ep11 神楽坂日向①
7月26日 AM7:00
けたたましく響く目覚ましの音に叩き起こされた俺は、ノソノソとベッドの上から起き上がって朝の支度を始める。
訓練の開始時間は9時からの予定であるため余裕はあるけど、朝食はゆっくり食べたいし、女の身支度にも慣れてなくて時間がかかる。一応髪のセットだとか下着の付け方だとか、基本的なことは女性の職員に教えて貰ったけど、一回教えて貰っただけで完璧にできるほど俺は覚えの良い人間ではないのだ。
小一時間ほど悪戦苦闘した末に準備を終えて部屋を出ると、神々廻が通路の壁に背を預けて立っていた。
「おはよう」
「……おう。なんか用か」
昨日のこともあるため警戒して距離を取りつつ挨拶に応じる。
悪人ではないんだろうけど、こいつは唐突に何をしでかすかわからない怖さがある。
「確かめに来た」
「待て! それ以上近づくな!」
淡々と答えながら近づこうとしてきた神々廻を言葉で制すると、意外にも素直に応じて神々廻は足を止めた。
「お前今何する気だった?」
「触ろうとしただけだよ」
「何か嫌な言い方だな……。何のために?」
「ここが本当に夢幻じゃないことを確かめるため」
「まだ寝ぼけてんのか? ここは現実だっつーの」
夢を見てる時はそれが夢かもしれないなんて思わないし、そう疑ったんならそれは現実だろ。
これって俺だけなんだろうか。夢を夢だと自覚して見れる奴っているのか?
「聞き飽きたよ、それ」
「……? ったく、手でも握れば満足か?」
「うん」
何を言ってるのかよくわからんけど、とりあえず触れれば良いだけならこれで十分だろうと手を差し出した。すると神々廻は俺の手を取って、何度か確かめるように力を込めたかと思えば、そのまま俺の手を引いて歩き出した。
「おい!? どこ行くんだよ!?」
「朝ごはんがまだ」
「小学生じゃねーんだぞ! 手なんか繋がなくても一緒に行ってやるって!」
神々廻の手を振り払いつつ隣に並んで歩き出す。目的地は食堂だろう。
相変わらず何を考えてるのかわからん野郎だ。神室先輩が不思議くん呼びする気持ちもわかるな。
・ ・ ・
7月26日 PM18:00
神々廻と共に朝食をとろうとしていた俺は、食堂で待ち構えていた対策室の専属医に捕まって絶食を強いられ、人体をスキャンでもするかのような機械に通されたり、血液を大量に抜かれたり、エコー検査なるものを受けさせられたり、面談したりと丸一日に渡って拘束されていた。人間ドック的なものを受けさせられたと言うのが一番近いだろうか。
それというのも、パイロットたちは月に一度の精密検査によって健康状態を徹底管理されているそうなんだけど、俺は初日に簡単な検査を受けただけで昨日は丸一日訓練に費やしたため、そのような精密検査は受けていなかった。
当初は次回のパイロットたちの検査時と一緒にやれば良いのではないかという意見もあったそうだけど、どこから聞きつけたのか神楽坂が猛反対して今すぐ精密検査をした方が良いと強く主張した結果、予定を変更して突然の検査と相成ったわけだ。
専属医から又聞きした話だけど、違う世界の人間なら空気の成分や食物の違いによって健康被害が出ていてもおかしくないし、加えて性別まで変わってるとなれば人体にどんな影響が出ているかわからない、だから自分たちよりももっと入念かつ頻繁に検査して少しの異常も見逃さないべきだ、と神楽坂は言っていたらしい。
俺のことを心配してそう言ってくれるのは嬉しいんだけど、事前に教えてくれれば心の準備が出来て良かったのになぁ。
いきなり専属医に捕まって半ば強引に検査をすると言われた時は、何か重い病気でも見つかったのかとか、何かやらかしてしまったのかとか凄い不安になったぞ。あと胃カメラめっちゃ苦しかったし、注射も痛かった……。
しかしそれもようやく終わって、やっと一日ぶりの食事にありつけるというわけだ。
胃の負担が軽いものを食べるよう言われてるし、うどんでも食うか。
「お疲れ様です桜台くん! 検査はどうでした?」
「神楽坂か。特に異常なし、健康そのものの十代女子だとよ」
今日の訓練は終わったのか、一人静かにずるずるとうどんを啜っていた俺の対面に神楽坂が座り、フォークとナイフでハンバーグを一口大に切り分けながら声をかけて来た。今日は俺も肉を食いたい気分だったんだよなぁ……。
「良かったですね! 安心しました!」
「そりゃ何よりだよ。てか先輩たちは?」
「まだ訓練中ですよ! 今日の最終訓練は精神統一して共鳴率90台を一定時間維持する訓練だったので一抜けです!」
そういや神楽坂は神威の出力だけじゃなく共鳴率も高い数値で安定してるんだったっけ。
すぐに来るんなら先輩たちを待っても良かったけど、そういうことなら気にせず食べきってしまうとするか。
「ところで桜台くんって長いし呼びづらいので勇くんって呼んでも良いですか?」
「好きにしろよ。神室先輩なんか最初から勇ちゃん呼びだぞ」
「じゃあ勇くん、今日この後空いてますか?」
「飯食ったら仮想訓練シミュレーターを使うつもりだったけど、なんか用があるなら付き合うぞ」
「ありがとうございます! 実は一つ気になってることがあるんですよね」
花の咲いたようなという形容が良く似合う快活な笑顔で神楽坂がそう言った。
相変わらず男子とは思えない可愛いさだ。傍から見たら女子二人で仲良く飯食ってるように見えんのかね。中身は両方男なのに。
「気になってること?」
「ズバリ、勇くんはどうして女の子になっちゃったのかです!」
「そりゃあ俺も気になってはいるけど」
昨日も考えた通り必然性がないしな。
「異世界から来たっていうのは多分『渡河』の守護獣のせいですよね。ムメイは鏑木さんたちの言う通り虚無の神様の贈り物かもしれないです。女神に乗って戦う才能があるのは、順序が逆で、才能があるからこそ選ばれたと考えることも出来ると思うんです」
「俺が虚無の神の使途とかいう与太話信じてるのか?」
「一応筋は通ってると思うんですよね」
そりゃ何の理由もなく無から女神が湧いたなんてことはないだろうから、何かしら謎があるとは俺も思ってるけど、だからってなぁ……。
「他に有力な仮説がないですから消去法の仮定ですよ。ただ、その仮説でも説明できないことが一つありますよね?」
「それが女になった理由ってわけか」
「そうです! なぜか勇くんは女の子になっても女神と共鳴出来てますけど、本来は男子しか共鳴できないんです! つまり、行き詰った戦況を打破するために送られてきた使途だとするなら、勇くんは男子じゃないとおかしいんです!」
「だからその仮定が間違ってるってことだろ」
虚無の使途説が正しい場合、元々女子だったんならともかくあえて男子を女子にする理由はないしな。
「一応確認ですけど、自分を男子だと思ってる~とかはないですよね?」
「誰が精神異常者だ誰が。んなわけないだろ」
今となっては証明する術はないがちゃんと男子だったっつーの。
「オホン! そ、こ、で! もしかしたら虚無の使途として遣わされたのとは何か別の原因があるんじゃないかと僕は考えました!」
「ゴリ押しすんのな」
虚無の使途説は生かしたまま、性転換だけは何か独自の原因があると言いたいわけだ。
「その原因を探そうと思うので協力してくれませんか?」
「……いや、なんで? 途中までは理解出来たけどなんで最後そうなるんだ?」
理屈に合わないから腑に落ちない、真相が気になるというところまでは理解できるが、だからと言って見つかるかもわからない性転換の原因を探そうとは普通ならないだろ。自分のことでもないのに。
「勇くんは男子に戻りたくないんですか?」
「そりゃ戻れるなら戻りたいけど、今はそれより守護獣を倒すために力を付けるのが先だろ」
心まで女子になったわけじゃないし戻りたいとは思うけど、現時点での優先度は低い。別に今すぐ戻れなくたって死ぬわけじゃない。生きてさえいれば後から原因を探すことだってできる。だけど強くなることを疎かにすれば死ぬかもしれない。死んだらその後はない。
「でも訓練は十分やってますよね? それに、ひたすら訓練だけしてれば強くなれるってわけでもないですよ?」
「どういうことだよ」
「共鳴率を上げるためには精神の安定も必要ですから。そのために僕たちにも休日が設けられてるわけですし。そう考えれば、元の世界に帰れるようになった時のために、女子になっちゃった原因を探って男子に戻る方法を見つけようっていうのはそれはそれで重要だと思いませんか? 女子のまま元の世界に帰って、自分は桜台勇だって信じて貰えるんですか?」
「それは……」
そんなことを考える余裕はなかったから後回しにしていたけど、言われてみればそれはそうだ。痛いところを突いて来る。
「ふふん! つまりこれも戦力アップの一環なんですよ! TS探検隊結成です!」
「お前、なんか楽しんでないか?」
「そんなことはないですよ! それじゃあ食事が終わったら早速活動開始です! まずは今日の検査結果をより詳細に聞き取って、遺伝子的に完全に女の子なのか確認しに行きましょう!」
「お前まさか、俺を精密検査しろって主張したのは最初からこれが狙いで……?」
「やだなー! 心配もしてましたよー!」
どうやら神楽坂は、可愛い顔に似合わず結構強かな面もあるらしい。
まあ、俺にとっても悪い話じゃないし別に良いか。TS探検隊結成だ。
男子に戻る方法なんて皆目見当も付いてないけどな。
☆Tips 太陽の神威
関わる者に安らぎと安心を与える。
また、神威による精神的な悪影響を取り除く。
『不和』や『蛇蝎』も太陽の影響下では悪い働きをしない。




