百五段 俺たちは手をつないだまま笑い合った
「……シギルさん、覚えてる?」
もうそろそろ行こうかと言おうとした矢先だった。エルジェがうつむいたまま呟いた。
「……何が?」
「弟を病気で亡くしたって言ったよね」
「……そういやそんなこと言ってたな」
大分前の話だ。まだグリフとエルジェと俺だけしかいなかった頃……ダンジョンから逃げるように帰ってきて、溜まり場でぐったりしてみんな黙っていたときだった。そうだ、ちょうどこんな感じの空気だった。彼女が最初にそう切り出して、俺もグリフもそれに乗る形で色んなことを打ち明けたんだ。
「あれさ、実はあたしが殺したんだ」
「……」
割と衝撃的だった。
「ちょっとした口論からだった……。殺すつもりなんてなかった。弟さ、あんたに似てたんだよ」
「……」
「神経質で強情で……負けず嫌いで……大嫌いだったけど、死んだあとはぼろぼろ泣いちゃった。自分で殺したのに……」
「……エルジェ、何が言いたいんだ? 今更そんな話を俺にしてどうなる?」
いくら冷静になろうとしても自分の口調が荒くなっていくのがわかる。怒りが伝わったのか、リリムとアローネが立ち上がってこっちのほうを振り返ったが手で制止した。彼女たちにはモンスターを見張る役目も買ってもらっている。せっかくの休憩時間を俺たちのしょうもないゴタゴタで無駄にしてほしくない。
しかしエルジェのやつ、何を考えているんだ。油断させるつもりなのか。それとも懐柔するつもりなのか……。いずれにせよ、こういうやり方は下手に挑発されるよりよっぽど腹が立つんだ……。
「だから、弟が復讐しにきたのかなって……」
「……俺がお前の弟に似てるからってなんだ? 許してほしいっていうのか?」
「……違うわよ。事実を言ってるだけ……」
「……そんな話をして簡単に信じ込むほど俺はもう甘くはない。お前がやったことを自身にされれば同じように思うだろうよ」
リセスがいればこういうとききっとこう言うだろう。シギル兄さんにあんな惨いことができる人の言うことを簡単に信じないで、と……。
「あれは……雇った殺し屋がそこまでやるなんて思わなくて……」
「……もういい。止めろ」
「……」
「やりすぎだと思ったなら止めればよかっただけの話だろう。何を狙ってるのか知らんがそんな見え透いた嘘を言っても無駄だ」
「……聞いてよ。だって、怖かったから……」
「……エルジェ、もういいんだ……」
俺は立ち上がってエルジェに優しく微笑みかけるとともに、手を差し伸べてやった。彼女も笑って返すと、俺の手を握ってくれた。
「シギルさん、信じてくれるの……?」
「ああ。信じてやるよ。お前がこの世で最も醜い畜生だってことをな……」
「……ふうん。ねえ、知ってる?」
「ん?」
「あたしたちね、惨めに死ぬことや殺すことをシギるって呼んでたの。面白いでしょ」
「……そうか。で、それがどうかしたのか?」
「いつかね、それを冒険者の間で代名詞にしてあげようと思って。汚物のあんたとその仲間を全員シギって、ね……」
「……なるほどな。それは大いに期待してるぞ、エルジェ」
「うん、任せておいて……」
俺たちは手をつないだまま笑い合った。こんなに近いのに、ここまで絶望的に距離感のある会話はまるでレイドとクエスのやり取りのようだった。
◆◆◆
「うぬあー!」
目玉猿に投げつけられ、大木で背中を強打したグリフの叫び声がこだまする。敵の物理攻撃が無効化される《ホーリーガード》を使っていたために無傷だったが、そのことによって目玉猿の標的がグリフの後ろにいたアシェリに変わってしまった。
「ちょ……《ホーリーガード》!」
間一髪で目玉猿の飛び蹴りが決まる前にスキルを使ったことで、アシェリはグリフと同じような位置に飛ばされるだけで済んだ。大きな体格のグリフを軽く投げ飛ばすほどの怪力なので、もし《ホーリーガード》を使うのが少しでも遅れていればどうなっていたかと想像するだけで彼女はぞっとした。
「……こうなったら、逃げるよ!」
「は、はいであります!」
遠くまで飛ばされたことで、幸いなことに二人とも逃げ切ることができた。最早二人とも《ホーリーガード》の使い過ぎで精神的にかなり参っていたのだ。
「「――はぁ、はぁ……」」
茂みの中でお互いに背中を合わせて座り込むアシェリとグリフ。
「……もう大丈夫みたいだね」
アシェリはさっきの目玉猿が自分たちを追いかけてこようとしてきたものの、見失って引き返したことに気付いた。顔が丸ごと眼球になっているから視力が良いと誤解しがちだが、ああ見えて遠くを見渡せるほどの眼力はないのだ。そのことにアシェリが気付いたのは、遠くに見えたモンスターがこっちに近寄ってくることもなくいずこに消えたことからだった。
「アシェリどののおかげであります……」
「あのさ、グリフ。そんなのはいいから、いい加減あたしとパーティー組もうよ。そのほうが今よりずっと楽だよ?」
同じパーティーであれば《ホーリーガード》を片方が使用するだけで二人とも物理攻撃を寄せ付けないため省エネになるし、一方が攻撃に専念できて戦闘が格段に楽になる。なのでアシェリは何度も提案したが、グリフは首を縦に振らなかった。
「自分はパーティーリーダーであります。なのでその提案にだけは乗れない。申し訳ない……」
「なんならあたしが抜けるから……」
「いやいや、アシェリどの。リーダーならその立場に自覚とこだわりを持つべきだと自分は思うのであります」
「……あんた、リリムやティアみたいなことを言うねえ。でもそんな状況じゃないでしょ!」
「いや、命より大事なものがあると思うのであります。それに……」
「それに?」
「……シギルに悪い。そっちのパーティーに入るのも、その仲間をこっちに引き込むのも……」
「一時的なもんじゃないかそんなの。ちょっとあんた、カタブツすぎて仇らしくないねえ。もっとどしっと構えて憎たらしい悪人役しないとシギルさんもがっかりするよ! あはは!」
「……自分は中途半端に生きてきたのであります……」
大粒の涙を流し始めたグリフに、陽気なアシェリもさすがに戸惑っていた。
「ちょ、ちょっと泣くんじゃないよ……」
「自分は周りに流されるまま生きて……もうどうすればいいかわからない……うぐっ。自分は最低な人間だ……。だから、せめてリーダーとしての最後のプライドだけは守りたいのであります……」
「わ、わかったよ。もうとっくにパーティー抜けてるから入れておくれよ」
「……え?」
グリフは不思議そうに何度もまばたきした。
「抜ける前にリーダー権限は移したし問題ないよ。そんなに驚くようなことかい? 大袈裟だねえ。それに、あたしたちの真のリーダーは今やシギルさんだからね」
「いや、あれ……」
「ん?」
グリフが青い顔で何かを指差していることに気付いて振り返るアシェリ。誰かが歩いているのがわかったが、すぐに姿を暗ましてしまった。