第19話:煤(すす)落としの仕上げ
グラファイト領主の屋敷、その執務室。
贅を尽くした室内で、領主はマリアへの上納金という名の「不純な利益」を数え上げ、下品な笑みを浮かべていた。
「ふふふ……これぞ救済。民が泥を啜り、私が肥える。これほど効率的で美しい仕組みは――」
「――どこが美しいのかしら。あなたのその節穴、一度綺麗に洗浄して差し上げた方がよろしいですわね」
重厚な扉が、まるで塵でも払うかのような軽やかさで左右に撥ね退けられた。
そこに立っていたのは、一粒の煤さえ付いていない、漆黒のドレスを纏ったエカテリーナ。そのあまりの気高さと不遜な態度に、領主は数えていた金貨を床へぶちまけた。
「な、何だ貴様は! 無礼だぞ! ここを誰の館だと思っている! 警備の者はどうした、この無礼者を叩き出せ!」
「騒がしいですわね。あなたのその不潔な声、わたくしの鼓膜に対する侮辱ですわ」
エカテリーナが優雅に扇子を動かすと、彼女の影からシオンが音もなく現れ、領主の喉元に刃の冷たい感触を添えた。
領主は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。その背後に控える者たちの圧倒的な殺気と、女自身の放つ「支配者」のオーラに、本能的な恐怖を覚えた。
「き、貴様……一体何者だ。この私に逆らって、タダで済むと……」
「黙りなさい。自分の足元で起きていた大規模な落盤にも気づかず、欲の皮だけを突っ張らせて。……領主殿、あなたのその油ぎった顔。不当な利益で肥え太り、毛穴の一つ一つまで醜悪な嘘で詰まっていらっしゃいますわね。わたくしの美肌にとって、あなたのような存在は煤煙以上の天敵ですわ」
エカテリーナが冷笑を浮かべて歩み寄ると、アンが冷静沈着な声で、中抜きや児童労働の事実を突きつけていく。
「救いなど、どこにもありませんわ。あなたが聖女と崇めるマリアは、あなたの不潔な魂を浄化などしてくれません。ただ、使い潰すだけ」
エカテリーナは窓の外、リズの魔法によって青空が戻りつつある街を見下ろした。そして、懐から眩い光を放つ魔道具を取り出す。
「グラファイト領主。あなたの魂に染み付いた強欲は、もはや言葉での洗浄は不可能ですわね。……王家の名において命じます。あなたの全ての権限、および不当に蓄えた全財産を今この瞬間をもって没収しますわ」
彼女の手の中で、王家の魔法刻印が輝きを放った。その絶対的な権威の象徴を目にした瞬間、領主の顔から血の気が引き、ガタガタと歯を鳴らした。
「そ、その刻印……まさか、王都を追放されたはずの……毒舌姫、エカテリーナ様……!? なぜ、なぜあなたがここに……っ!」
領主は絶望に顔を歪めたが、次の瞬間、その瞳に狂気じみた色が宿った。ここで従ってしまえば、全てを失う。
「……いや、違う! 騙されるな! こやつは姫様の名を騙る偽物だ! 出あえ! 全兵士、出あえッ! この不遜な魔女を、斬って棄てよ!」
領主の叫びに呼応し、大広間の隠し扉や上階から、館に残っていた精鋭の私兵数十人が武器を構えて雪崩れ込んできた。
エカテリーナは、眉一つ動かさず、優雅に扇子を閉じた。
「……この館の痴れ者は意外と強い精神力を持っているのね。少し驚きましたわ。アン、シオン、雷牙、そしてリズ。わたくしの視界がこれ以上汚れないよう、少しこらしめてやりなさい」
四人の影が動いた。
雷牙が最前列の兵士の懐へ滑り込み、その顎を掌底で打ち抜く。崩れ落ちる兵士を盾に、背後の敵へ投剣を放ち、武器だけを正確に弾き飛ばした。
「悪いな、俺の刃はあんたらの薄汚れた鎧を斬るに値しねえ」
シオンは兵士達の死角から死角へと移動した。彼女が通り抜けた後には、兵士たちが自身の流した血で足を滑らせ、あるいは急所を的確に突かれて、声を上げることもなく倒れ伏していく。
「……エカテリーナ様の道を塞ぐ不純物は、排除する」
そしてアンは抜刀することなく、鞘に収めたままの愛刀で、降りかかる剣を次々と受け流した。その動作はあまりに速く、兵士たちは自分が何をされているのかさえ理解できないまま、アンの峰打ちで昏倒させられていった。
一方、最後尾で杖を弄んでいたリズは、押し寄せる兵士たちを見て深いため息をついた。
「えー、これ一人ずつやるんですか? どかーんって一発で消しちゃえば楽なのにー。……お屋敷を壊したら怒られちゃうし、もー、面倒くさいなぁ」
リズはぶつぶつと文句を言いながら、迫りくる兵士の眉間に、杖の先から豆粒ほどの小さな光弾を指先で弾くように放った。
「はい、おやすみなさい。そっちの人も、はい、おやすみー」
光弾は吸い込まれるように兵士たちの額へ吸着し、接触した瞬間に微弱な衝撃波を発生させる。広範囲を吹き飛ばす本来の魔法を、極限まで「一点集中」に圧縮した精密射撃。リズが指を鳴らすたびに、屈強な兵士たちが糸の切れた人形のように次々と崩れ落ちていく。
数十人いた精鋭たちは、一分と経たぬうちに、誰一人として動くこともできずに大広間の床へ転がった。
「な、な……馬鹿な……。兵士たちが、手も足も出ずに……」
エカテリーナは、瓦礫の山となった兵士たちを跨ぎ、領主の前へと歩み寄った。
「これで、少しは頭が冷えましたかしら? 『元』領主殿」




