百二十七段 本当にやることが幼くて呆れるばかり
最早一刻を争う状況だった。
もうすぐこの猫の本来の宿主であるミミルが起きてくる時間帯。さらにグランテという男がいつ手を出してきてもおかしくないとリセスには思えた。
『《憑依》するにはセリスと一緒に町の外に出るしかないけど、どうやれば……』
リセスは苦悩する。この猫の体でそれを示すにはどうすればいいのかと。
『……あ……』
リセスの頭に一つの考えが浮かんだ。周りの様子を窺いつつ、セリスの頬を軽く叩く。
「ミミル?」
「ウニャー……」
リセスはセリスから離れると、何度も振り返りつつ地面を掘る仕草をしてみせた。
「どうしたの? そこに何かあるの? ……あ……」
セリスが唖然とするのも無理はなかった。黒猫ミミルが地面に手で文字を掘っていたからだ。リセス、と。
「う、嘘……って、まさか……」
《憑依》のことはセリスもよく知っていたため、それはすぐ伝わった。
「おい、そこで何やってんだクソガキ!」
「あ……」
監視役のガーディが近寄ってきて、急いで文字を足で消すセリス。
「ん、今何を隠しやがった!?」
「きゃあ!」
「ウニャ!」
セリスとリセスを押しのけて地面を掘るガーディだったが、何も見つかるはずはなかった。
「……おい、何してたんだよ今。まさか穴掘って猫にトイレでもさせるつもりだったのか?」
「絵を描いてたの。見られたら恥ずかしいって思って……」
「……んだよクソガキ。早く言えよ。紛らわしいことしやがってよ……」
ガーディが側から離れてまもなく、セリスがリセスを抱きしめる。
「リセスお姉ちゃん、久しぶりだね、会いたかった……」
「ウニャー……」
セリスの涙がリセスの目に零れ落ちる。
『……私もいつかこんな風に泣いてみたい……』
リセスは涙のようなものが今にも体から出かかっているような気がして、もどかしくて仕方がなかった。
『……っと、それどころじゃなかった……』
リセスはセリスの涙を手で優しく拭うと、また地面を掘る仕草をした。
「何々ー? リセスお姉……じゃなくてミミルッ。次は大丈夫。すぐ消すから……」
リセスがうなずいて次に地面に書いたのは、外を散歩したい、という文字だった。
「セリスちゃん、今度はどんな絵描いたのー?」
「どんにゃ絵なにょおー?」
「「見せてー!」」
「あー! みんなそこどいてよおっ!」
セリスが文字を消そうとするも、集まってきた子供たちによって弾き出されてしまった。
「セリスちゃん、お外を散歩したいのー?」
「う、うん……!」
「あたちもちたい!」
「僕も!」
「俺もー!」
『……よかった……』
さすがに肝を冷やしたリセスだったが、よく考えるとこの文字に関しては見られてもまったく問題のないものだった。それどころかむしろ都合がいいように思えたのだ。
「なんだクソガキども、外になんか連れて行けるわけねえだろ!」
「まあまあ、ガーディ。お前が一緒についていけば問題なかろう」
グランテが花瓶を両手に抱えてやってきた。色とりどりの花がこれでもかとぎっしりと飾られている。その豊富な美麗さによってまるでこの男の本質を隠そうとしているかのようだった。
「けど、俺だけじゃ逃げられる可能性も……。グランテさんだって膝が悪いんだし……」
「はっはっは。もう68歳だからな。ステッキついてまでわしは行かんよ。リカルドを連れて行きなさい」
「あ、へい! じゃあリカルド兄貴に連絡します!」
『……リカルド……』
その名前はリセスがよく知っている名前だった。正確には自身のもう一つの顔であるレイドが、だが……。
◆◆◆
「……」
俺はただその場に突っ立っていた。
天空人の倒し方がわかってからというもの、みんな俺に仕事をさせてくれないんだ。あいつらはそれが狙いっぽくて、俺を監視しつつも競うように倒しまくっている。本当にやることが幼くて呆れるばかりで、俺はやつらと争う気力もなかった。
「――おい、何さぼってんだよ糞シギル!」
「……すみません」
ルファスに怒鳴られてしまった。やつらからしてみたら、俺が倒そうとして寸前で獲物を奪われて悔しがるところを見たいんだろう。あまりにも理不尽だしやることが小物すぎる……。
とはいえ、逆らうわけにもいかないので《微小転移》で天空人を倒そうとして、寸前でやつらに倒されて俺は天を仰いだ。もちろん演技だが、それでも受けたのか笑い声が上がる。
「こんなに簡単に倒せる方法があるなら、いずれあたしたちだってわかったわよね、ビレント」
「だねえ、これくらいで誇らしげにする誰かさんは可愛いもんだねっ」
「なんせ汚物だし、普段褒められることがないから必死なんでしょ」
「「あははっ!」」
「……」
誰も誇らしげにはしてないだろと言いたいが、俺は最早口答えすら許されない立場だからな。これくらいで、なんてのは自分で答えを見つけられなかったやつが言っても説得力皆無なんだよ……。
――空に赤みが差してきた頃、振動とともに魔法陣が現れた。いよいよ百十一階層のボスのご登場だ。
やがて、幾何学模様の中心に天空人のゾンビが宙に浮いた状態で現れる。羽衣を着てなきゃただのゾンビなので正直かなり弱そうに見えてしまうが、当然ボスだから油断できない。
「――《サンクチュアリ》!」
いきなりビレントの上位聖属性魔法が発動する。
おいおい……俺より先に倒したくてやったんだろうが、どう見ても不死属性のボスモンスター相手に聖属性魔法は嫌な予感しかしない……と思ったら、やっぱり光の中でボスの体が見る見る赤くなってしまった。早くも激怒状態だ……。