九話目
持ってきた鍵のうち、今のところ全てがハズレ。メアは最後に残った鍵をしっかりと握りしめながら、ゆっくりと鍵穴に差し込んだ。一瞬の間をおいて、手首を捻ると――
ガチャリ……
無機質な音が鍵穴から響き、枷が外された。久々の解放感と、奥底から湧き上がってくるとめどない力。今まで封印されていた魔力が急に溢れてきているのだ。まるでエンジンがかかったかのように、体が熱い。
一方メアはそれがあたりだとわかるや否や残り三つの枷も同様に開錠した。やがて完全に自由になった俺は、その場で軽くジャンプして感覚を確かめる。どうやら体力も魔力も数百年経ったが衰えていない。これならいける。
「早く行きましょう。こっちよ」
「メア。ありがとう。今度は俺の番だな」
「お礼何ていいわ。それより、早く逃げないと」
「おっと待った。そっちから行くよりこっちから行こうぜ?」
穴の方へ向かおうとする彼女の肩をがっしりと掴んで引きとめた。すると彼女は不思議そうに首を捻りながらこちらに視線を寄越し、
「でも、そっちのカギは持ってないわ」
確かにそうだ。だが、今の俺にとってそんなことは関係ない。
彼女を安心させるように優しく微笑み、
「ちょっと待ってな」
首を捻ってゴキゴキと鳴らしつつ、一歩一歩檻の方へと近づいていく。そして、ある程度距離を置いたところで立ち止まり、そちらに向けて手をかざした。
徐々に魔力が手に集中していく感覚を味わいながら、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。
「久しぶりだな……《弾けろ》」
直後、目の前にあった堅牢な鉄柵が爆散し、土煙が舞う。あまりの衝撃に、メアは尻餅をついていた。椅子ウサギは倒れていないが、よほど衝撃的だったのだろう。小さく震えて目を見開いていた。
服に付いたほこりを払いつつ、
「ま、こんなもんか。まだ魔力回路が完全に目覚めてねえなぁ……すぐ元通りになるとは思うが。っと、それより。メア、椅子ウサギ、行くぞ」
「今の、魔法?」
「ああ、そうだぜ。破壊系初級呪文だ……怖かったか?」
だが、彼女はフルフルと首を振って否定し、ニコッとほほ笑んで告げる。
「そんなことないわ。今度、私にも教えてちょうだい」
「おう、いいぜ。ま、それはここを出てからだな」
首肯し、こちらにすり寄ってきたメア。一方、椅子ウサギはなぜか壁の方に寄って、俺たちから距離を取っていた。だが、その場で足踏みしたりチラチラとこちらに視線を寄越しているあたり、来るのが嫌なわけではないみたいだ。もしかしたら、遠慮しているのかもしれない。
……ったく、しょうがねえなぁ。
「おい、何してんだよ。お前も来いよ」
「グルゥ?」
その言葉が信じられないというように目を見開く椅子ウサギ。そんな奴を安心させるかのようにふっと笑みを作り、
「当たり前だろ? 行こうぜ、ダチ公」
「ガウ!」
「ぶわっ!?」
嬉しそうに走り寄ってきた椅子ウサギ――そこだけ見れば感動的な光景だっただろうが、勢い余って俺を突き飛ばしたのはまずかった。あまりに威力が強すぎて壁に半分埋まってしまっているほどである。
まぁ、今日ばかりは許してやろうと思い、無理矢理そこから脱出。俺たちはそのまま螺旋階段を上がっていった。するとしばらくして見えてくる光。それを見るなり、年甲斐もなく俺は駆けだしてしまった。
「おっしゃあ! 外……だ?」
扉を開けて思わず固まってしまう。何故なら――そこにはいつもの兵士たちが控えていたからだ。しかも全員臨戦態勢で、手にはそれぞれの獲物を携えている。
重厚な鎧に身を包んだ老兵が前に進み出るなり、凄味のある声で告げた。
「観念しろ、化け物。またあそこに送り返してやる」
「そうだ! 貴様はこの世界に存在していい存在ではない!」
ずいぶんな言われようだが、ほとんど事実なので反論できない。するとさらに彼らは調子づいたのか声を大にして告げる。
「我々が何故ここの警備を任されていたかわかるか? それは兵の中で最も強いからだ!」
「いくら貴様が人外の強さを誇ろうとも、この数はさばけまい!」
「とっとと消えろ! 化け物!」
ちょっと調子に乗っているみたいだな。たぶん、頭に血が上っているのだろう。
説得を試みようとしたところで――俺の横を小さな影がすり抜けた。それはもちろん、メア。彼女は堂々としたふるまいで前に歩み出ると同時、バッと手を広げてみせる。
「この人を傷つけることは許しません! 控えなさい!」
「ば、馬鹿! そんなこと言っても……?」
だが、俺の予想に反して兵士たちは戸惑いを見せていた。すると、一人の兵士が悲鳴混じりに叫ぶ。
「姫様! そんな奴からはすぐに離れてください!」
「ひ、姫様!?」
いや、確かに高貴な身分だとは思っていたが、まさか姫とは……それならあの鍵を手に入れられたのも少し納得だ。だが、
「おのれ……姫様を騙すとは卑劣な奴め!」
「どんな外法を使ったのだ!」
「必ず返してもらうぞ!」
正直、今それは言わないでもらいたかった。余計事情がこじれてしまう。いや、もうこれ手遅れだ。完全に話し合いができる雰囲気ではなくなってしまった。兵士たちはこれまで以上の敵意を俺に向けているし、メアはメアで一切自覚がないのか堂々と胸を張ったままだ。はっきり言って、最悪の状況である。
「なぁ、聞いてくれよ」
まずは説得を試みようと思い近寄ろうとしたのとほぼ同時、彼らの武器がこちらに向けられた。
しかし、別段それを気にせず彼らの方に歩み寄っていく。そして、敵意がないのを示すように両手を高く上げた次の瞬間――
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
「……え?」
俺の体をいくつもの槍が、剣が、矢が貫いた。こみ上げてくるむせ返るような血の味に耐えきれず、口から大量の血反吐を吐いた。肺がやられたのか、上手く呼吸ができず、かすれた音だけが口から響く。
「ウル!」
「来るな!」
駆け寄ろうとする彼女を手で制する。再生するのだから、これくらいなんでもないのだ。
「なぁ……待ってくれよ」
ザンッ!
「ガ……ハッ!」
差し伸べた右手が、一切の躊躇なく叩き斬られた。切り落とされた右手はクルクルと舞い、ドアの方にポトリと落ちる。その断面からはじわじわと血が滲み出ていた。
「ぎ……ああああああああっ!」
叫び声をあげるたび、体に開けられた穴から、あるいは丸太のようになってしまった右腕から血が噴出する。メアは耳を塞いで、小さくうずくまっていた。
「おい……お前ら」
「チッ! まだ死なぬか! いったん下がれ!」
『ハッ!』
バッと飛び退り、俺から距離を取ったかと思うと、一斉に弓を構えて射る。それの大半は俺の方に――だが、一本はメアの方に向かっていた。うずくまったままの彼女は動こうとしない。
「……メアアアアッ!」
――気づけば、体が勝手に動いていた。一歩を踏み出すたび血が噴出し、死にそうなくらいの痛みが俺の体を駆け巡る。ともすれば気を失ってしまいそうだったが、なんとか歯を食いしばってそれに耐え、
「おおおおおおっ!」
「きゃっ!」
彼女を押し倒してその上に覆いかぶさった。数秒遅れて、矢が俺の体を貫く。新たに噴出した血が、メアのきれいな召し物を赤く染め上げていった。
彼女は唇を小さく震わせながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「ウル……」
「ごめん……なぁ。怖いだろ? こんな化け物」
だが、彼女は目に涙を浮かべつつ首を振る。
「そんなことないわ……あなたは人間よ。優しい心を持った、素敵な人」
「ハハ……ありがとよ」
「おのれ――姫様から離れろ!」
だが、その雰囲気をぶち壊すように一人の兵士が襲撃を仕掛けてくる。彼は上段に剣を振りかぶり、こちらに狙いを定めた。かと思ったのも束の間、
「ガアアアアアッ!」
今まで姿を見せなかった椅子ウサギが凄まじい勢いで飛びだし、その兵士の体を弾き飛ばした。彼はまともに受け身を取ることも出来ず遠く離れた石の壁に激突し、おそらくは、絶命した。
「グルルルルゥ……ガアアアアアッ!」
「やめろ……殺すな!」
俺の叫びは、怒り狂った椅子ウサギには届かない。今までは事態を混乱させまいと堪えていたらしいが、とうとう我慢の限界を迎えたらしい。あいつは、まさしくその本性をむき出しにして蹂躙した。
長い爪で肉を裂き、鋭い牙で喰らい、強固な角で兵士たちの鎧を貫いた。その驚異的な力の前に、彼らはただ逃げ惑うだけである。
「う、うわああああっ!」
「来るな! 来るなああああっ!」
「あああああっ! 俺の腕が! 腕が!」
聞こえてくるのは兵士たちの悲鳴と断末魔、続いて捕食音。俺は必死にメアの耳を塞ぎ、その光景を見せまいと自分の体を押し付けた。だが、そうした分俺の方には鮮明にそれらが聞こえてくる。
「ガルウアアアアアッ!」
「ぎゃああああっ! 誰か助けてくれ!」
「殺さないでくれ! 頼む! 俺には婚約……嫌だああああっ!」
薄目でそちらを見ると、映りこんできたのはまさしく地獄。逃げ惑う兵士たちをことごとく椅子ウサギは襲撃し、殺していた。かろうじて生きている者もいたが、それも悲惨なものだ。
千切れた手を拾い、地べたを這いつくばって逃げようとする者。裂かれた腹からはみ出ようとする腸を必死で押さえている者。あまりの痛みに耐えかねたのか、自分で心臓を突き刺した者。
永遠にも続くような時間が流れたかと思うと――不意に訪れる静寂。見れば、もうそこに生者はいなかった。椅子ウサギは真っ赤に濡れたその全身を妖しく光らせながらこちらに歩み寄り、
「グルゥ……」
その長い舌で俺の矢を一本一本抜いてくれた。それにつれて再生を始める俺の肉体。椅子ウサギはその間も俺の傷を舐めて消毒してくれていた。
「ありがとな……椅子ウサギ」
「ガウ」
嬉しそうに笑う椅子ウサギ。一瞬大きく開けられた口の奥で――よく俺にちょっかいを出していた老兵の頭が見えた。いくらひどい扱いをされたとはいえ、それが死んでいいということにはつながらない。もやもやとした嫌な思いが内から湧き上がる。
だが、もうそんなことを言っても無駄である。俺と違って――彼らの命は有限なのだから。




