百十二段 それだけ彼女の存在が俺にとって大きかった
どういうことだ……。俺は周りに不安が伝染しないよう平静を装っていたが、正直違和感が募るばかりだった。激怒状態になったにもかかわらず、ボスが圧倒的に弱かったからだ。
やつはたまに点滅したのち、周辺の動かない生物に対して光線を放つだけなのだ。それが終わると、10秒後くらいにまた点滅を始めるということの繰り返しだった。その間は一切何もしてこないし、通常状態と比べると逆に弱体化したとしか思えなくて不気味で、こっちから攻撃する気にはなれなかった。もうすぐ時間制限で消えてしまうというのに……。
思い切って接近してみようとも考えたが、やはり激怒状態なのにこれだけ隙だらけなのはおかしいということで思いとどまった。なんせ百十階層のボスでしかも激怒状態だから、この圧倒的な隙こそが獲物を油断させるためのトラップに思えて仕方なかったのだ。
ボスが光線発射条件を変えたことで俺たちを積極的に動くようにしたというところもポイントで、まるで近寄ってください、攻撃してくださいと言わんばかりなのだ。これは絶対何かあるな……。
「――あ……」
そう思った矢先、ボスの体に光が帯び始めた。今までのような点滅ではない。光りがそこに徐々に充填されていってどんどん眩くなっていく……。
「何か嫌な予感がする。みんな、一旦ここから離れるんだ!」
……お、【ディバインクロス】のやつらも俺と同じように嫌な気配を感じ取ったのか、姿を見ようとしたときにはもう全員森の中に入ろうとしていた。クエスの姿が既にないし、おそらくあいつが先導したんだろうな。リセスがいたら間違いなくいの一番に俺に離れたほうがいいと言ってきたはずだ。
……まったく。リセスはいつまで眠ってるんだか……って、なんだ……? 俺たちが森の中に入り終わった際、周辺が夜から一気に昼になったかのように明るくなった。振り返るとそれも納得だ。
「……なんてこった……」
「し、師匠ぉ、怖いですうぅ……」
ラユルが震えながら俺の足に抱き付いてくるほど、さっきまでいた空間は光の線で溢れ返っていた。まるで隙間がない。もしあそこにずっといたら俺たち間違いなく全滅してたな……。この光景を前にしてモンスターたちも怯んだのか近付いてすらこない。
「こう言っちゃなんだけど、綺麗だねえ……」
アシェリのやつ、至高の芸術作品でも目の当たりにしたかのように見惚れちゃってる。まあ確かに綺麗だが……。
「少し間違えば死んでいたというのに、アシェリどのは相変わらず呑気だ……」
そう言いつつ、リリムもぼんやりとした顔で光線から目を離せない様子。
「……私も割と好きですよ……。こういう美しさと恐ろしさを兼ね備えた光の嵐は……」
ティアは精神だけ光線によってやられてしまったかのように蕩けた顔をしていた。変わり者だからこういうのは特に好みそうだ。
「どうにかできないのかしら……」
『ウムッ……』
アシェリたちとは対照的に、アローネとホムのメシュヘルは悔しそうに光を見ている様子だった。俺としても早くここから脱出したいという気持ちはあるが、さすがにこれじゃ手も足も出ないしボスが消えるまで残り一分くらいだろうし諦めるかな。面倒だがまた出現させればいいんだし……。
「……」
そうだ、こんなときリセスならなんて言うかな。
――簡単に諦めるなんてシギル兄さんらしくないよ……。
――厳しくなきゃ修行じゃないんでしょ……。
――シギル兄さんなら大丈夫だから……。
そんな言葉が次々と浮かんでくる。不思議だな。俺はずっとリセスに頼っていたようで、彼女がいるときのほうが頑張ることができていたのかもしれない。それだけ彼女の存在が俺にとって大きかったってことなんだろう……。
よし、やってやろう。思い出したことでリセスが俺の中に帰ってきたような気持ちになった。制限時間までもう残り僅かなんだろうが、ここからなんとか攻略してやる。むしろそのほうが面白いじゃないか。
しばしの間尽きることのない眩い光線を注意深く見ていると、あるタイミングで一か所だけ空いている場所が出現することに気付く。なるほど、あそこを通ればいいわけか……。かなり狭くてしかもすぐ閉じてしまうが、あれなら行ける、行けるぞ……。
――今だ。その道が現れるタイミングを見計らって《微小転移》で一気に進んでいく。後ろから悲痛な叫び声が聞こえてきたが気にしない。
さすがに若干震えたもののボスから降り注がれる光線の網を掻い潜り、真下に立つことができた。その時点で道は完全に閉じられたがまったく問題ない。ボスの真下だけ光線が放たれないのはわかっていたからだ。
「……これは……」
《テレキネシス》を使って真上に浮上していくと、球体の下部に小さな黒い点があるのがわかった。そうか……普段の状態のときに見つけられなかったのは心臓が極小な上、色が一緒で判別できなかったからなんだ……。すぐに《微小転移》によってやつの豆粒のような心臓を取り出してやった。指でつまめるほどだ。
まもなく俺の体が祝福の光に包まれるのがわかる。バラバラにするのではなく、心臓だけを球体から取り外す必要があったわけだ。これでめでたく百十階層攻略だ……。