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i.

 海鳴りか、木々の間を抜ける風か。いずれにしても侘しく、四月には到底相応しくない音で目覚めた高野智也(たかのともや)は、とても憂鬱だった。

 自宅に近い中学校への異動が決まり、通勤が楽だと喜んだのは、引継ぎで学校に入るまでの僅かな間のこと。その後は、ひたすら暗い気持ちに支配されていた。

 社会人になってからの六年間で、こんなに職場に行くのが憂鬱だと思ったことはない。仕事そのものが問題なのではなかった。自分が教師に向いているとは思わないし、子供も別に好きではない。が、上司や同僚は定期的に異動し、生徒も毎年入れ替わっていくという環境は素晴らしい。異動は市内のみなので、多少通勤に時間がかかることはあっても、引っ越して見知らぬ土地に住む必要はない、というのもよかった。

 加えて、教員という人種には個性的な人間が割と多い。それも助かる点だった。普通の会社員なら変人扱いされそうなことでも、さほど問題なく通るのだ。例えば、同僚とのつき合いがいかに悪くても、仕事を真面目にしていれば大目に見てもらえた。淡々と仕事だけをこなしたい高野には、ありがたいことだった。

 他人との濃密な関わりを避け、安全な自分のテリトリーの中でひっそりと日々を過ごす。高野の人生における目的でもあり、手段でもあることだった。それで何かが得られるわけではない。ただ、今持っている最低限ものは失くさずに済む。

 そう思って、これまで自分なりに努力してきたつもりだったのだが。

 真面目に地味にやっても報われるとは限らない、ということは重々承知だ。だが、これほど簡単に破局が訪れるとも思っていなかった。甘かった。いや、むしろ今まで運がよかったというべきか。

 今度の職場、あの中学校。建物に入って、すぐにわかった。微かにではあるが、漂う術者の気配。確かに父親がいっていたとおりだった。

──いればすぐにわかる。あれは本能で察するものだ。

 これまで、本物を見かけたことさえないというのに。たぶん、野生の生き物が敵の存在を素早く察知するのと同じなのだ。相手がどれほど危険か。どう逃れたらよいか。野生動物なら、それも本能で知っているだろう。

 残念ながら高野には、そこまではわからなかった。相手がどんな術者で、どれくらいの力を持っているのか。皆目、見当がつかない。

 何しろ自分は、ずっと人間として生きてきたのだ。父親がいたなら助言のひとつも貰えたろうが、亡くなって五年とあっては無理な話だ。頼みの綱は、父から与えられた僅かな知識だけ。しかしそれでは、あんなに術者の気配が微かなのは、力が弱いからなのか、それとも制御して抑えているからなのか、それすら判別不能だった。

 いつどこで術者と出くわすかわからず、出くわしたらどうなるのかもわからないのだ。学校にいる間中、緊張のしっぱなしである。高野には相手を退ける何の手段もない。術者が友好的で、僕(あるいは私)いますけどお気になさらず、と見逃してくれればとても助かるが、まずあり得まい。おまえは魔物だね、と睨まれて、その場で即、両親の元へ──という可能性が最も高そうだ。

 といって、職場へ行かなければ社会生活が破綻する。どのみち生きてはいけない。どうしたらいいのか。憂鬱にもなるというものだ。

 怯えながら過ごした昨日までの間で、それらしき人物との遭遇はなかった。教職員全員とは既に顔を合わせている。皆違うらしかった。ああして校内に気配があるのだから、近くにいてわからないということはないだろう。教職員ではないのだ。すると、生徒。一年生ではない。明後日が入学式だ。つまりは二、三年生の誰か。

 高野は深く溜息をついた。今日から彼らが登校してくる。恐るべき始業式というわけだ。渋々ベッドから起き上がった。

 寒い朝だった。風が強い。しかも暗かった。雨まで降っているようだ。不吉過ぎる。人生最後の一日(かもしれない)の始まりには、ひどく相応しかった。

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