25話 奇襲迎撃
投稿します。
お楽しみ頂ければ幸いです。
地を往き村々を回りつつ民を宥め、目的の秦川へと向かう董旗を掲げる軍勢。七千の兵の内半数以上は騎兵で彩られ見る人が見れば圧巻の一言に尽きるだろう。前軍に呂旗、中軍に董旗と賈旗。そして後軍に臧旗がある事から構成が窺える。
その中軍に居る賈駆、彼女は少し焦りに駆られている。
天水を経ち既に三日と掛かり民を宥め斥候を放ちつつの行軍は僅かに遅々としているが、それも仕様が無しと賈駆は何とか割り切る。親友の、もとい主君の行動を喧伝する為には不可欠なのだ。
「(……本当なら、もう賊を確認圏内まで捉えて奇襲を慣行するつもりだったのに。予定が一日だけど遅れてしまってる)」
兵は神速を尊ぶとは言うが、今回は拙速を尊ぶべしだったと思う。
陽が燦々と照りつける中、兵達の往く先を見るとまだ隘路を差し掛かった所である。
目的地へはまだ掛かる。賈駆は軽く溜め息を吐くと直ぐ近くの親友へと目をやる。
董卓。彼女には似つかわしく無い装備を纏い馬に跨っており、視線に気付いたのかこちらを向き首を傾げる。
「どうしたの詠ちゃん?」
「ううん。なんでもない」
思わず誤魔化してしまうが彼女は尚もこちらを見て来る。どうしたものかと思っていると、後方から馬蹄の響く音。見るとこちらに向かって来るは臧覇直属の兵。用があるのか、取り敢えずは助かったと思いその兵がこちらに来るまで待ち、臧覇の兵は礼をすると共に用向きを話す。
「――――…そう。分かったわ」
礼と共に兵は前軍へと駆けその姿を小さくしていった。
内容を聞いた賈駆は、僅かに目を細める。
数分前。場所は後軍、新緑の臧旗の下。
相も変わらず柄の悪さを隠そうともしない兵に囲まれての行軍の中。臧覇、姜維に神坂が馬を並べ、直ぐ真後ろに法正も騎乗し後に続く。隘路の中進んでいると、ふいに姜維が口を開く。
「薺さん、やはり予定より少し行軍が遅れてませんか? 幾ら民への慰撫や喧伝の為とはいえ、遅れてしまっては元も子も無いと思いますが」
「確かにな。これは詠らしくもない……が、今言っても仕方が無い。まあ本人も自覚してはいるだろう」
「でもですね臧覇将軍。批判するつもりじゃないですけど、前々から賈駆さんって少し董卓様の為に良い印象や噂を流そうとし過ぎじゃないですか? なんかそんな印象が強いんですけど」
「む、それ自体悪くないと私は思うが……何か問題なのか?」
「受け取る人間にもよりますけどちょっとね、あんま良い噂ばっかあり過ぎると人って返って不審に思うんじゃないかなーって思う訳ですよ。上に立つ人って必ずしも成功だけじゃなくて失敗も積み重なって在る訳ですから。失敗も挫折もした事が無い人間が上に立ってるって変に伝わってしまったら、民は兎も角、知恵のある豪族や今でも繋がりのある民族長とかが不安になるんじゃないかなって。あくまで私の意見ですけど」
ふむ、と顎に手を添えて思案する傍ら、姜維も軽くではあるが頷く。
「成程。言われてみればそう思えて来るな。失敗経験の無い君主は脆く、崩れやすい事を老練な者は誰よりも知っているのだから」
「や。でもこれ私の捻くれた偏見ですから他愛ない会話で処理して下さいよ」
「自分で捻くれと言うのか君はッ?」
「法正さん今の台詞を賈駆さんの前で言って下さいよ。間違いなく面白いことになりますから」
「周りで見てる人がそうだろうね!」
口元を抑えて笑う上司に釣られ付き従う兵も軽く笑い飛ばす中、先程から一言も喋らない男に気付き臧覇は不審に思う。
「そこの日向君は先程から何も喋らないが、景色ばかり眺めてどうした?」
「え、いや……なんか妙だなって」
「ん?」
首を傾げ神坂が見ていた方向を見るが、隘路から見えるのは草木の多い林とは反対側の草原。別段おかしな所は無いと見える。
「……何も無いが、妙とは?」
「あの辺なんですけどね。風が吹いてはいるけど、それにしては草の靡き具合が不自然だなって」
「えっ」
「なに?」
姜維と臧覇は一斉にそちらを向き凝視する。距離にして八引はあり、確認して見るが規則的に草は靡いており不自然な感じには見えない。暫くすると臧覇が肩を竦めて視線を外し、姜維も前列を向く。
「やはり何も無いぞ。君の見間違えだろう」
「……見間違えですかね?」
「だろうな。君は少々気を張り過ぎだと思うが」
「うわ、ひなっちダサい」
「うっさい。さっきの話賈駆さんに言いつけるよ」
「話を聞いてはいたんだ!? すみません勘弁して下さい!」
場は再び笑いに包まれ、次第に何事も無かったかの様に元の行軍状態へ戻る。
その少し進んだ所で臧覇は人指し指を曲げる動作で、手近に居た部下の一人を呼び付けた。
「そう言えば詠と恋君に伝え忘れた事がある。頼まれてくれるか」
「へい。何でしょう」
「膝元の東地区では盗人が食糧庫を物色し、西地区では鼠が人の膝を登る事件があった。と言って来てくれ」
「へい。確かに」
掛け声と共に前方へと掛けて行き、それを見届けると両手に武器を持ったまま思いきり伸びをする。その女性らしい身体つきが目に入って来た法正は己の胸を見下ろし、表情に影が差したのを見た隣の魏続と侯成は顔を逸らし、口元を抑えて思いきり憐れんだ。
四十歩余り。敵の位置からは坂でこちらが見にくい所まで行き、そこまで行けば奇襲を掛け部隊の側面を横殴りすれば良い。背中に弓と剣を携え草原の土を這い、少しずつだが近付き今ようやく敵部隊に矢が必中する距離まで近づいた。
涼州出身の董仲穎。精強な騎馬軍、勇猛な兵を擁し幕下の者は一騎当千の猛者だと聞いていた。だがどうだ。目の前の軍勢は自分たちの存在に気付きもしない。先程見えた将は弛緩してるのか、伸びまでしていた。……所詮、噂は噂だったのか。
隣の男がこちらを向き、コクリと頷く。
それを頷き返し、後ろに居る者達も先頭の男に頷きを返す。
もう良いだろう。この距離からなら側面奇襲は成功する。
「……行くぞ。矢を番えて一矢一殺でやんぞ」
小さく発す言葉に呼応し匍匐したまま背負っていた弓を構え、前方で掲げる董旗の軍勢に矢を浴びせるのだ。
前の男の合図が出るまで弦を引き狙い澄ます。
先頭の男が剣を抜き様、振り降ろして一斉射の合図を出そうとしたその矢先、
先頭の男は針鼠の様に矢を浴びた。
「はっ……?」
目の前の現象を数度の瞬きで理解し、何が起きたのかを理解し慌てた所でもう遅い。
失敗だ、皆逃げろ。
そんな言葉を発する余裕も与えてくれず、次の瞬間には空は無数の矢で覆われていた。
「二射目を射った後は私に続け! コソコソ動く鼠共を駆逐しろ!」
馬から跳び下り二対の青龍刀を抜刀して草原の中へ疾駆するは臧覇。遅れを取らまいと魏続に続き、他の部下も次々に下馬をして敵へと駆けて行く。
「残りは敵の第二波に備えて輜重隊の周りを固めて下さい! なん人たりとも近付けてはなりません!」
三尖槍を振るい代わりに指揮をするは姜維。臧覇隊の残りを率いて輜重隊の警護に付き周りを窺う。
「ちょっとちょっと、私を置いて行かないでってば! 放っておいたら私も死ぬよ!?」
「自分の身は自分で守って下さい。戦場に出るならばそれ位当然ですよ、主君以外は」
「伯っち超クールだなぁ! でもお願いだからいざって時は見捨てないでよねッ?」
法正の前半の言葉に疑問を覚えるが、またひなたさんから何か聞いたのだろう、と結論する。しかし言葉の割に法正、ちゃんと剣を構えて周りを警戒する辺り言うほど怯えてはいない。寧ろ軽口を叩ける位には余裕があるということだろう。
「あれっ、ひなっちと侯成って人……ていうかなんか臧覇将軍の部隊、なんか少なくない?」
「少ないですよ。だって今、というよりあの人たちが先程徐々に部隊の後ろに下がってたのに気付いて無かったんですか?」
「え、なんでどゆこと」
「先程の薺さんの言葉、聞いてなかったんですか?」
「膝元のーってやつなら聞いたけど、それが何」
良く解っていない法正に思わず気力が抜けそうになるが何とか踏み止まった。そういえば彼女はまだ知らなかったと思い出す。
「今、薺さん達は西地区の鼠を退治してるんですよ」
「西地区の鼠……あ、あーあー成程成程。そっか、じゃあひなっちは今」
「ええ、そう言う事です」
合点がいった法正に姜維はつくづく思う。
知らなかったんだ……てっきり誰かが既に、と。
集団心理は恐ろしいものである。
「くそっ、くそっ!」
黄色の布を頭に巻いた男は毒づきながら木々を潜り、必死に林の中を走り回る。
一緒に居た他の仲間も散り散りとなり何処かに逃げて行ったが生死など解る筈も無い。既に斬られたか、逃げ延びたか。
「待てこらー」
しかし問題は追って来る男だ。さっきまで一緒に居た柄の悪い男達とは毛色が違い、まだ若く己の年齢の半分程ではないかと思える。
なのに、恐ろしく足が速い。
足場が比較的悪いこの山間では馬は役に立たないと解るや否や、下馬をして剣を携え直ぐ様追って来た。先程から抑揚が無い様な制止の呼び掛けはこの場の雰囲気にそぐわないが、命の危機に変わりない。
「くそ! なんなんだあのガキ……!」
奇襲が失敗した事を別の仲間に知らせようと必死に走って逃げるが、後ろの男は徐々に近付きつつある。それ所か己の体力は無いに等しいのに、背中の男はまるでペースを落とさず追って来る。木々を縫って走ったにも関わらず見失う事も無く真っ直ぐと走って来るのだ。
「(……冗談じゃねぇぞ! もう二里は全力で走ってんだ、体力には自信あったってのに何者だあの野郎!)」
息も切れ切れで足元も覚束なくなり、黄巾の男はとうとう石に躓き転んでしまう。
最早逃げ切れないと踏んだ男は立ち直し、腰から剣を抜き追って来る董卓軍の男に備える。
「きっ、来やがれ! タダで殺されてたまるかよ!」
肩で息をする黄巾の男が剣を向けて来たと認識した董卓軍の――――もとい、神坂日向は同じく剣を抜き接敵する。距離が徐々に縮まりついに十歩圏内へと入ろうとした時、黄巾の男は地を蹴り神坂へと向かっていく。
ただし、走る途中で剣を投げて来るとは思ってもいなかった。
思わず目を瞑って剣を正面に構えてしまい、手の骨まで響く衝撃が走った。思わず驚いて構えた剣が都合よく当たったと知り、目を開けて辺りを探すが男の姿が無い。
「これは意趣返しだよ」
そして"側面"からの声。視線を向けて確認する事も叶わず、突如として首に衝撃を受けた。
「ぐがッ!?」
左側の首に言い様の無い痛みが走り、視界がグラグラと揺れ地に伏す傍らで見えたのは手刀。脳震盪を起こされた男の意識は闇へと落ち、動かなくなる。
「おい坊主! どうだやったのか!?」
「はーい! やりましたよ侯成さーん!」
程なくして侯成と数名の兵が後を追って来た。結局の所、神坂は逃げる男を逃すまいと侯成達を置いてけぼりにし、単独行動をしてしまったのだが、これでどうにかプラマイゼロになったりしないかと思いを巡らす。無論、臨機応変に対応した事について個人的に褒めては貰いたいが。
「取り敢えずは東地区の物色をする盗人の処理、完了っと」
それから侯成達と直ぐに本軍へと合流し、主たる将の前にて各々が捕縛した黄巾の男達の尋問が始まった。
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……待ってます!




