、街の南側を代表する繁華街の一つだ。横幅は二十メートル程。歓楽街としての側面が強いこともあって魔動馬車の速度と通行が規制され、今時珍しい人力車が景観の一つとして話題を生んでいる場所でもある。
だが、城壁の長い影が浸す朝の空気の中、元々の最優先避難区域であったことも加わり、今は人の姿は皆無。路傍に出店する軽食屋の屋台も、準備前の妖しいアクセサリーショップも、シャッターが閉じて久しい着物屋も、全ての存在が人間の気配を持たない。
あるのはただ、
「……こちらを無視してくれるのは有り難いですが……ただただ不気味ですわね」
……虫だけにか。わお。面白いことを言うな貴様。おかげでリアクションも二十年前に戻ろうというものだ。わお。
「た、楽しんでらっしゃいますのね! そうですのね!」
等間隔に並んだ街頭の魔力に惹かれ集まった、小型魔虫の姿が目を惹いた。
それは四メートル程の高さを持った、先端部に小屋を模したランタンを提げた魔力式の街灯だ。一本につき十から二十匹程の魔虫がまとわりつき、地下から送られてくる魔力を啜っている。不夜城として名高い横丁の入り口に設けられたネオンアーチも魔力式なので同様の有様だ。
……。
上空を仰ぎ見れば、黒い霧雲のように北へ流れる魔虫の群れを先導するように、千メートルの巨体が先行している。
超竜種級魔虫。そしてその尻尾の先端が、丁度こちらの真上の位置というところまで我輩達は追いついて来ていた。
……間に合いそうか?
今出せる全力の疾走に、モルガナの風を補助としてどうにかここまで追いすがってきた。大きさの割りに向こうの速度があまり出ていないのが救いだろうか。
巨体故か、それとも数多の随伴を引き連れる故だろうか。思ったよりは鈍重だ。
「とりあえずは、アレの正面に回ればいいんですのよね!」
……そうだ。迎撃する形を取る。手段は任せろ。
とりあえずとして定めたゴールは、ヴィーオン通り中ほどより学園寄りにある、今は使われていない古い物見櫓だ。
高さにして二十メートル程だろうか。あそこに超大型より先にたどり着き、迎え撃つ形を取ることが理想。
「ああ、どうかアレが私たちに気付きませんように……」
あの上にレティシアが乗っているのだとすれば、この高度差だ、こちらには気付くまい。と思う。多分。
もっとも、気付かれたとして我輩を脅威として見なすかどうかは微妙なところだろうが。
だが、
……!
「危なっ……!」
不意に、上空から小型魔虫が襲い掛かってきた。
計六匹だ。内一匹を我輩の背後からノーモーションで飛び出した『夜寄せ』が、その隣の一匹を槍のように投擲された氷柱が対処する。
残りの四匹は、こちらに到達する前にモルガナが操る風に攫われ、遥か後方へと吹き飛んでいった。
死んではいないかも知れないが、再び我輩達を捕捉する前に街灯か何かに吸われていくだろう。
先ほどから、こういった不意の襲撃が増えている。ほとんどは街にある魔力式機関が引き受けてくれるものではあるが、絶対数が増えれば我輩とモルガナが持つ魔力を直に狙う個体も増えてくるということだ。
また横合いから突進してきた一匹を掴んで千切り、
「思ったよりも、数が多いですの……!」
……解ってはいたことだがな。
いかに対処可能であれ、迎撃を行えば速度は殺される。致命的な足止めは受けていないが、このままでは『超竜種級』の正面に回りこむ前に『塔』への到達を許してしまう。
ローランの『手伝い』は、恐らく少々派手なことになる。街への被害を抑えるため、出来ればその前にどうにかしたい。
と、
「……今度は『鎌持ち』……!」
我輩とモルガナの走りを遮るように、三メートルクラスの『鎌持ち』が二体、強化石材の路面を砕いて降り立った。
羽虫に近い他の形態のものと違い、この『鎌持ち』は近接戦闘に特化したフォルムを持っている。
足は小型に比べてかなり頑健で、接地する四本などは虫らしからぬ筋肉の盛り上がりを見せている。背を反らせるようにして頭の位置を高く掲げ、こちらを見下ろすような視界を確保。前足二本は左右それぞれが鋏の刃のように発達し、磨きぬかれた鏡面に我輩達の姿を映し出す。
やや前傾姿勢ではあるが、巨大な銀色の蟷螂と言ってもいい姿だ。
「こ、の……!」
モルガナが風の速度を緩めることなく、前方に氷の槍を射出した。
風が鳴り、腹を冷やす冷たさが周囲に鋭く擦過する。
それに対し、右側の『鎌持ち』が動いた。
「!」
刃の一枚、向かって右側の物を氷に食わせて硝子のような弾けを鳴らし、そうしながらも前へと潜るような突貫を敢行する。
姿勢を低く、翅を一振りして、
「――……!」
成す。
傾いた銀の体は、そのまま筋肉を伸ばしたなら、前進の動きへと変わった。
来る。
が、同時に我輩もまた、右腕の腕輪に魔素を送り込んでいた。
『夜寄せ』の牙では、ダメージを与えることは出来ようがこれを屠ることは出来ない。
だから今回呼び出すのは、『水底の海』と呼ばれる水棲の魔性生物だ。
水棲、とは言ってもこれが棲むのは海や川ではなく、一定量以上の水分を含む『あらゆる場所』だ。貯水池でも溜池でも、小さな個体であれば空気中ですらこの生物は『水棲』できる。
「……っ」
我輩の傍ら、顔横の位置に飛沫が上がり、体長七十センチ程の人魚が現れた。
下半身は魚。上半身は人間。目元を仮面で隠した、青を基調としたフリル衣装の可憐な少女だ。その体は、従属体の例に漏れず各所を虚の闇に染めている。
彼女が空中で、しかしそこにまるで水面があるかのように跳ね、飛沫を立てて消えた。
潜水したのだ。
そして次の瞬間、
「……!」
襲ってきた『鎌持ち』を、その直上から現れた無数の衝撃が殴るように襲った。
衝撃の正体は、一本二十センチ程の、水で出来た細い『錐』だ。それが多重に出現した飛沫の中から唐突に射出され、上から下へと、振り下ろすようにして銀色の装甲を穿つ。
音が重なり、
……浅い。が……。
数の多さは、速度と同じく破壊力に還元される。
五十を下らないヒビを全身に生んで体液を散らした魔虫は、前進の勢いを失ってその場に崩れ落ちた。
玩具を散らかすような音が装甲を破片に変え、動かなくなる。
続いて、左側のもう一体が両鎌を横合いに構えて向かってきた。
挟むようにしてこちらを斬りつけるつもりだろう。だが、
「!」
氷の槍が三本同時に魔虫を別角度から襲い、三つのリズムを奏でた後、粗雑な墓標を工作した。
それでもしばらくは両腕を振り回していたが、追加投入された細めの一本が頭を縫いつけ、
「――」
動かない。
そのすぐ横を、我輩とモルガナが風となって駆け抜ける。
……面倒だな。
我輩は、現状に対する感想を愚痴のように漏らす。無論、足を動かしながら、だ。
「ええ。段々と、手数がかかるようになってきています」
魔虫の数が、街の中央へと近づくにつれどんどんと多くなっていく。その行動原理が食欲であるとはいっても、大量の小型がまとわりつけば街灯は折れるし壁も崩れる。『鎌持ち』に至っては、ただ通るだけでも破壊の牙痕を明確に残して憚らない。
だがそれでも、
「このまま行けば、間に合いますわ……!」
ゴールとした櫓は二十メートル程の高さにあるが、我輩とモルガナにとって上下の差という物は明確な不利にはなりえない。
だから行ける。そう確信した直後、
……?
何か、圧が来たと、そう思った。
感覚的なものだ。緊張感や、ストレスのようなものと言ってもいい。ただ鈍く重い予感だけが、何の脚色も彩りもなく、我輩の心を制しに来る。
と、
「……ミルネシアさん!」
……!
上だ。
現象で言うと影。形で言うと虫。速度で言うならそれは高速の一矢で、
……止まれ……!
角度で言うなら、背後側からこちらの正面へと、追い越しを掛けながら降り立つ鋭角の降臨だ。
そしてサイズで言うなれば、
「中型……!」
五十メートルを越す竜翼の黒。
『超竜種級』の随伴として着き従っていた内の一体が、我輩とモルガナの正面に壁として君臨する。
それは、岩山が降ってくるに等しかった。
浅い角度を付けて背後側から飛来、路面に六本足を滑らせた『中型』は、二十メートル程しかない道幅を大幅に塗り替えた。
白とベージュの石材で統一された左右の建物は押し広げられるようにして倒壊し、吹き飛んでいく。
まるで船頭が水面を掻き分けて描く波紋のようにして、街の景色を瞬間で更新した。
止まらない。
右側に大きく振られた腹先が、どうにか破壊を逃れた町並みをも洗うように持っていく。
やがて速度を落とした『中型』がドリフト軌道で頭をこちらに向け、最後の制動として翼を大きく一振りした。そうして巻き起こった風が、瓦礫と砂塵の山にとどめの一撃を落とし、砕きと洗い流しを完遂させた。
終わる。
我輩とモルガナの正面、およそ百メートル向こうが、道幅を元の三倍以上に拡張されて、舗装路面の下にあった土の地面を浮き彫りにした。
「な、ん……」
言葉もない、とはこの事だ。
これは、昨日に街の上空を駆け抜けたものと比べれば、そして今尚上空を席巻する『超竜種級』と比べれば、十分の一以下に収まるサイズに過ぎないものだ。
だが昨日に見た『準竜種級』は、遠巻きからの光景だったのだ。アーカムが両断した後も、グラウンドには立ち入り規制が敷かれたので至近からは確認していない。
その下位種に『過ぎない』筈のものが今、我輩達の前に明確に障害として降り立った。
この事が持つ意味は、小型や『鎌持ち』が持つ意味とはまるで違うものだ。
ただ食欲のために動き、たまたま我輩達に狙いをつけて襲って来ていた『あれら』とでは、存在する意味が全く異なっている。
我輩は上空を仰ぎ見た。
千メートルを超える影。傍らにもう二体の『中型』を随伴させながら飛ぶその姿に、レティシアの存在は確認出来ない。
だが、彼女はこちらに気付いている。そうでなければこの『中型』がわざわざこちらに降りて来る意味はないだろう。
――。
大きい。
途方もなく。
人が歯向かっていい単位の存在ではない。
だが、
……速度を緩める理由にはならん……!
そうでなければ間に合わなくなる。その言葉に対して横を飛ぶモルガナが生気を失った目を向けてくるが、引き出しが多くて何よりだ。
しかし、まあ現実問題として、
……緩めなければ、確実にアレと接敵、か。
どうするか、と、そんな事を思った時だ。
声がした。
それは、降り立って未だ粉塵を上げる『中型』とこちらの中間点、その向かって右側からのものだった。
そこには、先ほどまで喫茶店があったのが見えていた。だが今は瓦礫の平坦と化している。
普通に考えればそんな所に人など居ない。
しかし、
「――緊急事態ですからね。流石に休んでる場合じゃあないでしょう」
どこか緊張感を欠いた男の声が響いた次の瞬間、
「!」
大型魔虫の向かって右の翼が、根元から断たれて落ちた。
ストライプのシャツ。サスペンダー。黒のスラックスに、ネイビーブルーの乱れ髪。
待機命令中だからか白衣は身に着けていないが、右手に文庫サイズの本を携えて我輩達の正面に現れたのは、
「アライヴ氏……!」
セントリーエルの誇る魔術戦力、その最強の一角が、こちらと『中型』の間に歩み出た。
「そう、アーカム・アライヴです。ちょっと諸事情で暇していたもので、知り合いの喫茶店開けてもらって優雅に読書など楽しんでいたんですが……どうにもそんな場合じゃあなさそうですよね」
彼は残念そうに肩を落としながら、
「……いいところだったんですけどね。何せ二股かけてた主人公の三股目が発覚、婚約者三人から波状包丁攻撃で三段突き食らうんですが、この主人公が実は過去に悪の組織に拉致された際に改造手術を受けていまして。未曾有の危機に対して挿入歌付きで真の力に目覚めるんですがここで前世の嫁が」
「アライヴ氏! アライヴ氏! アグレッシブな何かのネタバレもいいですが、前見て下さい前!」
と、彼が正面を見ると、片翼となった大型魔虫がアーカムを叩き潰さんとその前足を振りかぶるところだった。
降ろされる。だが、
「!」
瞬間の白は、凄絶な衝撃が火花として消化されたその表現に他ならない。
激音。
魔虫の前足とアーカムの間に、何かが立ちふさがっている。
それは、陽炎のようにして存在感を露にしない、黒の甲冑を着た五メートルサイズの騎士だった。
今朝方、アーカムが我輩に披露した鉄身の巨人。それが、単純差十倍以上もある相手の一撃を右手一本で受け止め、足元を五センチ程地面に陥没させながらも拮抗している。
否、それだけではない。騎士はその状態のまま左手を空中に翳すと、そこに何かを見つけたかのようにして掌握。そのまま左腕を、握り込んだ『何か』と共に、かち上げの動きで魔虫の前足へと放った。
「!」
再びの火花と鉄音。だが、今度のそれは拮抗の光ではない。
破壊だった。魔虫の前足、そこに生えた二本の爪の内片方が縦に分断され、そのまま砕きを広げて爆ぜるように音を散らした。
咲くように開く。
それを成したのは、
……剣……!
「――…………!」
苦悶は、戦場を駆ける喇叭として鳴り響いた。
アーカムは、陽炎の騎士の背にチョークで描く刻印をリアルタイムで施しながら、
「ミルネシア君。折角だから言わせてもらいましょう。そう、……『ここは任せて先に行け』、と」
――騎士、か。
アーカムの操る黒の甲冑騎士。虚が開くだけでなく陽炎の中で存在感が朧なのは、未だ術式が不安定であるという証だ。
それでも、その振るう力は限りが無いとでも言うように強く、重い。あれが何の生物なのかといえば、
――彼は、己の骨を使った、と言っていた……が……。
原理的には解る。持っている骨の再現体を本体とは別の場所に出せるのだから、己の骨であっても利用可能なのは道理だ。
だが、それがどうしてあのような形になるのか。
――まさか……異世界の暗黒騎士が赤ん坊に転生してチート無双とか……。
否、そんな非魔学的なことがあるとは思えないし、あったとしても骨自体は間違いなく人間のものなのだ。術式が力を引き出すのは骨という物理的な存在からなのだから、その前世の記憶を引き出すなどとは現実的ではない。
――だとすれば……。
だとすれば、つまり『骨』自体に、物理的な形で黒騎士の情報が入っている、と、そう言う事だろうか。
アーカムも言っていた。再生魔術が引き出すのはかつての記憶。その辺りにヒントがありそうだ、と。
……。
かつての記憶。骨に残る物理的な情報。
通常においてそれは『生前』だが、骨に残る別の情報とは、つまり、
「ミルネシアさん!」
……!
否、今は考え事をしている場合ではない。
急ぐ。そのためにアーカムが来たのだから。
我輩は、走りながらも彼の戦いを横目で観戦する。
アーカムが携える騎士の攻撃は、一撃一撃が重く、破壊を伴い、しかし何処か緩慢な印象をこちらに寄こして来るものだ。
否、それは溜めが丁寧である、という証左でもある。その動作は一つ一つが力の奔流。繋がり、連動し、無駄を一切行わず全てが砕きの力に変わる。
変わった。
「――……!」
対し、今も前足の装甲を砕かれて苦悶を上げる『中型』の攻撃は、ただ叩きつけるだけのものだった。
大きいのだから、それは正しい。押し、擦り潰し、少し叩いてやれば大抵の生物は地面の染みに変じる。
だが相手が悪かった。
魔虫は、何度も『そう』しにいった。ただ叩くだけではない。体を揺らし、位置取りを変えながら、前に傾けた重心を攻撃に乗せる動きだ。
潰す。そうすることこそが最もシンプル且つ必殺であると、理解した動作。
……小型や『鎌持ち』のような下位種とは違う、ということか……。
原理はわからないが、『中型』には原始的な知性が備わっている、ということだろうか。
だが、騎士は未だ潰れない。
体重差は絶望的。では何がそれを埋めるのかと言えば、
……捌き方が上手いな!
与えてくる体重懸架の一撃を、支点をずらすことでいなす。そうして路面に落ちた重量は、引き戻すことでしか再びの威力を得られない。
だが、引き戻しの時間、とは、丸々が騎士のターン。叩き、砕き、しかし致命に至らない攻撃しか出来ずとも、次の被弾を揺らすだけならば効果的だ。
故に、『中型』の一撃は真価を発揮出来ない。
その繰り返し。
「飛びますよ!」
……解っている!
だが、いつまでも見ていても仕方がない。これはアーカムが作ってくれたチャンスなのだ。
故に行く。我輩は魔虫の傍ら、瓦礫の隙間を縫って。モルガナは高く風を巻いて飛び超えるように。
去る前に労いを掛けるのを忘れず、
「アライヴ氏、お任せしましたわ! 大丈夫です、死亡フラグなど物語上だけのものです! 現状アライヴ氏超有利で負ける要素などどこにも無く確実にその魔虫は倒せるので安心ですもの!」
……頼んだぞアーカム・アライヴ! 生きていたらまた会おう! 生きていたら!
「君達何か悪意混じってませんかねえ!」
風と粉塵が遮る夏の朝日は、高い位置で南を向く我輩を左側から淡く照らす。木漏れ日にも似て明暗を重ねる光は、きっと後光というものが見えるのであればこういう感じなのだろうと思わせる神秘的なものだ。
セントリーエル交易都市、南側を陣取るヴィーオン通り。やや学園寄りにある古びた櫓が、今我輩が立つ場所だ。
……。
木材で出来た、四方を柵に囲まれた一片三メートル程の物見舞台。かつて祭や有事の際は、この場から拡声魔術を用いて情報を発信していたのだと言う。
今では老朽化が進み、各所に白等魔術による魔力を含ませてどうにか保たせているというのが現状らしい。
それでも撤去の声が叫ばれないのは、この街には『昔』を知り、慈しむ者が未だ多く住んでいるのだという証明だろう。
だが、それもこれも全てが無に帰る。正面から迫り来る、大気の裂け音を大きく響かせる竜顔をどうにかしない限りは。
……間に合ったか。
地上二十メートル。『超竜種級』を迎え討つにおいて、ヴィーオン通り沿いにはこれ以上のシチュエーションは存在しない。
モルガナには、櫓の周囲に集まってくる小型魔虫の迎撃を頼んである。下から響いてくるガラスの割れるような激音は、彼女が作る氷の槍が派手に飛沫いて魔虫の気を寄せる努力の結果だろう。
さて。
……ローラン、出番だ。あれをどうにかしろ。
声を張って数秒。我輩の頭の中に、直接響くような声が生じた。
男の声だ。それは漏れ出る溜息を隠そうともせず、
『……やれやれ、竜遣いの荒い弟子を持つと苦労するよね』
……ふざけるな。元は貴様の怠慢だ。その分くらいは働いてもらう。
挨拶もそこそこに悪態をついてきた『竜』に、我輩は買い言葉で返した。
『まぁ、それを言われると弱いんだけどねぇ……。ああ、もうどうなっても知らないよ? 人に竜が力を貸したなんて……他の絶竜に知られたら何を言われるか。世間的には僕ら、人間に排斥されたことになってるんだから』
……世間的には?
竜は、悪意ある人間に追われて力を失い、姿を消した。一般的な物語ではそうなっているはずだが。
『まぁいいさ。あくまできっかけを与えるだけだ。言い訳も出来るだろう』
ローランはこちらの問いには反応を返さず、ただ、気乗りしない、とでも言うように吐息を音で寄越した。
……手段は選ばぬ。我輩に出来ることをする。それについて不利益が生じるなら、それは貴様が被れ。師匠を名乗るのであれば、そのくらいの責は承服しろ。
『……変わったね、やっぱり、君は』
……貴様が変わらぬだけだ、ローラン。
創生の時代から生きる竜だ。当たり前だとも思うが、
『それはそうだけど……気付いているかい? 今の君は、とても竜らしい。いい成長をしたと、そう思う』
だから、
『君は、選択をした。故に……そのための手段を持っていけ』
手段、と、ローランは言った。
力ではない。手段だ。
『僕が与えるのは気付きさ。現代魔術師が到達していない、再生魔術の可能性の一端』
それは、
『さっき君を助けた術師の男が使っていただろう。アレを試してみるといい』
……男……。
恐らく、アーカムの事だ。
そして彼が使っていたアレ、とは、
……騎士か。
己を媒介に生み出した従属体。彼をして研究中だという特殊な術式。
……アレが、我輩にも使えるのか?
論理的に考えるなら、自分の骨を用いても自分と同じ存在が出来るだけ。従属体故に存在としては不安定で、魂の抽出が行えないなら単なる木偶人形を一体、魔力を無駄に費やして生み出すだけだ。
『大丈夫、僕が導くから。君がやるべきなのは、魔素の提供と出現座標の固定だけ。何処に出せばいいのかは、解るだろう?』
つまり、正面に迫る竜顔を迎え討てる場所。
空だ。
……説明が欲しい所だが。
『時間が無いんだろう? ……ま、簡単に言うなら、あの術式が骨から読み取るのは記憶や記録ではないということさ。即ち――歴史だ』
歴史、とはつまり、
『人が紡いできた歴史。血が繋いできた歴史。受け継ぎ、次の世代へ渡し、尚も発展を望んでその動きを決して絶やさない。人が人として成立するまでにこの星に刻んできた、数十億年にも至る「過去」、その全て。あの術式が呼び出すのは、「そういうもの」の一端だ』
つまり、
……人間が人間として出来上がる生物進化の歴史、か? その中にあの騎士に該当する存在が居て、それをアーカムは呼び出している、と?
『人間の、ていうかその「アーカム君」の歴史、かな。個人差あるし。色々あったんだよ、何億年も前に。ちょっと一回世界滅んだりとか』
ちょっとという言い草で神話級の何かが飛び出したが、追求するべきだろうか。少し怖い。
『ほら、やってみな。手伝ってあげるから』
……有無を言わさず、といった具合だな。
だがつまりは我輩にも、アーカムが呼び出している騎士のようなものが使える、という事だろうか。しかし、
……あの騎士を我輩が呼んでも、『超竜種級』に対抗できる戦力になりうるのか?
アーカムが操る騎士は、彼自身が術式を完全には理解していないことから安定性に欠いている。にも関わらずあれほどまでの性能を持つのだから、確かに現状、それは我輩の強い味方となろう。
だが、それだけだ。強い味方、という程度の存在は、あの『超竜種級』に対して拮抗できない。
だがローランは焦りすら帯びず、
『……君さ、人間が扱う色等魔術と、動物が扱う強化魔術。どっちも普通に使ってるけど。それ、なんで同時に使えてるか解るかい?』
……は?
何の話だろうか。そしてどうしてと言われても困る。同じ疑問をモルガナにもされたが、我輩には答えられなかったのだ。
……しかし、そうだな……。
ローランは出来た。猫であった我輩にも限定的にだが出来た。そして生前のミルネシアも、程度は解らないが出来たのだという話だ。
故にそう珍しくないものなのだと、勝手にそう思っていたのだが、
『知性ある人が使う魔術。自然と共にあるために動物に与えられた強化魔術。これは、人と動物の住み分けのために与えられた「枷」のようなものでね。これを破ることは、才能や努力では何を以てしても不可能。だが唯一、この「枷」を最初から持たない生物が居る』
それは、
……竜。
『そうだ。かつての君がそれを使えたのは、僕がそう望んだからだ。僕が掛けた「あの魔術」。君はそれを許すことが出来ず、こちらから離れていった訳だけど』
……あんなもの、ほとんど呪いの類だろうが。
『そうとも言うけど……まぁ今はいいか。だけど、今の君は人間だ。その呪いを受け継いではいない。にも関わらず二つの異能を同時に使える。それは何故か』
……我輩だけに限った話ではなく……ミルネシアも使えた、というのなら……。
それは、この体が『そういうもの』だった、という事だ。
だがローランは言った。これは才能ではどうにもならないのだと。
そしてローランはこうも言った。これは竜にのみ許された特権なのだと。
つまり、
『ミルネシアの――ハート家の歴史には、竜が混じっている。そういう事だ』
我輩は、今朝の事を思い出していた。
アーカムが語った、伽物語だ。
それによれば、竜はかつて消える前、人の世に護りの手段を残した。
――『血族』。
竜の力を継ぐ者。
……そうか。
考えてみれば、そもそもがおかしかったのだ。人の血に残したはずの『血族』。にも関わらず育てられたその『代わり』。そして極めつけは、我輩の魂がミルネシアの体に定着出来た、その事実。
それらが示すものは、
……死んだミルネシアこそが、今代に覚醒するはずだった『血族』だったのだな?
「……そうだ。彼女は術師として完成する前に亡くなってしまったけれどね」
故にこそ、その代わりとして我輩が選ばれ、育てられたのだと言う事だ。
……今の我輩は、あくまで『代わり』に過ぎないと、そう思っていたのだが……。
この体が本物の、本来の『血族』であったのは、果たして偶然であったのかどうなのか。
解らない。解らないが、
――。
『さあ。やってみな。普通は出来ないことだけど――アーカム君が「そこ」に自力でガチ到達しているのはマジでびっくりだけど――うん、僕の手伝いがあれば、やれるはずだからさ』
我輩は、目を閉じて魔力を知覚した。
魔力とは、魂から生じる力の総称だ。
感覚としては、器だ。カップの底から湧き出し、縁から溢れ出る透明な水。そして零れ出した物を受け止め、自分色に染め上げるソーサーが『魔核』という存在だ。
染まったものを、『魔素』と呼ぶ。
後は簡単だ。精製した魔素を、任意の場所に投じればいい。
普通であれば、体の外へと押し出して運用する。注ぐ、と言う者もいれば、浸す、と表現する者もいる。モルガナ辺りは『ヴァーっとやりますの』などと言っていたが天才ってこれだから。
だが、今回のこれは外に出す必要はない。
何せ、己の骨だ。
ただ落とせばいい。
頭の上から、足の先まで。伝うように全身を浸した魔素を、隙間を埋めるようにして塗布していく。
我輩の感覚では、魔力は水だが魔素は粘性を帯びたものとして理解をしている。ゆえに作業は、クリームや化粧水を付けるのと同じようなものとしての行いだ。
頭蓋の曲面。首の筋。鎖骨に沿って塗り広げ、胸骨の間にも忘れずに指を這わせる。
足先までを終えればそれで終了。後は術式の発動を念じ、必要事項を入力するのみだ。
場所は空。目的は迎撃。魔力は半分までなら勝手に使え。そして敵は、
……。
目を開ける。
黒の、壁にも等しい巨大物が、大気を切り裂いてやって来る。
敵は――あのデカブツだ。言わなくても解るだろうがな。
光は、まるでつむじ風のように展開した。
発生源は我輩の背後、櫓の足元となる位置からだ。
下から上へ、直径百メートル規模で渦巻く粒子状の煌きが、唐突に風と共に現れる。
最初それは、雪の舞う光景にも似たものだった。だが次第次第に光量を増して渦を連ねていく有様は、階段を駆け上がるようにして現実感を失していく。
それは上空、千メートルを越えるような高位置へと向かった。何重もの螺旋を描き、重ね、増す光を雪花と散らし、止まらない。
眩しくはない。が、見る者の心を掴むような、それは神聖な輝きを放ち、尚も己を堆積する。
絶えず、湧き上がり、上昇し、濃くなりながら周っていく。
昇華する。
――。
光はやがて粒から波へ、波から迸りへと進化を辿りながら、多重螺旋の構造を厚くしていった。
やがて全ては、天上、数千メートルを超える空へと突き立つ光の柱として成長し、
……!
最後に一際強い光が、一際鋭い突き上げとして、地表から天たる空までを鼓動のように打撃した。
叩く。
遥か、と言える光量。そしてその『中』に居る『もの』を前に、
「――……!」
上空、赤と黒の竜顔が抗議の叫びを撃ち放つ。
威嚇。あるいは恐れ。
どちらとも知れないが、
「――――」
やがて光が、飛沫を上げるように散華する。
一瞬だ。だがそれは、勝手に散るのではない。
まるで何かに耐えかねたかのように。その内側にある『もの』を抑えきれなくなったかのように、自ら身を引いたのだ。
あるいは、光柱の中に生じた『それ』へと送る敬意であるかのようにして、
――。
喝采した。
風を叩く奏でを光の散り音として響かせ、それは砕ける硝子の檻から開放されるように飛び出した。
腕を畳み、顔を伏せ、体を折った体制から、
「――……!」
それらを開放するように、腕と胸を張って己を主張した。
我輩の直上。白と青の装甲竜の姿が、そこに顕現する。
――。
大きい。およそ七百メートルを超えるであろう二足形態の巨体は、間違う事無き『竜種級』。腹下から後ろへ回って尚も伸びる長大な尾を含めれば、『超竜種級』の魔虫にすら引けを取らない体躯を持っている。
兜に似た頭部には従属体に付き物の虚があり、胸部を覆うのはプレートアーマー然とした構造体の集合だ。
背の六枚板は、細く、しかし全幅千メートルを越そうかと言う巨大な白翼。これはそれぞれが更に細い板の集合のようで、まるで風を受け止め、流すかのようにして表面が常に稼動している。
両の拳に五枚ずつ備わるのは、ブレードに似た鏡面を持つ爪の一対。腹部から尻尾へは、蛇腹状の鉄板装甲が連なるようにして先端までを覆う。
二本の脚として備わるのは青の色。刃にも似た鉄の板の集合だ。それが幾枚、幾十枚も重なり、まるで檻のような構造物を作り出し、脚の替わりとして付いている。それは直刃の剣を何振も用意して脚の形に重ねた、義足のようなものにも見えた。
巨大、且つ莫大。そういう言葉を放つ存在が、ここに居た。
というかこれは、
……ローランじゃないか。
怨絶竜ローランフリート、その竜体だ。以前我輩が見たものよりも少し全体的に細身で青が濃いが、
『その通り。少々若いが、僕だ。何せ「血族」とは、十二の竜が自ら人間の血に残した「己」そのものだからね。その「歴史」を紐解くならば当然こうなる。「原生体」とでも呼ぼうか』
言い、すると頭上に顕現した竜が両腕を張りながら、
「――――!」
叫びを放った。
生き物というよりは、何か数種類の楽器の音を同時に伸ばしたような高い音だ。
……貴様が操っているのか?
『魂が入らないからね。初回のみのサポートサービス、ってやつだ。次回呼ぶ時は自分で操れ』
本当はこれもまずいんだが、と断りを入れ、
『しかしまぁ……存分に体を動かすのは久しぶりだから、ね。少し』
言った。
『暴れてみようか』