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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第三章

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第59話・『夜』

 

 夕飯の皿は洗い終わり、湯気の名残も消えた。風呂上がりの髪を拭きながら廊下を行き来する足音が減っていき、ログハウス全体が、眠りへ向かって静かに沈んでいく――はずだった。


 なのに。

 居間の方から、まだ軽い熱が漏れてくる。麻雀卓の牌がぶつかる乾いた音と、笑い声。もう一方では、床に広げた盤と駒を囲んで、商人伝説――通称、商伝。どちらも佳境らしく、あと少しで勝敗がつく気配がある。


 有羽はその騒がしさを背に、テラスへ逃げていた。

 逃げた、というと語弊がある。あれはあれで楽しい。楽しいのだが、そこに長居すると、何時まで経っても終わらなくなる。だから、少し距離を置く。


 テラスの椅子に深く腰を下ろし、カップを両手で包む。今夜の紅茶は自分用だ。いつも誰かに出すために、さっさと淹れて、さっさと片付ける。けれど、たまには丁寧にやる。湯の温度、抽出時間、香りの立ち上がり。そういうどうでもいいことに心を置ける時間が、有羽には必要だった。

 本来なら、夜風で湯冷めが心配になり始める季節。

 だが、ここは結界の中だ。外の森と地続きのはずなのに、肌に触れる空気は室内みたいに穏やかで、温度も湿度も心地いい。木々の匂いだけは確かに森のものなのに、冷たさがない。


 カップの縁に口をつけた、その時だった。

 庭から一人、テラスに向かって歩いてくる。


「有羽。まだ起きてたのか?」


 顔を覗かせたのは、アウローラだった。風呂上がりらしく、髪が柔らかく落ちている。夜の灯りに照らされて、いつもの第二王女の顔が少しだけほどけて見えた。


「ん? ああ。中で盛り上がってる連中が何人かいるんでな。まあ、もうすぐ終わりそうだけど」

「……あいつら……ごめんな、有羽。うちの隊の連中が迷惑かけて」

「迷惑ってほどじゃないよ。さっきまで俺も麻雀してたし。最後のワンゲームだけ交代したってだけ」


 苦笑してそう返すと、アウローラは、ほんの少し肩の力を抜いた。

 有羽は椅子の向かいを顎で示す。


「ほら。突っ立っててもなんだし、こっち来て座ったら」

「……うん」


 ちょこんと座る。その仕草が妙に小さくて、夕飯時に豪快に天ぷらを追加注文していた王女と同一人物に見えない。

 テーブルを挟んで一対一。森の夜に、二人だけの静けさができる。


「今日はありがとうな、有羽。姉上とラディウス卿を、持て成してくれて」

「どうってことないよ。良いランチョンマット貰っちゃったし……それに持て成したって言っても、カレーと天ぷら食わせただけだしね」

「あれは『だけ』って言っていい代物じゃない!」


 アウローラが、わりと本気でむくれる。


「王都でも食べれない美食だ! あんなの出されたら、普通の貴族なら財布じゃなくて金庫を開くぞ!」

「それはそれで怖いな……財布が軽くなるだけならまだしも、面倒が増える」

「増える!」


 同意されて余計にぷんすかする。

 器用だな、と有羽は内心で思う。思うが、口には出さない。出すと余計に長引く。


「それに、あのゲームだって」

「ああ、『商人伝説』? どうだった、あれ?」


 問うと、アウローラの目がぱっと明るくなる。


「凄いなんてもんじゃない! あんなに熱中できるボードゲームは初めてだ! 個人的には麻雀より好きだぞ……麻雀はよく飛んじゃうし」

「それはキミがデカい手役ばっかり狙うから。傍から見てて分かりやすいの」

「うるさい! 狙えるなら狙うだろう!」

「それで毎度飛んでるんだけどね」


 返した瞬間、居間の方から「ロン!」という声が聞こえて、誰かの呻きが続いた。あっちもあっちで地獄だ。

 有羽は紅茶をひと口すすりながら、心の中で小さく溜息をつく。


(いや、ホントすごいわ)


 有羽は心の中でこっそり呟いた。

 地球のゲーム会社。恐ろしい。ルールの骨組みを少し変えただけで、この世界でも通用した。王族でも、護衛でも、侍女でも、全員同じところで笑って、同じところで悔しがる。

 それが嬉しくもあり、胸の奥が少し痛くもある。


(あっちじゃ今頃、続編とか出てるんだろうな。新しい路線、新しいイベント……)


 続きを知らない。触れられない。思い出は増えない。増えるのは、ここで作った代替品だけ。

 ふと気づくと、アウローラが残念そうな顔をしていた。


「でも……残念だ。あの『商伝』は、麻雀以上に王都で流行らせるのが難しい。国の情報が明らかになりすぎてしまう……遊ぶとしたら、貴族間だけか。いや、それでも厳しいか……」

「あ、やっぱりそう思う?」

「当たり前だ。私だって王女だぞ」


 アウローラは胸を張って言い切ったあと、ふっと、声を落とした。


「民に『与えなくてもいい知識』を与えてしまうことの危険性は分かってる。皆が賢くなるのは大賛成だけど……狡賢くなっちゃうかもしれないだろ」


 しょんぼり、と言っていい顔だった。

 有羽は、内心で舌を巻く。

 このわんこ王女、こう見えて地頭がいい。理屈を理解しているだけじゃない。そこから先の、手触りの悪さまでちゃんと掴んでる。


「だから昔、港に……王族も協力して『学校』を作ろうとしたんだ」


 アウローラは、遠くを見るように言った。


「『正しい知識』を民に広げるために。……まあ、その『正しさ』は教える側も難しいんだけど。それでも昔……そこを目指した」


 言い終えると、彼女の表情に、ひとつ影が落ちた。

 懐かしさじゃない。温かい痛みだ。胸の奥にまだ残っているものを、そっと撫でるような悲しさ。


「夫と……話したんだ。戦が終わったら、って。剣で勝つだけじゃ、国は救えない。字が読める子が増えたら、嘘に騙されにくくなる。計算ができたら、詐欺に引っかかりにくい。……そういうのを、ちゃんと「当たり前」にしたかった」


 言いながら、自分で自分の胸を指先で押さえる。そこに穴が空いているみたいに。


「でも、あの人は死んだ。だから……私の『夢』は、そこで終わった」


 かつての約束。夫だった公爵令息と交わした約束。

 孤児も、貧しい子も通えるような、正しい学校を。


 もう、その約束は永遠に叶わない。

 帝国との戦で夫が死んだ三年前に――消え去った夢。


 有羽はカップを指先で回しながら、アウローラの顔を見る。

 彼女の過去は、断片しか知らない。

 結婚したばかりで夫が戦場へ向かったこと。帝国との戦争だったこと。そして――帰ってこなかったこと。

 その後、彼女が血の涙を流すほどの憎悪と無念を抱いたこと。


 それだけだ。

 どんな人物だったのか。どんな癖があって、どんな声で笑って、どんなふうにアウローラの名を呼んだのか。どんな約束をしたのか。

 何も知らない。

 知ろうとして、踏み込んでいいのかも、分からない。


 だから、有羽は黙っていた。彼女が言葉にしたい時に、言葉が出るのを待った。

 アウローラは、紅茶の湯気をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「有羽は、さ。魔国の女王にカレーを食べさせたって言っただろ?」

「ああ……悪いな。成り行きだったもんで」

「ううん。良いんだ。昼間も言っただろ。有羽の行動を縛るつもりはない。有羽が誰に何を食べさせても……誰に何を渡しても、それを縛る気は、ない」


 真っ直ぐな声だった。いつもの、迷いのない言い方。嘘じゃない。嘘ではないのだが――有羽は、そこに薄い引っ掛かりも感じた。

 アウローラは一拍置いて、少しだけ口を結んだ。


「ただ……安心したんだ。もし相手が魔国じゃなくて帝国だったら……私は、取り乱していたかもしれない」


 ぎゅっと、自分の肩を抱くように腕を回す。体が小さく見えた。

 いつも前線で剣を振っている人間の仕草ではない。


 有羽は、胸の奥がひやりとした。

 当然だ、と理解はできる。

 かつての夫を奪った帝国。その帝国と、有羽が友好的なやり取りをする。


 そんな可能性を想像しただけで、彼女の中に何が戻ってくるか――分からないはずがない。感情は抑えられても、生まれることは止められない。生まれた瞬間、暗い熱になる。

 あるいは、過去の殺意が、何の前触れもなく蘇る。

 有羽は、カップを置いた。わざと音を立てずに。


「……そりゃ、そうだよ」


 言えるのはそれだけだった。慰めの形をした言葉を並べるのは簡単だ。でも、軽くなるものじゃない。軽くしていいものでもない。


「だから……その、魔国で良かったっていう気持ちの方が大きいんだ」


 アウローラは、森の闇を見つめるように言った。


「それに、これで有羽は『コメ』が手に入るんだろう? 有羽の求めていた食べ物だ。きっと美味しいんだろうなぁ」


 アウローラは顔を上げ、ふっと笑った。

 屈託のない笑顔。

 あまりにも、まっすぐな笑顔。


 その笑顔を浮かべるために、どれだけの怒りを押し殺したのだろう、と有羽は思った。

 血の涙を流しながらも、国の決定に従った王女。憎悪を抱きながらも、和平の席に立った王族。自分が壊れそうなのに、国を壊さないために自分を折り畳んだ人間。

 それがアウローラだ。


 有羽にできることは、きっと、この笑顔に応えることだけ。心の傷を癒す魔法なんてない。過去を消す魔法もない。あるとしたら、それはもっと残酷だ。

 だから、今の彼女が欲しがるものを、ちゃんと返す。

 有羽は、口角を少しだけ上げた。


「……ああ。米が手に入ったら、ご馳走してやるよ」


 アウローラの目が、きらりと光る。


「カレーと合わせても、天ぷらと合わせても絶品なんだぜ。きっと……アウローラは我を失うと思う」

「そんなにか!?」


 アウローラの目が、ぱっと輝いた。さっきまでの陰りが、嘘みたいに消える。


「う~……楽しみになってきたぞ。有羽! 早く魔国女王のとこに行って『コメ』貰ってきてくれ! それで私にも食べさせてくれ!」

「早くたって……今から行ったら一週間後になるけど、行っていいの?」


 冗談半分に言うと、アウローラは即座に両手をぶんぶん振った。


「駄目! 私達が滞在中は行っちゃ駄目! 私達が王都に帰ってから行って!!」

「無茶苦茶だなぁ……」


 有羽は笑って、頭をかいた。

 自分の生活を荒らされるのは嫌いなはずなのに。彼女のこういう無茶だけは、なぜか許せてしまう。許せてしまうのが、怖い。

 怖いけれど――今夜はその怖さより、温度の方が勝った。


「でも、分かったよ。米が手に入った時は、最高の『米料理』を食わせてやる」

「やったぁ!」


 小さく拳を握って喜ぶ。可憐な女性が心から喜んでいる笑顔。

 下手に着飾った姿より、よっぽど無防備で、よっぽど破壊力がある。

 有羽は、思わず視線を逸らした。


「……やめろ。そういう顔すんな。こっちが変な気分になる」

「え? どんな顔だ?」

「知らん。自分で鏡見ろ」

「鏡? ……有羽の家の鏡、めちゃくちゃ綺麗だよな!」


 理解していないアウローラが無邪気で、有羽はふっと噴き出した。

 居間の方から、また歓声が上がる。麻雀の決着か、商伝の大逆転か。どっちにしろ、明日になればまた誰かが武勇伝として語り出すのだろう。


 夜空は深く、森は静かだ。

 その静けさの中で、二人の間には、今は溝がない。


 引きこもる賢者も、お日様の光には弱い。

 有羽は、紅茶をもう一口飲んだ。舌に残る渋みが、妙に現実的だった。


「……なあ、アウローラ」

「ん?」

「さっきの話。もし帝国だったら、ってやつ」


 アウローラが一瞬だけ身構えたのが分かった。

 有羽は、続ける言葉を選ぶ。

 上手い言い方なんてない。だから、上手く言おうとしない。


「俺は、帝国に行くつもりはない。関わる気もない。少なくとも――今のところは」


 アウローラの肩が、ほんの少しだけ下がった。息を吐く音が、かすかに聞こえた。


「……うん」

「だから安心しろ、とは言わない。そんな簡単な話じゃないってのは、俺にも分かる」


 有羽はそこで言葉を切って、苦笑した。


「でもさ。もし、帝国と関わる事になって……いや、帝国でなくても構わない。どこかで俺が間違えそうになったら……俺が間違ってるってアウローラが感じたら……その時は、止めろ」


 アウローラは目を瞬かせたあと、ゆっくり笑った。


「止める。全力で止める。殴ってでも止める」

「やめろ、殴るな」

「じゃあ、引きずってでも止める」

「それもやめろ」


 言い合って、二人で小さく笑った。

 そして、笑いが落ち着いた時。

 アウローラは、夜の森を見ながら、ぽつんと呟いた。


「……今日さ。姉上に言われて」

「ん」

「名前……呼ばれて、嬉しかった」


 真正面から言う。有羽の心臓が変なところで跳ねる。


「……そうか」

「うん。嬉しかった」


 確認するみたいに、もう一度言う。

 有羽は、目をそらして紅茶を飲んだ。落ち着け、と自分に言い聞かせる。たかが名前だ。名前くらい、呼べ。呼んだだろ。今日呼んだだろ、と。何度も自分に言い聞かせる。


 家の中から、「ロン!」「倍満!」という叫びが聞こえた。続けて、「いやああああ!」という悲鳴。多分、また誰かが飛んだ。

 その騒ぎに紛れて、有羽は小さく息を吐く。


「……呼ぶよ。必要なら」

「必要じゃなくても」

「必要なら、だ」

「必要じゃなくても、だ」


 アウローラが食い下がる。湯上がりの湿った髪が肩から落ちて、灯りを少し吸った。以前のワンピースほどの破壊力はないのに、別方向で厄介だ。柔らかい。

 有羽は降参の代わりに、話を戻す。


「……寝ろ。明日も色々食べるんだろ」

「食べる!」


 即答だった。

 有羽は、もう一度だけ笑って、カップを置く。


 居間の騒ぎが、ひとつ大きく弾けた。決着がついたらしい。

 テラスの灯りの下で、アウローラの笑顔が揺れる。

 その笑顔を守るために何ができるか――その問いが、いつの間にか自分の中に居座っている。

 有羽はそれを追い払うように、苦笑した。


「ほら。終わったみたいだ。片付けの手伝いでもして、さっさと寝るぞ」

「うん!」


 夜空の下で、二人は立ち上がる。

 今この瞬間に、何の不安も無い。何の企みも無い。

 有羽とアウローラは、ただ純粋にお互いを想って。


 森はまだ、静かだった。



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