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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第二章

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第30話・未来へ向けて動き出す


 麻雀も終わり、ログハウスの中で賑やかだった声が、徐々に遠ざかっていく。


 護衛達は、それぞれ外のテントへ。

 木製の扉が開き、冬用の厚手のマントを肩に羽織り、冗談を言い合いながら外へ出ていく。

 金髪が小さくあくびをし、隊長が「明日は筋トレ増やすぞ」などと意味不明な脅迫をし、寡黙が「やめろ」と本気で嫌がる声を上げる。

 やがて、がちゃん、と最後の扉が閉まり――


 ログハウスの内部は、静寂に包まれた。

 壁際に仕込んだエアコン魔導具が、低い唸り声のような音で、一定の温度を維持していた。

 ――残っているのは、有羽ひとり。


「ふぅ……」


 軽く伸びをしてから、部屋の灯りを一つずつ落としていく。

 工房の魔石ランプを消し、台所の光を消し、最後に自室の灯りだけ残して廊下を歩く。

 木材で組まれた廊下は、彼の足音を柔らかく受け止める。

 窓の向こうには、魔境の大森林の夜――闇と、時折の星の瞬きだけ。


(結界張ってなきゃ、絶対歩きたくないシチュだよなぁ……)


 自分で張った結界の、淡い「圧」を感じながら、有羽は苦笑した。

 扉を開け、自室に入る。

 ここだけは、限りなく「日本の自室」に近く仕立てた空間だ。


 大きめのベッド。

 簡素な棚。

 机と椅子。

 窓には、厚手のカーテン。


 床には、あの世界を思わせるようなラグが敷かれ、壁際には、作りかけの魔道具やノートが積み上がっている。


「……んー」


 ブーツを脱いで、布団にぽすんと倒れ込む。

 天井を見上げる。

 木目が、ゆるく流れている。


(……疲れた、ってほどでもないんだよな)


 体力的には、今日もほとんど消耗していない。

 全力で魔法を撃ったわけでもなく、戦闘も無し。

 一日中、人が出入りし、料理を作り、喋って、笑って――それだけだ。


(それだけ、ってのが一番疲れる気もするけど)


 ふっと微笑んで、横向きに寝返りを打つ。

 枕元には、魔力を弱く灯した小さな常夜灯。

 淡い光が、部屋をぼんやりと照らしていた。





◇◇◇





 布団に潜り込みながら、有羽は、今日一日の出来事をぼんやりと巻き戻していく。

 朝、アウローラのワンピース姿を見て、盛大に照れて。

 工房を案内して、カレー関連のスパイスを見せて。

 姉上連れてくるぞ! と言われて、うっかり「いいよ」と答えて――。


「…………」


 そこで、思考がはっきりと止まった。


(……なんで俺、あそこで『いいよ』って言ったんだろうな)


 声には出ていない。

 頭の中だけで、何度目か分からない問いが回る。


 アウローラの姉、第一王女レジーナ。

 まだ一度も会ったことはない。

 顔も、声も、仕草も知らない。

 知っているのは、アウローラや侍女達の話の断片だけだ。


 王国で随一の社交力と交渉術。

 勉強もできて、礼儀作法も完璧で、政治感覚にも優れる。

 夫を喪った妹を、ずっと気にかけていた姉。

 そして――最近は、森の賢者とその家での生活文化に、並々ならぬ興味を持っているらしい。


(……それ、ダメなパターンのやつじゃない?)


 思わず額を押さえる。

 有羽は、この世界に来てから八年間――森の外に出たことがない。


 魔境の大森林、その南部から西部、東部にかけて、内部はそこそこ歩いた。

 魔物も、変な地形も、ダンジョンじみた空間も、一通り見ている。


 だが、「森の外」の世界は、直接見たことがない。

 王都の空気も、人々のざわめきも、商人の声も。

 戦場の悲鳴と怒号も。

 祭りの笑い声も。

 全部、魔法で「眺めただけ」だ。

 空から俯瞰する映像のように、遠くから見ることはある。

 音だけ拾うこともある。

 けれど――そこに自分の身を置いたことは、一度もない。


(……やろうと思えば、すぐだしな)


 高高度飛行と風魔法。

 結界と隠蔽術式を組み合わせれば、誰にも気づかれず王都まで行って、帰ることくらいはできる。

 物理的な障害は、ほとんどない。

 あるのは、ただひとつ。


(……あっち側に、踏み込む気がない)


 ただ、それだけだ。


 この世界に来て最初の数日は、まだ好奇心の方が勝っていた。

 初めの内は「ゲームみたいだ」と、わくわくしていたこともある。

 森を歩き、魔物を倒し、素材を集め、魔道具を作り、生活環境を整える。

 サバイバルゲームとクラフトゲームのごった煮みたいな日々に、ある種の楽しさを覚えていた。


 けれど――

 自分で作った「記憶を完全に思い出す魔法」で、日本の家族や友人を鮮明に思い出してから、全てが変わった。

 戻れない、という事実が、骨まで染み込むほど理解できてしまった。


(……だからだろうな)


 世界にも。

 国にも。

 社会にも。

 深く関わる気がなくなった。


 森の中に小さな生活圏を作り、そこで完結させる。

 必要最低限の「外」との接点だけ保ち、あとは引きこもる。

 西の女帝に「隠者」なんて名前で呼ばれても、まあ否定はしなかった。

 半分は事実だからだ。


(……王女さんは、例外中の例外か)


 布団の中で、片腕を額の下に入れながら、彼女の顔を思い浮かべる。


 騒がしくて、明るくて、無鉄砲で。

 けれど、王女としての責任感も強くて、戦場での覚悟も持っていて。

 何度追い返されても、何度怒鳴られても、しつこく通ってきた女。

 普通なら、「もういい」と諦めるところで、決して折れなかった。


 雪の日。

 本当に凍えかけていた時に、結界の外で立っていて。

 あのとき、見捨てられなかった。


(……あれで、全部崩れたよな)


 有羽の中の「誰とも関わらない」という理屈の壁は、その時に大きくひび割れた。

 それから一年以上。

 アウローラは、何度も何度もここへ来ては、ご飯を食べて、風呂に入り、寝て、森に出て行く。

 侍女達も護衛達も、すっかり「いつもの顔」になった。

 彼らのことも、もう「外の人間」とは思えない。


(……で、その王女さんの「姉」か)


 視線を天井に戻す。

 アウローラの話に出てくる第一王女は、相当に厄介な存在の気がする。

 有羽の生活文化に興味津々。

 美容や化粧品、衛生観念に強い関心を持ち、王都で再現しようと奔走している。

 政治的にも、「森の賢者を敵に回すのは愚の骨頂」と理解しているらしい。


(絶対、仕事モードで来るじゃん……)


 想像する。

 高い背筋。

 品のある所作。

 柔らかい笑みで、こちらをじっと観察してくる視線。


『はじめまして、森の賢者様。いつも妹がお世話になっております』

『ところで、このシャンプーと化粧水の製造工程について、もう少し具体的に……』

『国の将来のためにも、ぜひ直接ご意見を伺いたく……』


「…………」


 思わず、枕に顔を押しつけた。


(いやだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)


 心の中だけで、盛大に叫ぶ。

 実のところ有羽は、政治的な話が嫌いな訳ではない。

 むしろ、王族や貴族達の話を聞いている限り、自分はわりと「現実的な判断」ができる方だと自覚もある。

 だが、それはあくまで「アウローラとの雑談」とか、「相談に乗るレベル」の距離感だから許容できているだけで――


(直に王都のトップクラスの交渉屋が来て、真正面から座られたら、絶対面倒だろ……)


 しかもその上で、アウローラが隣に座って、ちょっと不機嫌そうな顔で、有羽にすり寄る姉を睨んでいる図まで容易に想像できてしまう。


(……いやだなぁ)


 本音だ。

 たった一度の「いいよ」で、一気に「国」に近づいてしまった気がする。

 結界の外に立っていた「王国」という巨大な塊が、

 一歩だけ、中に足を踏み入れてしまったような感覚。


(……でもまあ)


 枕に押しつけていた顔を上げる。

 天井の木目が、さっきよりはっきり見えた。


(言っちまったもんは、しょうがないよな)


 有羽自身、自覚は無いが、律儀な人間である。

 一度口にした約束や言葉を、安易に覆すことはしない。

 だからこそ、普段は頼まれごとをはぐらかしたり、曖昧にしたりしているのだ。

 「やる」と言ってしまったら、本当にやらなければいけなくなるから。


(次、第一王女殿下が来る。それはもう、ほぼ確定)


 王都に戻ったアウローラが、どう動くかは想像がつく。

 姉と王に話をし、慎重に根回しをし、それから正式な形で「第二王女付き侍女隊・護衛隊+第一王女レジーナ」というメンバーで森に来るだろう。


(……あー)


 考えれば考えるほど、胃が重くなる気がした。


(もう、簡単に頷かないようにしよう……)


 心の中で、小さく念じる。


(次こそは、断固たる態度で。うん。どんなに綺麗なワンピースを着てこようが――)


 そこで、今日のアウローラの姿が脳裏に浮かぶ。

 森の緑に溶け込む、落ち着いた色合いのワンピース。

 鎧ではなく、柔らかな布が、彼女のラインを優しくなぞっていた。

 金髪は下ろされ、いつもより少しだけ手の込んだまとめ方をされていて。

 耳元には控えめな飾り。

 頬を朱に染め、こちらを不安げに見上げていた瞳。


(……どんなに綺麗なワンピースを着てこようが……)


 言い切る前に、顔が熱くなる。


「……だめだな」


 小さく笑って、枕に再び顔を埋める。


(ああいうのには、多分、これからも弱い)


 その弱さを、本人は絶対に利用していない。

 だから余計にタチが悪い。

 計算高い色気よりも、無自覚な可憐さの方が、よほど破壊力がある。


(……ハニトラにしては清楚すぎるしな。絶対そういうのじゃないし)


 誰にともなく、そう心の中でツッコむ。

 アウローラは、国と有羽の間に橋をかけようと、本気で悩み、本気で走っているだけだ。

 色仕掛けでどうにかしようなんて発想は、多分これっぽっちもない。

 だからこそ――心が揺れる。


(……ま、いいか)


 最後に、そう結論づける。


 言ってしまったことは、もう戻せない。

 来るものは、来る。

 それならせめて、「こっちのペース」で迎えられるように、頭の中で準備だけはしておけばいい。

 接触の条件。

 教える範囲と、絶対に教えない範囲。

 客間の用意。

 お茶請けの菓子。

 そして、アウローラの様子を見ながら、どこまで踏み込ませるかの線引き。


(……面倒くさい)


 小さく吐息が漏れる。

 けれど、その「面倒くささ」は――

 八年前、「生きるため」に必死で整えていた環境づくりとは、少し違う色をしていた。

 ほんの少しだけ、暖かい。


「……寝よ」


 そう呟いて、横向きになり、布団を肩まで引き上げる。

 耳を澄ませば、外のテントからかすかな笑い声が届く。

 護衛達が、寝る直前まで何かしょうもない話をしているのだろう。

 やがてそれも途切れ、森の夜の音だけが残る。

 結界の内側は、静かだ。

 魔物の唸り声も、木々を揺らす暴風も、ここには届かない。

 エアコン魔導具の低い振動と、炭火のぱちりという音だけが、子守歌のように続いている。

 瞼が、ゆっくりと重くなっていく。


(……次は簡単に頷かない)


 もう一度だけ、そう心の中で繰り返した。


(今度こそ、断固たる態度で――)


 その決意が、本当に守られるかどうかなど、この時の有羽は、知る由もない。

 静かな夜が、ログハウスの住人を、一人また一人と眠りへと連れていく。

 やがて、有羽の意識も、木目の天井からすっと離れていった。





◇◇◇





 次の日の朝。

 朝日の光が、ログハウスの窓から斜めに差し込んでいた。


 森の中にしては、やけに甘い香りが漂っている。

 小麦と卵とミルクを焼いた、香ばしい匂い。

 鉄板の上でじゅうじゅう音を立てていた生地はすでに皿の上に積み上がり、今は皆の腹の中だ。


「……はぁ。こっちも美味いし……」


 アウローラは、空になった二枚の皿を見下ろしながら、満足と後悔を半々乗せたため息をついた。

 一枚目。

 ふわっと厚く焼いた生地に、はちみつとバターをたっぷり乗せた甘いパンケーキもどき。

 二枚目。

 塩を控えめに振った生地の上に、さらさらとカレースパイスを散らし、軽く焼き色をつけた、しょっぱいパンケーキもどき。


「どっちか選べと言う方が無理がある……」

「だから両方食ってたじゃん」

「う、うるさい。どちらも甲乙つけがたかったのだ。選択を迫る方が悪い」


 呆れたように言う有羽に対し、赤らめた顔で頬を膨らませるアウローラ。

 テーブルの周りでは、侍女達も護衛達も、それぞれ皿を抱えながら、同じようなことを言っていた。


「甘いのもいいですけど、カレーの香りのやつ、危険ですわね……」

「こう、もっと食べたいのに腹が限界というこのジレンマ……」

「殿下、お代わりと言わなかっただけでも進歩かと」

「うるさいぞ」


 そんな賑やかな朝食も、やがて終わりを迎える。

 食器は手際よく片づけられ、台所では侍女隊が洗浄魔法と手洗いを併用して、あっという間に元通りの清潔さに戻していった。


 そして――


「……じゃ、今度こそ、出かけるわけだが」


 居住空間の一角に、荷物が整然と並べられた。

 水の入った頑丈な水筒が数本。

 携帯用の乾燥パンと、干し肉、くるみや干し果物が詰まった布袋。

 そして――ひときわ存在感のある、銀色の寸胴鍋。

 中には、カレーがなみなみと詰められている。


「……本当に持っていくんだな、それ」


 アウローラが、じっと鍋を見つめる。


「当たり前だろ。これのために今日出るんだし」


 有羽は、特製の背嚢――蔓で出来た、背負い袋。西の女帝に造ってもらった最高級品――を背負いながら、鍋を持ち上げた

 持ち上げた瞬間、一同が「おお」と小さくどよめく。

 見た目に反して、全く辛そうな素振りがない。


「……重くないのか?」


 護衛の一人が問うと、有羽は肩を軽く回しながら答える。


「この背嚢特別製なんだよ。このくらいなら余裕余裕」


 背嚢の上部に、鍋をぴたりと固定するための金属枠が新たについている。

 さらにその上から、落下防止の魔法と、防振・防漏の簡易結界がかけられた。


「転んでもこぼれない。たぶん」

「たぶんって言うな」


 アウローラが即座にツッコむ。

 だが、別の疑問が彼女の頭を離れなかった。


「……なあ、有羽」

「ん?」

「ここから森の西部まで、片道三日かかるんだよな?」

「まあ、そのくらいだな」


 あっさりと肯定されて、アウローラの眉間にしわが寄る。


「それ……途中で、腐らないのか? 鍋の中身」


 侍女達も、こくこくと頷いた。


「そうですわよね。お肉と野菜がたっぷりの料理ですし……」

「この結界内ならまだましですけれど、森の中はだいぶ暑いですし」

「わたくし達、料理担当から『一日置いた煮込みは味が馴染んで美味しいけれど、二日三日放置は絶対駄目』ときつく言われております」

「むしろ、三日経って熟成してるなら、今ここで食べたいのだが」


 最後の一言はアウローラの本音である。

 有羽は、それらの視線をいっぺんに受けながら、あっさりと言った。


「だから、腐らないようにするんだよ」

「簡単に言うな」

「まあ見てなって」


 そう言うと、有羽は一度背嚢を降ろす。

 そして鍋の蓋を開けた。

 ふわり、と立ち上るカレーの香りに、一同が一瞬ふらっとなる。


(……いかんいかん。今は嗅覚に負けてはいけない)


 誰ともなく、そう心の中で自分に言い聞かせ、有羽は鍋の縁にそっと手をかざした。

 指先から、小さな光が走る。

 光は鍋の内側をなぞるように円を描き、そのまま中身をくるりと包み込む。

 そして。


■■(Fata) ■■■(obstant)


 なにか――アウローラ達が()()()()()()()()()()()で詠唱が成される。

 床に薄い魔法陣が浮かび上がったわけでもなければ、派手な魔力が発生した訳でもない。

 何も知らない人間の目には、「鍋の周りの空気が一瞬揺らめいた」程度にしか見えない。

 けれど、そこに立ち会っていたアウローラと護衛達、侍女達は――背筋に薄い寒気を覚えた。

 空気の「重さ」が、ほんの少し変わった気がしたからだ。


「……はい、完了」


 ぱたん、と蓋を閉めて、有羽は何でもないように言う。


「今、何をした?」


 アウローラが思わず真顔になる。

 彼女は決して魔法に疎いわけではない。

 むしろ王国でも指折りの魔力と技術を持っている。

 上級魔法だって、何度も実戦で使ってきた。

 それでも今の一瞬は――自分の知る世界から、明確に外れていた。


「疑似的な時間停止」

「……は?」


 思わず聞き返したのは、アウローラだけではない。

 侍女達も護衛達も、一様に「何を言っているのか分からない」という顔をしている。

 有羽は、肩を竦める。


「言葉通りよ。疑似的な時間停止」

「いや、だからそれは――」


 アウローラは、言いかけて口を閉ざした。

 彼女の記憶が確かなら、「時間停止」という概念は、王国の高名な魔導師たちが「机上の空論」と笑い飛ばしたものだ。

 時間そのものに干渉する魔法は、神代の奇跡であって、人の領域には存在しない。

 そう教えられてきたし、自分もそう思っていた。

 どんな魔法を使っても成し得ない、と言い切っていた学者の顔が、頭をよぎる。

 有羽は、少しだけ言葉を選びながら説明を続けた。


「……あくまで()()()ね。本当に時間を止めてるわけじゃない。そういうのは、マジで無理だと思う」

「じゃあ、今のは……?」

「分子運動とかさ」

「ぶんし……?」


 アウローラは、きれいに首を傾げた。

 隣で侍女長マルガリータも、同じように首を傾げている。

 護衛隊に至っては、「新しい魔物の名前かな?」くらいの顔だ。


「あー……」


 有羽は頭をかいた。


「えっと、あれだ。細かい粒々が、物の中でちょこまか動いてるわけよ。そういう動きが全部、熱とか腐敗とかに繋がってるっていうか……」

「……?」

「それを限りなくゼロに近づけてる。中身の動きも、電気信号も、ほとんど停止状態。だから腐らない」

「……ますます分からん」


 アウローラは両手を上げた。


「何となく凄い事してるのは分かる。だけど、言っている内容がさっぱりだ」

「要は、鍋の中だけ『ほぼ止まってる』って思っときゃいいよ」


 有羽は、あっさりまとめる。


「ただの保冷魔法なんかよりも、ずっと鮮度が保たれる。三日どころか一週間くらい平気だ」


 侍女達が顔を見合わせる。


「……それ、王都の食料庫に掛けられたら、とんでもないことになりますわね」

「いや、逆に怖くて掛けられませんわよ。こんな魔法、扱える人が限られすぎて……」

「不自然に腐らない肉とか、宗教的にも問題になりそうですし……」

「でも、食糧問題がだいぶ改善されるのでは……?」

「それを言い出したらキリがないから黙っておきなさい」


 マルガリータが、静かに侍女達を制した。

 護衛達も同じだった。

 目を丸くしながらも、どこか「触れてはいけない領域を見てしまった」ような表情をしている。

 森の賢者は、やはり人間の遥か先に居る。

 それを、改めて嫌でも思い知らされたのだった。





◇◇◇





「……なあ、有羽」


 一息ついたところで、アウローラが口を開いた。


「何?」

「カレー……その、西の主とやらも、食べるのか?」


 純粋な疑問だった。

 あれだけの全力を費やして完成させた料理だ。

 自分達でさえ、まだ数回しか口にしていない。

 その貴重な品を、わざわざ大鍋一杯分、危険な西部まで運ぶ。

 そこまでして持っていくのならば、「相手も食べる」のが当然ではないか――普通はそう思う。

 だが、有羽の答えはあまりにあっさりしていた。


「いや、食わんらしい」

「……は?」


 目が点になる。

 侍女達も、護衛達も、同じように硬直した。


「食べないのに、どうして持っていくのです?」


 マルガリータが、慎重に問いかける。


「知らんよ」


 有羽は、少し困ったように笑う。


「完成したら持ってこい、って言われただけだし」

「……………………」


 全員が、微妙な沈黙に包まれた。


「……その主、何考えてるんだ?」

「さあ?」


 有羽は首を振る。


「『匂いを嗅ぎたい』とか、『中身を覗きたい』とか、『この世界の新しい何かを確認したい』とか……そういう系じゃね?」

「理解が追い付かん……」


 アウローラは頭を抱える。


(だったら、その確認作業に、私達も同席させて欲しいのだが!)


 心の中で叫ぶも、もちろん口には出さない。

 有羽は、少しだけ真面目な顔に戻った。


「前も言ったろ。西の主は、俺と同格だって」


 その一言で、空気がぴん、と張り詰める。


「怒らせたくない。不興を買うなんて、絶対に嫌だ」


 その声には、冗談の色は一切なかった。

 アウローラ達は、西の主の名も素性も知らない。

 知っているのは、「魔境の西を統べる何か」であり、「森の均衡に大きく関わる存在」であり、「賢者と同格」だということだけ。

 それでも、「怒らせたくない」という有羽の本音には、重さがあった。

 普段どれだけ無敵に見える彼が、ここまで明確に「避けたい」と口にする相手。


(……本当に、同じ世界の住人なのか?)


 アウローラは、ぞくりと背筋を震わせた。


「……分かった」


 彼女は、小さく息を吸って頷く。


「西部には、絶対に近づかない。護衛隊にも、侍女にも徹底する」

「頼むわ」


 有羽は、少しだけ表情を和らげる。


「南側の守りは、俺の結界で何とかする。東と北は……まあ、近づかなきゃ大丈夫。行こうとしても、その前に()()()()()

「賢者殿に止められるのが、一番怖いかな……」


 護衛隊の誰かが小さくぼやいたが、そこは聞こえなかったフリをしておいた。





◇◇◇





 出発の時間は、思ったより早くやってくる。

 荷物の最終点検を終え、背嚢を背負い直し、玄関先に立つ有羽。

 アウローラ達は、結界の境界近くまで見送りに出ていた。


「で、王女さん達は?」

「我々も、王都へ戻ります」


 マルガリータが答える。


「調査報告と、森で得た知識の整理。そして……」


 ちらり、とアウローラを見る。


「次の訪問の根回しですね」

「お、おい、言い方!」


 アウローラが頬を赤くする。


「事実です」


 マルガリータは涼しい顔だった。


「次は、大体二週間後か?」


 有羽が確認する。


「うむ。そのくらいが丁度いい。森の調査隊としても、そのサイクルで動くつもりだ」


 アウローラは真面目な顔で頷く。


「その頃には、こっちも戻ってるだろうしな」

「その()()()()()が少し不安だが……まあ、信じる」

「ひどくない?」


 そんなやり取りの後――ふと、会話が途切れた。

 森の風が、茂みを揺らす。

 木漏れ日が、アウローラの金髪に斑な光を落とした。

 彼女は、少しそわそわと視線を泳がせてから、意を決したように口を開く。


「あー……なあ、有羽」

「ん?」

「その……あのワンピース」

「…………」


 有羽の肩が、ぴくりと跳ねた。

 視線は、真っ直ぐ前方へ固定されたまま、こちらを見ようとしない。

 アウローラは、頬をほんのり赤く染め、言葉を続けた。


「また……持ってきた方が、いいか?」


 その一言で、護衛隊と侍女隊の耳が、ぴくりと動いた。

 何食わぬ顔を装いながらも、全員が全力で聞き耳を立てている。

 有羽は、ほんの少しだけ顔をそむけたまま、唇をもごもごと動かした。


「………………」


 何かが喉元まで出かかったが、飲み込まれた。


「おい」


 アウローラが、じり、と一歩近づく。


「ちゃんと答えろ。有羽」


 有羽は、さっと背を向けた。


「じゃ、行ってくるわ」

「待てこら!」


 そのまま、風が巻き起こる。

 足元に薄い魔法陣が展開され、一瞬、空気の密度が変わった。

 次の瞬間には――有羽の姿は、結界の向こうへと跳び出していた。

 木々の間をすり抜けるように、風の残像だけを残して、どんどん遠ざかっていく。


「おいこらーーーーーっ!!」


 アウローラの声が、森に響いた。

 けれど既に、有羽の姿は豆粒だ。

 とても聴こえているとは思えない。


「ちゃんと答えろと言っているだろうがぁぁぁ!!」

「……あれは完全に「持ってきてほしい」って意味ですね」


 マルガリータが、ため息まじりに言う。


「まったく、素直ではありませんねぇ、有羽様も」


 侍女達がくすくす笑い、護衛隊の一人がぽつりと呟いた。


「しかし殿下」

「何だ」

「そのワンピースを着てきたら、今度こそ賢者殿の警戒心がどこまで溶けるのか……我々としても興味が」

「やめんか貴様らぁぁぁ!」


 森の中に、再びアウローラの怒声が響く。

 だが、その頬は――先ほどまでより、少しだけ柔らかく緩んでいた。


「全く、お前達ときたら……今はふざけてる場合ではないというのに」


 ぷんぷんと怒りながら――けれど内容はその通り。

 これから王都に帰り、次の訪問について『会議』する必要がある。

 即ち、第一王女レジーナを連れてくるにあたっての、会議。


「王都に帰ったら忙しいぞ。陛下とも話さねばならんし……護衛体制も新たに考える必要がある」


 何しろ、レジーナはアウローラのように武に秀でていない。

 ここまで連れてくるのに、何かしらの守りが居る。

 レジーナだけを何としても護れる、強く安心できる者。

 それはすぐに想像がついた。


「侯爵様しかいないでしょう。かの聖騎士様ならば、道中の護衛は問題ない筈です」

「ああ。身分の上でも、聖騎士殿しかいない。……国の重鎮が同時に二人動くのか」


 マルガリータが口にした名に、アウローラも同意する。

 レジーナの夫にして、王国最優の騎士。第一王女の守護に彼以上の適任は居ない。

 だがそれは、この有羽の居住空間に、王国が誇る『社交』と『騎士』を同時に連れて来ることになる。


 激しく、事態は動き出そうとしている。

 様々な思惑を、各々の胸に乗せて。

 まだ見ぬ未来へ向けて。


 そして――





◇◇◇





 有羽は、顔を抑えながら駆けていた。


 高密度な風の魔法により、駿馬でも追いつけない速度を維持しながら。

 気を抜けば崩れ落ちそうになってしまう程――先程のアウローラの問い掛けは反則だった。


(あのワンピース、また持ってきた方がいいかって……んなこと聞くなって)


 あまりに可憐だった、あの姿。

 可愛いと綺麗の、ちょうど中間。

 少女と大人の、境目のような……危ういバランス。

 中途半端ではない。

 両方の良さを同時に背負ってしまったような、眩しさ。


(……あれはもう、反則だろ)


 思い出すだけで、じんわりと顔が熱くなる。

 けれど嫌な気分ではない。

 むしろ傷だらけの心が癒されていくような。


「……ったく」


 思わずぼやく。

 面倒なことになった現状。

 今から西の女帝の所へ行き、そして帰ってくるまで往復で約一週間。

 そして次にアウローラが来るのが大体二週間後。


 時間は、あるようで無い。

 その時間内に準備を整えて、対応を考えなければならない。

 外交の名手だという第一王女相手に、果たしてどれだけ渡り合えるのか。

 そもそも、渡り合うという考えが間違っているのか。


(まあとりあえず……暇する事だけは無い、ってことだね)


 思わず苦笑して――再び足に力を入れる。

 グン、と加速して更なる速度を。

 空気を裂いて、風のように有羽は駆ける。



 その走りはとても軽やかで。

 まだ見ぬ未来を楽しむ、少年のような足取りだった。








第二章終了です。

次は第三章前に、短めの断章を挟みます。


それと、もし面白いなと思っていただけたら、ブクマや評価、いいねで応援していただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

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