23.聖職師と死神
――// SIDE-Us //――
日が沈もうとしていた。
アスキーは相変わらず、一人、噴水広場の縁に足を組んで座っていた。
夜気を孕んだ冷たい風が、後ろで一つに纏めた長い銀糸を攫う。
整った顔立ちに灯る蒼い目は……何の感情も宿していなかった。
「………………そうですか」
溜息混じりに返答した後アスキーは、広場で無邪気に遊ぶ子供達の様子をなんとなく目で追った。
報告によると、エンペラーの気配は聖堂を出て、街中をでたらめに移動しているという。
――また僕の目を撹乱させようとしている……? いや……。
自分から逃れる事が目的なら、いつまでたっても街から出ようとしないのはおかしくないか。
そもそもこの街に入ってから、連中の動きは妙だった。
この十年間、連中は世界中を右往左往していた。それは追っ手――聖職者や自分達の追跡を逃れる為なのだろう、街に滞在する事は稀で、あったとしても二日が限度。三日も同じ街に居座る事はこれまで一度たりともなかった。
おまけに。一度だって他人と行動を共にする事のなかった連中が、今回に限っては、よりにもよってあのクレイドゥルの姫とテンパレンスを連れている。
自分と姫が旧知の仲である事を知っていたのか。姫に匿ってもらう気だったか。昨日森でテンパレンスと対峙したというデスの報告を受け、連中の思惑を探る為に一芝居打って出たという訳なのだが、思いのほか姫は連中に友好的で、エビル・アストワルドは自分の前でふざけているとしかとりようのない言動を吐き、挙句の果てにはまたしても連中に逃げられてしまった。
エンペラーは強い。
自分達を相手にしても余裕を崩さず……いや、むしろ面白がっている風にも見て取れる。現に連中はこれまで、力の及ばなかった自分達に止めを刺す事なく、ひょうひょうと逃げ回ってきた。戦いの後はいつだって、屈辱感が心中を占めていた。
……やはり自分達の力では、連中には敵わないのか……。
――否。
デスも幾つかの特殊能力を併せ持っている。今回はその内の一つで見事連中の目を欺いてみせたではないか。
策を練り、出し抜いていつか、この手で刈り取る――
アスキーは、自身の右腕を片方の手で強く握った。
自分は国の仇討ちを成さなければならない。
例え幾年かかろうとも、どう足掻いたところで敵わなくても。
それが、確かに。アスキー・ボー・カルブンクルスの存在理由であるのだから――
『夜風は体に障ります』
黒い法衣を身に纏った、半透明の細身の女性が告げた。
『このまま監視は続けますから。今日のところは宿へ戻りましょう、アスキー』
「ああ。……そうだな」
十年来の相棒に微笑むと、アスキーは素直に立ち上がる。
洗練された動作は、双肩に担う重責を微塵にも感じさせなかった。
噴水の水が止まる。
子供達の楽しげな笑い声を背に、靴を鳴らして颯爽と歩き出し――
「……デスの適格者だな」
――その低い声に、目を見開いた。
いつからそこにいたのか。噴水広場におよそ似つかわしくない雰囲気を放つ、黒衣の大男に背中をとられていた。
同じく驚愕の表情を浮かべたまま身構えたデスを片手で制し、ゆっくりと振り返る。
「貴方は……確か」
「一昨日の晩に一度会ったな。エンペラーとその適格者を保護している者、と言えばわかるか」
「……覚えています。貴方のような異質な気配を纏った聖職者を他に見たことがありませんから」
「聖職者、か。今はその肩書きすら怪しいものかもしれないがな。訳あって今、アルカナの適格者であるエビル・アストワルド、リキュール・ヴァライエティ・クレイドゥルと行動を共にしている」
「その貴方が、何故僕に会いに? ……『お仲間』の命を狙う僕を止めるためですか?」
「似ているが、違う」
噴水の水が再び噴き出す。
夕闇の迫る公園。遊び足りないのか、楽しかった一日が終わる事が名残惜しいのか。一層大きな声を上げて子供達がはしゃぎまわっていた。その中心から、場を一瞬でぶち壊しかねない、物々しい気配が漂っている。大人は皆、息を潜めて、沈黙を保つ二人の動向を窺っていた。
実際ディンは、いつ大剣を振り回してもおかしくない雰囲気を全身から醸し出していたし、それを涼しげな顔で受け流しているアスキーも、いつアルカナと同化したっておかしくない程の膨大な殺気を冷たく光る蒼い瞳に宿していた。
まさに、一触即発といった彼らに、静かに降りる夜気――
――そして、ディンが口を開く。
「我々と行動を共にしてもらいたい」
数秒後。
アスキーの表情が歪む。
「……………………なんですって?」
「我々はある目的を旨に行動している。おまえの力が必要だ」
「……冗談でしょう」
「冗談を言っている暇は無い」
言い放たれて、アスキーは改めて目の前の男を凝視した。
闇のかかる巨体は石像のように微動だにしなかった。全身から漂う威圧感。表情筋は決して動かさずに、無言で自分の言葉を待っている。
サングラスの奥の真意は読めない。
「………『目的』、とは」
「フール本体の殲滅だ」
アスキーの背後に控えている女の顔つきが一変する。
「………………そんなことが?」
怪訝そうに見上げるアスキーの視線に、しかし動じないディン。
「可能だ。力が揃えばな」
なんてことはない、といった風に即答する。
「…………」
「目的には、『おまえ』も『エンペラー』も必要だ」
……成る程。
連中がこの街に滞在する理由がようやく掴めた気がした。
深く呼吸をし、穏やかでない心中を鎮めた後、アスキーはゆっくりと返答する。
「……残念ですが、その誘いに乗る事はできない。エンペラーとその適格者は僕の生涯の敵。彼らと行動を共にする事は拷問に等しい。常に理性で感情を制御し続けなければならない。どうあっても不可能だ」
「生涯の敵、か。『エンペラー』はおまえの国を滅ぼしたそうだな?」
なんでもないことのように平然と言ってのけるディンに、アスキーは苛立ちを覚えた。
本当に聖職者なのか、この男は。
「…………ああ。知っていて言っているのですね……貴方は……」
「事実には、背景がある。そうは思わないのか?」
遮るように放たれた言葉に、思考が一瞬止まりかける。
「……………………」
「知る義務が、おまえにはある」
「……………」
いつの間にか、子供達の姿が消えていた。
静寂に満ちた場で睨み合う、夜の帳のかかった二人の男の姿は、さきほどから一寸たりとも動かない。
「……聞いても変わりはしません。事実と責務は僕に路を示し続ける。これからも僕はその上を真っ直ぐに歩み続けるでしょう」
「何のためだ」
「無論。それが僕の道だからです」
「そうか。それは、つまらない人生だな」
淡々と、ディンは感想を告げた。
感情の伴わないその言葉は、アスキーにとって、静かな衝撃だった。
「…………訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「貴方は、……もしかして適格者なのですか? やはり他の聖職者とは雰囲気が少し違う気がする……」
「私は『聖職師』だ」
「…………」
「ザートゥルニの聖霊の意思の下、行動している。それだけだ」
――// TO RETURN //――