第22話:銅貨で買えるものを
節約回です
理事会での劇的な決着から一週間。
俺――アルベルタことアルバート・グレイは、学院の裏庭にそびえ立つ薪の山の前に立っていた。
高さは俺の背丈ほど。幅は荷馬車2台分。冬の暖房と厨房を支える、この学院一年分の生命線である。
「グレイさん。……そこで何をなさっているのですか?」
背後から、規則正しい杖の音とともにミセス・ホロウェイが近づいてきた。
「数えておりますの。ホロウェイ先生」
「薪をですか?」
「はい」
俺は手元の帳面に最後の一つを書き込み、顔を上げた。
「先生。この薪、一年分でいくらお支払いになっておりますの?」
「たしか、例年通り金貨18枚と伺っております」
「では、目方は?どのくらい納入されているか、把握していらっしゃいますか」
「……目方?重さのことですか?いえ、存じません。山一つ分、という契約ですもの」
「そうでしょうね」
俺は薪の山から、無造作に一本を抜き取った。軽い。まるで中身が詰まっていないかのような軽さだ。もう一本抜く。やはり同じだ。
俺は周囲に誰もいないことを確認してから、その薪を自分の膝に当て、一気に力を込めた。
バキィッ!
乾いた音とともに、薪はあっさりと二つに折れた。
「グレイさん!淑女は薪を膝で折りません!」
「申し訳ございません。……ですが、これをご覧になって」
俺は折れた断面を彼女に突きつけた。
「中がスカスカの空洞になっておりますわ。虫食いです。それと、この乾き具合……これは去年の薪ではありません。二年から三年は放置されていた古いものですわ」
「古いものは、よく燃えるのではありませんか?」
「乾きすぎた薪は火の回りが早すぎます。燃え尽きるのも一瞬ですわ。同じ重さで比べれば、適度に締まった去年の樫のほうが、三倍は火持ちいたします。……つまりこの学院は、燃え尽きやすいゴミ同然の薪を、去年より高い値で買わされておりますのよ」
ミセス・ホロウェイの杖が、地面を強く突いた。
「……誰が納めているのです」
「王都南部の薪商ですわ。三十年、同じ相手です。おそらく、最初の十数年は真面目な商売をしていたのでしょう。ですが……」
俺は薪の山を見上げた。悪意に満ちた詐欺ではない。たぶん、最初は誠実だったのだ。
だが、誰も目方を量らず、誰も中身を見ず、ただ例年通りの金を払い続けた。そうすると人間は必ずゆるむ。甘い汁に慣れ、気づかないほどの速度で質を落としていく。
「先生。燃料だけで、年間金貨6枚はドブに捨てておりますわ」
その日から、俺の日常は戦場と化した。
朝、淑女の授業。昼は『四輪花』との華やかな会食。放課後、地獄の削減案実行。夜、書類作成。
休みなど、文字通り一分もない。
削減案は三年計画だが、一気にすべては動かせない。まずは着手しやすい三項目に絞った。燃料・備品・行事だ。
燃料は馴染みの東部の窯元に相談した。陶器を焼く連中は、薪の目利きに関しては王国の最高権威だ。
『若旦那、そりゃあ完全に舐められてますよ。そんなスカスカの南部材、うちじゃあ焚き付けにしか使いません。樫を使いなさい、樫を。値は少し張るが、火持ちが倍以上違う。結局はそっちの方が安上がりだ』
親方の言葉を帳面に叩き込む。これこそが商売の真理だ。
高くつくのは「高いものを買うこと」ではない。「値と中身を照らし合わせないこと」なのだ。
次に備品。
学院は机や椅子、寝具、食器の類を、五年ごとにすべて新調するという貴族的な慣習を持っていた。
俺は各教室を回り、実物を執拗に検品した。
――結果、9割がまだ現役で使えるものだった。
「なぜ、まだ使えるものを捨てるのですか?」
「そう決まっておりますから。三十年前、当時の理事長様が『伝統ある学院にふさわしい調度を保つため』とお決めになりました」
「使えるものを捨てるのは、ふさわしさではなく、ただの不合理な浪費です」
「……ええ。今のわたくしには、そう聞こえます」
俺は五年ごとの一括更新を廃止した。壊れたもの、傷んだものだけを都度修理、あるいは買い換える。これだけで年間金貨14枚が浮いた。
そして、最後は最も難航した行事だ。
この学院には一年に17の行事がある。創立祭、収穫祭、園遊会、音楽会……。そのうち九つが、内容は同じ「礼拝と茶会」だった。
「統合いたしましょう」
俺が言った瞬間、教員室の空気は氷点下まで下がった。
「グレイさん! 行事は学院の魂ですのよ!」
「その魂一つに、金貨42枚かかっておりますわ」
「なんと無機質な言い方を……!」
「聖アグネス祭と創立記念祭は、開催日が二週間しか離れておりません。内容はどちらも礼拝、式典、茶会。……ほぼ同じですわ」
「意味が違いますわ!」
「意味は違えど、支出は同じですわ。開催を同じ週に寄せなさい。礼拝は二回行い、式典と茶会を一括で行う。それだけで、意味を守りつつ費用を半分に削れます」
教員たちが顔を見合わせた。やがて、誰かが「……確かに、その通りですわね」と力なく呟いた。
削減は冷徹に進んだ。だが、成果が数字として形になり始めたある夕方、俺は不思議な焦燥感に囚われていた。
食堂の裏で翌日の献立表、高い肉を削り、栄養価を落とさず単価を下げるために豆と根菜を増やしたメニューを確認していた時のことだ。
「あんたかい。うちの帳面を引っかき回してるって小娘は」
五十がらみの、丸太のような腕をした女性がやってきた。厨房を預かる料理長だ。
「……申し訳ございません」
「謝るこたぁない。……で、どうなんだい。うちの厨房の数字は」
「よく管理されていますわ。無駄は、ほとんどありません」
「そりゃそうさ。あたしが二十年にらみをきかせてんだからね」
料理長は豪快に笑い、それから少し声を潜めた。
「なあ、お嬢さん。一つ聞いていいかい」
「はい」
「あんた、何のためにこれやってんだい。学院が金に困ってるのは分かる。でもね、あんた生徒じゃないか。しかも三年計画だって?あんた、来年の春には卒業だろうが」
言葉が出なかった。
その通りだ。俺が今心血を注いでいるのは、三年かけてじっくりと効いてくる改革案だ。
そして俺は、その二年目も、三年目も、この場所でそれを見ることはない。卒業し、ドレスを脱ぎ、ソルトポートへ帰るからだ。
「……最後まで見届けられないことは、承知しておりますわ」
「なら、なんでやるんだい。あんたの得にもならないだろ?」
「……」
答えを探した。だが、見つからなかった。
御用商人の座を取るために潜入した。それ以外に理由はない。だが燃料を削り、備品を直し、行事を統合しても、グレイ商会の利益には一銅貨も繋がらない。むしろ、学院の支出が減れば、俺が狙っている御用商人の座の値打ちは下がる。
俺は、自分が手に入れるはずの果実を、自分の手で削り取っているのだ。
「……盛られた見積もりを見ると、我慢ができないのですわ。ただ、それだけです」
俺は、一番正直な理由を口にした。
料理長はしばらく俺を見つめ、それから腹の底から笑い出した。
「あっはっは!そりゃあ立派な商人の病だねぇ!」
「病ですか」
「病気だよ。うちの死んだ亭主も同じだった。魚市場で腐りかけを高く売ってる奴を見ると、関係ないのに首を突っ込んで喧嘩を始める。……あんた、いい気性してるよ」
バシンと肩を叩かれた。
普通の令嬢なら吹き飛ぶような衝撃だったが、俺は微動だにしない。料理長が少し驚いた顔をする。
「……あんた、意外と丈夫だね」
「……よく言われますわ」
彼女が厨房に戻った後、俺は一人で立ち尽くしていた。
二ヶ月後。削減の初年度実績が弾き出された。
燃料、金貨6枚。備品、14枚。行事、21枚。食材、8枚。その他、17枚。
合計、金貨66枚。
当初の見込みは三年で60枚だった。それを、わずか一年目で、しかも一人で超えてみせた。
ミセス・ホロウェイは、その数字を三度見直し、それからガタガタと震える手で杖を取り落とした。
「……66枚。……66枚ですの」
「はい。支出の約三割にあたりますわ」
彼女は椅子に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「三十年……。わたくしは三十年、一体何を信じて判を押してきたのでしょう。金貨66枚……。一年でこれほどの額を、この学院は無駄に燃やし続けてきたのですわね」
「先生。無駄ではありませんわ」
「……慰めは結構ですわ、グレイさん」
「慰めではありません」
俺は帳簿を閉じた。
「この学院は三百年、金を数えずに高潔な教育をしてきました。その結果、卒業生たちは『金を数えない大人』になりました。……王国中の商人が、この学院の卒業生を『最高の客』だと言っておりますわ」
ミセス・ホロウェイが顔を上げた。
「……それは、褒めているのですか?」
「いえ、けなしております。カモにしているという意味ですわ」
「……そうでしょうね」
「ですが、それも一つの価値でしたの。値切らない客がいるからこそ、守られてきた伝統も、成り立ってきた商売もある。この学院がしてきたことは無駄ではありませんでした。……ただ、あまりにも、あまりにも高くつきすぎましたわ」
ミセス・ホロウェイは静かに、そして不安そうに俺を見つめた。
「グレイさん。来年、あなたは卒業なさいますわね。……その後、この学院はどうなりますの?」
俺は答えられなかった。
この三年計画の二年目と三年目を、一体誰が回すのか。この学院には、まだ内訳を読める人間が、俺以外に誰もいない。
「……考えますわ」
それだけ言って、俺は部屋を出た。
バレろよ。
なあ、頼むよ。
俺は今日、この学院の支出を三割削った。
誰も頼んでいない。俺の得にならない。むしろ自分の御用商人の座の値打ちを下げている。
なぜやっているのか、自分でも分からない。
――たぶん俺は、この学院が潰れるのが嫌なんだ。
俺を可憐と呼び、聖女だと信じ、腕が太いのは書類のせいだと言い切る。
あの目が悪くて、金が数えられなくて、そのくせどうしようもなく善良な人たちが。
彼女たちが行き場を失うのが、耐えられないんだよ。
誰か気づいてくれ。
この学院を一番案じている男が、この学院で一番の嘘つきだということに。
その夜、俺は実家の母への手紙に、こう書き記した。
『母上。学院の支出を三割、金貨66枚削りました。なお、俺が取りに来た御用商人の座は、そのぶん値打ちが下がりました。商人として、自分が何をしているのか分かりません。
一つだけ業務連絡です。薪は北部の樫に変えてください。同じ重さで火持ちが倍違います。うちの商会の倉庫も、一度見直したほうがいいかもしれません。』
淑女は膝で薪を割りません
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