権藤 雨音(ごんどう あまね、1993年4月4日 - )
権藤 雨音(ごんどう あまね、1993年4月4日 - )は[2]、東京都原木市出身のプロ野球選手(投手、内野、外野)、コメディエンヌ、経営者、柔道家、プロデューサー、歌手、俳優。両投両打。所属はWGBの北埼玉デッドボール。両親は原木市にて純喫茶アンデッドを運営している。従兄にプロラグビー選手にして重量挙げ金メダリストのルイ・アームストロング山田、同じく従妹にプロ野球選手にして女子野球の金メダリスト山田・シャーロット・あすみがいる。また学生時代から一貫して所属している事務所は伯父の山田・ジョンソン・ブライアンが経営する山田芸能事務所である。
《b》概要《/b》
女性史上初のNPBプロ野球選手かつMLB選手。史上最高の野球選手は誰かという議論には必ず名前が挙がる選手であり、最多安打と最多奪三振のタイトルを同年に獲得するなど今後到達出来る選手が現れるかも怪しい記録を数多保持している(聖ザ時代の後輩である大屋一平が別年度で投打のタイトルを獲得しているがこれは同年ではない)
MLBにおいてアジア人初の三冠王達成者であり当然女性初の三冠王達成者でもある。
「世界で最も影響力のある100人」に2008年から連続で選出され続けている。
2015年にニューヨークヤンカーズとの契約を終了した後、野球全体の振興を目的としたプロリーグ「ワールド・ゴンドー・ベースボール(以下WGB)」を設立。ネーミングに権藤と入っているが権藤が気付く前に勝手に名前が付けられていたとWGBの初開幕時にインタビューで応えている。
スポーツ長者番付では堂々の1位を獲得。ただし収入の殆どは選手としてではなく伯父の山田・ジョンソン・ブライアンが経営する企業群の役員としての収入やスポンサー収入である。
《b》経歴《/b》
小学生低学年の頃から甲子園に強い憧れを持っており、隣に住んでいた従妹の山田・シャーロット・あすみ、田中コータ(プロ野球選手・北埼玉デッドボール)の2名と共に野球の練習を行っていた。小学校高学年から田中コータの兄であり幼馴染である田中ケータ(プロ野球選手・ニューヨークヤンカーズ)も加わり地元のハラキリトルに参加。以後野球漬けの生活を送る。
小学校6年の頃、初めて全国大会で魔球を披露。その後リトルシニアに参加しながら当時設立したばかりの北埼玉デッドボールに参加し魔球姫の呼び名でTVでの活動を始める。
中学1年生で女子野球日本代表入りし世界大会を制覇。先述の魔球を問題視した運営側の判断によりアメリカ戦以降は試合に出場していないが実況・解説として各試合に関わっており、この時の経験が翌々年のオリンピックでの活躍に繋がった。
中学3年生でオリンピックに初出場。この際選手としてではなく興行プロデューサーとしても参加しており、インターネットを駆使したプロモーションによってマイナースポーツだった女子野球は一躍オリンピックの舞台で注目を浴びる。この大会で自身初の金メダルを獲得。
高校1年生の夏、聖ザビー学園に所属して甲子園大会初優勝。決勝戦最後の1球は甲子園史上最速の170km/hであり、現在も更新されていない。彼女が在籍した三年間は聖ザ時代と言われ、5回の甲子園出場と4回の優勝を飾っている。
東京大学進学を機に東京巨神タイタンズに入団。非常に珍しい地域限定での出場契約を交わして昼は大学生、夜はプロ野球選手という二足の草鞋を履く事になる。彼女の出場した試合は全てチケットが即座に売り切れ高額で転売されることもあった。
プロ初年、最優秀防御率と首位打者と新人王を獲得。以後大学卒業までの4年間連続で首位打者と最優秀防御率を取得し続ける。
大学卒業を機にMLBへ挑戦。高校のチームメイトだったアンジー・スチュアート(プロ野球選手・ニューヨークヤンカーズ)と共にニューヨークヤンカーズでAA砲と呼ばれるようになる。初年度は最多奪三振と首位打者、そして新人王を獲得。同年の本塁打王と打点王をアンジー・スチュアートが獲得した。
翌年、打者に専念し三冠王と最多安打・最高出塁率・盗塁王の六冠を達成。歴史的偉業であるが本人はアンジー・スチュアートがMLB史上初の産休を取得したための結果であると語っている。
三年目。アンジー・スチュアートの復帰と共に投手としても復帰。最多勝を達成し打者としても盗塁王を獲得。契約終了を機にニューヨークヤンカーズを退団し北埼玉デッドボールへと所属を変更。
WGB設立。この設立時はアマチュア選手の頃のようにショートカットに髪を切っており、初心に戻ると発言。以後WGBと野球全体の振興に尽力している。
《b》魔球《/b》
彼女を語るうえで必ず誰もが口にする存在である魔球については現在も詳細が分かっていない。研究を続けているハーバード大主席研究員のJ・Pジョー氏は「魔球は魔球なんだよ」とインタビューの度に答えている。
《b》柔道《/b》
詳しくは「権藤あまね(柔道家)」を参照
《b》コメディエンヌ《/b》
日本のコメディアン坂本金太郎の最後の弟子であり後継者と呼ばれている。本人は自身をプロ野球選手と言い続けているが師である坂本金太郎からは「あれは骨の髄からコメディアン。人がニコニコするのが大好きだから無意識に笑わせに行くのよ」と評されている。
これを象徴するエピソードとしては初めてバラエティー番組に出演した際、「野球を感じられるから」といきなりテーブルの上にバットとボールを置いて司会者と漫談を始めた事などが有名であるが、この事を尋ねられると当人は至極真面目にやっていると真顔で答える。
《b》経営者として《/b》
伯父の山田・ジョンソン・ブライアンからは「ショービジネスの権化であり、ネットワークビジネスの革命者」と評されている。権藤は幼少期からネットワークビジネスの可能性を山田・ジョンソン・ブライアンに語っており、彼はその言葉を信じて当時零細サービスだったYOUCUBEやニヨニヨ動画等のネットワークビジネスに投資を行った。その結果数年もせずに投資分を回収。更にオリンピックでの成功によって彼が投資した企業は軒並み急成長を遂げ、現在もYAMADAグループの根幹となっている。
《b》評価・反響《/b》
当初は魔球を投げる珍しい少女という扱いであったが、報道が増えるにつれて反響も跳ね上がって行き、現在では世界中で最も顔が知られたスポーツ選手と言われている。
彼女の同世代の野球選手は全て彼女で性を自覚したと言われており、実際にそれを取材された彼女のライバルと呼ばれている網走極(プロ野球選手・ボストンアカクツシタズ)は1年生夏の甲子園決勝。最後の1球が全て悪いと語っている。この時の映像は史上最もセクシーなスポーツ選手の名と共にインターネット上に未だに拡散され続けている。
純粋な野球選手としての実力を評価する声も多くあるが、その破天荒な経歴から一部メディアからは「もう少しおしとやかになって早く結婚して子供を見せてくれ」と苦言を呈される事も多々ありその度に「相手が居ないから」と笑ってインタビューに答えている。
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ラーメンが食べたくて 異世界転生ハードモードとんこつ味
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