百二段 俺が悪か正義かなんてどうでもいい
飛び掛かってくる目玉猿たちの群れだったが、エルジェが冷静に対応して次々と目の前に《ヒートピラー》を置いていく。それでも充分な距離を取らないと長い腕を持つやつらに捕まってしまうが、俊敏な動きでモンスターから離れるのと同時に《ウィンドカッター》で伸びてくる手をことごとく切断していた。暗くて障害物も多い中、見えにくいところからも手が伸びてきてたのに、やるな。
威力もあるし動きに隙が無い。エルジェは昔と比べて随分腕が上がっていると感じる。この百十階層でも充分にやっていける動きだ。うずくまって泣いていたときは弱すぎるんじゃないかと心配したが、俺やこの未知の階層を前に緊張してただけなんだな。
「やるな、エルジェ。俺の出る幕もない」
「……シギルさんがやろうと思えばみんなあたしがやる前に全部倒せるくせに」
「いや、こいつら相手なら魔道術士のほうが早く倒せる」
目玉猿の中には、一気に飛び込んでくるのもいれば、離れたところから長い手を有効活用しようとするものもいるのがわかった。大して強くないようで、一匹一匹に性格があるんじゃないかと思えるほど攻撃方法にバリエーションがあった。そういう敵なら色んな魔術が使える魔道術士のほうが対応しやすそうだ。《ヒートピラー》ですぐ死ぬのもいればほとんど効いてないのもいたし、属性も多様なんだろう。
「ふうん。まあいいけど、随分煽てるようになったじゃない」
「煽てる?」
「以前はそんなことなかったよね」
「……それは、エルジェの腕もそこまでじゃなかったしな。わざわざ褒める必要はないだろ……」
「言うじゃない。テレポートしかできなかった男が」
「……」
……思いっ切り睨まれてるんだが。俺の仲間がルファスたちと一緒にいる可能性もあるし、手を出せないってわかった途端これか。
「あんまり喧嘩腰になられてもな……」
一時的とはいえ、今は敵同士じゃなくてパーティーメンバーだからな。
「でもさ、復讐しに帰ってきたんだよね?」
「……」
「その変なスキルで私の脳みそ飛ばしたくてしょうがないんでしょ?」
「……」
「無視? 何か言いなさいよ」
「……そりゃな」
「おー、怖い怖い……」
できることなら睨まれた時点で飛ばしてやりたいさ。でも今は我慢するしかない。
「あたしね、あんたの好意に気付いてたの」
「……」
こりゃまた痛いところを突かれた。本当に攻撃的だなあ、エルジェは……。
「ジロジロ見てるときがあったでしょ。正直全然好みじゃない人からそういう目で見られるのって、凄く嫌なの」
「……そりゃ悪かった。すまなかった」
エルジェに向かって深々と頭を下げる。
「心からの謝罪って感じには見えないけど?」
「……」
じゃあどうすりゃいいんだか。
「……けど、あんたは先輩だったし我慢してた面もあったのよね」
「……何が言いたいんだ?」
俺が軽く睨んでやると、やつも睨み返してきたが勢いがなかった。少々怖かったらしい。
「あ……あたしが言いたいのは、自分で気づいてないだけでさ、あんたにも悪いところがいっぱいあったってことなのよ」
「……そりゃあるだろうな」
逆に、悪いところがまったくないやつなんているんだろうか?
「じゃあ聞くけど、それでなんで被害者面してるわけ? あんた一体何様なのよ……」
……エルジェのやつ、涙ぐんでやがる。俺にしてみたらこいつのほうがよっぽど被害者面してるわけだが。まだ何もしてないのになあ……。
「ああ、そうさ。俺にも悪いところはいっぱいあるだろうよ。だが、それがどうした?」
「何よ、開き直るつもり……?」
「開き直る? 1+1は2じゃないとでも言えばいいのか? 悪いところなら俺にもあるって答えてるだけだろ」
「じゃあ、復讐とかおかしいじゃないの」
「ん? 怖いのか?」
「はあ? そうじゃないわよ。悪いやつだって自覚あるってことはどっちもどっちってことでしょ。それでなんであたしたちが一方的に恨まれなきゃならないの?」
……ばかばかしいな。実にばかばかしい。
「俺が悪人かどうかなんて、どうでもいいんじゃないのか」
「……は?」
「あのとき俺は深く傷ついた。だからそれでやり返そうと思った。でもさらに酷くやり返された。その結果、手も足も目も奪われた。苦しかった、怖かった……。時間がとても長く感じて、憎しみ以上に早く死にたいってこのときほど思ったことはなかった。今あるものは師匠から転移したものだが、あのときに味わった屈辱、憎悪はお前たちを皆殺しにするまで決して消えはしない。だからまたやり返すんだ。ただそれだけの話だろ……?」
「……」
「それの何がいけない? お前たちが俺にやったことを殊更責め立てるつもりもない。お前のやったことも俺のやったことも第三者から見たらどっちもどっちかもしれない。でも俺は自分が正しいからお前たちをやっつけようって思ってるわけじゃないんだ。単純にお前たちが憎いからやっつけようって思ってる。俺が悪か正義かなんてどうでもいい」
俺はこの手を何度も血に染めてきた。だからむしろ悪人といってもいいくらいかもしれない。いずれにせよそんな曖昧かつ無意味なものに興味はない。俺たちが勝つか負けるか、ただそれだけでいいんだ。
「……あんたがそれをやりとげたところで血で血を洗うだけよ。何一つ、あんたにとっていいことなんかないんだから……」
「ああ、それでもかまわない」
血塗られた道なのは殺し屋レイドと組んだ時点で覚悟しているからな。
「……やりたいならやればいいでしょ……。あたしもルファスもビレントもグリフもクエスさんも……絶対あんたなんかには負けないもん……」
エルジェは涙目だったがまっすぐ俺を見据えていた。正義は自分たちのほうにあると信じているんだろう。とてもいい目をしている。これならこの先さらに楽しませてくれそうだ……。