百一段 厳しくなければ修行ではない
「「……」」
まさに疲労困憊。最早、アローネとリリムの二人に戦う力は寸分も残っていなかった。地面に伏せた状態で口を押さえ、じっとモンスターの群れが通り過ぎるのを待つしかなかったのである。
「……ふぅ。向こうに行ったようだ」
「よかった……」
ほっとした顔で身を寄せ合うリリムとアローネ。最初は二人とも離れて百十階層のモンスター、目玉猿と戦っていたが、アローネのホムンクルスが猿に捕まり、退避させざるを得なくなってからはこうして固まり、リリムとアローネがそれぞれ斧と火炎瓶を投げ捲って近寄られる前に倒していたのだ。その威力は凄まじかったが、あっという間に二人とも息が上がり、瓶もなくなり肩さえ上がらなくなってしまっていた。さらに一度ホムンクルスを退避させた場合、もう一度呼ぶのには三十分もかかるため、その間はこうして隠れて凌いでいたというわけだ。
「こんなときではあるが、私はアローネどのに謝りたい。あのときのこと、本当にすまなかった……」
「ちょっと。何よ、今更……」
「私はこういう性格だから、ずっと素直になれなかった。こっちが先にモンスターのタゲを取ったとはいえ、ほぼ同時なのにあとに引けなかった。だが、今ならわかる。そんなことはとても小さなことだったと……」
「……あのときのこと? それなら私だって謝るわ。でも、先に謝ったから潔さではあなたの勝ちね」
「……勝敗などもうどうでもいい」
「……というか、あんなのもう忘れてたわ。嫌なことでもずっと覚えてるなんてあなたらしいわね」
「……忘れていたのか。こっちはずっともやもやしていたのに。悪ケミらしい……」
「ホント、執念深い悪戦士さんらしいわね」
二人とも呆れ顔でお互いを見たあと、弱々しくも笑った。
「悪のコンビならしぶといはず。必ずここから生きて帰ろう」
「そうね」
手を取り合う二人の間に最早わだかまりは完全になくなっていた。むしろ友情さえ芽生え始めていたのだ。
「――ちょ、また来る……。しかもまっすぐこっちに……」
「……嘘……。メシュヘルちゃんまだ召喚できないのに……」
身を伏せるも、徐々に足音が近付いてきて緊張する二人。リリムの斧を握る手が震えた。肩が上がらなくなってからまだ間もない。もし一発で殺せなかった場合、その時点で詰む可能性が高い。なのでぎりぎりまで引き付けてから斧を振り上げる覚悟だった。
「もし私が一発で仕留められなかったら……アローネどのは私を囮にして逃げてほしい……」
「もう、やめてよ。そんなこと言うの……。私だって戦うわ。ダメならダメで、考えがあるから……」
毒を塗ったレイピアを握りしめるアローネ。これは敵を倒すためだけにあるものではない。二人とも生きたままモンスターに食べられるような状況になれば、リリムと自分の喉を突いて死のうと考えているからだ。リリムにもその覚悟は伝わっていた。
「アローネどの、最後の最後までそれを悪い意味では使わないでほしい。シギルどのはよくこう言っていた。人生とは最後まで修行なのだ。そして厳しくなければ修行ではない、と」
「……そうね。じゃあ最後の最後まで我慢するわ」
謎の足音はもう間近に迫っていたが、まもなく寸前で止まった。
「――はあぁっ!」
立ち上がると同時に斧を振り被るリリムだったが、目前には白髪頭に白髭を蓄えた謎の男がいた。継ぎ接ぎが目立つ、深緑の古びたローブを纏う職業不明の老人だった。
「……ま、待て。わしはモンスターじゃない……」
「だ、誰だ……?」
「だ、誰なの……?」
呆然とするリリムとアローネに向かって、老いた男は引き攣った笑顔で返した。
「わしはダンジョン管理局の者なんじゃよ……」
「「ええっ!?」
しばらく半信半疑になっていた二人だったが、こんなところに老人が一人でいるということ自体考えられないので信じざるを得なかった。
「な、なんで管理局の方がここにおられるので……?」
「もしかして、テストとか……?」
「うむ。そんなところだ。管理局としては、まさか冒険者がここまで早くこんなところまで上り詰めるとも夢にも思わんかったからの……。ダンジョンは百二十階層で打ち止めだし、ここもできたばかりだからテストを兼ねて歩き回っておったのだ……」
「「なるほど……」」
極度の緊張から解放され、だらりと腕を下げつつ崩れるように座り込むリリムとアローネ。
「しかしその様子だと、やはりちょいとモンスターの強さが甘かったようだの? ほっほっほ……」
「いやいや、あれでもう充分かと……」
「ホント。見た目も凶悪だし……」
「ほっほっほ。そりゃ冒険者にとっては最高階層だからの。厳しいのは当然じゃ。しかしお前たちは実に運がいい。わしにこうして出会えたんだからの」
「も、もしや、仲間のところに連れて行ってもらえるのですか?」
「もらえるの……?」
「うむ。本来ならそんなことはできないんだが、こうして出会ったのも何かの縁だろう。特別に連れて行ってやろう」
「「わーい!」」
「ほっほっほ……では、ついてきなさい」
「「はい!」」
管理局の者を名乗った老人の後ろを嬉々としてついていくリリムとアローネ。当然のようにモンスターが襲ってくる気配は微塵もなかった。
「――あ……」
アローネが困惑顔で立ち止まる。
「どうしたのだアローネどの、置いていくぞ」
「……あ、待って、リリム……」
アローネは何か大事なことを思い出そうとしていたが、遅れまいと再び歩き始めたときには忘れてしまっていた。