百三段 俺はいずれこいつを殺すことになるんだ
「……はぁ、はぁ。……いくらなんでも速すぎる……」
リリムは不思議だった。前を行く白髪頭の男は、老体であるにもかかわらずスイスイ前を進んでいたからだ。
ダンジョンを管理する立場なので、最初はきっと徒歩チートでも使っているのだろうと意に介さなかったものの、いくらなんでもスピードがおかしいと感じていた。
障害物が周りにてんこもりなのに彼は一切止まることなく、なおかつぶつからずに進んでいるのだ。これは自分たちが彼をいくら追いかけても障害物に当たらなかったように、老人の体が透けているわけではなくて衝突しない道を選びつつあの速度で進んでいることを意味していた。
これはいくらなんでもおかしいと気付く頃には、男の背中も白髪頭も完全に見えなくなってしまっていた。
「……も、もう歩けない……」
舌を出してその場に座り込むリリム。
「……私も……」
アローネも同じように膝を地面に落とし、そのままうつ伏せに倒れてしまったが、まもなくはっとした顔で起き上がった。
「あの人……まさか……」
「アローネどの?」
「アルゴスさんじゃ……」
「誰だ……?」
「知らないの? ダンジョン管理局の元局長」
「ほうほう、お偉いさんか。って、まさかあのご老人が……?」
「そうみたい。顔もそっくりだったし……でも……」
「ん? どうしたのだ? 具合でも悪いのか?」
リリムはアローネの声が震えているのを聞き逃さなかった。
「……もう亡くなっているはず……」
「な、なんと……? 気のせいでは……?」
「どうかしら……。管理局にいるよく似た人の可能性はあるけど……」
アルゴスは管理局のトップでありながらとても優しい老人で、稀に瀕死の冒険者の前に現れては助けていたが、一月ほど前に心臓発作で急死してしまった。今の局長が冷酷な性格で有名なだけに、アルゴスの死は今でも一部の冒険者の間で惜しまれているのだ。アローネはそのことを知っている冒険者の一人だった。
「も、もしかしたら、私たちはあまりにも疲れていて幻を見ていたのかもしれない……」
「……そうね。そういうことにしておかないと怖くなっちゃうわ。メシュヘルちゃんを召喚しようかしら……」
「うむ。あのハエ……いや、メシュヘルもたまには役に立つ……」
「たまにはが余計よ……。この子は嗅覚だって優れてるんだから。《サモン・ホムンクルス》!」
『ウイッス……オッ……』
「メシュヘルちゃん、どうしたの?」
『アニキ、イルゼ。ムコウ……』
「兄貴って、もしかしてシギルさん……?」
『オウッ。コッチダゼ』
「「おおっ!」」
手を取り合って飛び上がるリリムとアローネ。
「行きましょう、リリム!」
「うむ!」
メシュヘルが足で指し示して進み始めた方向に、リリムとアローネは嬉々として歩き出した。
◆◆◆
「お、誰か来る……」
メモリーフォンをなんとなく確認したら、フレンド登録してあるアローネが近付いてくるのがわかった。そういや、補欠要員ってことで連絡するために登録してあったんだったな。最初に流れで登録したラユルはともかく、ほかの面子とは同じパーティーってことでフレンド登録まではしてなかったから、アローネが誰と一緒かまではわからないが。
「え、誰……?」
木陰で休憩していたエルジェが立ち上がった。
「俺の仲間」
「そ、そりゃそうよね……」
声を萎ませて露骨にがっかりするエルジェ。その気持ちはわからんでもない。……しかし、予想できなかったな。成り行きとはいえ、彼女とこうして近くで普通に会話をする日がまた来るなんて……。
『――アニキー!』
「……あっ」
向こうの木々の合間から赤蠅が飛び出してきた。錬金術士アローネのホムンクルス、メシュヘルだ。てか、いつの間に俺を兄貴呼びに……。
「化け物っ!」
「はっ……」
そうだ。事情を知らないエルジェからしてみたら、あいつはモンスターでしかないんだ。そう思ったときには、《マインドキャスト》によってエルジェの杖から生じた《ウォータークラッシュ》が完成していた。かなりの大きさの水の塊が猛然と向かっていく。このままじゃ即死な上に心臓ごと木っ端微塵で復活も無理だろう。いくら俺でもどうしようもできない……。
「メシュヘル、よけろおぉぉぉ!」
大声を出したときにはもう、メシュヘルは水の塊に飲まれていた。畜生……って、あれ? 普通に生きてるっていうか、なんの影響もなくこっちに向かって飛んでくる。
あ……そうか。【シギルとレイド】と【スターライト】は同盟を組んでたんだった。だから俺のパーティーメンバーであるエルジェの攻撃が【スターライト】の傘下にいるアローネのホムに通じなかったんだ。正直彼女を自分のパーティーに入れるべきかはかなり悩んだんだが、入れていて本当によかった……。
「な、何? あいつあんたの仲間なの?」
「ああ。仲間のホムだよ」
「……へえ。ホムンクルス、か……」
「……」
興味深そうに赤蠅を見やるエルジェの横顔は、昔となんら変わらなかった。とても不思議だ。俺はいずれこいつを殺すことになるんだな……。