表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/136

第54話・商人伝説


 ログハウスのテーブルが、いきなり「戦場」に変わった。


 いや、戦場と言うと物騒だが――実際、そこにあるのは地図と駒と硬貨と、小さな盤だけだ。

 なのに空気は、剣の柄に指をかける時のように張りつめている。


 テーブルの上には大きな地図。

 王国と魔国をざっくり二分する境界線、川筋、街道、森の印、海岸線。

 地名はどれも見覚えがある。見覚えがあるからこそ、レジーナは背中に薄い冷汗を感じる。


 その周囲に、人型の小さな駒が四つ置かれた。

 有羽の駒は簡素な木の人形。

 アウローラの駒は、頭に小さな星の刻印がある。誰が彫ったのか、分かりやすすぎる。

 ラディウスの駒は騎士兜のように尖り、レジーナの駒は僅かに細身――侍女達の目が「かわいい……」と震えていた。


 硬貨を模した玩具の通貨。

 そして、色分けされた三枚のルーレット盤。

 青。赤。黄。

 さらに、ころころ音を立てる角張った箱から出てきたのは、目が刻まれた小さな立方体――サイコロだ。


 有羽は咳払いを一つ。

 そして、口元だけで笑って告げた。


「新しい遊戯。暫定だけど名前つけた。――『商人伝説』。略して『商伝』」

「しょうでん……?」


 アウローラが舌の上で転がすように復唱する。

 その瞬間にはもう、わくわくが抑えきれていない。尻尾が見える。完全に見える。


「参加者は四人。俺、アウローラ、お姉さん、ラディウスさん。観客は自由。口出しは……まあ、最初だけは許すけど基本は無しね」


 窓の外に張り付いた護衛達が「了解!」と妙に大声で返事をして、侍女達に肘で小突かれて黙った。


「よし。じゃあ、最初はルール説明しながら。基本は簡単。サイコロ振って進む。止まったマスで金が増えたり減ったり、魔法を拾えたりする。あと町に止まったら「物件」を買える。物件は毎年収益を生む。……最終的な「総資産」を競う」


 ラディウスが目を細める。もう計算を始めている顔だ。

 レジーナは微笑を崩さないが、その視線は地図の街道をすでに追っている。

 アウローラだけが、うんうんと勢いよく頷いている。理解が追いついているかは怪しい。


「で。まずはアウローラから。理由? 分かりやすいから」

「私、分かりやすいのか……?」


 本人は首を傾げるが、有羽も侍女隊も護衛隊も、全員同時に「はい」と頷いていた。

 レジーナが上品に咳払いをして、笑いを飲み込む。

 アウローラはサイコロを取る。

 握りしめる手が、戦場に赴く将の手みたいに力強い。


「よし……行くぞ!」


 ころころ、と転がったサイコロは、軽い音を立てて止まる。

 アウローラの駒が、地図の上を進む。

 そして止まった先は、青のマス。


「青だな。じゃ、青の盤。回せばいい。青いマスは「収入」。このルーレットに書かれた数値の分だけ金貨が貰える」

「これを回せばいいのか?」

「そう。回してみて」


 アウローラは青い盤を両手で押さえ、勢いよく針を弾いた。

 くるくる、くるくる。

 針が回る音に、侍女達が無駄に息を飲む。護衛達が無駄に身を乗り出す。

 やがて、針は「100」と書かれた目でぴたりと止まった。


「はい。これでアウローラは金貨100枚手に入れた」

「うははー! これだけで金貨100枚とか、大儲けじゃないか!」


 アウローラは拳を握って喜ぶ。

 そして、ふと地図の色を見回し、きょとんとした顔になった。


「……ん? そうなると、この赤いマスや黄色いマスは何なんだ?」


 有羽は、待ってましたとばかりに指でトンと机を叩く。

 口調は軽いが、内容は妙に()()がある。


「赤いマスは「支出」。青の逆。赤いルーレット回して、その分金貨が減る。払う理由は色々……税とか、修理費とか、事故とか、罰金とか。リアルだろ?」


 レジーナが微妙に口元を引きつらせる。

 妙に生々しい。王族だから出費に関してはいつも頭を悩ませる。

 こういう時は、黙って微笑むのが外交の勝ち筋。


「黄色は「魔法」。ここがこのゲームの味。黄色のルーレット回して、出た目の魔法カードを取る。魔法は一回使い切り。持てる枠は三つまで」

「三つだけ?」

「三つだけ。持ちすぎると魔法ゲーになる。選択の余地があるのが面白い」


 ラディウスが頷く。

 制限があるから戦略になる、という感覚を理解している。

 有羽は黄のルーレット盤を回し、わざとらしく読み上げた。


 『駿馬』『名馬』『天馬』――移動の際、サイコロの個数が増える魔法。

 『落石』――3ターン道を塞ぐ。

 『暴風』――自身がランダムに吹き飛ばされる。

 『帳消し』――借金をゼロにする。

 『交換』――持ち金を入れ替える。

 『豪商』――物件をひとつだけ激安、十分の一の値段で買える。

 『会議』――全員集合。

 『強奪』――相手の魔法を奪う。


 説明を聞きながら、ラディウスが静かに唸った。


「これは……魔法マスは積極的に停まるべきだね。強力な効果が多い。特に豪商……これは、勝敗を決める一撃になり得る」


 同じように、レジーナの声がほんの少しだけ低くなる。


「……強奪は厄介ね。強力な魔法を手に入れても、奪われてしまえば意味がない。魔法の価値が上がるほど、強奪の価値も上がる……これは頭を使うわ」


 言葉は落ち着いているが、瞳は完全に真剣だ。


「大体取った瞬間に狙われるけどな」


 有羽は肩を竦める。

 その()()が、余計に怖い。

 やってみた上での軽さだ。

 そしてアウローラは、青マスで100を当てて浮かれていたのに、急に難しい話になって首を傾げている。わんこが急に王宮の会議室に放り込まれた顔だ。


「え? え? え? えっと……つまり……今の私、強い?」

「今の君は、金貨100で浮かれてるだけの王女だよ」

「ひどい!」


 有羽は咳払いして、場を整える。


「ま、とりあえず初回は説明も兼ねてやる。全員が一回ずつサイコロ振って進む。これで「一か月」。これを十二回で「一年」。区切りはとりあえず「三年」。三年終わった時点で資産の合計を比べる」

「三年……」


 レジーナが小さく復唱する。

 彼女の頭の中では、すでに「年次決算」が走っている。

 資産の評価、物件の収益、イベントの確率。

 そして、なにより――地図を使った地理理解の補助。

 あまりにも「教育用」だ。


 ゲームは進む。

 有羽がサイコロを振り、赤マスに止まってルーレットを回す。

 針が「30」で止まり、「はい、損失30」と淡々と言う。

 侍女達が「賢者様でも赤引くんですね」と囁き合う。

 有羽が「俺だって運は普通だよ」とぼやく。

 ラディウスは最初の手番で黄色を引いた。

 黄のルーレットを回し、引いたのは――駿馬。使うと振るサイコロが二個になる。


「移動が増えるのは分かりやすい。序盤に持っておけば、物件を買うチャンスが増える」


 即座に戦略化。

 騎士なのに、商人の目をしている。


 レジーナは慎重に進む。

 赤を避け、黄色を拾える道を確認しながら、青も踏む。

 収入を得ながら、手札を整えるという、あまりに妥当な動き。

 周りの侍女達が「さすが第一王女様……」と尊敬の眼差しを送る。

 一方のアウローラは。


「よし! 次も青を狙う!」

「狙って止まるもんじゃない」

「狙う気持ちが大事なんだ!」


 有羽が突っ込み、アウローラが胸を張る。

 護衛達が外で「殿下、それで勝てます!」と余計な応援をして、侍女隊に黙らされる。

 やがて、アウローラの駒が「町」に止まった。


「有羽ー。これ、何買うのがいいんだー?」


 買い物の相談が、恐ろしく無邪気だ。

 有羽は地図のその町の欄を指で叩く。


「お勧めは収益が高い物件。今の町だと――武器屋だな」

「あ! 知ってる! ここの武器は有名なんだ。ドワーフの鍛冶師が居て……」


 アウローラは、知識を「生活の言葉」で語る。

 それがそのままゲームに繋がるのが、面白い。

 冊子をめくると、武器屋の欄に「収益10割」とある。

 アウローラの目が丸くなった。


「収益が10割! これ、買った金額分が来年そのまま返ってくるのか!?」

「そ。だから二年三年と続けば、その分金が増える。買い得だ」

「買う!!」


 即決。

 王女の即決は怖い。

 いや、これはゲームだから可愛い。現実なら財務官が倒れる。

 アウローラは鼻歌でも歌いそうな勢いで、武器屋の札を自分の前に置く。

 レジーナはにこやかに見守りながら、内側で思考を走らせた。


(……これは覚えやすい)


 町に止まる。

 名産を見る。

 収益を見る。

 買う。

 増える。

 失う。

 奪う。

 守る。


 遊びの流れに乗るだけで、地理と産業が頭に入る。

 苦しい暗記ではない。

 ()が記憶を引っ張る。

 自分が買った武器屋の存在は忘れない。

 忘れるはずがない。毎年金が入るのだから。


(学習を「快楽」に変える発想……恐ろしい)


 王族としての教育を受け、学園で座学を積んできたレジーナですら、勉学は「義務」だった。

 必要だからやった。得意だから成績が良かった。

 好き好んでいたわけではない。


 だが、これは違う。

 楽しい。

 それが一番厄介だ。

 楽しいものは、人を縛る。

 縛るものは、文化になる。

 文化になれば、国を動かす。


(……もし、この遊戯を広めたら)


 この遊戯を王都へ持ち込めば、瞬く間に流行るだろう。

 貴族の子供達が夢中になる。

 そして知らず知らず、王国の地理と産業を「遊びながら」覚える。

 それは政治の基礎を配ることに等しい。


(賢者自身がそれを望まずとも、拡散する)


 だからこそ、彼も遊戯も森に留める。

 理解を示して、そっとしておく。

 それが、最善。


 ……そう、頭では分かっている。

 分かっているのに。


 レジーナは、自分の番が待ちきれなくなっていることに気づいた。

 視線が、無意識にサイコロへ行く。

 盤の色へ行く。

 自分の駒へ行く。


(……これ、結構面白い)


 レジーナは気付いてしまった。

 自分の番が待ちきれない。

 内心が、微かに浮き立っている。


 それを悟られまいと、背筋を正し、王女の微笑を整える。

 けれど、指先がわずかに机の縁を叩いてしまう。

 小さな癖。癖の方が先に楽しんでしまっている。


「次、お姉さんの番」

「……レジーナで構いませんわ」

「え?」

「妹はアウローラ。夫はラディウスさん。私だけ仲間外れは酷いのではなくて?」


 ぐ、と呻くような有羽の声。

 ほんの少しの意趣返し。今の緩い空気なら距離を詰められる。

 仮にも王女が黙ったままではいられない。それに隣には――無邪気な援軍がいる。


「そうだぞ有羽。姉上だって名前で呼んで差し上げろ。それに有羽が姉上を「お姉さん」とか言うのは……」

「……言うのは?」

「何か、気持ち悪い」

「おい! 何だそれ!?」


 ぎゃあぎゃあとやり取りする、有羽とアウローラ。

 その様子を微笑みながら見る。警戒心の強い賢者との距離を詰める機会は少ない。妹とじゃれ合っている間に、レジーナもちゃっかり距離を縮める。


「あーもー……分かったよ。それじゃ……レジーナさん」

「はい」


 有羽の声。

 その呼び方が、少しだけ新鮮で。

 レジーナは小さく頷き、サイコロに手を伸ばした。

 ころころ、と転がる木の音。

 盤面の上で、王国と魔国の街道が、遊びの道に変わっていく。


 商人となって巡る旅。

 稼ぎ、奪い、塞ぎ、吹き飛ばされ、時に笑い、時に呻く。

 『商伝』はまだ序盤。

 なのに既に、皆の目が本気になり始めていた。


 次の一手が、待ち遠しい――そんな熱を残したまま。

 ゲームは、まだまだ続いていく。





 ◇◇◇





 テーブルの上に広がる大判の地図。

 そこに並ぶ駒、硬貨、札束、色分けされたルーレット盤。


 火にかけた鍋も、香ばしい揚げ物の匂いも、もう遠い。

 今この場を支配しているのは、金貨の擦れる音と、サイコロの転がる音と、そして――勝負事特有の、人の顔が「勝負師」になる気配だった。


 侍女隊はいつの間にか壁際に整列し、茶の差し出し方すら控えめになっている。

 護衛達は家の外で張っているはずなのに、窓の下に影が増えている。

 覗いている。護衛達は交代で、覗いている。


 そして、四人の「商人」が、テーブルのこちら側に揃っていた。


 有羽は気楽そうに肘をつき、アウローラは身を乗り出し、ラディウスは背筋を伸ばし、レジーナは微笑を崩さない。

 だが――その瞳は全員、盤面の一点に釘付け。


 目的地。

 魔国領内、野菜の名産地。

 畑と市場と荷車が行き交う、地味だが堅実な稼ぎの街。


 そこへ、最初に辿り着いた者がいた。

 ラディウスである。

 現実では聖騎士として最前線で剣を振るう男が、盤面では最速で目的地に到達した。


「……お、僕が一番乗りか」


 口元は笑っている。

 しかし目は笑っていない。勝負師の目だ。

 本人も気づかぬうちに、騎士の「勝利への嗅覚」が商人の遊戯に転用されている。


「それで、この後はどうなるんだい?」


 ラディウスが有羽に問いかけると、有羽は指を一本立てた。


「最初に到着した者には「褒美」。金貨2000枚」


 言い終わるより先に、空気が凍った。


「に、ににににに2000枚ぃ!?」


 アウローラが、文字通り椅子から浮きかける。

 目玉が飛び出る寸前で踏みとどまっているのが奇跡だ。

 侍女達が一斉に口元を押さえ、護衛達が窓の外で「えぐ……」と呟いた。

 レジーナは笑顔のまま瞳孔だけを細め、ラディウスは貰う前から守りに入る顔をした。


「2000枚!? 凄すぎだろう、その金額は!!」

「うん。だから急ぐ意味が出る。目的地に着くのが遅いと損。早いと得」


 有羽は淡々としている。

 淡々としているが、その淡々は、経験の淡々だ。

 つまり、こういう仕掛けで人がどう動くか知っている。


「この褒美は()()()()()()()()()だけ。二着三着には意味がない。……というか、目的地に着くたびにルーレット回して、新しい目的地が設定される。だから一着以外は褒美なし」

「えぐい……」


 アウローラが思わず漏らす。

 レジーナは、ここまでで全てを理解した。


(……ただ青マスを踏めばいい単純な遊戯ではない。目的地へ向かう必要がある。そして目的地の価値が高いからこそ、「一手の差」が致命傷になる)


 彼女の指先が、無意識に黄色の魔法札へ触れかけ寸前で止まった。

 外交官の癖。感情を表に出さない癖。


「なるほど。最初はただ「多く進める」だけと思っていた『馬』の魔法が、なぜ三つも用意されているのか……理解したわ。早く着くことが資産に直結する。速度は価値、ね」

「そう」


 有羽は頷き、わざとらしく馬札を扇のように並べて見せた。


「特に『天馬』は最強。一度にサイコロ四個。移動だけ見たら他を圧倒する。……だからこそ『強奪』や『交換』が恐ろしい」


 その言葉に、ぎくりとラディウスの肩が固まる。


 ――交換の魔法。

 それを、今、レジーナが持っている。

 盤面の上では、ラディウスの手元に金貨2000枚。

 現実の金貨ではない。玩具の硬貨だ。

 しかし玩具でも、重い。

 重すぎる。存在感が。


 レジーナは、にこりと笑っている。

 笑っているが、その笑みは「優しさ」と「刃」の両方を含んでいる。

 ラディウスは、妻の顔を見て悟る。

 これは、外交ではない。

 家庭内の、ややこしいやつだ。


「……賢者殿。この場合、どうすればいいのかな? いや、もちろん現実なら対策はいくらでもあるが、遊戯の盤上では――」

「今、街に停まってるでしょ。その2000枚で物件買っちゃえばいい」

「おお、なるほど。資産に変換してしまえば、持ち金を交換されても……待ってくれ」


 ラディウスは冊子をめくる。

 ページに並ぶ畑。畑。畑。

 野菜畑。香草畑。根菜畑。……たまに市場。たまに荷車屋。


「この街、畑だらけで収益があんまり美味しくないんだが……」


 言い方がすでに商人。

 現実の一次産業は国の土台だが、盤上での「伸び」は地味だ。

 有羽は、肩を竦めて言った。


「でも金を持ったままだと、交換でごっそり持っていかれる可能性がある。なら、薄利でも資産に変えるのが正解。でないと、次のレジーナさんの手番で交換されちゃいますよ?」


 レジーナが、微笑みを深める。

 頷きも否定もせず、ただ()()()()()という事実だけで圧をかけている。

 ラディウスは、呻いた。


「く……か、買えるだけの畑を買う……!」


 断腸の思い。

 騎士の断腸は内臓の位置が違うのかと思うほど、顔が歪む。

 それでも決断は早い。

 2000枚を守るために、利益の薄い畑を「資産」へ変換する。

 硬貨がざらざらとテーブルを滑り、畑の札が次々とラディウスの前へ積み上がる。

 畑、畑、畑。

 まるで領地の地図に、畑の旗が刺さっていくかのようだ。

 アウローラが変な声を出した。


「ラディウス卿……畑王になったぞ……」

「嬉しくないね!?」


 即座のツッコミ。

 侍女達がくすくす笑い、護衛達が外で盛り上がる。

 有羽は盤面を整え、次の工程へ進む。


「じゃ、次の目的地をルーレットで決める――それから、全員、今いるマスから()()()()()()()()()()()()()()()()()を数えて」

「距離……?」


 レジーナの眉が僅かに動く。

 目的地に一着した者が得をするゲームで、距離を測らせる。

 つまり、()()()()()()()()がある。


 アウローラもそれに気づいたのか、急に真顔になる。

 遅れは嫌いだ。

 戦場でも、追撃でも、遅れた者は死ぬ。

 そしてこの遊戯でも、遅れは「死」に等しいらしい。


 全員がマス目を数え始める。

 この地図は精巧で、道筋も見やすい。

 すぐに結果が出る。

 一番遠いのは――アウローラだった。


「よし。それじゃアウローラにはペナルティ」

「ええ!? 何でぇ!?」

「目的地から一番遠い商人は、動きが遅い。鈍い。商売の機会を逃してる。だから罰、って感じ」


 なるほど、とレジーナは頷く。

 遅れている者は競争上不利なのだから、さらに不利を背負わせる。

 理不尽だが、勝負としては筋が通っている。

 人の感情は燃える。遅れた者ほど焦る。焦った者ほど無茶をする。無茶をした者ほど――転ぶ。


 有羽は、テーブルの端から新しい駒を出した。

 それは、ひょろりとした人型。

 どこか哀愁のある顔。

 旅装束のような形。

 そして妙に「見覚え」がある。


 続けて出されたのは、黒のルーレット盤。

 そこには、見るだけで胃が痛くなる文字が並んでいる。

 アウローラが、嫌な予感を隠しきれない顔で呟いた。


「あれ……これって」

「そう。みんな知ってるよね。有名な神様。――放浪神ノングラータ」


 その名を聞いた瞬間、侍女隊の空気が一段ひやりとした。


 この世界では、ノングラータは『お伽噺の神』であり、『ネタにされる神』だ。

 王都の賭場で負けた者が、最後に責任転嫁する相手。

 金回りが悪くなったときに、飲み屋で槍玉に上げられる神。

 ――ノングラータに嫌われたな。

 ――祝福じゃなくて呪い貰っただろ。

 そんな軽口が、誰の口からも自然に出る程度には、身近で、厄介で、ネタにされる存在。

 信仰というより、生活の冗談の中にいる神。ちなみに「上位神」である。

 だが冗談の形をしているからこそ、怖い。

 人は笑いながら呪いを受け入れてしまう。


「そんなわけで、しばらくの間、アウローラはノングラータと一緒に旅をしてもらいます。やったね」

「全然よくない!!」


 アウローラが即座に叫ぶ。

 顔が引きつり、全身が拒絶している。

 昼飯のカレーで幸せだった人間と同じとは思えない。


「よく分かんないけど、放浪神に取り憑かれて良い事になる訳がない!!」

「その通り」


 有羽が肯定したせいで、アウローラが逆に絶望する。


「これからアウローラは自分の番が来るたびに、ノングラータルーレットも回す。ここに書いてある効果が発動する」


 有羽が、黒いルーレット盤をテーブルに置く。

 覗き込んだアウローラの顔が、見る見る青くなる。


「……物件ひとつ売る、とか……金貨50枚失う、とか……魔法ひとつ捨てる、とか……ろくでもないことしか書いてないんだけど……」

「……がんばれ」

「おおい!! どうしろというんだ、こんなクソ神つけてちゃ絶対勝てないじゃないかー!!」


 ログハウスの天井が軋むくらいの叫び。

 仮にも神をクソ呼ばわり。

 だが誰も止めない。

 この神は、そういう立ち位置なのだ。

 有羽は悪い顔で、追い打ちのように言う。


「大丈夫。救済策はある。ノングラータ、他人に移せる」

「え?」

「マスを進んで、他人に重なったり追い越したりしたら、その相手にノングラータがくっつく」


 今度はレジーナが、凍った。

 凍りながら、微笑を保つ。

 王女の技能である。


(……一番近いの、私……)


 レジーナの駒とアウローラの駒の距離は、確かに近い。

 しかもアウローラは動く。考える前に動く。

 つまり――来る。

 レジーナが、にこやかな笑みのまま、低い声で言った。


「……アウローラ。来なくていいわ。来たら駄目よ」

「……姉上。今、行きます」

「来るなと言っているでしょう。姉の言葉を聞きなさい」


 アウローラは、もう戦場の目をしていた。

 目的は目的地ではない。

 姉にノングラータを押し付けることだ。

 有羽が横から、余計な燃料を投下する。


「アウローラ、名馬カード持ってたよね? 使えば追い越せるかもよ」

「使う!!」

「こら!!」


 そして醜い姉妹喧嘩が始まる。

 侍女達はそわそわし、護衛達は窓の外で肩を震わせて笑っている。

 ラディウスだけが「まぁまぁ」と宥める顔をするが、その目は笑っている。楽しんでいる。


「だって姉上! 私だけ不幸になるのはおかしいだろう!? 運命共同体だ!」

「私達は姉妹であって共同体ではありません! せめて一人で抱えなさい!」

「嫌だ!」


 有羽は盤上を指で軽く叩き、進行役に戻る。


「はいはい。じゃ、アウローラ。ノングラータルーレットからね。逃げるな。神と向き合え」

「向き合いたくない!!」


 アウローラが渋々ルーレットを回す。

 くるくる、くるくる。

 針が止まる。


『金貨50枚失う』

「うわぁぁぁぁ!!」


 叫びがログハウスに響き、外の護衛達が「殿下ぁぁ」と同情の声を上げる。

 侍女達が即座に「静かに!」と叱る。

 レジーナは胸の内で小さくガッツポーズをした。酷い姉である。

 有羽は淡々と金貨を回収する。


「はい、50枚。ノングラータ、仕事早いね」

「仕事しなくていい!!」


 アウローラは涙目でサイコロを取る。

 その目が、ちらりとレジーナを見る。

 レジーナは微笑んで、目で言う。


(来たら、許しません)


 アウローラも笑って、目で返す。


(行きます)


 何をやっているのか、この姉妹は。


 ラディウスが肩を竦め、有羽が呆れ顔で天井を仰ぐ。

 侍女達は、もう完全に観客として「楽しい」を隠しきれていない。

 護衛達は窓の外で、いつの間にか賭場の客みたいな顔になっている。

 盤の上では、目的地が変わり、金が動き、物件が増え、そして神が取りつく。

 現実ではありえないほど軽く、けれど現実以上に容赦ない。


 ――そして何より。

 この遊戯は、全員が気づいてしまっていた。


 恐ろしく、面白い。


 わいわい、ぎゃあぎゃあ。

 叫び声と笑い声が木の壁に反射し、ログハウスは一時だけ、森の奥の楽園に。


 商伝はまだ序盤。

 ノングラータはまだ旅の途中。

 そして、レジーナの安寧は――まだ、保証されていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なるほど、このゲームで身内や友に裏切られ、陥れられた人が、他者から逃れて「森の隠者」になると…w
鉄を持ち込んだのは初めて見ました(笑)
友情破壊ゲームをコンクリートミキサーに入れてぶちまけたようなナニかだな⋯
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ