#11 朝と衝突
まだ日も完全には昇り切っていない早朝、欠伸を噛み殺しながら部屋を出て鍵を閉める。
朝はとにかく時間がない。
が、今日は珍しく小林から朝の連絡がない。朝練の日はほぼ毎日、寝坊しただの朝起きれただの眠いだの、何かしらの連絡が来るのに。
やっと朝練込みの高校生活が、ルーティンとして身に付いたのかもしれない。子守から解放された気分だ。
だから、俺は比較的穏やかな気持ちでいつもよりも少し遅い時間に、朝食のおにぎりを食べつつ単語帳を開いて家を出た。
「きゃあ!!」
廊下に出た瞬間、隣から飛び出してきた人物とぶつかる。
これがセリカだったら受け止められただろうけど、相手は輪廻だった。小柄なせいで重心が低く、胴体にクリーンヒットする。
米が気管に入ってむせたせいで手から落とし、咳き込んでいる間に階段の隙間から飛び出してきた猫だかイタチだかの動物がおにぎりを奪って行った。田舎過ぎる。
「ちょっと……大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
「朝から死にかけないでよ」
輪廻は口ではそう言っているが、申し訳なさそうな顔をしていた。
しかし、隣を見ないで廊下に出てしまった俺も悪い。
「朝飯なら大丈夫だ。まだあるから」
俺は2個目のおにぎりをバッグから出した。予備を持ち歩く習慣が、今日初めて役に立った。
輪廻の視線が、そのおにぎりで止まった。奇妙な物体を観察するように冷たい目をしている。
「何それ」
「おにぎり」
「海苔は?」
「ない」
「具は?」
「米」
「塩は?」
「……今日は忘れた」
輪廻は数秒黙った。
「ちょっと、待ってて」
輪廻はそう言うと、自分の部屋へ駆け込んだ。
そして、十数秒で廊下に戻って来る。
「はい」
差し出されたのは、ラップに包まれたサンドウィッチだった。急いで包んだようだが、丁寧に作られているのがわかった。具材が色々挟まって厚みがある、ちゃんとした料理だ。
俺が尋ねる前に、輪廻は溜息を吐く。
「勘違いしないで。セリカちゃんに作ったのが多かったの。その余り。残飯処理」
「あー……そうか」
輪廻が余計なことを言わなければ、俺も心から感謝できたのだが。
朝食を分けてくれる心温まる一場面とは思えないほど、輪廻は冷たい目をしていた。
「隣の人間が栄養失調で死なれたら困るだけだから。事故物件になったらセリカちゃんが怖がるでしょ」
「わかったよ。ありがとう。今から登校か?」
受け取るついでに少し仲良くなっておこうと会話を試みる。
輪廻は長い黒髪を揺らして首を横に振った。
「違う。セリカちゃんを起こして、朝の勉強するの」
「……ちょっと早くないか?」
俺はスマホで時刻を見て、今気付いたかのようにやんわりと提案した。
輪廻は夜9時過ぎには寝ると聞いていたから、早朝のこの時間でも元気そうだ。目がぱっちり冴えて、長い髪は綺麗に整えられて寝ぐせの一つもついていない。
対してセリカは、夜中まで一人でけらけら笑っている声がよく聞こえる。動画サイトを漁っているか、ゲームをしているか、夜更かしを満喫している。
「朝の勉強は大事」
輪廻は頑なに言った。
前にセリカが言っていた言葉を思い出す。
輪廻ちゃんがスパルタなんだよー!とか泣き言を言っていて、大げさに言っているだけだと思っていた。
どうやら本当のようだ。
「スパルタだ」
「何が?」
「いや、何でもない」
輪廻は少しだけ眉をひそめた。
「それじゃ、朝飯ありがとう」
「だから、大したものじゃないし」
輪廻はそう言ったが、困惑したように目を逸らした。
多分、照れている。
最初の印象とはずいぶん違う。輪廻は優秀過ぎて凡人を見下して近づき難いのかと思っていたが、人慣れしない野生動物のようなものかもしれない。少しは心を許してくれたのか。
「早く行けば。私も忙しいの」
「ああ、頑張れよ」
勉強を教えるよりも、セリカを起こすことの方が大変だろう。
輪廻はセリカの部屋のドアをノックしているが、俺がマンションを出るまでセリカは出て来なかったし、玄関を開けるまでにもう少しかかりそうだ。
そういえば、小林からもまだ連絡が来ていない。
いい加減、自分でどうにかしているはずだ。多分。




