鈴屋さんとワイバーン!〈3〉
ワイバーン編の第三話になります。
ウルトラライトな文量です。
コーヒーブレイクのお供にお気軽に楽しんでもらえれば幸いです。
中腹にある“竜の爪痕”までの下山は、数十分ほどですんだ。
この馬が誰のものかわからないが、日頃からこの道程を行き来しているのだろう。
細かい指示を出さずとも、入り組んだ山道を危なげない足取りでくだっていった。
「見えてきたぞ、シメオネ…」
シメオネが、んにゃぁと擦り寄るようにしながら弱々しく鳴く。
声に力がなく、心配が募る一方だ。
“竜の爪痕”は木造1階建ての、山小屋と民家が合体したような宿だった。
玄関や窓際に色取りの鉢花が置かれていて、実に可愛らしい。
きっと中も、手入れが行き届いているのだろう。
「アーク殿!」
屋根の上で、膝を揃えて座っていたハチ子が声を上げる。
ずっと俺達の帰りを待っていたのだろう。
そのひたむきな姿勢に、感激すら覚える。
彼女は心配そうな表情を浮かべたまま、軽い身のこなしで地面に降りると、こちらに駆け寄ってきた。
ハチ子の声をきっかけに、鈴屋さんとラスターも建物から出てくる。
「………………」
いち早く迎えに来てくれたハチ子の表情が、無言のまま僅かに険しくなる。
原因は、しがみつくようにして俺の胸にもたれかかるシメオネだろう。
「その猫は、何をしているのですか?」
あからさまに、きつめの口調で聞いてくる。
「あー君、おつかれさま〜。その馬どうしたの?」
「おい……妹が怪我をしているようにみえるんだが」
矢継ぎ早に質問を浴びせられ、たまらず手でそれを制する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いま説明するから……」
頭のなかで山頂での出来事を思い浮かべ、かいつまんで説明していく。
細かな部分はかなり排除したから、あとでまた詳しく説明をしなければいけないだろう。
「……ってわけだから、この馬が誰のかもわからないんだ。それに今は、シメオネの怪我が心配だ」
シメオネがまた「んにゃぁ」と鳴き、弱々しくしがみついてくる。
かわいそうに……早くなんとかしてあげないと……と、俺は心底心配しているのだが、我らが麗しき女神様は大層ご立腹のご様子だった。
すぅぅぅっと目を細めながら、キュートな唇をとがらせていく。
「で……どうするのかな? まさかそのまま王子様気取りで、街まで抱いて行くつもりなのかな?」
「いやでも、怪我が……」
そこまで言ったところで、今度はラスターがシメオネの顔を覗き込む。
……目付きの悪い目で、じーーっとシメオネを凝視し続け……
「……にゃ」
なぜかシメオネが、ぎぎぃ……と、ぎこちない動きで、ラスターから目をそらしていった。
「……に、にぃさま……近いにゃ」
うっすらと、冷や汗までかきはじめる。
「なるほどね」
なにが、なるほどなんだ。
「シメオネ。お前はなぜ、まだ怪我をしたふりをしているのかな?」
……えっと……ふり?
「いや……いやいや、ラスター。流石にそれはないぜ。ワイバーンの尻尾で叩きつけられたんだぞ?」
「……そうだね。たしかにその時は、怪我もしたんだろう。口元の血も、その時のものだろうね。でも、気闘法には“快気功”という、自己治癒の技術があるはずだけどね」
なにそれ、初耳。
シメオネの方に視線を落とすと、半笑いのまま固まっている。
どうやら、ラスターの言うことは本当のようだ。
「ここまでの道のりで、十分に練気できたはずだろう?」
「……な……なんのことかにゃぁ……」
うわぁ……嘘が下手だ。
「お前なぁ……」
「んにゃぁ〜アーク様ぁ」
尚も俺に擦り寄るシメオネを、今度はハチ子が無理やり引きずり下ろした。
「な、なにするにゃ!」
「猫まで被るとは……そこは、もともと私のポジションです」
「ちょっと待って。それも違うぞ」
「大体、アーク殿がそんな簡単に騙されるのが悪いんです」
「そうだよ。あー君、しっかりしてよね」
「えぇ? ここで俺なの?」
なぜそこで、標的が俺に変わるんだ。
す〜っと静かに離れるラスターに助けを求めても仕方がないし。
……こいつ、こうなるとわかって、わざと波風立てたんじゃあるまいな……
「あのぅ〜〜」
不意に横から声をかけられる。
聞き馴染みのない声だった。
見れば、12歳くらいの少女が両手を組み、困った表情を浮かべて立っていた。
栗色のロングヘアーが似合っていて、かわいらしい。
「えっと?」
「その、立ち話も何ですし……どうぞ中へ」
一瞬「誰だ?」と思ったが、この宿の看板娘的な人物なんだろうと理解する。
この際、俺に降り掛かってきた火の粉を払えるなら、なんでもいい。
むしろここでの登場は、ありがとございますってもんだ。
「あぁ、どうも。そうさせてもらえると助かるかな」
俺がそう答えながら馬から降りると、その子が驚いた表情で駆け寄ってきた。
「あれ、グレイス! どうして?」
俺がグレイス?と聞き返すと、少女が大きく頷いた。
「この馬、父さんの馬です。いったいどうして……」
「あぁ……えっと……実は山頂でワイバーンに襲われて……逃げる時に、この馬が繋がれていたから拝借してしまったんだけど……」
山頂で、と少女が考える素振りを見せる。
「……なるほど、そうだったんですね。今朝、父さんが山菜を採り行っていたから、それでつながれていたのかな……ワイバーン、また出たんだ」
少女が一瞬目を落とすが、すぐに明るい笑顔をこちらに向ける。
「あっ……とにかく無事でよかったです!」
「あぁ、うん。ありがとう」
いやでも、そこは父の帰りを心配するはずだろう。
ワイバーンに襲われでもしたら、大変なことになる。
「ごめん、俺が馬を使ったせいで。今から、君の父さんを迎えに行くよ。俺達が山頂から逃げるときには、見当たらなかったんだけど」
しかし少女は、首を横に振った。
「それなら、きっと大丈夫! お父さんにとって、この山は庭のようなものだし。グレイスがいないならいないで、さくっと安全なルートで下りてきます。むしろ、探しに行くほうが危険かな」
そうは言われても……と、返答に少し戸惑っていると、少女は俺の服の袖を引っ張るようにしてまた笑った。
「さぁ、みなさん入って! ハーブ茶でも入れるね」
なんとも笑顔が可憐で、かつ強引な少女だ。
俺はそうして、半ば強引に中腹の宿“竜の爪痕”へと、足を踏み入れることとなった。
扉を開けると、すぐそこは、立派な暖炉のある広めの部屋になっていた。
みんなでくつろぐ大部屋といった感じだ。
俺の中で、ますます山小屋の印象が濃くなっていく。
「ようこそ、“竜の爪痕”へ! 私、レイシィっていうの!」
「あぁ、えっと……俺はアークで、そっちのはシメオネ、な」
こちらも名を名乗ると、彼女は目を閉じて、こめかみを人差し指でトントンと叩き始める。
「アークとシメオネ……うん、覚えた! よろしくね!」
「うん、よろしく。なんか随分と手慣れてるな。手伝い、よくしてるのか?」
「ん〜〜。うち、お母さんが小さい時に死んじゃったから、私もがんばって手伝わないとなの」
そう言いながらも、決して笑顔を絶やさない。
間違いなく、将来有望な看板娘だ。
彼女に案内されるまま、大部屋の奥にある廊下を抜けると、すぐに客室の扉が現れた。
「こっちの部屋に4人、向かいの扉は2人部屋になってるの。ん〜と……」
また目を閉じて、こめかみをトントンとする。
何かを覚えたり、思い出したりするのに必要な作業なのだろう。
あまりに可愛いアクションなので、ぜひ鈴屋さんも導入して欲しい。
「鈴屋さんと、ハチ子さんと……アークさんが4人部屋ね。ラスターさんとシメオネさんが、2人部屋!」
「あ、そうなの?」
普通、男女で分かれそうなものだが……
あぁ……でも、よくよく考えてみたら、あっちは兄妹だし……変に混ぜるよりは、いいのかもしれない。
まぁ、鈴屋さんがそれでいいなら、いいかと納得する。
「廊下の奥は、私たちが暮らしてる部屋だから入らないでね。あ、お風呂の時は別ね。お風呂は、またその時に案内するから、とりあえず部屋にどうぞ。私は、お茶を用意するね!」
レイシィはウインクをひとつすると、元気に廊下の奥へと走っていった。
「んじゃあ、一旦部屋で荷物下ろして、少ししたら大部屋で話をしようか」
「わかったにゃ! アーク様、またあとでにゃ!」
こちらも元気に手を上げて、部屋に入っていく。
ラスターは、もう荷物をまとめ終えているのだろう。
そのまま入り口の大部屋の方へと、戻っていった。
「おぉっ、広いね〜!」
思わず声を上げて部屋の中を眺めていると、鈴屋さんが背中をぐいぐいと押してきた。
「んな、なに?」
「いいから、入るの!」
そのまま部屋の中に押し込まれると、ハチ子が扉をガチャりと締める。
なにその連携。
なんか、すげぇ怖いっすよ?
「なに、どうしたの? 頂上でのことは、ラスターも交えて説明したいんだけど」
「そうじゃなくて!」
えらく不満げに、口をへの字にしている。
不機嫌なのに、とても可愛いです。
「この部屋割りは仕方なく、なんだからね?」
「……あぁ、はい……」
「私は、アーク殿と2人部屋でも、かまわないですよ♪」
それはなんか……俺の理性がまた試される気がして、有難くごめんなさいだ。
「安心してくだせぇ。ちゃんと、我慢するんで」
しかし鈴屋さんは、ますます目を細めてしまう。
「……我慢って……あー君は、何を我慢するのかな?」
「あのねぇ。俺は健全な男子なの。相部屋とか、色々と大変なの!」
「そういう、正直なアーク殿も魅力的ですよ♪」
ハチ子の本気っぽい言葉に、鈴屋さんが「またそうやって!」と声を荒げながら手をパタパタ動かす。
はい、かわいいですぅ!
「とにかく、あー君はそっちのベッドね。 私とハチ子さんはこっち。真ん中からこっちには、足を踏み入れないこと! ユー・コピー?」
「……あ……アイ・コピー……」
俺は渋々と右手を上げて、一方的な不可侵条約を了承したのだった。
【今回の注釈】
・ユーコピー? アイコピー……「了解したか?(ユーコピー?)」「了解しました。(アイコピー)」プラネテスで頻繁に使われてた言葉で、現代社会だとパワハラに入りそうな使われ方をします




