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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
断章

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第37話・森奥隠者


 湖畔の椅子に腰を下ろしたまま、メトゥスは指先に残る湿った苔の感触だけを頼りに、自分を落ち着かせようとしていた。

 どれほど待っただろうか。

 時間の感覚は、とっくに森の緑の中に紛れている。


 ふいに、空気が変わった。


 水面を撫でる風が、ほんのわずかに向きを変える。

 梢を揺らすさざめきが、奥から手前へと流れてくる。

 女帝が、何かを連れて戻ってくる――森全体がそう告げていた。

 やがて、木々の間から、二つの影が現れた。

 一人は、見慣れた木の人形――樹神女帝の仮の姿。

 もう一人は。


(……人間?)


 黒髪の青年だった。

 年の頃は、二十前後。

 やや痩せ気味の体躯に、機能性重視のローブとシャツ、動きやすそうなズボン。

 旅人と言われれば頷ける。どこにでもいそうな、若い魔導師か学者の風体。


 だが、その背中だけが奇妙に目立っていた。

 背負っているのは――銀色の寸胴鍋。

 ただの鍋ではない。

 大鍋を載せるために組まれた背嚢が、蔓で複雑に編み上げられている。

 肩と腰に負担が分散されるように、しなやかな枝と蔓が立体的な骨組みを作り、その中心に寸胴鍋が安定して固定されていた。


(あの背嚢……女帝の手によるものか)


 ひと目でメトゥスは悟った。

 森の蔓の組成。

 魔力の流れ方。

 周囲の樹々との「馴染み」かた。

 あれは、森の一部だ。

 このオアシスの一部を切り取って、そのまま青年の背に載せたようなもの。

 女帝の許しなく、あの背嚢は存在しない。


 つまり――その寸胴鍋の青年は、「女帝の客人」だ。


 メトゥスは、呆然と青年を見つめた。

 驚愕も混ざる。

 どう見ても、ただの人間の青年にしか見えない。

 背負った鍋のせいで、「変わり者の料理人」という印象さえある。


 だが、女帝は、確かに彼を伴ってきた。

 湖畔に歩み出た木人形の横で、青年は少し所在なげに立っている。

 女帝の様子からして、間違いない。


 ――この男が、客人。

 ――そして、おそらくは今日、メトゥスがここに呼ばれた理由。


 あの人間の男と、魔国の女王を合わせるために。


(……何のために?)


 不満というより、純粋な「謎」が膨らんでいく。

 目的が掴めない。

 理由が、一つも思い浮かばない。

 女帝の視座から見て、この青年と自分を並べて置く意味とは何か。

 考えても答えは出ない。


 だから――メトゥスは、ごく自然に()()()()()()()

 高位の探査術式。

 他者の「奥」を、ただ「見る」だけの術。

 干渉しない。操作もしない。

 己の意識を高みに上げ、遥かな山の頂から谷を見下ろすように、対象の内側を「風景」として覗き見るだけの技。

 この術によって「何か」を見たところで、相手の自由意思に干渉することはできない。

 相手の力量が正確に分かるわけでもなく、素性が読めるわけでもない。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()を、形のない姿として捉えるだけ。

 この術を行使したところで問題はない。

 小虫の視線を、人がいちいち意識しないのと同じ理屈だ。

 ただ、()()()()()()を、遠くから輪郭だけなぞる。


(……女帝の客人なら、なおさら、どんな形かだけは知っておく必要がある)


 メトゥスは自分に言い訳しながら、いつものように魔力を静かに組み上げ、自分の「視点」をほんの少しだけ引き上げた。

 目の前の青年の姿が、ふっと薄れていく。

 そこに、青年の「奥」が、水面に映る影のように現れ――。




 その瞬間。

 世界が、反転した。

 落ちた、と思った。

 足場も、重力も、上下の感覚も、全てを失って――底のない暗闇へ吸い込まれていく。




 ……違う。

 ここは「落ちている」のではない。

 「深さ」という概念が、既存の知識として扱うそれとはまるで別の単位で積み上がっている空間。


 最初に見えたのは――海だった。


 底が見えない。

 暗く濁った、深淵の海。


 しかし、それは静かな深海ではなかった。

 轟々と、限りなく続く濁流。

 押し寄せては砕け、引いてはまた重なり合う、果てのない津波。

 波頭のひとつひとつが、形を持った()()だった。


 文字。

 数式。

 魔法式。

 見たこともない道具の図面。

 聞いたことのない言葉。

 理解できない言語の羅列。

 存在すら知らない土地の風景。

 意味を知ろうとしただけで砕かれそうな世界(法則)の数々。


 一つの波が砕けるたび、その断片が別の波に飲み込まれていく。

 それでも量は減らない。むしろ増えているようにさえ見える。

 どこまで行っても、濁流は止まらない。

 世界の海を丸ごと飲み込んでも、まだ足りないとでも言いたげな貪欲さで、あらゆる情報を飲み込み続ける暴威。


(な……に、これ……)


 メトゥスの喉に、音にならない言葉が貼りついた。

 視線を動かすと、その濁流の中に、粉々に砕かれた()()が散らばっているのが見えた。


 人の形をしていた――痕跡。

 骨も、臓腑も、頭も、心も。

 ――何もかも、全てが砕かれた跡。

 徹底的に引き裂かれ、砕かれ、すり潰され、細かい破片になって海の底へ沈められたような、無惨な残骸。


 見ているだけで吐き気を催す。

 そこには苦痛も悲鳴も、もう残っていない。

 ただ、()()()()()()()()()()()()だけが、海底の泥のように積み重なっている。


 そして――その残骸は、完全に死んでいなかった。

 バラバラになった欠片が、無理やり糸で縫い合わせられたように、繋ぎ直されていく。

 別々の人形の部品を、適当に組み合わせて()()()()()()()()()を作ったかのような、不気味な継ぎ接ぎ。


 その寄せ集めが、ひとつの「人型」を象っていく。

 軋みながら、ぎくしゃくと。

 歪んだ関節で、ぎりぎりと。

 それは、立ち上がっていた。

 あの濁流の上に、突き立つ残骸の塔のように。


 そして――何より恐ろしいのは、その残骸の人型が、「海を操っている」という事実だった。

 底なしの知識の海を。

 世界を呑むほどの情報の暴流を。

 その「中身が一度死んだ」ようなものが、当たり前のように道具として用いている。

 人を押し潰し、正気を奪いきってなお余りある津波を、「手の内」に収めて。


 残骸は、動いていた。

 歩いていた。

 世界を見ていた。

 波に飲まれ、砕かれ、粉々になったあとで、また組み上がる。

 それを何度も、何度も、何度も繰り返して――今もなお、歩き続けている。


 それを見た瞬間――メトゥスの背筋に、冷たいものが走った。

 心臓が()()()()()()()()()()と叫ぶ。

 あれは心が折れた、等と言う生易しいものではない。

 ()()にすり潰された人の、成れの果て。

 肺が息を吸うことを忘れる。

 脳が、理解を拒否する。


(勝てない……)


 直感だった。

 勝てるとか勝てないとか、そんな次元ではない。

 そもそも、「戦う」という構図が成立しない。


 同じだった。

 樹神女帝と、同じ領域に。

 深淵の縁に立つ存在として、その男は佇んでいる。


 森全体を意思とし、枝葉と土を器としてこの世界に姿を現す女帝。

 その隣に――この海のような何かが並ぶ光景を、想像してしまった。

 笑いながら、普通の声で会話を交わす姿を。

 世界の理から、完全に外れた者たちの対話。


(いやだ)


 メトゥスは、心のなかで首を振った。


 なぜ歩けるのか。

 なぜ喋れるのか。

 なぜ今、生きていられるのか。


 どれも、分からない。

 分かりたくない。

 理解した瞬間、自分の内側で、何かが取り返しのつかない形に崩れる予感がする。

 これ以上()()()()()()()と、全身の神経が悲鳴をあげていた。

 視界が、強制的に閉じられる。


 メトゥスは、はっとして瞬きをした。

 目の前には、先ほどと変わらず、黒髪の青年が立っているだけだった。


 背には寸胴鍋。

 少し困ったような、所在なさげな表情。

 蔓の背嚢が、森の風に揺れている。

 それだけの、ありふれた青年。

 口が、勝手に動いた。


「あなたは……『何』……?」


 呆然と零れた言葉は、思ったよりも静かだった。

 場の空気に不釣り合いなほど、素直で、混じり気のない疑問だった。

 恐怖も、怒りも、警戒も――間に挟む余裕がない。


 ただ、目の前に立つ存在に対して、心の底からの疑問だけが滑り出た。

 それは結果として、功を奏した。

 恐怖の感情が振り切れてしまったせいで、逆に表には出なかったのだ。


 女帝にも、青年にも――今のメトゥスはただ、「突然現れた客人に驚いている若い女王」にしか見えない。

 内側でどれほどの恐怖と絶望が渦巻いていようと、それは表面に滲み出てこなかった。


 黒髪の青年は、ぽかんとした顔で瞬きを。


「あ、有羽です。世渡有羽」


 どこか発音の癖のある名乗りだった。

 異国の響き。

 この大陸のどの地方とも違う、舌の運び方。

 青年は、頭をかきながら付け加える。


「……あー、現地呼称だと『森の賢者』とか言われてます」


 森の賢者。

 メトゥスは、思わず心の中で反芻した。

 深淵の暴威を「賢者」の一言でまとめられてしまったことに、ただ茫然とする。


 有羽と名乗った青年は、「あ、それと」と言って、背負っていた蔓の背嚢を肩から外した。

 ざらり、と蔓が擦れる音。

 安定した手つきで地面に置かれた背嚢の上で、銀色の寸胴鍋が、陽の光を反射してきらりと光る。

 青年はその鍋にぽん、と気軽に手を置いた。


「カレー、持ってきました」


 言った。

 湖畔に、ぽたりと落ちた言葉。

 どう考えても、「魔国の女王との初対面」における第一声としては雑すぎる宣言。


 メトゥスは、ぱちり、と瞬きをした。

 女帝の木人形が、メトゥスの横顔をちらりと見て、どこか愉快そうに口元を緩める。

 枝葉が、さらりと音を立てた。

 この森の支配者は、楽しんでいる。

 その楽しみが、「何」に対してなのかは女帝以外には知る由もないが。


 世界のどこかで、物語のページがめくられる。


 南の王国では、第一王女が出発の準備をし。

 東の帝国では、帝王と剣聖が森に向けて戦意を滾らせる。

 そして西の魔国では――女王が、森奥隠者フォレスト・ハーミットと対面を果たす。


 物語が進む。

 静かに。だが確かに。



 魔境の大森林を舞台にして、歯車が少しずつ回り始めていた。






断章はこれで終了です。

思いの外長くなってしまいましたが……次回からは第三章。


もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価、いいねで応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
西さんからするとおもしろお兄さんを紹介してお互いにいい刺激になればいいなくらいの感じなのかなぁ 何も知らされてないメトゥスさん不憫 森を取り巻く群像劇がすごく読みやすい
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