第124話・そして王都へ向かう
「――とまあ、そんな訳なので、私はニクスさんを連れて神聖国を「脱出」したのですよ」
胡散臭い商人は、最後に小さく両手をパンと打ち合わせて話を締めた。
まるで長い商談を綺麗にまとめた後のような、実に満足げな顔である。
レジーナは、深く息を吸ってからゆっくりと吐いた。
商人の語った内容は、大筋として理解できる。
神聖国は過酷な北の大地にあり続けた。
そこへ光の神が降り、救いをもたらした。
寒さも飢えも、完全に消えたわけではない。けれどそれでも、人が生き、家を建て、畑を耕し、文明を築くに足るだけの恵みが与えられた。
ならば最初は、間違いなく純粋だったはずだ。
神に感謝し、その恩を外へ広げようとした。
真っ当な意味で、布教という行為を考えたのだろう。
だが、北の大地と外界の差はあまりにも大きかった。
その差が、妬みを生み、憎しみを育て、そして殺意に変わった。
山を越えた者の情熱は、祈りではなく闇になり――やがて闇ギルドの創設へと繋がる。
そして外へ出なかった者たちもまた、長い年月の中で濁っていったのだろう。
神聖国には循環がない。
同じ土地に、同じ思想だけが溜まり続けている。
異論は削られ、異端は排除され、信仰は熟すのではなく、腐る方向へ純度を高めた。
なまじ神が実在したからこそ淀んだのだ、とレジーナは判断する。
これが人間であれば――寿命のある存在による独裁であれば、まだ終わりがあった。代替わりがあり、死があり、揺らぎがあり、内部からの調整が生まれる。
だが神は老いない。
同じ存在が、同じ価値観で、千年近く国を照らし続ける。
それはもはや救済ではない。信仰という名の蒸留。危険なものだけを濃く抽出してしまった宗教国家。
そこまで考えて、レジーナは改めて目の前の二人を見た。
まだ謎は多い。
いや、むしろ増えた。
「……それで?」
レジーナは、ゆっくりと向かいの二人を見た。
「そこのニクスさんの素性は、詳しく教えてくれないのかしら?」
そう。
白髪の青年ニクスの「詳細」だけは、まだはっきりと伝えられていなかった。
最低限の確認は済ませてある。
馬車へ同乗させる前に、身分証は見た。提出されたのは、つい最近登録したばかりの冒険者ギルドカード。いくつかの仕事記録もある。怪我人の治療、小型魔物の討伐――どれも数日前に形だけ整えたと言わんばかりの、ほんの数件。
つまり、表向きは「最近登録したばかりの、少しばかり腕の立つ神官兼冒険者」である。
だがそれで済む訳がない。
現状解っている部分だけで、彼は十分すぎるほどの異常性を持っている。
神聖国の加護持ちを掃除してきたと平然と言い、聖騎士ラディウスの神威結界へ当たり前のように踏み込み、しかも燃え盛る炎を一息に吸い取ってみせた。
そんな男が、つい最近登録した冒険者です、で通るはずがない。
レジーナがにこやかに、だが容赦なくニクスを見据えると……横から商人が声を差し挟む
「いやぁ、ニクスさんのことに関しては勘弁してあげてくださいな」
朗らかな声だった。
声色だけ聞けば、庇っているようにも聞こえる。
「出身が神聖国だなんて、今の話を聞いたあとでは警戒心を煽るだけでしょう? ニクスさんは善良で平凡な神官兼冒険者、ということにしておいた方が都合がいいのです」
「……それで済ませる訳にはいかないのだけれどね?」
レジーナの返しは冷たい。
だが商人は相変わらず平然としている。
「ええ。王女殿下の疑念も当然でしょう。ですがこれは、ニクスさんの安全と、王国の安全も考慮した上で言えないのですよ。色々知りすぎているニクスさんの身柄は、どこの国でも危うい」
「……うちの宮廷も、放ってはおかないでしょうね」
「はい。そうなると揉めます。とことん揉めます。それは非常に危ない」
そこで商人は、実に失礼な調子で肩をすくめた。
「なにせこの人、言葉遣い最悪ですから。私と違って敬語とか使えませんよ?」
「おい」
それまで黙っていたニクスが、じとっとした目を隣へ向ける。
商人はそれすら意に介さない。むしろ諭すような視線を返した。
「そういう態度ですよ、ニクスさん。今目の前にいるのは王女殿下様なのですから……私のように丁寧な言葉遣いと、謙虚な態度を維持しませんと」
「あなたの慇懃無礼な物言いも、相当どうかと思うけどね」
今度はレジーナまで。ニクスとほぼ同時にジト目を向けた。
二方向から睨まれ、商人はきょとんと目を瞬かせたあと、けらけらと笑った。
「酷い視線ですねぇ」
「当然でしょう」
「お前が言われてんの、言葉遣いじゃなくて中身の方だからな」
「いやぁ、心外です」
全く心外そうに聞こえない声でそう言いながら、商人は楽しげに笑う。
確かに、この男も言葉や所作が整っているとは言い難い。整って見えるだけだ。礼節に見せかけて、言いたい放題言っている。
「……とにかく」
レジーナは、若干こめかみを押さえたくなる気持ちを理性で押し留めながら言った。
「ニクスさんの素性を丸ごと隠す理由には、まだ足りないわ」
「足りますよ。もっと単純な話ですから」
商人は、笑みを少しだけ弱めた。
今度は珍しく、言葉に軽さよりも現実味があった。
「詮索しない方がいいのです。立場の問題もありますが……もっと単純な、身の安全という意味で」
「……?」
レジーナは、そこで初めて僅かに眉を寄せた。
言わんとすることを掴みきれない。
だがこの問題に関しては、むしろラディウスの方が正確に測っていた。
「そこの神官――ニクス君だけどね」
聖騎士は、静かに口を開いた。
「多分、僕でも勝てないよ。レジーナ」
「え?」
思わず、レジーナが夫を見る。
ラディウスは冗談を言う顔をしていなかった。
「彼は単純に強い。僕が聖剣を抜いて戦っても、防戦が精々だと思う」
「……」
「そもそも、聖剣が通用しない可能性すらある。力量差の問題というより、彼が纏っている「聖気」が強すぎる」
聖気。
神官や聖職者の中でも、ごく優れた者だけが身に宿す神性の気配。
神の加護保有者ほど顕著であり、ラディウス自身もまた、それを扱えるからこそ分かるのだろう。
白髪の男……ニクスが纏う聖気は、ラディウスと同等以上。
それはつまり、王族の権威も、騎士の威圧も、場合によっては聖剣ですら跳ね返しうる土台を持つということだ。
「こちらの地位や権力を、物理的に弾き返せるだけの力がある。そして神聖国出身で、現在は出奔中。つまり、どこの勢力にも根ざしていない。孤立無援は本来、立場を弱くするけど彼ほどの強さがあると逆なんだ」
ラディウスは淡々と静かに――断じる。
「誰にも縛られない立場に変わる」
その言葉に、レジーナの胸中で別の名前が重なった。
世渡有羽。
どこの国にも属さず。
王族の命令も届かず。
必要なら誰でも救い、必要なら誰にも従わない。
世界の外側に立っているような強者。
奇しくも、似ていた。
その立ち位置も、そして容姿までも。
「……俺は、別に王国で暴れたり迷惑をかけるつもりはねぇ」
そこで初めて、ニクスが真正面からレジーナへ言葉を向けた。
「ただ、賢者のところに行きたいだけだ」
「言伝が必要なら、私達王国の者が引き受けるけれど?」
レジーナは即座に切り返す。
王女として当然の提案だ。森に入る必要が本当に「伝言」だけなら、王国側で処理する方が安全といえる。
だがニクスは、少しばかり言いにくそうな顔をした。
「……そういう訳にもいかねぇんだよ」
「何故?」
「大体の事情は、この胡散臭い不審者が話した通りだが……それ以外にも、伝えたいことがある」
「その内容を教えるつもりはない、ということかしら?」
ニクスはそこで黙った。
レジーナなら、ここで黙らない。
外交の場において、沈黙はあまりに高くつく。少なくとも彼女は、黙る代わりにいくらでも言葉を重ね、相手を誘導し、曖昧な返答を整えることができる。
だがニクスは、それをしない。
いや、できないのだろう。
要するに、腹芸が不得手なのだ。
そして、それをごまかすつもりもない。
「……最悪、ここで馬車から飛び降りて、俺一人で森に向かう」
ぽつりと、しかし本気で言う。
「ここから魔境の森に突っ込むのは、かなり厳しいが……」
「こちらの問いに答えるつもりはない、そういうことなのね?」
「ああ。悪いな」
ニクスは、そこで一切揺らがなかった。
頑なだった。
腹芸も、社交辞令も、都合のいい嘘も持たないが……一度決めた線から絶対に退かない様子。
厄介で、だが分かりやすい。
レジーナはしばらく黙って考えた。
それから、ひとつ溜息を吐く。
「……分かったわ」
「おや」
「ここで止められそうにないし、森へ向かうのを止める権利もない」
「魔境の森は、どこの国の領土でもありませんからねぇ」
商人がのんきに補足する。
レジーナは頷く。
「そういうことよ。それなら、協力という形で一緒に向かうのがベターかしら」
「黙ってる俺が言うのもなんだが……いいのか?」
「よくないわよ。全然」
即答だった。
「でも、実力行使は無理筋みたいだし……それに、借りは返さないとね」
リュムノワールでの一件。
あそこでニクスがいなければ、あの老人を生け捕りにできなかったかもしれない。
それだけで十分に大きな借りだ。
それにレジーナの勘は、ニクスから「悪意」の匂いをほとんど感じていなかった。
言葉遣いは不合格。
態度も王族相手としては論外だ。
けれど、その根にあるものは妙に善良で、真っ直ぐで、そして不器用。
むしろ危険なのは隣の商人の方だと、レジーナは判断していた。
力の大小ではなく、種類の問題。
ニクスが剣や槍なら、商人は毒。
蛇か蜘蛛か。そういう類の毒腺持ち。
「いやぁ、良かったですねぇニクスさん」
当の毒物が、実に晴れやかな顔で言う。
「これで王国までの「脚」を手に入れましたよ! あとは馬車の中で座っているだけで王都に到着です!」
「お前は本当に少し黙ってろ」
ニクスが、心底うんざりした顔で吐き捨てた。
「敬語云々の前に、存在そのものが王女さんたちに不敬だって、俺にも分かんだよ」
「ええー?」
「ええーじゃねぇよ」
やいのやいのと言い合う二人を眺めながら、レジーナは静かに推測する。
おそらくニクスは、神聖国の中では「マトモな神官」だったのだろう。
神聖国の教義から見れば落第かもしれない。だが外の基準で見れば、むしろ普通寄りだ。
素性を語りたがらないのも、大体想像がつく。
神聖国出身。
その一言だけで、揉める。
まともな神経を持っていればいるほど、胸を張って言いたくない出自だろう。
だからこそ、王国領を通り、ひっそりと魔境の森を目指す。
それ自体は極めて合理的だ。
(――もっとも。私が見つけた以上、目を離したりしないけどね)
レジーナは胸中でそう結論づける。
どうせ近いうちに、有羽のもとへ米を届けに行く段取りを整える必要があった。
ならば、その同行者にするしかない。
単独で森へ入られ、勝手に有羽へ接触されるより、同行という形で目の届くところに置く方が何倍もマシだ。
レジーナは背もたれへ身を預ける。
頭の中には、今後のことが途切れなく巡っていた。
神聖国への対処。
帝国への対処。
森の番人たちに関する情報。
そして、目の前の怪しい二人組。
(……まだ全てを信じるわけじゃない)
それは当然だった。
情報源は、胡散臭さ全開の商人である。
裏取りが欲しい。欲しいが、神聖国の内情に関しては現実的にほとんど不可能な事柄。
だからといって、鵜呑みにするのも危険。
やはり、有羽と話す必要があるとレジーナは思った。
今回のことも。
これからのことも。
そして彼自身の真実についても。
王都まで、まだ数日はかかる。
長いようで短い旅路の中、目の前の二人からまだ何を聞き出せるか。
あるいは、どこまで自分の手の内を見せるべきか。
考えれば考えるほど、胃ではなく頭が痛くなる。
レジーナはもう一度だけ、深々と溜息を吐いた。




