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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
断章

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第34話・レジーナと侍女


 第一王女の私室は、王城の中でも特に静かな一角にある。

 窓の外には、夕陽に染まる王都の屋根が見渡せた。日中の喧噪が少しずつ遠のき、石畳の上を行き交う人の影が長く伸びていく時間帯だ。


 レジーナは扉が閉まる音を背に、ゆっくりと部屋の中央まで歩み出た。

 上質な絨毯が足音を吸い込む。壁には南の王国の歴代王の肖像画、その合間には、レジーナが外国から取り寄せた織物や、夜会で贈られた花を押し花にした額が、さりげなく飾られている。


 彼女の夫、聖騎士ラディウスもレジーナに伴って部屋に入る。鎧は脱いで、簡素なチュニック姿。それでも隠しきれない、戦士として鍛え上げられた身体の厚みがあった。


 その周囲に、控えめな距離を取って整列しているのが、「第一王女侍女隊」と呼ばれる面々だ。王家付きとして厳しい教育と訓練を受けた彼女たちは、仕草ひとつとっても隙がない。銀盆を持つ者、ティーポットを用意する者、予備のマントを片付ける者。


 扉が閉まると同時に、室内から「公」の空気が少し抜けた。

 レジーナは腰掛け用のソファにどさりと――とまではいかないが、それなりに遠慮なく腰を落とす。背もたれに体重を預け、喉の奥から小さなため息が漏れた。


「……ふう」


 アンニュイな表情だった。

 無理もない。

 つい先ほど、「背負い籠で森の奥まで運搬される」ことが、国王公認で決まったのだ。


(第一王女の威厳、どこいったのかしらね……)


 内心でぼやく。

 王族として、という立場を横に置いても、ひとりの女としても、なかなかやるせない。しかも背負い籠である。輿ならまだしも、籠。荷物扱いである。安全面だけ見れば、たしかに理にかなっているのだろうが、それはそれとして。

 そんな思いを胸に抱えながらも、レジーナはいつものように微笑みを取り戻し、夫へ向き直った。


「当日は……よろしく頼むわね、あなた?」


 ラディウスは、その言葉に穏やかに口元を緩めた。長い戦場生活を生き抜いた男の、妻にだけみせる微笑。


「任せてくれ。愛する妻を背に載せるんだ。最高に気合が入る」

「……重いとか言わないでね?」


 わざと軽口を叩く。

 侍女たちが、わずかに肩を揺らした。慣れ親しんだ夫婦のやり取りに、緊張が少しほどける。

 ラディウスは、首を横に振った。


「キミを支えて、重いと思った事なんて一度だってないよ」 

「……もう」


 真正面から迷いなく言ってのける夫に、レジーナは頬を染めて視線を逸らした。

 照れ隠しに、手近にあったクッションを軽く夫に投げつける。ラディウスはそれを片手で受け止め、くすりと笑った。侍女の一人が、慌ててクッションを拾いに走る。

 甘い空気。


 だが、その最中――

 レジーナは、侍女隊の表情に、わずかな「不満」を見た。

 笑ってはいる。主の和やかな空気を壊さぬよう、口元には微笑を乗せている。だが、その瞳の奥に、かすかな陰りがある。

 柔らかな眉が、ほんの少しだけ寄っていた。

 それは、夫婦の仲への嫉妬ではない。そういう類の色ではない。


 もっと別の、不満。

 もっと根本的な、「筋が通っていない」と感じた時に人が浮かべる顔。


(……ああ、やっぱり)


 レジーナは、内心で小さく頭を抱えた。

 視線を侍女たちの列に滑らせ、どの顔にも共通するものを確認する。そして、静かに息を吸った。


「ねえ、あなたたち」


 柔らかな声で呼びかけると、侍女たちはびくりと身を正した。


「何か……言いたいことがありそうな顔をしているわね?」

「……め、滅相もございません、殿下」


 控えめに一人が否定する。が、その声はどこか揺れていた。

 レジーナは、にこりと笑った。


「私は、あなたたちのそういうところが好きよ。変に誤魔化さないで、きちんと顔に出してくれるところ。だから、聞くわ。何かしら?」


 侍女たちが、一斉に目を伏せる。

 列の中から、ひとり――年長の侍女が、意を決して一歩前に出た。レジーナが幼い頃から仕えてくれている、落ち着いた雰囲気の女性だ。


「……恐れながら、殿下」

「いいわ。言ってごらんなさい」

「今回の件……どうして殿下が、直々に森の賢者の元へ赴かれねばならないのかと。僭越ながら、そう思ってしまいました」


 言葉は丁寧だが、芯がある。


「森に住まう賢者であるならば、王城にお招きするのが筋ではございませんか。王家の血を引くお方が、わざわざ魔境まで出向かれるなど……私どもには、どうしても腑に落ちず」


 背後の侍女たちも、小さく頷いていた。

 彼女たちの中には、きっとこんな思いがあるのだろう。


 ――尊き身分である第一王女殿下が、なぜ荷物のように運ばれる必要があるのか。

 ――本来なら、向こうから来るのが筋ではないのか。


 レジーナは目を細めた。責めるでも、呆れるでもなく。


(そうよね。そう考える方が、王都の常識としては正しいわ)


 内心でそう肯定する。

 だからこそ、あらかじめ想定していた答えを、口に乗せた。

 一拍置いてから、静かに。



「……あなたたち。私が賢者様のところに赴く時は、城で待機していなさい」



 侍女たちの目が、ぱっと見開かれた。


「で、殿下!?」

「な、なぜでございますか!」

「どうして……私たちがいかないで、誰が殿下のお側をお守りするのですか!」


 慌てた声が次々と上がる。

 レジーナは、両手を軽く上げて制した。


「落ち着いて。理由はいくつかあるわ」


 表情は穏やかだが、その瞳には流水のような冷たさが宿っている。優しいのに、逃がしてくれない眼差し。


「一つは、単純な実力の問題。あなた達の力不足」


 侍女たちが、ぴたりと息を呑んだ。

 傷付いたような色が、一瞬だけ浮かぶ。だが、すぐにかき消される。彼女たちは、自分たちの腕を過信するほど愚かではない。厳しい訓練を経てきたからこそ、自分たちの限界も理解している。


「誤解しないでね」


 レジーナは、柔らかく続けた。


「あなた達は、王都のどの侍女と比べても、十分過ぎるほど優秀よ。礼儀作法に限った事じゃない。並の兵士よりも剣は扱えるし、防御魔法も人並み以上。王女付きとして、これ以上ないくらい頼りになるわ」


 侍女たちの肩がすこしだけ緩む。

 しかし、言葉の調子をほんの少しだけ変えてレジーナは言う。


「でもね。あの魔境の森に行くには、あなた達では足りないの。力が、圧倒的に」


 レジーナは立ち上がり、部屋の隅の棚に置かれた王国地図へ歩み寄った。指先で、北へ向かい、深い緑で塗られた部分をなぞる。


「アウローラの侍女隊は、あの森を何度も往復している。レベルだって三十五から三十九。護衛たちも、全員が将軍クラス。アウローラ自身は、英雄譚に歌われる英傑と肩を並べるくらいになってしまった」


 言いながら、少し苦笑する。妹の異常さを語るときは、誇らしさと心配がいつも混ざる。


「本来なら、あの子たちがおかしいのよ。あれが基準だと思っては駄目」


 侍女たちは、黙って聞いていた。

 アウローラの侍女隊の武勇は、王都でも噂になっている。夜会の裏で「あの子たち、最近は武器のお手入れの話しかしないのよ」と、他の令嬢たちが半ば呆れ顔で話していたのを、レジーナも耳にしたことがあった。

 それと比べられて「力が足りない」と告げられるのは、本来なら理不尽だ。

 だが魔境の森は、その理不尽を平然と要求してくる場所なのだ。


「護衛対象は少ない方がいいの」


 レジーナは地図から指を離し、自分の胸に当てた。


「今回、第一王女である私が赴くのも、本当はかなりアウローラに無理を強いているのよ。護るべき対象が増えれば増えるほど、アウローラたちの負担は増える。だから、最低限に抑えなければならない」


 そこまでは、侍女たちも理解できたようだ。

 彼女たちは唇を噛み、悔しさと納得が入り混じった表情を浮かべている。


 だが――

 レジーナが彼女たちを連れて行かない理由は、それだけではなかった。


「……それとね」


 ソファへ戻りながら、レジーナは視線を侍女たちに戻した。

 今度は少しだけ、意地悪な微笑を載せる。


「あなた達――我慢できないでしょう?」

「……え?」


 侍女たちが、きょとんとする。


「賢者様を前にして『王女殿下を前に、何だその態度は』とか、普通に言っちゃうでしょ?」


 沈黙。

 数秒ののち、侍女たちは――見事に絶句した。

 視線があっちこっちに彷徨い、誰かが小さく「それは」と声を漏らす。


 図星だった。

 王族付きとして育てられた侍女たちにとって、主の威厳を守ることは仕事の一部だ。時には平民たちの嫌われ役になり、時には無礼な相手を叱責し、主に代わって相手を諫めることもある。

 森の賢者の話は、アウローラや第二王女侍女隊からも、断片的に聞いている。


 ――ぶっきらぼうで、口が悪くて、王族相手でも平気でタメ口をきく。

 ――初対面でアウローラ殿下を追い返した。


 もしそんな人物が、第一王女に対しても同じ態度を取ったなら。

 彼女たちは、きっと、黙ってはいられない。


「言います……」


 先ほど前に出た年長の侍女が、かろうじて絞り出した。


「殿下に無礼な態度を取る者がいれば、それは……侍女である私どもの役目。殿下に代わり、声を荒げてでも抗議いたします」

「ええ。あなた達の考えは、正しいわ」


 レジーナは、はっきりと肯定した。


「本来なら、それが正解。何も間違ってない」


 その一言に、侍女たちの背筋が伸びる。誇りを持って、育てられてきた価値観を肯定されるのは、やはり嬉しい。

 王族の威厳が軽んじられれば、代わりに怒るのが侍女の仕事。主が直接口にすれば角が立つ場面で、あえて嫌われ役を買って出るのが、侍女たちの誇り。

 主に泥を被らせないこと。そのためなら、いくらでも自分たちが泥を被る覚悟がある。

 それが王女付きの侍女隊だ。彼女達は確かな誇りと信念を持ってレジーナに仕えている。

 そんな侍女達を見つつ……レジーナは、少しだけ目を伏せてから、静かに続けた。


「……でもね。今回行くのは、『魔境の森』なの」


 窓の外に目を向けた。

 遠く、城壁の向こう。そのまた向こうに広がる、深い緑を思い浮かべる。


「あそこは王国の領土ではない。いいえ、それ以前に――どこの国の土地でも無い」


 言葉を重ねるごとに、声に静かな重みが増していく。


「つまり、魔境の森に住まう賢者・有羽様は……誰の庇護の下にもいない。どこの国の旗の下にも属していない。誰の助けも借りず、『唯一人』であの土地に立っているの」


 魔物溢れる魔境の土地で。

 自分の力だけで、自分の足だけで、生きている。


「『正しい考え』が、あそこでは通用しないわ」


 レジーナは、ゆっくりと首を振った。


「地位も、権力も。あの魔境の森では、無意味なの。……でも、厳しい教育と訓練を経て来たあなた達に、立ち振る舞いを変えろと言っても、酷なことよね」


 侍女たちは、黙っている。

 何人かは、無意識に服の袖を握りしめていた。

 その通りだと、分かるからだ。自分たちは言ってしまう。


 殿下の前ですよ、と。

 ご無礼の極みです、と。

 お言葉を慎みなさい、と。


 それを我慢する事はきっと――


「きっと出来ないわ。きっと今まで通り、『正しい』と教えられてきた通りに振る舞ってしまう。賢者様を前に、『王女殿下を前に、何だその態度は』って、きっと言ってしまう」


 それは、責める言葉ではない。ただ、現実を述べているだけ。

 もしそれが、他国とのやり取りであれば。

 それは何の問題もなかった。王族への無礼者を諫めるのは、立派な外交手腕のひとつであり、時には国益にもかなう。面子を守るのも、正しい外交だ。

 けれど。


「賢者様の住まう場所には……そもそもの話として、『法』が無いの」


 レジーナは、指先を絡めながら言った。


「人としての『道徳』は、あの方なりに持っている。アウローラの話を聞く限り、むしろ人としてはとても真っ当で、優しすぎるくらい。でも、『法律』は存在しない。あそこには裁く者もいなければ、守る者もいない。そこで『王族』の権威なんて――紙風船と同じよ」


 軽く息を吐く。


「万が一にも、賢者様の機嫌を損ねる訳にはいかないわ」


 その言葉には、先ほどまでとは違う種類の重さがあった。


「今の賢者様との交流は、アウローラが命懸けで掴んだ奇跡。二度と掴めない奇跡の糸」


 雪の日。ほとんど遭難しかけた妹を、見知らぬ賢者が助けてくれたときの話を、レジーナは思い出す。

 妹の口から語られた、震える声。それでも、どこか嬉しそうに笑っていた顔。


「それを、『あなた達の態度』で切らせる訳には、絶対にいかないの」


 侍女たちの喉が、ごくりと鳴った。

 もし賢者との交流が途絶えたら。

 もし、彼が王国との繋がりを完全に断ってしまったら。


(侍女の首を切る程度では、到底すまないわね)


 レジーナは内心で思う。

 一族郎党、全てを処断しても、まだ足りないと判断されるレベルの大罪だろう。エアコン、冷蔵、衛生、化粧品、うどん――彼が齎したものは、すでに王都の人々の生活そのものに組み込まれつつある。

 それなのに、そんなものは賢者の持つ知識の一部に過ぎないらしい。

 まだ、多くの知識が賢者の中に眠っている。

 このまま交流が続けば、その膨大な知識の恩恵を王国は得られると言っていい。


 だが、侍女達の態度が賢者の機嫌を損ねたら……ともすれば交流そのものが失われる。

 それが失われるなど、もはや「国難」と言っていい。

 だが、それを口には出さない。

 侍女たちの顔色は、十分すぎるほど青ざめている。


「だから」


 レジーナは、ふわりと微笑んだ。

 今度は、ほんの少しだけ、優しさを増して。


「あなた達は、城に、王都に残りなさい」


 静かに、しかし覆しがたい口調で告げる。


「あなた達が間違っている訳じゃない。むしろ、王都の中では、その『正しさ』こそが、私を支えてくれている。でもね――あなた達の『正しさ』が、常に正着な訳でもないのよ」


 世界は広い。

 王都の礼儀と法律が通じる範囲は、意外と狭い。

 その外側には、王族の権威とは別の「正しさ」が存在している。


「魔境の森では、森のルールがある。賢者様の家では、賢者様のルールがある。そこに、王都のルールを持ち込むのは……乱暴だわ」


 侍女たちは、俯いたまま、ぎゅっと拳を握った。

 悔しい。怖い。納得したくない。


 でも。

 殿下の言っていることは、分かる。

 だからこそ、余計に苦しい。

 故に。


「……殿下」


 先ほど代表して進み出た年長の侍女が、もう一度口を開いた。逡巡するように一拍置いてから、慎重に言葉を選ぶ。


「僭越を承知で、もう一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」


 レジーナはソファの背にもたれかけ、視線だけで促した。


「いいわ。言ってちょうだい」

「その……アウローラ殿下御付きの侍女隊や護衛の方々は、どうなさったのでしょう」


 レジーナは瞬きをする。

 侍女は続けた。


「彼女ら、彼らは……森の賢者様の態度や言葉遣いに、納得なさったのでしょうか。殿下に対する今のお話を伺う限り、とても礼儀正しい応対をなさるとは思えず……」


 今度は、背後に控える侍女たちも、はっきりと頷いていた。

 確かに――と、レジーナも内心で思う。

 王都の中での噂話程度は、侍女たちの耳にも届いているのだろう。

 アウローラの侍女隊と護衛隊は、主人に似て、実は気性がかなり荒い。男女問わず、好戦的な者が揃っている。魔境の森を往復するうちに、もともと高かった戦闘能力に磨きがかかり、今や騎士団の将軍クラスとも渡り合える戦力だ。

 そんな連中が、「王族に無礼な賢者」を前に、最初から穏やかでいられたとは到底思えない。

 侍女たちの疑問は、ごく真っ当だった。

 レジーナは思わず、ふふ、と苦笑を漏らす。

 傍らのラディウスも、同じく事情を知っているのか、眉を下げて困った顔をした。


「もちろん――最初から納得していた訳がないわ」


 レジーナは、ソファの肘掛けに肘をつき、頬杖をつきながら言った。


「アウローラの話によるとね、最初はそれはもう、盛大に憤っていたらしいの」

「憤って……」

「ええ、『無礼者!』『殿下を誰と心得る!?』『家から出てこい!』と、賢者様の家の前で叫びまくって、それはそれは大騒ぎだったそうよ」


 その光景を想像してしまい、レジーナはちょっと肩を震わせた。

 巨大な木々に囲まれた森の奥。質素な木の家の前で、武装した護衛たちと、戦える侍女たちが、両腕を振り回しながら怒号を飛ばしている様子だ。


 アウローラの護衛隊の顔ぶれを思い返す。実は感情が熱い隊長格。若い槍使い。侍女隊の中でも特に気の強い者。更に、向こうの侍女長は()()マルガリータだ。誰が先陣を切って叫んでいたのか、想像に難くない。

 侍女たちは、思わず顔を見合わせた。


「……やっぱり」

「そうなりますわよね」


 ぼそぼそと、小さな声が漏れる。

 主人が粗雑に扱われたら怒る――その感覚は、どの侍女にも共通するものだ。アウローラ付きの面々が憤ったと聞いて、むしろ安堵すら覚えたようだった。


「でもね」


 レジーナは、少し身を乗り出した。


「それでも今は、アウローラ御一行と賢者様は、すっかり打ち解けているの。滞在中は、夜になる度に一緒に麻雀をしてバカ騒ぎ。その辺の酒場よりうるさいって言うくらい」


 ラディウスが、苦笑まじりに付け加えた。


「護衛の男共なんて、もはや飲み仲間の領域だとか」

「の、飲み仲間……」


 第一王女侍女隊は、その単語に目を瞬かせた。

 王女付きの護衛隊が「酒で酔う」姿を他人に見せる事は無い。

 それを見せるという事はつまり――最上の信頼を相手に預けているに等しかった。

 レジーナは、それ以上突っ込むのはやめておいて、話を戻す。


「そんな関係になれたのには、ちょっとした『事情』があるのよ」


 そこでようやく、侍女たちの表情に真剣味が戻る。さきほどまでの戸惑いや悔しさが、今は純粋な好奇心に変わっていた。


「まず、前提として――賢者様が居住空間の周りに張っている結界の話は、聞いているわね?」


 侍女たちは一斉に頷いた。

 王都の神官長ですら概要を聞いただけで「理屈が分からない」と頭を抱えたというほどの結界。魔物除けと瘴気遮断、天候の調整、温度湿度の制御までこなしてしまう、狂気の産物。


「ええ、その……高位神官でも張れないような、すごい結界だと」

「そう。それ」


 レジーナは指先を軽く振る。


「最初、アウローラ達も、その結界に阻まれて、家に近づくことすら出来なかったのね。玄関先なんてもってのほか。ある一定の距離から先は、まるで透明な壁に押し返されるみたいに、どうしても進めなかったそうよ」


 侍女たちは息を呑む。

 目に見えない壁に、必死に手を伸ばすアウローラの姿が目に浮かぶようだ。


「で、当然と言うべきか、アウローラの侍女隊も護衛隊も、最初はさっき言ったみたいに憤ったの。『殿下に対する無礼だ!』『なんだその態度は!』って、結界のこちら側から全力で罵声を浴びせたらしいわ」


 レジーナの口調が、少しだけ楽しげになる。


「森の静寂が、彼らの怒鳴り声でびりびり震えるくらいに。アウローラも、最初は一緒になって怒鳴っていたって言っていたわ」

「殿下まで……」


 侍女たちの顔が引きつる。彼女たちはよく知っている。第二王女の気性の激しさも、負けず嫌いな性格も。普段は明るく天真爛漫でも、筋が通らないと感じた時の頑固さを。

 だからこそ、彼女たちは「結局は賢者が折れたのだろう」と思ったのだろう。

 だが――


「……で、肝心の賢者様がどう反応したか、という話なんだけれど」


 レジーナは、そこで一度言葉を切り、わざとらしく間を置いた。

 侍女たちが、ごくりと唾を飲み込む。


「ようするにね――『聴こえてなかった』のよ」

「……え?」


 部屋の空気が、文字通り固まった。


「結界に阻まれて。侍女や護衛の罵声や怒声が、賢者様の耳に、一切」


 静まり返った室内に、レジーナの声だけがさらりと流れる。


「アウローラの話では、あの結界は音もかなり遮るらしいの。完全にではないけれど、外から内へ向かう音は、ほとんど減衰してしまうんですって。だから最初のうち、アウローラたちがどれだけ怒鳴っても、家の中の賢者様には、ほぼ何も届いていなかった」


 侍女の一人が、ぽつりと呟いた。


「……それは……なんと言いますか……」


 言葉を探して迷子になったような顔だ。

 レジーナも、微妙な笑みを浮かべた。


「微妙よね」


 あっさりと言い切る。


「最初のうちは、アウローラ御一行も、今のあなた達と同じように『正しさ』と『怒り』で動いていたの。理不尽だ、と。王族に対して、その態度はなんだ、と。怒鳴って、抗議して、ありったけの言葉をぶつけて」


 だが、その怒りは――


「そもそも届いていなかった」


 レジーナは、指先で机をとん、と軽く叩いた。


「賢者様にとっては、『知らない人間が、結界の向こうで騒いでいるな』程度。声もほとんど聞こえないから、内容も分からない。だから、反応のしようがなかったのよ」


 侍女たちは、何とも言えない顔になった。

 怒鳴る側は必死でも、相手には風の音くらいにしか届いていない――その構図は、滑稽であり、同時にどこか哀しい。

 レジーナは続ける。


「そしてね、怒り続けるのにも、体力が要るでしょう?」


 森の光景を思い描くように、ゆっくりと目を細めた。


「何しろ、あの魔境の森を行ったり来たりしている状態よ。魔物と戦い、瘴気と戦い、地形と戦い……そんな中で、結界の前に着いてからさらに全力で怒鳴るの。最初はそれでもなんとかやっていたらしいけれど」


 侍女たちは、自然と息を詰めて聞き入っていた。


「そのうち、文句を言うことにも疲れてしまったそうよ。ただでさえ死ぬ思いで往復を繰り返しているのに、その上で毎回全力で怒鳴っていたら――先に体が潰れるって」


 ラディウスが、その様を想像したのか、苦い顔になる。

 苦しい行軍の果てに意味のない罵声を上げる――これほど辛い苦行は無い。


「ある日なんて、護衛隊の一人が『殿下、今日はもう黙って休ませてください……』と涙目で訴えたらしいわ」


 森の賢者に届かない抗議を続けるよりも、生きて帰ることの方が、よほど大事だ。何度かそれを繰り返すうちに、アウローラ御一行は、結界の前で怒鳴ることをやめてしまった。

 代わりに、いつからか笑顔で呼びかけるようになったという。

 おーい、王女が来たぞー、と。


「だからと言って、すぐに仲良くなれた訳じゃないのよ」


 レジーナは、少し真顔に戻る。


「結界の中には入れない。外から声をかけても、賢者様は全く出てこない。アウローラはそれでも通い続けたけれど……最後の方は、本当に心が折れかけたって言っていたわ」


 何度も通っては追い返され。

 何度も、結界の外の焚き火の前で夜を明かし。

 何度も「もう行くのをやめてほしい」と周囲に言われ、それでも首を縦に振らなかった。


「そんな日々の、最後の最後に――あの「雪の日」が来た」


 その言葉に、部屋の空気がわずかに変わる。

 アウローラから何度も聞かされた、あの冬の日の話。

 魔境の森にも容赦なく降り積もった雪。慣れているはずの道が、白で塗りつぶされて消えてしまった日。


「いつも通り森を進んでいたら、急激に冷え込んできて。雪が深くて足も取られて、焚き火の薪も湿っていて……護衛も侍女も、さすがに凍えて動けなくなりかけた」


 アウローラは、当時のことを話すとき、少しだけ笑っていた。

 でも、その笑いは、きっと震えていたのだろう。


「結界の前まで、なんとかたどり着いたものの――その時、アウローラ達にはもう、力は残っていなかった。剣を振るう気力も元気も。あったのは、意地と、寒さと、眠気だけ」


 侍女たちの肩が、自然とすぼまる。

 寒さの情景が、言葉だけで伝わってくるようだった。


「アウローラはね、結界の前で笑顔で呼びかけたらしいわ。『おーい! 王女が来たぞー!』って。護衛も侍女も、誰かが倒れれば、雪に埋もれたまま誰にも見つからない場所なのに。誰も文句を言わず、アウローラの意地に付き合ってくれた」


 レジーナは、その場には居なかった。

 けれど、妹から何度も聞かされた情景は、まるで自分の目で見たかのように鮮明だった。

 雪の白。森の黒。吐く息の白さ。手足の感覚がなくなっていく恐怖。

 あの日、アウローラ達は……本当に死にかけていたのだ。

 

「その時よ。賢者様が――怒鳴りながら、結界の中に入れてくださったのは」


 レジーナは、少しだけ口元を緩めた。


「『何考えてんだ! 死ぬ気か、この馬鹿野郎!!』……そんな事を言ったそうよ」


 侍女たちの間から、小さな息が漏れた。


「そして噂に聞く賢者様の魔法で……家を用意された。屋根があって、暖炉があって、侍女達も護衛達も全員が寝転がれるほどの家を、即席で創り出した」


 想像の中の賢者は、怒鳴りながらも、魔法を使ったのだろう。一瞬で家を生み出して――口では散々罵倒しながらも、誰ひとり取りこぼさないように、全員を結界の中へ招き入れたはずだ。


「その頃には、もう、アウローラ達の中には怒りや文句なんて残っていなかった」


 レジーナは静かに言う。


「ただ、『助かった』っていう安心と、寒さを凌げるありがたみと、暖かな暖炉の優しさだけが残ったの。怒りも、王族としての面子も、その時ばかりはどうでもよくて」


 その夜、アウローラの侍女隊は、冷え切った身体を温めながら、ひたすら泣き続けたという。生きているという実感と、これまで積もった疲労と、守られたことへの安堵で。

 護衛たちも、寒さの無い家で寝転がりながら、やはり涙をこぼした。


「それから少しずつよ」


 レジーナは話を締めくくるように言った。


「賢者様は相変わらず口は悪いし、王族相手でも敬語なんて使わない。でも、アウローラの侍女隊も護衛隊も、その裏にある『本気の優しさ』を知ってしまったの」


 だからこそ、今では呑気に談笑し、夜な夜な麻雀を囲む仲になった。

 結界の中でだけ通じる、不思議な信頼関係。


「……だから、色んな意味で『奇跡』なのよ」


 レジーナは、少し遠くを見つめるような目をした。


「今の賢者様とアウローラの関係は。本来なら、絶対に繋がれなかったはずの交流。王族と世捨て人。魔境の中枢と王都。価値観も、生き方も、何もかも違う二つが、かろうじて結びついている」


 その糸は細く、脆い。

 少し強く引くだけで、簡単に切れてしまいそうなほどに。

 けれど、だからこそ尊い。


「それを、姉である私が台無しにする訳にはいかないの」


 そう言って、レジーナは困ったように、しかしどこか誇らしげに笑った。


「私が森へ行くのは、あくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。決して引きちぎるためじゃない。だから私の側に付く者は――そのつもりでいられる人でなければいけないのよ」


 第一王女侍女隊は、しばらく黙っていた。

 やがて、一人が深く頭を下げる。それに続き、全員が揃って深い礼を取った。


「……僭越な疑問を、失礼いたしました、殿下」

「いいのよ」


 レジーナは首を振り、椅子から立ち上がった。


「あなた達が疑問を持ってくれるおかげで、私も言葉に出来ることがあるのだから」

「今回のご訪問、私どもは城にてお戻りをお待ち申し上げます。その代わり――どうか、ご無事でお戻りくださいませ」

「……ええ。必ず、無事に戻ってくるわ」


 レジーナは侍女達の願いに、微笑みで返す。

 窓の外では夕陽が沈みかけていた。空は茜から群青へと色を変え、その向こう――見えない北の地平線の先には、魔境の森が広がっている。

 その奥で、今日もきっと、ぶっきらぼうな賢者が、ひとり黙々と夕飯の支度をしているのだろう。

 レジーナはその光景を思い浮かべながら、そっと胸の前で両手を組んだ。


(どうか、この奇跡が、もう少しだけ続きますように)


 その小さな祈りは、まだ誰の耳にも届かない。

 けれど、確かにそこに灯っていた。



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