第48話・探り合い
豪華な背負い籠という、人生で一度も見たことがない物体から「第一王女」が出てきた――という衝撃の初対面を経て。
有羽はとりあえず、最短で事態を通常運転に戻すことを選んだ。
「……うん。まず落ち着こう。ここで立ち話するより、中入って。森の風、今日ちょい冷えるし」
そう言ってログハウスの扉を開ける。
結界内の空気は澄んでいるが、それでも外は外だ。湿り気と木陰の冷えがある。
アウローラは、相変わらず嬉しそうに「お邪魔しまーす!」と入っていく。
侍女隊も礼儀正しく頭を下げ、護衛隊は周囲警戒の癖を抜かずに視線を散らしながら動く。
そして――レジーナ。
もう籠からは出ている。
出ているのだが。
足取りが、わずかにふらついていた。
平地を歩くのに、ほんの少し遅れる。
段差を跨ぐとき、足が迷う。
顔色は悪くない。王女としての表情も崩していない。だが、目の奥が「まだ揺れてます」と訴えていた。
(あー……乗り物酔いだな……というか籠酔い?)
有羽はかつての日本の記憶を引っ張り出す。
電車酔いや車酔い。乗り物酔いの顔には覚えがある。
ログハウスの玄関でレジーナは、呼吸を整えるように一度だけ小さく息を吐いた。
その仕草が、逆に「無理してます」を隠しきれていない。
有羽は、口調だけ軽くした。
「あー……回復魔法かけましょうか? 多分、酔い消せますよ?」
いきなり触ったり、いきなり魔法をかけたりはしない。
王族以前に、相手が嫌がる可能性がある。だから、ちゃんと確認する。
その瞬間。
隣でアウローラの頬が、ぷくっと膨れた。
「……有羽。何だか、姉上には丁寧に接してないか? 私の時とえらく違うぞ?」
拗ね方が、完全に妹だ。
王女としての威厳をかなぐり捨てた不満顔である。
有羽は、レジーナの前だろうと容赦しない。
「そりゃあなた。猪みたいに何度も何度も突撃してきた王女さんとは対応変わりますよ」
アウローラの眉がぴくっと跳ねる。
「……猪?」
「覚えてる? 二年前のこと。最初に会った時の事?」
「う、ううううう……それは言わないでくれぇ……思い出すだけで恥ずかしい……」
アウローラが両手で顔を覆って屈む。
耳まで赤い。全身で「掘り返すな」を表現している。
侍女隊と護衛隊が、そろって遠い目をした。
懐かしがっている……というより、「よく生き延びたなぁ」を噛みしめている顔だ。
当時はまだ今ほど強くない。森の往復も命がけ。結界の外で座り込み、護衛が胃を痛め、侍女が泣きそうになり――それでも通い続けた。
レジーナは、その一連のやりとりを目にしながら、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
上品な微笑みの形を崩さないまま、けれど確かに「仲がいいのね」と言いたげな、柔らかい温度。
隣のラディウスは、有羽を真っ直ぐ見て、静かに頷く。
護衛として、そして夫として、判断している。
レジーナも、ラディウスと視線を交わし――小さく頷いた。
「……お願いします。賢者様。ご厚意に甘えさせていただきます」
声は丁寧で、礼を崩さない。
だが、どこか切実だ。
(そりゃそうだ。酔いって地味に地獄だし)
有羽は玄関横の広い空間に立ち、レジーナと少し距離を取る。
触れずに行使できる範囲。相手が怖がらない距離。
アウローラは、ぷく顔のまま、じと目で見てくる。
有羽はそれを無視して、指先を軽く上げた。
魔力が動く。
結界内の空気が、わずかに「密度」を増したように感じられる。
有羽にとっては、息をひとつ整える程度。
だが、周囲の人間には違う。
侍女の一人が反射的に背筋を伸ばし、護衛の一人が唾を飲む。
ラディウスの目も、ほんのわずかに見開かれる。
レジーナは、息を止めはしない。だが、まばたきの間隔が一拍だけ遅くなった。
有羽は小さく、言葉を落とした。
「■■ ■■」
誰も理解できない音。
音としては柔らかい。
けれど、その瞬間、空気が変わった。
アウローラも、侍女も、護衛も、レジーナも、ラディウスも。
誰一人として言葉の意味が分からない。
だが、意味が分からないからこそ、背筋が冷える。
この世界の呪文は、聞けば系統が分かる。
神官の祈りなら、響きがある。
魔導師の術式なら、属性の気配がある。
だが今の言葉には、それがない。
ただ、澄んだ水のような音がしただけ。
次の瞬間。
レジーナの身体を、目に見えない冷たい水が流れた。
冷たいのに、寒くない。
鋭いのに、痛くない。
頭の奥――耳の奥の、揺れていたものが、すっと収まる感覚。
胃のむかつきが、波が引くみたいに遠ざかる。
呼吸が、自然に深くなる。
レジーナは、呆然として瞬きをした。
「……え」
自分の声が、少しだけ軽く聞こえた。
さっきまで、喉に薄い膜が張っていたような重さが消えている。
彼女は掌を見つめ、指を動かし、肩を回し、首を傾けた。
身体の中で何かが狂っていたはずなのに、その「狂い」の痕跡が消えている。
(消えた……? 今の、一瞬で……?)
レジーナは、きょとんとした顔で自分の手を見つめた。
掌を開く。
指を曲げる。
腕を回す。
息を深く吸う。
何度か瞬きをして――やっと、理解が追いついたように小さく息を吐いた。
(これが……森の賢者の、力の一端)
声には出さない。
だが、目の奥で情報が走っているのが見える。
レジーナは戦士でも魔導師でもない。
けれど、「これは有用だ」という判断ができる。
そして、彼女の頭の中で、即座に計算が始まった。
(船酔い。馬車酔い。遠征中の体調維持――)
南王国は港を持つ。漁業も交易もある。
船に弱い者は一定数いる。慣れれば良いと言うが、慣れるまでの時間は損失だ。
新人の船乗り、商人、使節、貴族夫人、幼子。
不快感があるだけで、交渉は荒れる。
疲労があるだけで、判断は狂う。
それを「一瞬」で消せる魔法。
(たったそれだけで、世界が変わる)
レジーナは、ぞくりとした。
それは恐怖でもあり、興奮でもあり、そして責任の重みでもある。
ラディウスも同じ思考に至っている。
彼は護衛として、馬車酔いで青ざめる要人を何度も見た。
吐き気を我慢する貴族の子供。
気分の悪さで不機嫌になる使節。
そして、その不機嫌が「失礼だ」「軽んじられた」と誤解され、場が荒れる瞬間。
印象は、一度崩れると戻らない。
もしこの魔法があれば――
その崩れを未然に防げる。
騎士は戦うだけではない。
守るべきものの「調子」を整えるのも務めだ。
今の魔法は、その「守り」を一段上の領域へ引き上げる。
そして何より――
有羽がその魔法を「何気なく」使ったことが、恐ろしい。
こういう力は、普通は見せない。
切り札だからだ。対価が必要だからだ。リスクがあるからだ。
だが、この賢者は。
王女が少し酔っているのを見て、
じゃあ治しますか? と軽く言う。
それが平然とできる。
レジーナは、静かに有羽へ視線を戻した。
王女の礼を崩さず、しかし人としての率直さを乗せる。
「……ありがとうございます。賢者様。……驚きました」
その言葉の裏に、もっと多くの意味が詰まっているのは明白だった。
有羽は肩をすくめた。
「まあ、酔いなんて辛いだけだし。治るなら治したほうがいいでしょ」
まるで、頭痛薬を出すみたいなノリ。
世界の均衡を動かす魔法を、日常のケアとして扱うノリ。
有羽だから言える。
酔いというのは、乱れた信号だ。
揺れと視覚の不一致で自律神経が混乱し、身体が誤認する。
有羽の魔法は、それを正しい状態に戻す。傷を塞ぐのではなく、誤作動を止める。
この世界で発達している回復魔法は、主に傷を癒す魔法だ。魔物との戦いが身近にある異世界だからこそ発達した治癒魔法。
だがそんな異世界に……自律神経の混乱を治す魔法なんて存在しない。
目に見える傷ではないのだ。異世界の人々は、自律神経という概念にすら辿り着いていない。
それはレジーナとラディウスも同じこと。優れた王族、貴族であっても有羽の魔法の全貌は掴めない。
けれど、声に出さずに同じ結論へ辿り着く。
森の賢者の力は、戦場での「破壊」だけではない。
生活に溶ける「恩恵」の形で、国の運用そのものを変える。
――それが一番厄介で、一番価値が高い。
暖かな空気の中。
有羽が何気なく放った一手の魔法だけで、第一王女と聖騎士は、すでに「交渉の地図」を塗り替えられていた。
◇◇◇
ログハウスの中は、外の森の静けさとはまた違う静寂がある。
焚き火の爆ぜる音もない。
油の匂いもない。
ただ、乾いた木の香りと、微かに甘い茶葉の香気だけが、空気を柔らかく満たしている。
室内は明るい。灯りが、必要な場所に必要な分だけある。
王宮のように煌々とした眩しさではなく、目が疲れない明るさ。
その加減ひとつで「この家の主は、人を迎えるのに慣れている」と錯覚しそうになる。
錯覚だ、と有羽は内心で自分に釘を刺す。
慣れてなどいない。慣れたのは、アウローラ達が勝手に慣らしてきたせいだ。
テーブルの上には、透明感のある茶が湯気を立てている。
澄んだ琥珀色。茶葉の香りは爽やかで、森臭さがない。
横には、細長い木皿に盛られたドライフルーツ。森で採れた果実を低温でじっくり乾かし、蜜を残したものだ。
噛めば甘みが滲み、酸味が締める。舌に残る香りが上品で、しかしどこか野性味もある。
けれど誰もまだ口をつけない。
まずは、儀礼だ。
侍女隊はログハウス内の壁際に控えている。
いつもの彼女たちなら「うわ、今日の茶なにこれ美味しそう!」と目で騒ぐのだが、今日は抑えている。
護衛隊は外。結界の端まで目配りし、いつでも駆けつけられる距離。
王族が「話す」ための空間を保ちつつ、王族が「守られる」ための布陣も崩さない。
レジーナの座る位置は、有羽の正面。
ラディウスはレジーナの隣――距離としては近いが、姿勢は控えめで、守りの線だけを引いている。
アウローラはその反対側。椅子に座っているが、尻尾が見えないだけで尻尾がある。
そして有羽は、いつものように――無意識に、出口までの最短距離を視界に入れた。
ログハウスが自分の家であっても、客を前にするとこの癖が出る。
逃げ道の確認。戦場の癖ではなく、独りで生き残った者の癖。
レジーナが杯に手を伸ばす前に、背筋を正す。
動きに無駄がない。音がしない。
礼は深すぎず浅すぎず。相手を見下さず、しかし己の尊厳を削らない。
「それでは改めまして……この度は訪問の許可を下さり、有難く思います。アウストラリス王国第一王女、レジーナ・スィル・ステラ・アウストラリス。賢者様の寛大な心に、感謝の意を示します」
言葉は滑らかで、温度が一定だ。
感情を消しているわけではない。感情の上に礼を載せている。
ラディウスも続く。
声は柔らかいが芯がある。刃物のような鋭さではなく、鍛え上げた鋼の静けさ。
「同じく。アウストラリス王国聖騎士ラディウス・アルビトリウム。アルビトリウム侯爵家当主として貴殿に会えて光栄に思う」
その一言で、有羽は「ただの護衛ではない」と理解する。
聖騎士。侯爵当主。レジーナの夫という立場だけではなく、交渉の席に座れる男だ。
――本来なら。
有羽は、少しだけ息を吸った。
普段の彼なら「どーも」と返して終わる。
だが今日は、相手が相手だ。レジーナは最初の一手で、ここを「会談の場」に変えた。
ならば、有羽もその盤に乗るしかない。
彼は、ゆっくりと頭を下げた。
「――こちらこそ。南王国が誇る『社交の華』と『聖なる剣』に出会えた事、嬉しく思う。私は世渡有羽……アウストラリス王国の呼び方ならば、ユウ・ヨワタリとなる。国元を離れた根無し草に過ぎないこの身に過分な礼だが、深謝申し上げる」
言葉の選び方が、まるで別人だ。
声音も丁寧で、語尾も整っている。
アウローラが、目を丸くした。
いや、丸くしたというより、心が置いていかれている顔だ。
侍女隊も「え?」という顔で互いを見る。護衛隊は外にいるが、窓の向こうの空気が一瞬だけ「何か起きた」と揺れた気がした。侍女長マルガリータだけが、ぎりぎり平静を保ちつつ口元を引きつらせている。
アウローラが耐えきれずに口を開いた。
「ゆ、有羽……?」
まるで、知らない人を呼ぶみたいな声。
「何か悪いものでも食べたのか? いつもの有羽じゃないぞ? ……もっとこう、いつもの有羽はぶっきらぼうで適当で、身分とか礼儀とか放り捨てる態度なのに……」
余計なことを全部言った。
有羽は即座に頭を押さえた。両手でこめかみを押す。静かに胃が痛い。
「……あのね。人が折角かしこまってるんだから、茶々いれないの」
声は低いが、怒ってはいない。
ただ、体裁を守ろうとしている。
有羽はひとつ息を吐いて、視線をレジーナへ戻した。
「俺だって、礼儀くらい知ってるよ。第一王女様がわざわざ……籠の中に入って、酔うのも我慢して来てくれたんだから。それ相応の態度くらい取るってば」
籠。
その単語が出た瞬間、レジーナの指先がピクリと止まった。
王女は表情を崩さない訓練を積んでいる。
だが、頬の内側に熱が集まるのまでは止められない。
「……あの、賢者様。籠のことは忘れて頂けると幸いです……」
声が少しだけ小さい。
頼み方が、まるで「外交のお願い」ではなく「個人的な嘆願」になっている。
ラディウスは視線を逸らし、咳払いをひとつだけした。
夫としては触れてほしくないし、護衛としては触れられている時点で負けだ。
だが事実として籠は籠で、あの輸送計画を通した責任の一端は自分にもある。
有羽は素直に頷いた。
その辺は察せる。察せるくらいには、人間社会の羞恥は分かる。
「了解。忘れる。今この瞬間、脳内から消去した」
あっさり言って、茶を一口飲む。
茶の香りで空気がまた戻る。
アウローラは、まだ納得していない顔だ。
レジーナに丁寧、私に雑、という不公平感が拭えない。
有羽はそれを見て、肩をすくめる。
「そもそも王女さんとお姉さんとは、出会い方が全然違うんだからさ。挨拶は鏡。相手が丁寧なら、俺だって丁寧に返す。それだけのことだよ」
その言い方は、言外にいろいろ含んでいた。
――あなたが最初に突っ込んできた態度、覚えてる?
――あの時はこっちの鏡が割れたんだよ。
アウローラが、呻くように顔を伏せる。
「……うぅ……」
痛い。
自分が一番分かっている。
だから痛い。
有羽は追撃しない。
追撃すると、わんこが死ぬ。
「……ま、慣れない言葉遣いなのは確かだから、俺の居住空間での言葉遣いは許容してくれると助かる。正直、俺が森を出ないのもその辺が理由でもあるからさ」
言葉は軽いが、内容は本音だ。
レジーナはそれを聞きながら、内心で違和感を拾う。
慣れない言葉遣い。
しかし先ほどの挨拶は、型が整いすぎていた。語彙も、言い回しも、貴族の礼法に近い。
現地育ちの平民が、独学で身につけた「それっぽさ」とは質が違う。
(……教育の痕跡)
レジーナの頭の中で、可能性が枝分かれする。
貴族の落胤か。
異国の出か。
あるいは、森に入る前に誰かに仕えていた者か。
だが、賢者は王都を拒み続け、身分制度に興味がない。
興味がないのに、礼は知っている。必要性は理解している。
矛盾ではない。
むしろ、礼を「道具」として理解している者の匂いだ。
(……見せた。必要だから見せた。そういうタイプ)
レジーナの推測が、静かに形になる。
ラディウスもまた別の角度で見ていた。
挨拶ひとつで、相手が話が通じることが分かる。
同時に、相手が通じないふりもできることが分かる。
危険だが、交渉は成り立つ。
有羽の言葉がひと段落したところで、レジーナは微笑を置いた。
柔らかいが、距離を詰めすぎない微笑だ。
「承知いたしました。賢者様のお言葉遣いを咎めるために、ここへ来たのではありません。……むしろ、ここは賢者様の領域。私たちが踏み外さぬよう努めるべきでしょう」
彼女は礼をもう一度浅く返し、茶に手を伸ばした。
指先の動きが美しい。杯を持ち上げ、香りを確かめ、ほんの少しだけ口に含む。
「……良い香りですね。森の中とは思えません」
褒め方が上手い。
過剰に褒めず、しかしここは特別だという感想を添える。
相手が嬉しくなるラインを自然に踏む。
有羽は内心で舌を巻いた。
(……なるほど、そりゃ『社交の華』だわ。この人、線引きが上手すぎる)
有羽も有羽で、レジーナを測る。
測るというより、危険度を見積もる。
王政の国で、王族が下手に出れば権威が落ちる。
権威が落ちれば国が揺れる。
だからアウローラが最初に命令口調になったのも、理屈では間違っていない。
ただ、相手が悪かった。
相手が森の隠者で、権威の外側にいた。
レジーナはその違いを理解している。
だからこそ「同格の謝意」を最初に示した。
それは王女としての弱さではなく、王女としての強さだ。
ラディウスも茶を口にする。
そして驚きを見せない。驚きを飲み込む。
だが、目だけが少し揺れた。
味の良さではない。
こんなものが森の奥で出てくるという異常への反応だ。
レジーナは、ドライフルーツにも手を伸ばす。
一片を噛み、目を伏せた。
甘い。
甘さが、ただの糖の甘さではない。
果実の香りが残っている。
乾燥の仕方が違う。保存の概念が違う。
レジーナの頭の中では、すでに「王都での再現」が走り始めている。
しかし表には出さない。
すぐに飛びつけば、賢者は引く。
そこでレジーナは、話題を少しだけズラす。
物や技術ではなく「人」へ。
「賢者様。今日はこうしてお時間を頂き、ありがとうございます。……妹が二年、ここへ通い続けたと聞いています。私としても……直接、お礼を申し上げたかったのです」
妹。
その単語に、アウローラの背筋がぴんと伸びる。
レジーナは「王女」ではなく「姉」を前に出した。
有羽は、茶を置く。
視線が一瞬だけ柔らかくなる。
「……そりゃどうも。まあ、王女さんが勝手に押しかけて勝手に居着いただけとも言うけど」
「ひどい! でも否定できない!」
アウローラが即答してしまい、侍女隊が肩を震わせる。
場の緊張が、少しだけ解けた。
レジーナはその空気の変化を逃さず、自然に笑う。
声を出さない笑い。上品な、しかし温かい笑い。
有羽はその笑いを見て、さらに別の評価を追加する。
(……女豹だ。優雅に寄ってきて、逃げ道を塞ぐタイプの)
アウローラがわんこ。
メトゥスがにゃんこ。
レジーナは女豹。
そしてラディウスは――護衛犬ではない。
豹の隣にいる、静かな大鹿か、あるいは騎士の皮を被った狼。
危険だ。
この二人は、危険を「礼儀」で包んでいる。
だが危険視しているのは有羽だけではない。
レジーナも、既に有羽の「力」を危険だと身を以て実感している。
お茶とドライフルーツ。この二つだけで十分だ。
この森の中で、これほどの物を用意できる……それだけで、王都の技術を凌駕している証拠。
レジーナの中でまた一つ、地図が塗り替わる。
(彼は戦えるだけではない。生活を「設計」できる)
そして――この場は、まだ挨拶が終わっただけだ。
これから始まるのは、国が喉から手が出るほど欲しがる技術や知識の話ではないかもしれない。
むしろ、もっと難しい。
信頼の線引き。
踏み込みの距離。
そして、アウローラが二年かけて繋いだ縁を、どうやって「王国の形」に落とし込むか。
レジーナはもう一口だけ茶を飲んでから、静かに顔を上げた。
森の賢者と、南王国の第一王女。
その語り合いは――ようやく、始まりの呼吸を整えたところだった。




