第44話・森の様子、王国の様子
客間の内装を終えた時点でも、時刻はまだ昼間だった。
森の南部は、いつも通り静かだ。
風の音が枝葉を撫で、結界の縁で鳴る鳥の声が遠い。自分の足音だけが、整えた小径に淡く響く。
世渡有羽は新しく出来た客間を一度だけ振り返り、満足でも不満でもない顔で頷いた。
「……よし。最低限だけど完成」
最低限、と自分で言っておきながら、浴室も鏡面台もクローゼットもエアコンも揃っている。
この世界の王宮が泣く。いや、泣くのはたぶん職人だ。
有羽は肩を回しながら、いつもの自分のログハウスへ戻る。
扉を開けると、木の香りが迎えた。生活の匂い。調味料。寝具。自分だけの空気。
そして、有羽と同行する形で浮いていた緑の宝玉が、天井付近にふよふよ漂っている。
宝玉から投射された女帝の木人形分身が、まるでそこに居座っているみたいに腕を組んでいた。
『隠者。ようやく巣作りは終わったか』
「終わった。……監修のせいでちょっと時間食ったけど」
『我は役に立っておった。あとは塔さえあれば完璧だが』
「塔却下」
『ぬぅ……』
相変わらず噛み合わない会話をしつつ、有羽は椅子にどさっと座った。
女帝はやけに塔に拘る。なんというか、権威の象徴=高い建物という固定観念があるらしい。ある意味では分かりやすいが、有羽に塔を建てる気は欠片も無い。森に建てても意味が無い。
なので女帝のぼやきは盛大に無視して、別の問題に思考を割く。
次は、もっと面倒なやつだ。
(飯、どうするかな……)
アウローラなら、何を出してもだいたい喜ぶ。
うどんでも焼肉でも、知らない味を前に目を輝かせる。侍女達も護衛も、あの胃袋の団結力は見事だ。
だが、次に来るのは第一王女レジーナ。
初めて森に足を踏み入れる、初対面の相手。
こちらの常識は通じないし、向こうの常識もここでは効かない。
変わり種すぎる料理は避けた方がいい。
最初の一口で「理解不能」判定を出されるのは、色々と面倒だ。
(まず、天ぷらだな)
アウローラには馳走した。反応は最高。
けれど南王国では、まだ安定して作れないと言っていた。油の管理、温度、衣、素材の下処理、全部が難しいらしい。素材に手を加える「足し算」の調理法は、この異世界でも発達してるが――素材の味を活かすという「引き算」の調理法は、まだ未発達。有羽の作る天ぷらは、もうしばらく異世界で通用する。
(なら、外せない。王宮でも無い味ってやつは、強い)
次に――カレー。
あれは、食いつきが異常だった。
侍女隊も護衛隊も、喋らなくなるレベルで食っていた。あの光景を見る限り、レジーナにも刺さる可能性が高い。
カレーこそ「足し算」の極み……いや、「掛け算」とも言える料理。
単体で主張の強い香辛料を複数組み合わせる文化は、この異世界にはまだ無い。
魔国女王メトゥスにも食べさせた為、真似されるのは時間の問題だが……それにはまだ時間が掛かる。再現されるまでは、有羽のところでしか味わえない料理だ。
(だからカレーは……出す。問題は、どう出すか)
パンでいくか。ナンっぽいものを焼くか。
辛味は抑えた方がいいかもしれない。いや、あの国の王族なら香辛料はある程度慣れている。ならばカレーの『出し方』を――
考え始めると、献立の悩みは沼だ。
有羽が腕を組んだまま唸っていると、ふよふよ浮いた宝玉の女帝が口を挟んできた。
『そういえば隠者よ。お主、女王に『変な情報』を交換材料に貰っていたな』
「へ? ……ああ、貰ったけど、それがどうかした?」
『いやなに。あの『情報』で何をする気なのかと思ってな。正直、お主に使い道ないじゃろ?』
女帝の言い方は遠慮がない。だが、事実でもある。
有羽が魔国女王から得た『情報』とは、有羽が得ても何も意味が無い類のモノだ。
少なくとも森に引き籠っている者が得たところで、一切の利益を生まない。
だからこそ有羽は頷いた。
「うん。俺が持ってても意味ない。ここから出る気ないし。安易に他人に渡したらヤバい類ではあるけど……俺の手にあっても、利益は生まれない」
女帝はふむ、と頷き――少しだけ意地悪そうに目を細めた。
『では、なんで貰った』
その問いに、有羽は口角を上げた。
悪い顔だ。意地の悪い――暗闇で刃を研ぐような顔。
「ちょっとね……実は、あの『情報』を基に新しいゲーム作ってみようかと」
『ゲーム? あんなもので遊具など作れるのか? というか目的はゲームか?』
「いや? 目的は別。ゲームはおまけ……とはいえ、ちょっと麻雀以外の遊び道具も欲しくなったところだし丁度良かった」
女帝の眉が上がる。
映像のマネキン女帝が見つめる先にあるのは、今ではアウローラ達も御用達な遊戯卓。
『麻雀とは……あれか? そこにある、良く解らん小さな駒が沢山おいてある台のことか?』
「そう、それ。あれはあれで永久に楽しめるくらい面白いんだけどね。違う味も欲しいな、と」
『ふむ……』
女帝の投影が、やけに真剣に麻雀卓を覗き込む。
映像なのに。距離は西部なのに。
意味がないのに、背伸びまでしている。
『これ……我も遊べるか?』
「まあルール的には問題ないけど……体無いじゃん。映像だけじゃん。無理だよ」
『えー』
女帝が子供みたいに駄々をこねた。
樹神女帝が「えー」と言う。世界の尊厳が少しずつ剥がれていく。
「落ち着け。アンタ、森そのものだろ」
『森でも遊びたいのだ。暇なのだ。相手をせい』
「またそれかよ……」
有羽は頭を掻き、しぶしぶ視線を逸らした。
映像越しでも遊べるゲーム。
ならば声だけで成立するゲームが最適。
紙とペンがあればいい。いや、最悪、地面に書けばいい。
むしろ――相手に見せないことが重要なやつ。
有羽の脳内に、ひとつの遊びが浮かぶ。
昔、退屈しのぎにやったことがある。数字の推理。ヒットとブロー。
口元が、また悪い形に歪んだ。
「……数字ゲームって知ってる?」
『数字……? 当てものか?』
「そう。声だけでできる。むしろ、声だけの方が楽」
女帝の目が輝いた。
暇を持て余した上位存在が、新しい玩具を見つけた時の目だ。
『やる』
「即答かよ。説明するぞ」
有羽は立ち上がり、棚から筆と紙を引っ張り出した。
女帝が「その紙はどうする」と言う前に、有羽は宝玉に向けて手をひらひら振る。
「そっちは、地面にでも書け。森が紙みたいなもんだろ」
『我を何だと思っておる』
「森の暇人」
『お主が言うな、お主が』
軽口を叩きながら、有羽は筆を回した。
手の中でくるりと回る黒い棒は、妙に懐かしい。
「ルールは簡単。1から9の数字を一回ずつ使える。その中から四つ選んで、順番も決める。例えば、1234みたいに」
『ふむ』
「で、相手が当てに来る。質問――つまり予想の四桁を言う。合ってたら判定する。数字も位置も合ってるのがヒット。数字だけ合ってて位置が違うのがブロー」
有羽は指を折りながら言う。
「俺が1234で、女帝さんが2341って言ったら、全部数字は合ってるけど位置が違う。4ブロー。1234って言ったら4ヒット。先に相手の四桁を当てた方が勝ち」
説明し終えた瞬間、女帝の投影がぱっと笑った。
『よい。推理だな。森の獣の足跡を追うのに似ておる』
「まあ、そんな感じ。……じゃ、互いに四桁決めようぜ」
『うむ。決める。隠者、手加減は要らぬぞ』
「アンタが言うな。こっちが手加減しても勝てる気がしねぇ」
『ほほう。褒め言葉と受け取っておこう』
宝玉がふよふよと跳ね、女帝の投影がやけに楽しそうに腕をぶんぶん振った。
森の支配者が、今から当てっこゲームを始めようとしている。
有羽は紙に目を落とし、筆を構えた。
(……さて。どれにするか)
迎え飯の献立の悩みは、いったん脇へ押しやられた。
今は、暇を持て余した神様みたいな相手に、遊びを与える方が先だ。
有羽が口元に笑みを浮かべた、その瞬間。
「よし。さあ勝負といこうか」
『望むところよ』
森の南部のログハウスに、妙な熱気が立ち上がる。
次の瞬間、二人は同時に「秘密の四桁」を書き始めた。
◇◇◇
一方その頃――南王国、王都。
青空の下、訓練場には妙に豪奢な『背負い籠』が鎮座していた。
籠というには立派すぎる。骨組みは魔導強化された木材と軽量金属の複合、継ぎ目には細密な術式が刻まれ、内装はふかふかの緩衝材。外装は王家の紋章入り――控えめに言って、王女一人を運搬するためだけに存在していい品ではない。
それを、聖騎士ラディウスが背負っている。
背中に王女。
前に盾。
横に剣。
この組み合わせを考えた者は天才か、あるいは罪深い。
訓練場の端には見物人がいた。
第二王女アウローラは、なぜか胸を張っている。自分の案が採用されたのを誇っている顔だ。
国王は腕を組み、眉間にしわを寄せ、どこか遠い目をしている。国の未来と娘の尊厳の両方を同時に考えた結果の表情だった。
「では、始める」
ラディウスが短く告げると、模擬戦の相手役――王都の精鋭数名が動いた。
森での戦闘を想定した動き。左右からの襲撃、足払い、投擲、奇襲の間合い。
ラディウスは一歩踏み、身を捻り、盾で受け流し、剣でいなす。
揺れる。勢いよく揺れる。
背負い籠からは――
「ぐえっ」
……聞こえた気がした。
続けて、
「ぶぎゃっ」
……聞こえたような気もする。
訓練場の空気が、一瞬だけ固まった。
だが、誰も振り向かない。
誰も顔を見合わせない。
誰も「今のは何だ」と言わない。
気のせいだ。
尊いレジーナ様がそんな声を出すはずがない。
たとえ叫ぶとしても、もっと華麗で、もっと高貴で、もっと「はしたない現実」を感じさせない音のはずだ。
そういうことにした。
ラディウスが一段大きく踏み込んだ瞬間、籠がふわりと浮くように揺れ、同時に――
「んぎっ」
……気のせいだ。うん。
模擬戦は十分ほどで終わった。
相手役が一歩引き、ラディウスは深く息を吐いて、ゆっくりと背負い籠を降ろした。
着地の所作は丁寧だった。背中の妻が大事だから、というのもある。
それ以上に――中から何が飛び出してくるか、少し怖いというのもある。
籠の蓋が、内側からそっと押し上げられた。
きい、と嫌に静かな音。
次に、ぬぅっと、白く細い腕が伸びる。
ゆっくり、ゆっくり。
まるで井戸の底から這い上がる怨霊みたいに。
見物の近衛兵が一瞬だけ青ざめたのを、国王が咳払いで誤魔化した。
そして、レジーナが顔を出した。
髪は少し乱れ、頬は青白く、目は虚ろ。
生ける屍、と言うには気品が残っているが、逆に気品が残っているせいで恐ろしさが増している。
すわ、新手のアンデッドか。
「だ、大丈夫かい、レジーナ?」
ラディウスの声は真剣だった。
心配と罪悪感と、ほんの少しの「誰か助けてくれ」が混ざっている。
レジーナはゆっくりと顔を上げ、夫にジト目を向けた。
「……これが、大丈夫に、見えまして?」
言い方が淡々としているのが、なお怖い。
王女の怒りは声を荒げるより、温度が下がるほど致命的だ。
侍女たちが素早く駆け寄り、冷たい水の入ったコップとタオルを差し出す。
レジーナは両手でコップを抱え、くぴくぴと飲んだ。
喉が動くたび、命が少しずつ戻ってくる。
その横から、子犬みたいな顔と瞳でアウローラが覗き込んだ。
疑いのない純粋な眼差し。罪深い。
「姉上……やはりキツイですか?」
レジーナはコップを置いた。
そして、次の瞬間。
「キッツいわよ!! とんでもないわよ!! 揺れまくりの暴れまくりよ!!」
怒号だった。
ムッキー、とでも擬音を付けたいほどの勢いで地団太まで踏む。
訓練場がざわつく。
国王は目を閉じ、天を仰いだ。
娘が地団太を踏むのを見たのは、記憶の中では十年以上前――いや、もはや覚えていない。今目の前で起きていることが現実だと認めたくない。
レジーナは肩で息をしながら、遠い未来を想像してしまった。
「こ、この揺れが賢者様の家に着くまで続くのかしら……?」
気が滅入る。
王女の尊厳が口からリバースしかねない危機が見えている。
森に着く前に「伝説級の吐瀉」という醜態が生まれかねない。
アウローラは、なぜかここで笑顔になった。
安心させる時の笑顔だ。本人は善意しかない。だから余計に怖い。
「ご安心を! 基本的にラディウス卿が戦う事は無いと思うので、揺れは今ほどではありません。最近は私の護衛隊だけで、森の魔物はどうにでもなりますから!」
「そ、そうなの?」
「はい! 体力的にキツイだけです! 万が一陣形が崩れても、侍女隊も控えてますから姉上に攻撃が向かう可能性はすごく低いです! 私が最近、暇なくらいなので!」
にこやかに言い切るアウローラ。
その言葉は、王都の常識に対する宣戦布告みたいだった。
ラディウスは口元を引きつらせ、乾いた笑みを浮かべた。
(……そんな環境の筈はないんだけどね……)
魔境の大森林だ。
死地だ。
未帰還者多数の「地図の外」だ。
それを、「暇なくらい」と言い放つ第二王女の平然さ。
そして、それを否定できない報告と実績。
(……いやはや。どこまで強くなってしまったのか)
ラディウスは背負い籠の肩紐を見下ろし、無言で握り直した。
自分も強い。国の最強の一角だと胸を張れる。
けれど、森を「疲れる遠足」として語れる者たちが、確かに存在している。
レジーナはもう一口水を飲み、タオルで口元を押さえた。
青白さはまだ残っているが、瞳に光が戻ってきた。
女王としての顔。
第一王女としての顔。
交渉の切り札としての顔。
それを、ゆっくりと取り戻す。
(まだ出発まで一週間)
慣れなければならない。
あの森の道と、背負い籠の揺れと、自分の胃袋と――そして何より、森の賢者という規格外に会う覚悟に。
レジーナはふっと笑ってしまった。
自嘲だ。乾いた笑い。
(背負い籠に慣れる必要がある王女って……多分、私くらいね)
国王が咳払いをして言った。
「……明日も、やるのか?」
アウローラが元気よく頷く。
「はい! 姉上が慣れるまで! あと一週間ありますから!」
レジーナは笑顔を作ろうとして、失敗した。
顔が引きつる
ラディウスは静かに敬礼し、背負い籠を見つめた。
籠の中が、やけに深く見える。
訓練場の空は青い。
なのに、誰かの未来だけは少し曇って見えた。
レジーナは遠くの空を見つめる。
視線の先は遥か彼方――魔境の森の南部。
まだ顔すら見ていない、賢者の元へ。
(……せめて、賢者様の前で醜態を晒さないようにしないとね)
傍から見れば馬鹿々々しく、レジーナの主観では悲壮な決意。
ちょっとだけ挫けそうな心を胸に秘め、レジーナはまだ見ぬ有羽に思いを巡らせた。
◇◇◇
――で、森の南部。
夕方のログハウスには、紙を擦る音が混じっていた。
外は相変わらず静かだ。結界の内側は、魔境の気配が嘘みたいに落ち着いている。
その平穏の中心で――世渡有羽が、妙に険しい顔をしていた。
賢者の手中には紙が一枚。筆。書き散らされた数字。小さな丸とバツ。
そして、部屋の中ほどで、緑色の宝玉がふよふよと浮いている。
宝玉から投射されているのは、樹神女帝の木人形分身。
普段はどこかマネキンそのもの顔が、今だけは異様に真剣だった。眉間にしわ。唇を結び、顎に手を当てる。森の主が、盤外戦に全力である。
『……では、これでどうだ。隠者よ』
女帝が、低く言い放った。
まるで大軍の進軍を命じるみたいな声だ。
「……言ってみろよ」
有羽は紙を見下ろしたまま、片目だけ上げた。目つきが悪い。普段より悪い。たぶん、勝負の時の顔だ。
『……7、3、9、1』
数字が空気を叩いた瞬間、有羽は顔をしかめる。
そして手元の紙を睨みつけた。眉が寄る。口が歪む。筆の先がゆらゆらと揺れる。
数呼吸。
有羽は、吐き捨てるように言った。
「……2ヒット2ブロー」
『よしっ! 遂に追い詰めたぞ隠者! はーはっはっは!』
高笑いが、宝玉の向こうから響いた。
映像の女帝は、画面の向こう側――西部のどこかの地面にちょこんと座り込み、数字を大量に書き散らしている。地面一杯に落書き染みた数字が多数。
ついでに身振りがでかい。腕をぶんぶん振っている。もう勝った気だ。
しかも肝心の「自分が決めた四桁」は、蔓でぐるぐると囲って完全ガードしていた。
こちらから見えないことを徹底するあたり、妙に律儀で妙に本気だ。
有羽は口の端を上げ、宝玉に向けて筆を指す。
「ほーう。調子いいじゃん。森の女帝様が、まだ勝ってもないのにイキり散らしてるぞ」
『イキっておらぬわ! 戦略の勝利じゃ!』
「はいはい。じゃ、次俺な」
有羽は背もたれに体重を預け、天井を見上げた。
口の中で小さく数字を転がし、候補を潰す。ヒットとブローの組み合わせから、女帝の四桁の輪郭を削っていく。紙の上の数字が、一本の糸で繋がっていく。
真剣だ。
あまりにも真剣だ。
森の魔物相手でも、ここまで真剣になることはない。
有羽は、ふっと息を吐いた。
そして慎重に四桁を選び、口にした。
「……4、8、2、6」
宝玉の向こうが、すっと静かになった。
さっきまでの高笑いが、まるで嘘のように止まる。
映像の女帝の口が閉じ目が細くなり、手元の地面を凝視する気配が伝わってきた。
『…………』
「どうしたよ、女帝さん? 笑みが消えたぜぇ?」
有羽が、にやにやと笑う。
今度は完全に性格が悪い笑い方だ。勝ち筋を見つけた者の顔。人に見せてはいけない顔。
宝玉の向こうから、苦悶の声が漏れた。
女帝が唸っている。森の主が、唸っている。世界の威厳がまた一枚剥がれた。
『……ぬぅ……』
「どうしたどうしたぁ? 森が泣いてるぞぉ?」
『うるさい! 静かに待て! ……ええい、これは……』
女帝はしぶしぶ、やっとのことで口を開いた。
『……3ヒット』
その瞬間、有羽の目が見開かれた。
次に、椅子から半分立ち上がる勢いで拳を握りしめる。
「よーしよしよしよし!! もう風前の灯だなぁ、女帝さんよぉ!!」
ゲラゲラゲラ、と下品極まりない笑い声がログハウスに響いた。
樹神女帝を煽って嗤う森奥隠者。そんな隠者に向けて唸り声をあげる女帝。
世界の上位存在が、なんて低レベルな争いを。見るに堪えない。
宝玉の向こうでは、女帝の眼光が変わった。
怨敵でも睨みつけるような、深い森の奥の暗がりみたいな目。
『……隠者よ』
「ん?」
『次の手を誤れば……お主の巣に塔が生えるぞ』
「脅迫すんな!!」
有羽が即座に叫ぶと、女帝はふん、と鼻を鳴らした。
『脅しではない。罰よ』
「何が罰だ! 数字当てに負けそうになったくらいで……っていうか、俺の結界あるんだから、いくら女帝さんでも樹は生やせないだろ?」
『……我を舐めるな。確かにお主の結界は強固だ。だが、我は西部の主。太古より森と共に歩んだ女帝ぞ。おのが魂を燃料にすれば、いかに隠者の支配領域とはいえ塔の一つや二つ――』
「数字当てで命燃やすな! このマネキン!!」
言い合いをしながら、有羽は紙を引き寄せた。
筆の先を舐めるように見つめ、次の一手を選ぶ。
魔境の森の上位存在。
人の領域を遥かに逸脱した怪物。
そんな二名は――今、凄く真剣に。凄く童心に返って。
四つの数字の並びに一喜一憂し、勝ち負けに本気で悔しがり、勝ち筋に歓声を上げていた。
森は静かだ。
危険な魔物も、侵入者も、各国の思惑も、今は遠い。
有羽は宝玉に向けて指を突きつけた。
「言っとくけど、次で当てるからな」
『ふん。言うだけなら誰でもできるわ。いくぞ隠者。森の誇りを見せてやる』
「森の誇りが数字当てにあんのか!?」
魔境の森は――今、とても平和だった。




